第四章 愛と友情と尊厳を死守せよ

第26話 ラヴがはじまる五秒前?

 決闘の勝者へのご褒美として、グレンさんは五日間の休暇を申し出た。

 休暇を過ごす場所を陛下から訊ねられ、まさかエブリン伯爵のお屋敷を探索すると答えるわけにもいかず、王都に近い湖畔の村を告げた。そこにはヴォネガット男爵家が所有する別邸があるらしく、陛下以下晩餐会に出席していた皆々様も納得し、グレンさんはご褒美を難なく賜ることができたのだった。

 ついでに私を従者として連れて行きたい旨を伝えると、それも含めてご了承いただけた。

 結果、本日の旅程初日を難なく迎えるにいたった……はずだった。


「えっ。ア、アシェラッド殿下とフィオナ様も合流するんですか?」


 決闘から一週間が過ぎた朝。

 バートさんにお土産の約束をし、私とグレンさんは箱馬車に乗って王宮の門をくぐった。久しぶりすぎる自由の空気に歓喜しそうになったものの、正面に座るグレンさんは御者から手渡された手紙を開くやいなや表情を曇らせ、そして言ったのだ。


 アシェラッド殿下とフィオナ様が、俺達の休暇に合流したいそうです――と!


「そ、そそそれは、いつからですか?」

「殿下が御者に渡した手紙によれば、片付ける予定があるので、合流できるのは俺たちの休暇の最終日だけだそうです」


 なーんだ、よかった!……じゃねえですよ!?


「お、お忙しいだろうに、なんでまたそんな!」


 グレンさんが息をつく。


「あなたがいるからでしょうね」

「え」

「どうやら殿下もフィオナ様も、あなたと離れるのが寂しいらしい」


 なぜか若干、眼差しが厳しめになった気がする……。


「わ、私はお二人になんにもしてないですよ? 本当に!」

「わかってます。俺も経験者の一人なので」


 ん? と言葉に引っかかったのもつかの間、そんな私を尻目にグレンさんは言った。


「そういうわけで、最終日には湖畔の村――リネルにいなくてはいけなくなりました」

「……で、ですよね。だけど、伯爵のお屋敷からそのリネルまでって近いんですか?」

「ええ。馬車で三時間ほどです。なので、こうしましょう」


 初日である本日は、とにかくまっすぐにエブリン伯爵のお屋敷に向かう。そこで、休暇の五日間のうちの四日間を冤罪の証拠集めにあてたのち、その日の夕方リネルに出発する。

 夜には別邸に到着するので準備を整え、翌日ご訪問されるお二人を余裕たっぷりでお迎えする――。


「うまくいくんでしょうか」

「わかりませんが、うまくいかせるしかないでしょうね」

 

 エブリン伯爵について探ることは、もちろん私とグレンさんだけの秘密だ。

 すでに断罪された伯爵について調べていることが誰かに知られたら、私の正体まで追求されかねない。そうなったら、死んでいるはずのシエラさんを生かして逃したグレンさんまで罪に問われるかもしれないわけで、そんなことなにがなんでも避けるにかぎる!

 だからこそ、アシェラッド殿下とフィオナ様が先に別邸に着いてしまい、私とグレンさんが不在だったときの最悪なパターン――居場所を探られたり詰められたりしてからの地獄絵図を予想してしまい、身震いした。


「間に合わなかったら、どうしましょう」

「間に合わせるしかありません」


 使える時間が一日まるごと減ってしまったわけですしね……。だけど、そっか。逆にですよ?


「伯爵の冤罪の手がかりが早く見つかれば、そのぶん早くリネルに行けるってことですよね?」


 グレンさんがはっとする。と、すぐにくしゃりとした笑顔になった。


「ええ。たしかに」

「じゃあ、はりきって見つけましょう!」


 鼻息荒く断言する私に、グレンさんはうなずいた。


「そうですね」


 決意を新たにしたものの、念には念を入れたくなってくる。


「ちなみにですけど、グレンさんに殿下からのお手紙を渡した御者さんは、私たちの行き先を知ってますよね? そこからこう……行き先が誰かにバレる的なこととかあったりしませんか?」


 グレンさんは腕を組み、クスッとする。


「御者には金銭で口止めをしてますから、彼からほかにバレることはありません」


 騎士パイセン、さすがです。

 

 エブリン伯爵の領地は、王都から馬車で半日ほど走った先にあるらしい。

 鮮やかな緑に囲まれた丘陵地で、ぶどう栽培が盛んな豊かな土地だそうだ。けれど、みんなに愛されていた領主が不在になってからは王宮の管轄となり、年に数回行われる祝祭なんかも自粛され、領地の人々はいまも意気消沈しているのだと、グレンさんから教えてもらった。


「お屋敷には勝手に入ってもいいんですか?」

「よくはありませんが、伯爵の執事だったヘクターが常駐して管理しています。彼に手紙で滞在することは伝えてあります。ただ……」


 苦い表情で、私を見た。


「……シエラ嬢にそっくりな騎士見習いを見て、どんな反応を示すかは未知数です」


 いろいろありすぎて忘れかけていたけれど、そうだった。

 私、中身は違えどシエラさん本人なんだった!


「ヘクターさんは、シエラさんも死んだと思っているんですね?」

「ええ。シエラ嬢を助けたことは、俺と伯爵だけの秘密でしたから」

「ヘクターさんは、その……シエラさんとは仲良しだったんでしょうか?」

「いえ。シエラ嬢は使用人の誰とも仲良しではありませんでしたし、なんなら厳しくあたっていました。なので、仲良しとは言えません」

「さ、さようでございますか……」


 ああ……なんとなくそうかなって思いました。


「とはいえ、すぐに似ているだけの別人だとわかっていただけるはずです。実際、シエラ嬢の中にいるあなたは別人ですし」


 そう言って腕を組み、柔らかく微笑む。と、なにやら思い出したように、ただでさえきれいな眼差しをきらめかせた。


「やっとあなたのことについて聞けそうです。教えてくれますか?」

「あ! たしかに、ですね!」


 というわけで、レンガ造りの街並みから緑が増えていく光景を眺めつつ、私は自分の世界のことや文明のこと、電子機器、政治経済、国の成り立ち。

 そして、面白くもなんともない身の上について話した。


「……マックとは、お店の名前だったんですか」

「あはは! そうです。外国っぽい名前が思いつかなかったので」


 私の話を、グレンさんはときどき目を丸くしつつ、それでも静かに、真剣に聞いてくれた。それに気をよくした私は、どんどん饒舌になっていった。

 だって、誰かに――とくに異性に自分のことを話すなんてはじめてだったし、こんな私のどうでもいい過去に、真面目に耳を傾けてくれる人もはじめてで嬉しかったからだ。

 気がつくと車窓から見える景色は、野原と森と山の尾根にすっかり変わっていた。


「な、なんだかしゃべりすぎた気がします。私のいた世界のことは面白いかもですけど、私の身の上は地味すぎてつまらないですよね!」

「いえ。どうしてあなたが思いやり深く楽しい人なのか、わかってよかった」

「え?」


 グレンさんは、私に優しい瞳を向けてきた。


「いろんなことを我慢して耐えて、それすらも笑い飛ばして乗り越えてきたことがよくわかりました。あの王宮に、あなたのような人はいない。どうにもできない運命を呪わず、ただあるがままに受け止めながら、他人に優しくできるような人を俺は知りません」


 その言葉を耳にした瞬間、身体がふわりと浮くような感覚におそわれた。

 これまでも、ときめきポイントをグレンさんからご提供いただいていたものの、ラヴ方向の経験値が皆無すぎて判断がつきかねていた。

 でも、いよいよ満を持してはっきりしそうな気がしてきて、むしろ怖くなってきた!


「お……王宮にだってきっといますよ? グレンさんが知らないだけで」

「そうかもしれませんが、俺はもうあなた以外のことなんてどうでもいいです」

「え」


 グレンさんの視線が私にそそがれ続ける。あまりにまっすぐすぎてその瞳にロックオンしたが最後、まったくそらせなくなってしまった。

 しかし、見れば見るほどすごいイケメンですね……なんて、グレンさんのお顔をのん気に観察している場合じゃねえですよ、私!

 この密室。馬車が揺れるたび、お互いの膝が触れる密着具合。

 まさかこれ、ラヴがはじまる五秒前なのでは!? ……なんて思ってしまった直後、しみじみとグレンさんは言った。


「あなたがどうしてシエラ嬢の中に入ったかは、俺にもさすがにわかりません。だけどいま俺は、生まれてはじめてシエラ嬢に感謝したい気持ちでいます。ただ、本当のあなたの姿が見られないのが本当に残念です」

「わ……私の本当の姿なんて誰の目にも入らない完全なモブ……影みたいなものだったので、逆に私もシエラさんに感謝感激中ですよ。だって、こんな美少女になれるなんて夢みたいですから!」


 ガチの本音です。


「影のようなあなたでも、あなたはあなただ。シエラ嬢の姿なんかより、俺にとってはずっと貴重です。だから、この目に映せなくて残念なんです。でも――」


 グレンさんは微笑み、前髪をかきあげる。


「婚約パレードの日、あなたを見つけたのが俺で本当によかったといまは思います。そうでなければいまごろあなたは、俺じゃない誰かと一緒に過ごしていたかもしれない」


 ――そう想像するだけで、気が狂いそうです。


 圧強めのパワーワードを、なんとも爽やかに言い放った。それを耳にした瞬間、ずん、と私の胸になにかが刺さった予感がした。

 それはおそらく、宇宙で一番太いキューピッドの矢だ――って、え、ちょっとお待ちください? なにこれ。この、心臓が破裂しそうになってる感じ!


「とにかく、休暇中はあなたを独り占めできそうでよかった」


 はい、降参。

 そんなこと言われたら、誰だって意識せずにはいられなくなるってもんですよ!

 い、いやいや、これはもしかしてもしかすると?

 

「し……宗教の集会に誘うとか、私になにか売りつけようとしてます?」

「なにを言ってるんですか」

「い、いえ……」


 勧誘系の詐欺かなって一瞬思ってしまって、すみません(むしろそっちのほうが経験値アリだから安心だったかもしれない……)。

 え、はじまるの? なにかがはじまる方向なのコレ?

 いや、私たちの目的はエブリン伯爵の冤罪の証拠をつかむことなわけで、けっしてラヴからのいちゃいちゃとかではないんですよ。

 断じて! 断じて!!



 * * *



 エブリン伯爵の本当の名前は、バイロン・ウッド。

 エブリンは彼の領地の名称なので、エブリン伯爵と呼ばれている。

 でも、領地の人々は親しみを込めて、彼をウッド様と呼ぶことが多いらしい。

 そんな、いまは亡きウッド様のお屋敷に着いたのは、午後の手前だった。

 どこまでも続く緑の平地に囲まれて、重厚な石造りのご立派なお屋敷は建っていた。


「うわ、お城みたいですね!」


 馬車からおりるや、お屋敷を見上げて感嘆する。


「実際、かつては王族の城だった建物です。それを、ウッド家が継承したんです」


 シエラさんもここで暮らしていたのかと思うと感慨深いものの、そばにいるグレンさんを無駄に意識しすぎてとにかく気まずい。

 なにしろ私、ここに着くまでの間、狸寝入りをし続けていたので!

 出発時間も早かったから、本気で眠った時間もあるにはある。でも、ときおり覚醒してうっすらまぶたを開けると、真正面にいるグレンさんは本を読んでいた。その姿に勝手にドキドキしてしまい、どうしたらいいのかわからなくなって、結局眠ったふりを決め込んでしまったのだった。


 なんかもう、こじらせまくりのこんな自分が残念すぎる……!


 身悶えそうになった矢先、お屋敷の両開き扉が開いた。

 これぞ執事と叫びたい、すらりとした立ち姿の厳格そうなイケオジが姿を見せ、グレンさんを視界に入れるとにこやかに微笑んだ。


「お待ちしておりました。お手紙でいただいたお時間にぴったりでございます。グレン様」

「ヘクター、久しぶりです」

「ええ。本当に……!」


 ヘクターさんの瞳に涙が浮かびそうになった、瞬間。

 私を見るなり涙を引っ込め、悪魔の形相に変貌した。それに気づいたグレンさんが、すぐさま口を開く。


「ヘクター。手紙に書いたとおり、彼が滞在中に俺の従者を務める、騎士見習いのマックです」

 

 グレンさんによる紹介もなんのその、ヘクターさんは鋭い眼光を和らげなかった。むしろまるで、どうにか生きのびたシエラさんが男装し、グレンさんを騙しているかのような疑いの視線を向けてきた。


「――騎士見習いのマック? ……さようでございましたか……」


 あれ? 私の別人設定、大丈夫そ?

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