「つかさ」と「つばさ」
森本 晃次
第1話 中江つかさ
この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。ご了承願います。
世の中には、日本を含め、名前を見ただけでは男なのか女なのか分からない人がいる。
たとえば、「かおる」という名前である。普通は女性を思い浮かべるが、中には男性もいる。薫と書く男性俳優だっている。そう思うと世の中実に面白いものだ。
特に同じ名前で付き合っていたりすると、
「結婚したら、二人は同じ名前になっちゃうんだよな」
という老婆心を働かせる人は多いことだろう。
特に全国的に多い名前をつけている人には、その可能性が高い。同じ苗字の人が付き合うよりも可能性としては相当低いが、まったくないわけではない。そう思うと、本当に結婚すればどうなるのか、考えただけでも面白い。
ただ、実際には結婚して夫婦が同姓同名になってしまうという問題は残っています。
日本という国では、結婚すれば、
「婚姻中の夫婦は、夫か妻のどちらかの苗字を名乗らなければならない」
と、民法の規定にあり、例外は認められていないとのこと。
つまりは、夫婦別姓というものが認められていないということになり、同姓同名の夫婦が一つ屋根の下に存在するということになってしまいます。
郵便物などのそれぞれのプレイべーとは守られるのでしょうか?
名前が同じなので、送られてきた郵便がどちらのものなのかが分かりません。友人知人であれば、どちらかを指定してくれるでしょうが、まったく知らない相手で、しかも行政や保険会社などから送られてきた郵便に、しかも、
「親展」
として、本人指定で送られてきた場合が大きな問題になってきます。
親展なのだから、本人以外が開けてはいけない。これは夫婦間でも同じこと。夫婦の和の亀裂にも繋がりかねません。
また、諸手続きなどもかなり面倒になります。
たとえば保険に加入するのに、本人がどちらなのか、受取人がどちらなのか、審議の問題にもなるでしょう。
また会社に勤めている時の年末調整の書類、事業主では確定申告と、書類を毎年収めなければいけない時に、毎年同じような質問を受けて、さらに審査に時間が掛かったりすれば、当然億劫に感じないわけもないはずだ。
そんな余計な心配をしなければいけないのも、日本という国家の法律が遅れているからだろう。
「夫婦別姓の何が悪い」
という意見もあるだろうし、
「こういうややこしくて、厄介な問題を抱える場合は止む負えない場合として、特例を設けるくらいしてもいいじゃないか」
という意見もあるだろう。
少なくとも後者くらいはあってしかるべきだろう。そうでもなければ、それこそ日本は先進国どころか、後進国と言われても仕方がない。
日本が後進国だと思うのは、外人が多いのもその理由である。
「最近はどこに行っても、わけの分からない言葉を話している連中ばっかりだ」
と思っている人も多いだろう。
それこそわけの分からない民族が訳が分からずに日本にやってきて、我が物顔をしている。
それに便乗するかのように、九州の玄関口であるどこかの県庁所在地では、
「国際都市」
などと市長がほざいているのだから、おへそで茶を沸かすというものだ。
日本人よりも外人を大事にするなんて、とんでもないことだ。そう思っているのは作者だけではないだろう。
余談であったが、とにかく今の国家はどうかしている。
「止む負えない場合は、名を変えることができる」
という規定はあるのに、結婚すれば姓を同一にしなければいけないというのだろう? 実に不思議なことである。
姓はともかく名前というのは、親からもらった大切なものだという意識を持っている人に、
「姓を変えることはできないので、止む負えないから名前の方を変えてください」
と果たして言えるのだろうか?
それができるとすれば、その名前をつけた名付け親だけではないだろうか。
こんな簡単なことも分からない政府は本当に腐敗していると言ってもいいのではないか?
っと、またしても、余談であった。
さて本題に戻ることにしよう。
ある街に、K高校という学校があり、そこに二組の同じ名前の男女がいた。幸いなことに苗字が全員違っているので、前述した同姓同名ということはないので、大きな問題になることはない。
この四人は、元々性格も違えば、普通であれば、接点はほとんどなかっただろう。それぞれお互いと言える相手とは接点があったとしても、四人全員が絡むようなことにはならなかったに違いない。
その四人は、それぞれの性格の違いから、ある意味結びついたと言っても過言ではない。それを偶然と捉えるか、必然と捉えるかというのは難しいところではあるが、それぞれに噛み合っていなかった歯車が噛み合ってくることで、絡んでくることになるのだった。
ただ、その歯車が噛み合うことが本当にいいことなのか悪いことなのか、誰に分かるというのだろう。当事者にもそれぞれの立場があり、考え方がある。一人は、
「俺はよかったと思うよ」
というかも知れないが、
「私にはたまったものではないわ」
と憤慨する人もいるかも知れない。
だから一概に四人が絡んだことがよかったのか悪かったのかという判断はできかねるだろう。
そういう意味でこの物語のエピソードに善悪の感覚はない。所々で善悪を感じることもあるだろうが、それが全体に及ぶということはないだろう。人間の性格の分水嶺は、それほど単純ではないということだ。
ここで登場するふたつの名前は、
「つばさ」
と
「つかさ」
である。
それぞれに、男の子にもいて、女の子にもいる名前だが、一つのクラスにそれぞれ男女が終結したというのも珍しい。
高校一年の入学のクラスがそうだったので、担任となる先生は奇妙な偶然に気付いていただろうが、そのことを敢えて問題にすることはなかった。
他の先生からも別に問題点として出てくることもなく、普通にクラス編成も無事に終わったのだった。
先生のほとんどは分かっていて、
「面倒なことで時間を使うことはしたくない」
ということなかれ主義であろう。
後から問題になるとしても、
「別に今問題にする必要もない」
と考えていたに違いない。
事なかれ主義というよりも、
「今がよければそれでいい」
という考えであり、
「どうせ対して大きな問題など起こりはしないだろう」
という楽観的な考え方が先生の基本であった。
もっとも、名前が同じ男女が同じクラスというだけで、どんな問題が起こるというのか、誰がその予見ができるだろう。そう思うと、今問題視する方が老婆心であり、余計なことでしかないのだ。
まずクラスの中で気になったのは、中江つかさという女の子のことだった。
彼女は品行方正で友達も多く、クラスでは目立つタイプだった。しかし、クラスの中心にいるわけではなく、いつも遠慮深いところがあった。それが彼女を品行方正に見せ、人気者にする要因であろう。
出しゃばったことは嫌いで、だから前に出ることもしない。クラス委員にいてもいいような彼女だったが、自分から立候補もしなかったし、まわりからの推薦もなかった。
これには担任の先生も驚いた。
担任の先生は女性の先生で、名前を緒方先生という。彼女は本当にことなかれ主義の性格で、先生になったのも別に先生に憧れていたというわけではなく、大学で教育学部だけしか合格しなかったので、大学では先生になるということに何の疑問も感じることなく、卒業した。ある意味どこにでもいそうな人なのだが、ここまで徹底している人は少ないのかも知れない。
中江つかさは、密かにそんな先生に憧れていた。中江自身は先生に対して、
「先生として尊敬していた」
というだけで、それ以上の感情を抱くことはなかった。
だが、緒方先生の方はどうだろう?
緒方先生はいつも孤独だった。ことなかれ主義になったのも実はそんな孤独な性格が災いしてのことだったのだが、緒方先生自身は災いしているとは思っていなかった。
緒方先生はこの学校の卒業生である。だから知っている先生も多いはずなのに、なぜか先生の中でも浮いていた。緒方先生のことを、
「あの人、いつも一人でいるくせに、一本筋が通っているわけではないので、すべてにおいて中途半端なのよね」
と陰口を叩かれることが多かった。
だが、彼女をよく知っている先生は、
「そうなのかしら? 彼女は学生時代には結構品行方正な性格だったと思うんだけど、でも皆さんの言うように変わってしまったのかしらね。何が一体彼女を変えたのかしらね?」
という先生もいた。
だから、この先生も疑問を抱きながらも、他の先生に逆らってまでも、緒方先生を擁護する様子ではない。どちらかというと緒方先生が変わってしまったということを強調し、自分が裏切られたとでも言いたいような雰囲気だった。
――ひょっとすると、彼女は何かを知っているのかも知れない――
同僚の先生はそう思うのだった。
実際に同僚の彼女も緒方先生から裏切られたわけではない。裏切られたわけではないのに、なぜか苛立ちを隠せない自分に対して苛立っているのかも知れない。
「ねえ、緒方先生って、少し変よね」
と、クラスの女子の間で噂が立ち始めていた。
「変って、何が?」
まだよく分かっていない生徒は、気付いた人の話に興味を持って見ていた。
彼女も実はよく分かっていないだけで、緒方先生には違和感を感じていたからだ。その違和感を教えてくれる相手が目の前にいることで興味を抱くのは当たり前というものだ。
「緒方先生って、いつも人当たりがいいんだけど、それだけに何でも他人事のように感じられるのよ。これって先生としてどうなの? って感じでしょう? これから私たちは大学受験だったり、就職活動だったりでいろいろ相談に乗ってもらわないといけない存在じゃない。そんな人が何でも他人事ってどういうことなのかって私は思うのよね」
と彼女は言った。
「なるほど。私も先生が私たち相手にどこか上の空なんじゃないかって気付いたことはあったんだけど、それ以上深く考えたことはなかったは、どうして相手が教師だって思うからなのかも知れないわ。先生と思っただけで、自分にはあまり関係ないって思うのは、先生に対して拒絶反応を示しているからなのかも知れないわね」
と答えた。
「でしょう? 私が考えすぎなのかも知れないとも思ったんだけど、先生が他人事のように自分たちを見ていると考えると、今度はまた別の意味で先生に違和感を感じるようになったの」
「えっ? どういうこと?」
「私がすぐに相手に思い入れを激しくする悪い癖があるからなのかも知れないんだけどね」
と、一旦前置きを入れてからさらに続けた。
「あの先生ね。私たちを見る目が異常な気がするのよ。他人事だと相手を感じているのであれば、その人の目線というのは、上から目線ではないかって私は思うのよね。でも、あの先生が私たちを見る目は、下から見上げるような目で、何かモノほしそうな目になることがあるのよ。本当に私の考えでしかないんだけどね」
という彼女に、
「そうね。それは私も感じていたわ。だから余計にあなたが最初に言った。先生が他人事のように見ているという言葉を全面的に信用することができなかったの。微妙なイメージを感じていたわ」
ここでいう微妙という言葉は、あまりいい意味ではない。
一種の悪口に近い言葉で、相手の言葉を否定したいと感じているのかも知れない。
「あなたの言う通りだし、今私もあなたの意見を聞いて、ハッとした部分はあるわ。実際にどうしてそう感じなかったのかってね。いつもであれば、気が付きそうなことなんだけど、それに気付かないということは、それだけ私の目が先生に対してブレた目線を示しているということなんじゃないかって思うわ」
というと、
「そんなに自分を卑下しなくてもいいと思うのよ。人それぞれに考え方や見方がある。どちらが正解でどちらが間違いだなんて決めていいのかって思うわ。実際にどっちが本当でどっちが間違いなのかはハッキリしているとしても、それを誰が判断できるのかって、それこそ微妙なのよね」
「皆の目は平等ということかしら? でも、それじゃあ面白くない気がするわ」
「そうね。だからいろいろな意見があってもいいと思うし、たとえば同じ考えに見える人たちでも、一人一人を厳密に見ていると、皆それぞれ微妙に違っているものね。それをうまく合わせる人がいるから、一つの団体として成り立っているのかも知れないわね。つまりは団体の中で中心にいる人よりも、それに合わせる人がいるから成り立っている。カリスマよりも重要なことなのかも知れないわね」
二人は、そこで少し会話を切った。
お互いに、この話の結論に近づいていたはずなのに、いつの間にか話が脱線してきていることに気付いたからだった。
一寸ほど時間があってから、最初に問題提起した彼女が話し始めた。
「先生の視線なんだけど、私はなんだか、舐められているような視線に感じられるのよ」
「というと、私たちが見下されていると?」
普通は言葉を聞いただけではそう思うだろう。
「いえいえ、そういう意味じゃなくて。私たちを頭の先から足元まで舐めるように見ているという意味よ」
「あっ、そういうことね」
言葉というのは難しいと感じた。
「そうなのよ。でも不思議なのは、先生は男子生徒に対してはそんな視線はないのに、女生徒にだけ舐め回すような視線なのよ。私はそれが気持ち悪くって」
彼女が、最初に、
「私」
ではなく、
「私たち」
と言ったのは、自分に対してだけではなく、他の女の子に対しての同じような視線を感じているということだろう。
そのことを話し相手の彼女には分かっているのだろうか?
「私はそんな風に感じたことはなかったわ。もし感じたのなら、気持ち悪くて先生に対して拒否反応を示すはずだわ」
彼女は本能的に動くタイプの人だった。
だから、相手が自分に対して敵意を示したり、必要以上に馴れ馴れしかったりすると拒否反応を示す。そういう意味で彼女も友達の少ない人だったが、数少ない彼女の友達も皆彼女のような性格で、いわゆる
「似た者同士」
でつるんでいると言ってもよかった。
そんな彼女のことを最初に言い出した方の彼女も分かっているつもりだったので、
「私が話をすれば、自分も感じていたと言ってくれるに違いない」
と感じていた。
だが、実際にはそんなことはなかった。彼女は気付いていなかったというし、どうしたことだろう。そもそも彼女にこの話を最初に言ったのは、本能的に動くタイプの彼女だったからである。他にも同じような人はいたが、彼女にしたのは、その感受性が一番強いと思っていたからだ。
その考えに間違いはなかった。しかし、それでも彼女は緒方先生の視線に気が付いていなかったという。
――ひょっとして緒方先生の意識は、私が考えているよりももっと深いところにあるのかも知れないわ――
と感じた。
自分の見方が間違っていたとは思わないが。想像していた流れにならなかったことは彼女にとって屈辱的にも近い敗北に感じられた。だが、それ以上に彼女の中で、自尊心の強さに気付かされて、もっと柔軟に考える力を持つことができるようになるとすれば、この機会はちょうどの分岐点だったに違いない。
実際この後二人は仲良くなり、つかさに対して二人の影響力が出てくることになる。
最初に話をした岡本あゆみといい、話を聞いた門倉あいりという。二人は知らず知らず中江つかさに近づくことになるのだ。
緒方先生は、女子高生の頃、憧れの男子先生がいた。
緒方先生の性格は竹を割ったような性格で、思ったことは猪突猛進のようなところがあり、そのせいで、根拠もないのに無謀なことに挑戦することもあったくらいだ。しかしそれでも何とかなってくるのは先生の役得なのか、それとも天性の持って生まれた才能のようなものなのか、その頃に判断のつく人はいなかった。
この時も、緒方先生は好きになった男子先生に対して迷いなくアタックした。その先生も一度は自分が先生という立場からか断ったようだが、そんなことでめげる緒方先生ではなかったので、何度もアタックされるうちに男子先生も折れたのか、彼女と付き合うようになった。
「これは二人だけの秘密。誰にも言っちゃダメだよ。言ってしまうと破局になるだけじゃなくて、二人の人生がめちゃくちゃになりかねない」
と言った。
緒方先生は、彼が、
「これは君のためなんだからね」
などというセリフを吐いていれば、ひょっとすると冷めていたかも知れない。
彼は正直に答えたのだ。緒方先生のことも大切だけど、一番大切なのは自分であると。それは本心であることは緒方先生には察知できた。だからこそ、彼を好きになったのだと自分で納得していた。
その頃から緒方先生は、
「私はいい悪いは別にして、正直な人が好きなんだ」
と感じるようになった。
そのおかげか、相手が取り繕ったセリフを吐いている時は、
「本心じゃない。自分の保身に走った愚言だわ」
とすぐに気付くようになった。
そういう意味で好きになった男子先生は自分にも相手にも正直だった。本当に自分に正直な人は、相手を思いやることもできる。最初から相手のことだけしか考えないようにしている人は、自分から逃げている可能性もある。そう思うと、どうしても信用することはできなかった。
――やっぱり先生は私も信じた人だったんだわ――
と思うと嬉しくなった。
有頂天になった緒方先生は、それまでとは打って変わったようになっていたようだが、まわりは気付いていたが、本人は分かっていなかったようだ。
たまにクラスメイトから、
「緒方さん、変わったわね」
と言われても、ピンと来なかった。
自分としては、それまで同様のポーカーフェイスのつもりだったが、
「それそれその表情」
と言われて、
「どういうこと?」
「顔から笑みがこぼれているわよ。緒方さんって、エクボができるのね」
と言われてビックリして、鏡を見にいったほどだった。
「本当だ」
自分でもビックリしたが、
「きっと緒方さんは正直な証拠ね」
と言われた。
人が正直かどうか見抜くのには長けているとは思っていたが、まさか自分を正直だって言ってくれる人がいるとは思わなかった。
緒方先生は自分の性格が嫌いだった。なぜなら、
「自分が好きなのは正直な人だ」
と思っているくせに、自分に対して正直な性格だなどと、これっぽちも思わない。
自分に対して感じないことを他人が感じるはずもなく、
――きっと自分を客観的に見れば、好きになれない性格なんだろうな――
と感じていた。
緒方先生は意外と自分を客観的に見ることのできない人だった。他人を客観的に見ることには長けている。いや、主観的に見ることがかつてはできなかったと言ってもいい。それができるようにしてくれたのは好きになった先生のおかげだった。
――この人を好きになった本当の理由は、この人に対してだけは私が主観的に見ることができる唯一の人だわ――
と思ったからだ。
自分のことでさえ主観的に見ることはできないのに、この人にだけは違っていたのだ。
だが、ここで自分でも不思議に感じたのは、
――私って、自分を客観的に見ることができないと思っているのに、主観的にも見れないのよね――
と今さらながら、その時に初めて気がついた。
そしてそれと同時に、
――他人のことはよく分かるのに、自分のこととなるとまったくなんだわ――
と思うようになった。
そんな緒方先生は好きになった先生とどれくらい平和に過ごせたというのだろう? まるで夢のような時間だったのだが、その間は時間の流れがそれまでとはまったく違っていた。ちなみに、それ以降でも同じような時間の感覚を感じたことはない。独特の時間だった。
「一日は長く感じるのに、一週間になると、短いのよ。一週間が短いと思うと、今度は一か月が長く感じる。一年ともなると……」
と、時間の感覚は、時間に対しての間隔と密接に結びついている。
「まるでダジャレだわ」
と苦笑したが、まさしくひらがなで書けば、同じ「かんかく」である。
だが、緒方先生とその先生のお付き合いは約半年で破局を迎えた。理由は信じていた男子先生が浮気をしたからだった。
相手は同僚の女教師である。彼女はいつも影にいるような性格で、表に出ようとはしない。かつての緒方先生のような感じだったのだが、緒方先生の場合は自分をしっかりと持っていたが、その女教師はいつまでも煮え切らないような性格だった。要するに緒方先生とはまったく正反対の性格だったのだ。
「ごめん、俺、浮気しちゃった」
彼は正直に告白した。
緒方先生の性格から言って、正直に告白すれば許されるとでも思ったのか、ただこと浮気ともなるとそうもいかない。好きな相手に対しての感情は正直さという性格だけで解決できるものではないだろう。
逆上はしなかったが、堪忍袋の緒はすでに切れていた。
何とか平静を装っていたが、彼女にとってそれまでの自分のやり方、さらには性格が否定されたような気がしたからだ。
――これが失恋の痛手というものなのかしら?
それまでの楽しかった思い出ばかりが思い出される。
そして、現状の自分と比較している自分を思うと、何とか頭で理解しようとしても理解できるものではない。そもそも彼が正直に告白したことが信じられなかった。明らかに彼女の性格を読んでいて、それで正直に告白すれば許されると思ったと感じたのであれば、それは猪口才なやり口であり、彼女のもっとも本当に嫌いな性格の相手二なり下がってしまったと言えなくもなかった。
二人はぎこちなくなり、それまでせっかく隠してきたのに、そのぎこちなさから二人の関係が次第にまわりに分かるようになっていった。
「ねえ、緒方さんと先生がまさかね」
と皆は興味本位に口にする。
最初から皆に分かっていれば、その経緯も分かってくれているのだろうが、破局を迎えた時に皆が悟るのだから、過去に遡って見るというのは、想像でしかない。しかも、破局のドロドロとした愛憎絵図が渦巻く関係から想像するのだから、かなり事実とは異なった歪んだ想像をされているに違いない。皆の噂は誹謗中傷に満ちていて、二人に肯定的な意見は皆無だったに違いない。
「やっぱり、最初から内緒にしていたということが災いしているんだわ」
と緒方先生は思った。
確かに最初からオープンにしていれば、もっと暖かな目もあっただろうが、バレたという形になれば、まわりは、
「裏切られた」
と思っても仕方がない。
人に内緒にするということは、その側面に、裏切りという文字が潜んでいることを緒方先生はその時初めて知ったのだ。
結局二人はドロドロの状態で破局を迎え、しかも生徒に手を出した先生として世間から白い眼で見られた先生は、退職していった。それが自分から辞めたのか、懲戒免職だったのかは、緒方先生にも分からなかった。
だが、最初から正直にまわりに悟らせていれば、付き合い始める頃に同じことになっていたかも知れない。何しろ、
「生徒に手を出した先生」
なのだから……。
緒方先生の気持ちの中に、
「交わることのない平行線」
が生まれた。
それは矛盾した感情であり、
「まわりに知られたくない」
という本能的な感情と、
「知られていればこんな結果にはなっていなかった」
という結果論からの後悔との二つである。
それが、平行線となって自分の心の中に残ってしまったという思いが最初は強く残っていたが、そのうちに意識の片隅に残るだけになったが、さすがに記憶の中に封印してしまうことはできていないようだった。
そのせいもあって、緒方先生は次第に自分の性格に気付くようになってきた。
「私は、ひょっとして女の子が好きなのかも知れない」
と考え始めた。
最初は、性同一性症候群という、いわゆる、
――自分の内面は男ではないか?
という疑問が湧いていた。
だが、そのうちに自分がどうしても男性になりきれない部分があることにも気付いていた。それからも男性と身体を重ねることはあったが、男性の身体を見て、気持ち悪さしか残らなかった。そんな自分が男性だったという考えは自分の中で否定するようになっていた。
そうなれば、
――私は、レズビアンなのでは?
と感じるようになってきた。
女性を好きなのは男性としてではなく、女性として自分が大切にしたいものが女性というだけで、母性のようなものは自分の中に存在していることに気付いた。
先生とうまくいかなかったのは、ひょっとすると、先生の方で彼女に対して女性として疑問を感じたからなのかも知れない。
そういえば、別れ際に変なことを言っていた。
「君が本当に好きになるのは、僕のような男性ではない」
と言っていた。
聞いた時は、
――これは言い訳で、自分以外の女性を好きになったんじゃないか?
と思った。
だから思い切って、
「そんなことを言って、あなたは他に好きな女性ができたんじゃないの?」
と聞いてみた。
すると、彼は、
「そうだね。誰かを好きになるとすれば、今の君と違うタイプの女性を好きになるんだろうね。」
と言って、緒方先生の言葉を否定しなかった。
すっかりマイナス思考にしか考えられなくなっていた緒方先生は、
「そうなの。だったら好きにすればいいわ」
と言って吐き捨てるかのようにその場を後にした。
その時、まったく後ろを振り返らなかったが、その時、自分の潔さを誇らしいと思ったくらいだ。
そんな思いもあったので、緒方先生は自分が、
「竹を割ったような性格で、元は男性なんじゃないか?」
という疑問を抱くようになったのだ。
しかし、しばらくしてから自分がレズビアンではないかと思うようになると、その本質が男役にあるということに気が付いた。だからそれからは女性を見る目が変わってきていることを自覚はしていたが、女性に気持ち悪がられるような視線になっていることには気付かなかった。その視線に最初に気付いたのは、かくいう付き合っていた先生ということになるのであろう。彼女の視線の気持ち悪さは、女性よりも男性の方が敏感に気付くようで、彼女に近づいてくる男性は、ほとんどいなかった、
近づいてくるのは、ちょっと変わった性癖がある男性で、彼女が身体を重ねる時になって男性の気持ち悪さを感じたというのは、自分の目に映ったことだけではなく、相手の視線の気持ち悪さもあったのだろう。そのことで自分がレズビアンだと気付かされたというのも実に皮肉なものであった。
緒方先生が教師を志したのは、昔から憧れていたというのもあったが、高校生の女の子に憧れがあったというのもその一つである。
大学には幸か不幸か、入学できたのは教育学部だけだった。その入学が将来の緒方先生の道を決めたと言っても過言ではないだろう。
大学時代は同級生の女の子とは何もなかった。ちょっと可愛いと思った女の子もいたが、その女の子はリーダー格の人だったので、緒方先生の好みとは合わなかった。だが、同じような性格ということもあり、親友としては最高の相手だった。人に言えないようなことも相談できる相手として君臨してくれたことは嬉しかった。
彼女にだけは自分の性癖を話した。
「どんな性癖があろうとも、私は嫌いになったりはしないわ」
と言ってくれたのが嬉しかった。
しかし、逆にいうと、決して好きにはなってくれないということでもあり、少し寂しさを感じたが、それでも冷静に考えると、
――私が求めているのは、彼女のような女性ではない――
と感じられた。
お互いに性格が似ているので、引き合うどころか反発し合うに違いない。つまりは、磁石でいうところの同極の反発なのだ。
同じ教職を目指すものとして、似た性格なのも仕方のないこと。お互いに気持ちが分かりすぎるくらい分かるので、いい面もあれば悪い面もある。それまですべてを晒してもいいと思っていた相手だったが、次第に警戒心も生まれてきた。無理もないことである。
教育学部を無事に卒業できた緒方先生は、念願の教師になれた。そして赴任してきた先が中江つかさのいる高校だったというわけだ。
緒方先生が事なかれ主義になったのは、
――自分の性癖を隠したい――
という思いが強いからであろうか。
今までは、学生だったこともあり、自分と同じ立場の人が多かった。しかし、教師ともなれば、生徒よりも立場が上で、指導する立場にある。それだけに今までのように孤独を表に出すわけにもいかず、それくらいなら、まだ事なかれ主義を表に出した方がいいという考えに至ったのだろう。
緒方先生にはもう一つ、他の人にはない特徴があった。それまでの彼女には自分で分かっていなかったことだが、教職に就いたことで、少しずつ自覚できるようになっていった。事なかれ主義はそれまでと変わってはいなかったが、事なかれ主義に徹するということは、まわりを他人事のように見れるということであり、それは冷静に見るということにも綱買ってくる。
他人事のように見るということであったり、事なかれ主義ということであれば、あまりいい意味では用いられる言葉ではないが、冷静に見ることができるというのはその人にとっての長所であり、いい意味で用いられる言葉であった。
さらにそのことで彼女は、
――私って、まわりを見る観察眼に長けているのかも知れないわ――
と感じるようになった。
それは、何か問題が起こった時でも、一方に思い入れを激しくしてしまい、片方に肩入れするようなことがないということだ。冷静に見ることで目は中立を宣言していて、両者を全体から見ることができるということである。
ただ、すぐには自分にそんな能力があるということを認識できていなかった。緒方先生はそれほど自分に自信があるタイプの人間ではないので、もしそんな能力が備わっていることを自覚できたとしても、どうしても疑ってみてしまうのも彼女の性格の一つであった。それは石橋を叩いて渡るというような冷静な性格によることというよりも、自分に自信がない方が強いというべきであろう。決して冷静な性格ではないとは言えないが、それだけにその裏の性格の方が得てして強いということもあるというものだ。
学校に赴任してから、新人であることで余計に自分の殻に閉じこもってしまった緒方先生は、最初の半年で完全に自信喪失状態になっていた。しかし、そんな彼女が自分の長けている部分に気付いたことで、今までの表に出していた自分をそのままに、内面だけを変えるという高等テクニックを用いることができるようになっていた。
それは、事なかれ主義ではあるが、気になっている相手に対しては、必死になって立ち向かうということであった。彼女のことをただのことなかれ主義の他人事のように見ない人だと言う風にしか感じていない人には決して分からないことだろうが、彼女のことを分かる人には分かるのだった。
数少ないそんな相手が微々たるものではあるが、そんな人たちにはきっと共通点があるに違いない。
彼女たちには彼女たちの正義があり、真実もあるのだ。
そんな緒方先生が自分が求めている相手がどんな女性なのか、考えてみた。
最初は、
「従順でどんなことにでもしたがってくれる女の子」
を普通に求めているものだと思っていた。
自分が男役であるということは、Sだという思いが強かったからだ。Sだということは相手に求めるものはM性である。つまりは、どんなことにでもしたがってくれるような相手でなければいけないと思うのも当然であろう。
赴任してから最初の一年はまだそんな余裕はなかった。自分が教師としてやっていけるまでの土台を築いておかなければいけないことは重々承知していて、その頃はまだ自分の性癖が自分の生活範囲までを脅かすようになるなど思っていなかった時期だった。
一年が経つとまわりからは、
「緒方先生もだいぶ先生らしくなってきましたね」
と、校長先生からも言われ、先輩先生からは、
「今までは一番下だったけど、これからは後輩教師も入ってきますので、そのつもりでいていただかなければいけません。これからも今まで同様に、気を引き締めてお願いいたしますね」
と、学年主任の先生からも言われた。
この言われ方は、一応の評価をしてもらっていると見てもいいだろう。緒方先生の一年間の努力は無駄ではなかった。これからいろいろと大変なこともあるかも知れないが、まずは合格ということで、有頂天にもなるというものだった。
二年目からは晴れて担任教師になることができた。
「先生には、まず一年生を受けもっていただきます」
K高校は、先生も生徒と一緒に一年生から二年生、三年生へと同時に進級していく。
クラス替えはあるかも知れないが、同じ生徒たちと一緒に進級していくということは、この学校の理想としているところであった。
まず受け持ったクラスには、このお話に登場する四人全員がいて、その渦中に飛び込む形で担任になった緒方先生だったが、まだそんなことに誰が気付くというのか。緊張の中で入学式、新学期の始まりと、時間は結構早く過ぎていった。
緒方先生が中江つかさを最初に気にしたのは、五月のゴールデンウイークが終わってからのことだった。入学式から立て続けの期間があっという間に過ぎると、ゴールデンウイークに突入していた。
――自分が学生の頃はどうだっただろう?
と過去を思い起してみると、ゴールデンウイークはその年で感覚が違っていた。
入学早々のゴールデンウイークは、何もやる気が起きず、何をやっていたのか覚えていないほどであった。学校が始まってからというもの、すっかり孤独感が身についてしまい、いわゆる、
「五月病」
の発症であった。
その辛さは夏前には解消していたが、何が原因で五月病になったのか、そしてどうして解消することができたのか、自分でも分からない。誰かに助けてもらったわけでもなく自然に解決していたのだ。
二年目はというと、ちょうどその少し前に好きな先生に告白ができて、先生と一番充実した時期を過ごせた頃だった。
だが、そんな時期ではあったが、毎日不安に苛まれていたような気がする。その頃は楽しいだけだと思っていたが、夕方になると急に寂しさがこみ上げてくることもあった。それでも楽しさの方が勝ってしまうので、
「余計なことは考えないようにしよう」
と思うようになった。
気がつくと、楽しい毎日はあっという間に過ぎてしまうのに、一週間が結構長かったかのように感じていたはずだったが、途中から毎日は充実しているのか、時間がなかなか経ってくれなかったのに、一週間があっという間に過ぎるように思えてきた。
「まさか、破局?」
という思いが頭を過ぎったのは、その時であった。
破局という意識を持ってしまうと、それまで充実していたと思っていた時間を急に不安が襲った。
それはまるで、それまで大きな屋敷で豪華な食事を目の前に、自分を中心に宴会を施してくれていた場面が急に消えて、そこには真っ暗な中、森の中心に自分一人が残された感覚だけがあったような感覚だ。
キツネに化かされたのだろうが、一瞬何が起こったのか分からない状態から、少し落ち着けば、今度は訳が分からないだけに、パニックに陥ってしまう。いわゆる、
「段階的な恐怖」
とでも言えばいいのか、その時の破局の二文字は、まさにそんな感覚だった。
緒方先生は不安がすぐに顔に出るタイプだった。なるべく隠そうとはするのだが、隠そうとすればするほど、彼女に近しい人には簡単に悟られてしまう。
彼女のことを、
「分かりやすい人」
と表現する人もいれば、
「いやいや、何を考えているのか、まったく分からない」
という人もいる。
緒方先生は情緒不安定になれば、その性格が短期間で変わってしまうことがあったが、二人はそれを言っているのではないようだ。
前者の分かりやすいと思っている人は彼女に比較的近しい人で、何を考えているのか分からないと言っている人は、彼女からは遠い存在の人だった。
ある一線までくると、彼女のことが本当に分かるようになるらしいのだが、その線から外ではまったく彼女のことを分からないらしい。それだけ他人事のようにアッサリと見られてしまい、存在すら意識されなくなってしまうようだが、逆に近くにいれば、その存在感は抜群で、それまで存在感を感じることのなかったのがウソのようだ。
だが考えてみれば当たり前のことであり、それまで意識していなかった度合いが大きければ大きいほど少しでも印象に残れば、それまでの存在感がウソに思えてくる。それだけに、
「相手のことがよく分かる」
と、思いたいのだ。
緒方先生のレズっ気が、ある一線を超えると、相手に訴える潜めていた何かを表に出そうとするのかも知れない。そのオーラと彼女を見つめる目線とがピッタリ合うことで、分かりやすい人間に感じさせるのだろう。
先生になってから、さらにネガティブ思考が加速していた緒方先生にとって、彼女のそばに寄ってくる人は少なくなった。二年目からは担任になったのだが、担任になると余計に生徒に近い距離から接しなければいけないと思うようになり、まわりにいる生徒に対して自分が、
「先生として接しているのか、一人の人間として接しているのか、分からなくなってきた」
と感じるようになっていた。
本当は先生として接しなければいけないのだが、その微妙な距離をまだ分かっていない。遠すぎると生徒の本質が分からない。近すぎて思い入れ過ぎても、生徒それぞれで事情が違うので、それに対応できるだけの余裕を自分が持てるかどうかが不安であった。
不安を感じながら生徒を見ていると、男子生徒よりも女生徒は気になってしまっている自分に気付く。
一度、男子生徒の一人から告白されたことがあった。相手は普段から引っ込み思案であるが、別に問題を起こすようなことのない、要するに目立たない生徒だった。緒方先生も彼のことを意識しているわけでもなく、手紙を貰って正直ビックリしてしまったのだ。
「どうして、私なんかに?」
彼に視線を向けたことなど一度もなかった。教室を見渡した時に、ちょこっと視線に入る程度だった。
しかも、彼の視線を感じたこともなかった。手紙を出して告白してくるほどの想いがあるなら、熱い視線をもっと浴びてもよかったのではないか。
緒方先生は彼のことを無視し、手紙を黙殺した。すると、彼はある日、先生を待ち伏せし、
「どうして、僕の手紙を無視したんですか?」
と詰め寄られて、緒方先生はパニックになった。
「だって、あなたは生徒なのよ。それなのに教師に恋をするなんて許されないわ」
と答えていた。
言っていることはもっともだが、それを承知で告白してきている相手に通用するはずもない。
しかも、この言葉を吐いたのが緒方先生自身だということが問題だった。
「この言葉に一番ふさわしくない人間がこの私なんだ」
と、我に返ってそう感じた。
そう思うと、もう彼女には目の前の生徒の姿は映っていない。完全に上の空になっていて、生徒が何を言おうとも、視線は明後日の方向を向いていて、虚ろな状態になっていた。それを見た生徒は、
「こ、こんな顔は見たくない」
といい、それを聞いた先生がまったく無表情であることに完全に落胆したようで、
「俺はこんな先生を好きになっていたのか」
と言って、先生を突き飛ばし、自分は急いでその場から駆け出していった。
一人残された彼女は放心状態のまま、どれくらいその場にいたのだろう?
気が付けば、警官に身体を揺すられていた。
「大丈夫ですか?」
ハッとして気が付くと、
「あ、ええ、大丈夫です」
「何かあったんですか?」
という警官の様子を見ると、この状況が何から生まれたものなのか、まったく分かっていないようだ。
「いえ、何もありません。少し眩暈がしただけで、大丈夫です」
「たまに眩暈がすることあるんですか?」
と聞かれて、
「ええ、たまにですけどね。大丈夫なので、ありがとうございます」
と言って、普通に立ち上がったのを見て、警官もホッとしたのか、
「何かありましたら、交番までお越しください」
と一言言って、その場を立ち去っていった。
幸いにもまわりには野次馬は誰もおらず、この状況を知っている人は誰もいなかったようなので、緒方先生はこの日のことを、
――墓場まで持って行こう――
と感じたのだった。
そんなことがあって、ますます男性不信に陥り、自分が女性を好きなんだということを再認識した。幸いなことに例の男子生徒は二度と緒方先生の前に姿を現すこともなく、ただの目立たない生徒に戻っていた。緒方先生も何事もなかったかのように、それ以降を過ごしたのだ。
どうしてもネガティブさが止まらずに、そんな時に男子生徒からの告白事件というショッキングなことが起こったことで、鬱状態に入る一歩手前にまで行っていた。
それまでに鬱になったこともあった緒方先生だったが、
――今度も鬱になるんだろうな――
となりゆきに任せる他はないと思っていた。
だがそんな時彼女の目に入ってきたのが、中江つかさだった。
彼女は品行方正で、天然なところもあったが、成績もよく、先生として見ていると、
「優秀な生徒」
というイメージを強く持っていた。
注意をしておかなくても、彼女は大丈夫だと思わせる何かが彼女にはあり、それはきっと緒方先生の想像する行動パターンが中江つかさにピッタリと嵌っていたからなのかも知れない。
――中江つかさは、自分にとっての憧れの存在なのかも知れない――
学生時代から、どんな女性になりたいかということをよく考えていたが、最近ではめっきりと考えなくなってしまった。学生時代を思い出してみると、中江つかさは自分が学生時代になりたいと思っていた性格を思い出させる女性だったのだ。
どんな女性になりたいかということを考えなくなったのは、高校の時、先生と破局を迎えてからだっただろう。それまで緒方先生は、自分が成長するにしたがって、一歩一歩階段を昇っていると自覚していた。しかし、先生との破局によって、初めて挫折を味わったのだ。
その挫折が彼女に憧れを忘れさせ、その代わりにネガティブ思考を植え付けた。そのことを理解しているつもりでいたが、そうではなかった。なぜなら、自分が憧れを持っていたということさえ意識しないようになっていたからだ。
時々鬱状態に陥りそうになることがあった。
「このままいったら、鬱状態だわ」
と感じた時、自分の身体から力を抜くような感じで、なるべく余計なことを考えないようにしていた。
それが自分の生き方のように感じていたのは、悟ったかのような感情を持っていたからなのかも知れない。
念願の教師になれた時は本当に嬉しかった。しかしその思いも一週間もしないうちに冷めてしまったような気がする。だがその一週間は、それから感じる一週間に比べてかなり長かったかのように思う。それだけ緒方先生にとって楽しかった時間が凝縮されていたのではないだろうか。
ただ緒方先生は男子生徒から告白されてパニックに陥り、その解消の代償に、あまり何も考えないようになった。これは過去にもあったことで、同じ感覚を繰り返しているのだが、本人にはその自覚はなかった。
中江つかさという生徒は、最初緒方先生の目にはあまり入っていなかった。彼女は品行方正で、いろいろな人と仲良くしているように見えたが、まわりがしらけているのがイメージとして分かったからだ。
――可哀そう――
というイメージはあったが、可哀そうだと思いながらも、
――自業自得だわ――
という思いがあったのも事実だ。
緒方先生の学生時代にも、似たような生徒がいた。しかも彼女はその場の空気を読むのが苦手で、自分が嫌われていることも知らずに、ズケズケと相手の懐に入りこんでくるようなところがあった。
だが、どこか憎めないのだ。
彼女はあくまでも無意識だったので、罪はないと言えばないのだが、それだけに迷惑を被っているこちらとしては、不満のぶつけどころがなく、却ってイライラさせられてしまう。
そう思うと、
――どうして自分だけがこんな思いをしなければいけないのか?
と思わせられ、彼女には近づかないことが一番だという結論に落ち着いた。
だが、そう感じてからすぐに、彼女の方から近づいてくる。
「緒方さんは優しいから、私は一緒にいて嬉しいわ」
その笑顔は見方によっては天使の笑顔なのだろうが、それは何も知らない人にとってのことで、緒方先生にとっては、悪魔の笑顔にしか見えなかった。
逃げれば逃げるほど付きまとってくる。
――どうして私なの?
どんなに困惑した表情を見せても、彼女には分かってくれない。
もし、分かっていてそれでも付きまとってくるのなら、それは悪質であり、強硬に言えるのだろうが、その確証は緒方先生にはなかった。だから、どうしても彼女の笑顔に対して苦笑いをするしかなかった緒方先生を、まわりはどのように見ていたのだろう。
――可哀そうだ――
と思って見ている人の目はよく分かる。
しかし、そんな目をしながら何も声を掛けてくれない人は、完全に他人事を装っているのだ。
――人って、他人事のように見る時って、あんな顔をするんだ――
と、冷めきった表情に感情を映し出すことのない顔に、ゾッとするものを感じた。
自分が近い将来、同じような表情をすることになるなど、考えてもいなかった。
だが、自分が人を他人事のように見るようになった時には、過去に他人事のように見る目を感じたということを忘れていた。人というものは自分の置かれている立場や状況が変わると、精神的にも思い出せないことや記憶に封印してしまっていることがあるのだということをその時は知らなかった。
先生は知らなかったが、その時彼女は緒方先生以外にも同じように付きまとっている女の子がいた。緒方先生が彼女のことを他人事として見ずに、よく観察していれば分かったことなのだろうが、意外と分かりやすいタイプの彼女のことを分かっていなかったことに気付いた緒方先生は、またしても落胆を余儀なくされてしまった。
その時の彼女と、今の中江つかさとではまったく性格も違っているはずなのに、どうして中江つかさを見ると、彼女のことを思い出したのだろう? それは、中江つかさの中に学生時代に付きまとわれた彼女を見たからで、中江つかさから付き纏われるかも知れないと感じていたが、それも悪くないと思ったのは、やはり中江つかさの中に彼女にはない何かを感じさせたからだろう。
中江つかさのことをよく見ていると、彼女はまわりからいろいろと当てにされているように見えるが、実際に彼女のことを真剣に考えている人はいないように思えた。
梯子を掛けられて、昇らされたはいいが、昇ったかと思うと、その梯子を外されて、結局孤立してしまう。しかもその上には、自分たちが助かるための生け贄のための儀式が用意されていて、中江つかさは生け贄のために用意された梯子をただ昇らされただけだったのだ。
しかも、梯子に昇る前は、利用されるだけ利用され、皆からおだてられることで有頂天になったのだろう。
相手が有頂天になって喜んでいると、陥れようとしている方にとっては、罪悪感が薄れてくるものではないのだろうか。
「ここまで煽てて、相手を喜ばせたのだがら、これで十分だ」
と考えさせているのかも知れない。
それも、彼女の性格によるものなのだろうが、役得という言葉とは裏腹に、しいて言えば、役損とでもいうべきであろうか。
しかも、そこに他人事という芽が備われば、罪悪感は限りなくゼロに近づいてくるものなのかも知れない。おだてに乗って喜んでいる様子が相手を他人事のような目にさせて、罪悪感を失くしてしまうなどという人間は、そんなにはいないのかも知れない。
だが、思い出してみれば、今まで小学校から大学までと進級してきて、そんな人がクラスにいつも一人くらいはいたような気がする。
記憶に残っているのは数人しかいないが、それでも数人はいる。そう思うと、中江つかさという女性はそんな中の一人に思えて仕方がなかった。
――今までなら、自分も他人事のように感じるに違いないのに、どうして今の私は彼女に憧れを感じたりするのだろう?
その理由の一つに、相手が自分の生徒だからという思いもある。
生徒と先生というと立場的には明らかに先生の方が上だ。目上という言葉を使い、
「仰げば尊し」
というではないか。
もっとも今の時代はそんな言葉は風化しているのかも知れないが、形式的にはその立場は生きている。そう思うと、今まで見ていた目線が違っていることで、中江つかさという女性に対して今まで見たことのない景色が見えているに違いない。
だが、果たして自分の目線が違っているだけであろうか。
――中江つかさには、私のまだ気付いていない何か特別な思いが備わっているんじゃないかしら?
と感じていた。
また、その頃には自分が女性に興味を持つようになっていることに気付いている緒方先生だったので、特別な思いを持って見るその目に、レズっ気が含まれていることをウスウス気付いていたのかも知れない。
だが、中江つかさの方では、一向に緒方先生の視線に気付こうとはしない。意識しているのかしていないのかよく分かっていないが、意外とそんな悶々とした日々も、後から思い返してみると、普通に懐かしく感じられる時間だった。
中江つかさは、時々上の空になることがあった。集中力が皆無であり、明らかに、
「心ここにあらず」
であった。
彼女は自分の好きなことに対しては結構な集中力を持っている。彼女が入学してきた時は、何も趣味もなく、ただ学生生活を無為に過ごしているかのように見えていたが、入学して半年ほどしてくらいからであろうか。彼女は絵画に夢中になるようになった。
美術部に入部することもなく、一人で図画用紙に水彩画を描いていた。最初の頃はいつも学校の近くの河原で絵を描いていたのだが、途中から裏山にある霊園に出かけて描くようになった。
最初の頃は、河原から見える風景を描いていたが、途中から一輪の花のように、小さな被写体を絵にするようになった。細部にわたって描かれている絵を見ていると、風景画にはない何かを感じさせた。
――図形だわ――
小さな被写体はまわりに影響されることなく、それ自身を一面に描き出すことができる。そのため、図画面いっぱいを使って描くことも可能になる。もちろん、図画面のバランスがあるので、すべてを使うのは不可能で、すべてを使うと、被写体の一部が欠け落ちて、全体を描き出すことができなくなってしまう。
つまりは一つの被写体を題材にするということは、全体図を描く風景画よりもさらにバランスが必要になってくる。全体を描き出す風景画は、バランスというよりも遠近感が重要になってくる。もちろん、一つの被写体にも遠近感は重要で、その遠近感が導き出すものは、立体感だからである。
全体を描く風景画にはいくつもの立体感を思わせる部分があるが、一つの被写体の場合は、被写体そのものと、背景という大きく分けて二つの境界しか存在しない。それだけに書き損じると、境界が結界になってしまい、その絵の中では二度と立体感を描き出すことは不可能になってしまう。
それだけ集中力が必要になるということであり、逆に言えば、集中していない時にこそ、いかに集中を持続できるかのようなストレスを溜めないようにしないといけないかということが大切になってくる。
「中江つかさという生徒は、いつも何を考えているんだろう?」
という先生が多い中、緒方先生だけは、彼らとは別の視点から、彼女を見ていたのだった。
緒方先生が彼女の絵を覗き込む。するとそこには、一輪の花が描かれていた。最初は風景画ばかりを描いていると思っていた時期だったので、少しビックリさせられた。
「それは、何の絵なんですか?」
と聞くと、
「これはヒヤシンスです」
と答えた。
彼女が目の前にしている風景のどこにヒヤシンスがあるというのだろう? 緒方先生が必死で目の前の光景を探っていると、
「ふふふ、おかしいでしょう? どこにもヒヤシンスなんかないのに」
と言って彼女は笑った。
「ええ」
と、少し探りを入れるような目で彼女を見る緒方先生だったが、どこか怖がっている雰囲気もあった。
「私は絵画を最初、目の前にあるものを忠実に描き出すことが、創作に繋がっていると思っていたのよ。でもね、目の前のものをそのまま描くだけだったら、それはマネでしかない。普通に絵画を志す人であればそれでもいいのかも知れないけど、私はそれでは物足りない。何が物足りないのかと思うと、想像力が欠けていると思ったの。だから最初は描いた絵に少しアレンジを加えて、風景にバリエーションを与えようと思って、描いてみたんだけど、やはりそれでも満足できない。だったら、目の前の光景からまったく違う新しいものを自分で創造して、何もないところから新たに作り出すことを考えたの。だから絵のうまい下手は私には関係ないの。いかに自分が満足できる作品が描けるかということが大事だと思っているのよ」
と彼女は言った。
この発想はさすがの緒方先生にも理解できなかった。
「じゃあ、あなたにとっての芸術は、完全に何もないところから新たなものを生み出すという発想になるのね?」
と聞くと、
「その通りです。あくまでも私の自分勝手な発想なんですけどね」
緒方先生は、彼女の絵と目の前の光景を何度も何度も交互に見ていた。それでも彼女の言っていることが分かるわけではない。却って、
――どうしても分からない――
ということが分かっただけだった。
緒方先生は、普段から無難な性格で、問題を起こさないようにしようとばかり考えているような人だった。しかし、人の観察眼に掛けては長けているというのは、自他ともに認めるところであった。
そんな緒方先生ではあったが、やはり中江つかさの気持ちがよく分からない。分からないだけに一度興味を持ってしまうと、少しでも理解するまでは気になって仕方がない。彼女と話をした日には、彼女が夢にも出てくるくらいだった。
夢の中での中江つかさは何も言わない。まったくの無表情で、図画用紙に向かってただひたすら描いている。普段は品行方正な彼女のもう一つの顔。そんな彼女を一体どれだけの人が知っているというのか。
彼女とは皆無難に接してはいるが、真剣に彼女のことを見ている人はいないように思う。彼女が一人でいる時に何を考え、何をしているかを知っている人などいないように思えてならなかった。
ただ、緒方先生から見て彼女が二重人格ではないように思えた。二重人格ではないが、感情の起伏が感じられないということだけは分かった。品行方正に見えている時も、彼女に感情が現れていないから、まわりからも真剣に見られることはないのだろう。
目の前にいても、その存在感は皆無に近い。それが彼女の性格であり、彼女自身が望んだものなのか、それとも今まで育ってきた環境から止む負えずに生まれてきたものなのかも判断がつかなかった。
「ねえ、緒方先生」
と、中江つかさが話しかけてきた。
その顔は図画用紙を見つめていたが、彼女の声には引き込まれる何かがあった。
「どうしたの? 中江さん」
「先生は、絵を描いたことがありますか?」
と聞かれて、
「学生時代に、少しだけ美術部に所属していたことがあって、その時描いたことがあったわね」
それは本当だった。
「どうしても、お願い」
と、大学時代に部員として入部した時があった。
その時は、美術部の部員が減ってしまって、部活の規則としての人数がギリギリになってしまったことで、幽霊部員でもいいからという話だったので、とりあえず部員になった。
だが、絵画には少なからずの興味があったので、せっかくだからと思い、自分でも描いてみた。
「なかなか面白い絵を描くじゃない」
と他の部員から言われた。
「うまい絵」
と言われなかったのは気になったが、別に嫌ではなかった。緒方先生にとって、
「面白い」
という言葉は決してネガティブな意味ではないと思えたからだ。
それでも、次第に幽霊部員のようになってしまったが、絵を描いたことは事実だった。一度だけだったが、描き方も自己流。それでも自分なりに絵を工夫しながら描いたつもりだった。
だからこそ、絵を描いている人を見ると興味が湧いてくる。中江つかさが気になったのは、今ではそのきっかけを思い出せないでいるが、ひょっとすると絵を描いているのを見たからなのかも知れない。
――どんな絵を描くんだろう?
という興味はあったが、最初は遠慮して覗き込むことはしなかった。
いや、
「そんなところに立たないでよ」
と言われるのが嫌で、声を掛けなかったのだ。
もし描いているのが自分で、後ろに誰かが立たれるとこれほど気が散ることはないということは、自分も絵を描いた経験があるので分かっているつもりだ。気を利かせたつもりだったが、結局は好奇心に勝てず覗き込んでしまった。それでも彼女はそのことには触れず、自分のペースを貫いていた。
普段の彼女からは考えられない。品行方正でいながら、いつもまわりを気にしながらの彼女とはまったくの別人のようである。
緒方先生が学生時代のことを思い出していると、
「先生も絵を描いたことがあるんですね。絵って面白いですか?」
と聞かれて、
「そうね。面白いかどうかは私には分からなかったけど、私の絵を見て、面白いって言ってくれた人はいたわ」
というと、
「それはどんな人ですか?」
「私を美術部に誘ってくれた人なんだけど、幽霊部員でいいからって言われて入ったのよね。でもせっかくだからって思って絵を描いてみると、その絵を見て彼女は面白いって言ったのよ」
「その時、先生は見られていることを意識していました?」
おかしなことを聞くと思ったが、
「分からなかったわ。集中していたのね、きっと」
「そうですか。でも、集中していた人が面白いと言われるような絵を描けるとは私は思えないんですよ」
とまたしても不思議なことを言う。
「どうして?」
「だって、面白い絵って言われて、先生は嫌な気がしました?」
「いいえ、しなかったわ」
「それはきっと先生が集中しているというよりも、目の前にあるものに思い入れを深めていたからだって思うんですよ。それは集中しているからではないと思うんですよね。集中しているとすれば、それは自分の指先に通じるものなので、絵筆が直接当たっているキャンバスだったり図画用紙だったりはないんですか? だから、人から話しかけられると気が散ったような気がする。でも、そうではないということはやはり先生は目の前にあるものに思い入れを深めていたんですよ」
と言われて、緒方先生はハッとした。
――確かにその通りかも知れない。私は自分が描いているものよりも目の前の光景に目を奪われていたんだわ――
と思うと、それはそれでよかったと思った。
だから、面白いと言われたんだろうし、描いているものに集中してしまうと、目の前のものを忠実に描こうとする意識が強くなりすぎて、却って本質を見誤ってしまうような気がした。
中江つかさは、結構鈍感なところがあった。それが品行方正な性格から判断して、
「天然だ」
と言われるようになったのだが、彼女は決して天然ではなく鈍感なだけで、結構考えていたりするのだった。
その片鱗が絵画に見られると緒方先生は感じた。
――彼女の中に私と似たところがあるわ――
緒方先生は自分が事なかれ主義だとは思っていたが、結構まわりを冷静な目で見ていると思っている。だから観察眼に関しては他の人とは違うものを持っていると自分で感じていたのだ。
そんな緒方先生が目を付けた女の子が中江つかさだったわけだが、彼女とはきっと波長が合うのだろう。
――きっとまわりから見るとまったく性格が違って見えるだろうから、気が合わないと思われているに違いない――
と緒方先生は思っていた。
それは緒方先生にとっては好都合だった。どうしても先生が一人の生徒に肩入れしてしまうと、まわりからえこ贔屓などと言われて、自分の立場が悪くなるに決まっている。
緒方先生は中江つかさを見る目が他の人を見る目と同じように見えるように心掛けていた。実際にどうだったのか分からないが、緒方先生が中江つかさのことを気にしているなど誰も思っていないように思えた。
絵を描いている中江つかさと話をしていると、ずっとハッとしてしまっている自分がいるのに気付いた。今まで感じたことのない思いを、中江つかさの言葉の一言一言から感じられ、
――やはり彼女は私にとって特別な存在なんだわ――
と思わせた。
だが、それは緒方先生が今まで事なかれ主義を貫いていたためもあった。他の生徒ともっと早くから会話をしていれば、中江つかさに感じたようなハッとするような言葉が聞けたかも知れない。それは結果論にしかすぎないが、そのことを緒方先生は自覚をしていなかった。
だが、中江つかさの視点が、緒方先生の心を動かしたのは事実だった。彼女の視点は、他の人が見る視線の高さとは違うところを見ているようで、他の人には見えない何かが見えているのかも知れない。
だから、他の人が見えていることを彼女が見えていないと緒方先生は感じた。
――私が彼女のもう一つの目になってあげればいいんだわ――
と思った。
彼女をオンナとして見た時は、自分が男役になるのだが、一人の人間として見た時は、自分が支えてあげなければいけないと思う。その感情は、どちらが行き過ぎてもいけない。平衡感覚を保っていないといけないと緒方先生は思った。
緒方先生は自分が男役になるであろうということは、ウスウス気付いていた。最初に悟ったのは、高校の時に好きだった先生から言われたことだ。
最初は冗談かと思ったが、
「緒方は、女の子が相手でもいけるんじゃないか?」
と言われて、
「えっ、何言ってるのよ、先生。私は先生一筋なんだからね」
というと、
「そうか? たまにお前が女性を見る目がオトコの目になっているように感じるのは気のせいかな?」
「じゃあ、私が女性を相手に男役だっていうの?」
「そう思ったんだけど、気のせいかな? 忘れてくれ」
と言われて、その話はそこで終わったのだが、彼との破局はその時から始まっていたように今になって思った。
――彼は私にレズっ気があることに気付いて、私から遠ざかって行ったのかしら?
と感じた。
もしそうだとすれば、敢えて緒方先生に女の子が相手でもいけるんじゃないかなんて言ったのかも知れない。その時の緒方先生の反応を見て、自分の考えの正否を確かめたかったのだとすれば、少し癪である。しかし、敢えて自分に言ってくれたのは、気付かせてくれたことと、彼の中に迷いがあることを暗に匂わせようとしてくれたのだとすれば、それは彼の優しさということになる。
果たしてどうだったのか、別れてしまった今となっては確かめようがないが、どうせなら後者であってほしいと願う緒方先生であった。
緒方先生は高校の時、好きだった先生と破局を迎えてから、美術館に行くことが時々あった。半分は気分転換、そして半分は美術館の空気が好きだったのだ。それは今でも続いている。
実は緒方先生は中学時代までは美術館が嫌いだった。美術に興味がないというのもその理由だったが、何と言っても美術館というと、ただ贅沢に広く、天井も高く作られている。空気の流れも確認できないほど、ただ無駄に広いと思っていたのだが、中学時代に学校から美術鑑賞と称して美術館で野外学習の時間があった時、ただ漠然と展示されている絵画を見ていると、急に息苦しくなった気がした。
最初はそこまできついとは思わずに、早く展示場から抜けようと少し早歩きをした時、急に息苦しさを感じたのだ。
目の前が少し暗くなり、まるで瞼の裏にクモの巣が生えたかのような毛細血管を感じ、
――私はこのまま倒れてしまうんだわ――
と感じたかと思うと、ドサッという音が耳元で聞こえた。
目の前は完全に真っ暗になったが、自分が倒れてしまったのを感じた。それまで何も感じなかった耳だけが、
「ゴォー」
という音が忍び込んでくるのを感じた。
さっきまでは何も感じなかったと思っていた耳だったが、実際には貝殻を耳に押し当てた時のような音がしていた。まわりのただ無駄に広い空間に気を取られていたので分からなかったが、倒れ込んで耳元で轟音が響いたことから気付かされたのだ。
「緒方さん、大丈夫?」
と、遠くから声が聞こえたが、轟音に耳を塞がれて、ハッキリと聞こえない。
その状態が自分の意識を失わせるものだということをその時の緒方先生には分かっていた。だから、倒れるということも最初から分かっていたのだし、その時の緒方先生には予知能力のようなものがあったのかも知れない。
ただ、自分のことだから分かっただけだとも言える。倒れるなど初めてのことだったので、いろいろな思いが頭を巡ったことで、まるで予知能力が備わっているかのように思えたのだろう。
その時、どれくらい意識を失っていたのだろう。自分では、
――夢を見たような気がする――
と感じた。
しかし、実際には十五分ほどのことのようで、引率の先生が心配そうに覗き込んでいた。
「よかったわ。気が付いたのね?」
「私、どうしたのかしら?」
と分かってはいたが、聞いてみた。
ひょっとすると勘違いだったのかも知れないからだ。
「急に倒れたのよ。呼吸困難を起こしているようだったけど、次第に落ち着いてきたので救急車を呼ぶまでもないと思ったの。でも、もう少し苦しそうだったら、迷わず救急車を呼んでいたわ」
と先生は言った。
十五分程度で意識を取り戻したのであれば、救急車を呼ぶまでもなかったのだろう。意識を取り戻した緒方先生は、意識を失う前にすっかり戻っていて、まるで夢から覚めた状態のようだった。
「すみませんでした」
と言って謝ると、
「いいのよ。きっと軽い貧血のようなものかも知れないわね。ところで今までにも貧血で倒れたこととかあったの?」
と聞かれて、
「いいえ、ありません」
今まで確かに貧血で倒れたことはなかった。
しかし、倒れた時に、自分が倒れるということを予知できたのは。ひょっとすると過去に同じような経験があった場合によくあることだろう。
だが、彼女にはそんな経験はなかった。貧血はおろか、倒れるということもない。
――さっき見た蜘蛛の巣のような線は何だったんだろう?
倒れる時は、毛細血管を咄嗟にイメージしていた。それはただの偶然だったのだろうか?
緒方先生は、それからしばらく貧血で倒れることはなかったが、その次に貧血を起こしたのは、付き合っていた先生と、ホテルの一室のことであった。
急に立ちくらみを起こした緒方先生は、そのままベッドで少しの間だけ呼吸困難に陥っていたが、すぐに楽になったようだ。
「ビックリしたよ。最初の苦しみ方を見ると、やばいんじゃないかって思ったけど、すぐに楽になってくれたから、俺もホッとしているよ」
と、落ち着いたから言える言葉を、本当にホッとした様子で話していた。
しかし、本人にはそこまで大変なことになっていたような意識はない。実際に意識がなかったのでそれは仕方のないことなのだろうが、目が覚めた時も、中途半端な睡眠による頭痛の時のような痛みはなく、頭に嫌な意識が残っていることもなかった。
むしろどちらかというと、サッパリとしている方だった。目覚めは決してよくない緒方先生だったので、
――低血圧から貧血を催したのかも知れないわ――
と直感したが、そのわりには貧血で倒れたという意識はあったのだが、倒れたことによっての余韻は、ほとんど残っていなかった。
しかも貧血で倒れたのはその時が最後で、それ以降には起こっていない。だからこそ美術館に何度も足しげく通うことができるのであって、少しでもイメージが頭の中に残っていれば、同じ環境に身を置いた時点で、同じような状況を引き起こす可能性は十分にあっただろう。
しかし、貧血を起こす直前のイメージは頭の中に残っていた。同じような状況に陥れば、少なからず、身体が何かしらの反応を示してもいいだろう。それがトラウマというもので、本能が勝手に反応してもいいことだった。それなのに反応を起こさないということは。それだけ彼女の中で引き起こすための意識をよみがえらせるだけの十分な記憶がないということだ。それは精神の記憶なのか、肉体で覚えている本能のような記憶なのかはさだかではないが、彼女の中にはなかったのだ。
緒方先生も知らなかったが、中江つかさもよく美術館を利用していた。鉢合わせになることは一度もなかったが、実際には何度かニアミスをしたことがあった。それは偶然なのかどうかは分からなかったが、どちらかのリズムがすこしでもズレていれば、何度も鉢合わせをしていたことになるレベルである。
いつも最初に美術館に行っているのは中江つかさの方だった。
中江つかさは結構早く見て回る方で、いつも一人でやってきてが、遅くとも三十分以内に美術館から離れていた。普段でも似十分くらいだろうか。何をしにきているのか分からないくらいだった。
それに比べて緒方先生はゆっくりと見ていた。普通でも一時間は見ているだろう。下手をすれば、二時間も出てこないこともある。だが、先生も何か気になるものがあるわけではない。作品一つ一つを見ながら、時々上の空になっていることもあった。作品の中に自分を投影している時もあったくらいで、それだけ作品にのめりこみやすいというべきであろうか。
あれは、緒方先生が美術館に来るようになったのが定期的になっていた頃で、美術館の人にも顔を覚えられていて、受け付けの女性とも軽い会釈で挨拶をするくらいの仲になっていた。
緒方先生はいつものように、一つ一つの作品を見上げながら、ゆっくりと絵の中に入りこんでいる自分を感じていた。
まわりを気にすることもなく、絵だけに集中しながらカニ歩きをしていた。
そんなところで、
「おい、どうしたんですか? 大丈夫ですか?」
という声が少し離れたところ、いわゆる自分が数十分後には到達しているであろう場所から聞こえた。
最初は意識を得に集中させていたので、その声が幻か何かに思えたのだが、ハッと思ってその方向を見ていると、すでに野次馬が群衆を作っていて、まわりを取り囲んでいたので、何が起こったのか分からなかった。
緒方先生はその様子が尋常でないことに気付き、自分も近づいてみた。その時の心境はただの野次馬根性であったことは否定できない。ただ、近くで異様な雰囲気になっているのであれば、その理由を確かめないと自分自身が気持ち悪いという思いに駆られただけであった。
緒方先生はゆっくりとその群衆に近づいていく。
その時の乾いた靴音が、美術館という無駄に広い空間の中で響いていたのだが、この音を緒方先生は嫌いではなかった。
ザワザワという声が響く中、その群衆の中を覗き込んでみると、そこには一人の学生服を着た女の子が横たわっていた。顔は苦悶に歪んでいるようだが、その表情から素顔を想像することはかなり困難であった。
しかも彼女が着ている制服は、K高校の女生徒の制服だったのだが、すぐにはそれにも気付くことができなかった。
苦悶の表情を浮かべる彼女を見て、一瞬、
――見るんじゃなかった――
という後悔が、緒方先生を襲ったことを自覚はしているが、後になってそう感じたことは思い出せたのだが、それが後悔だったとは思えなかった。
それだけ本当に一瞬だったのだろう。
そしてその後悔があったからなのか、余計に顔を背けることができなくなった。
――顔を背けることができなくなったから、見るんじゃなかったって思うのが普通のはずなのに――
と思うことで、それが後悔ではないと感じたのだとすると、緒方先生の考えは結構屈折したものがあったのかも知れない。
――顔を背けることができなくなったのなら、腹を決めて直視するしかないんじゃないの――
と感じ、そのままじっとその様子を見ていた。
額からはわずかに汗を掻いているのだろうか、じわっと光っているのが見えた。だが、顔からは汗が滲んでいることはなく、よく見ていくと、最初に感じた顔色の悪さも気のせいか少しずつ血色がよくなっているように感じられた。
まわりからも、
「大丈夫じゃないかな? 顔色もよくなってきているようだし」
という声が聞こえた。
緒方先生が振り返った時、誰かが奥に向かって走っていくのが見えたので、きっと警備員か、美術館の関係者に事情を伝えに行ったのだと思った。
しばらくすると、白衣を着た女性が走ってきた。どうやら美術館に常設されている医務の人のようだ。
このあたりは美術館だけではなく、役所関係もあるので、そのすべてを総括している人なのかも知れない。
医者がやってきた時にはかなり彼女は回復をしているようで、その顔が分かるようになってきた。
倒れていて、横顔なのでハッキリと分からなかったが、見覚えのある顔であり、それが誰なのか想像はついているような気がした。
医者がやってきて、様子を見ながら、大丈夫だと判断したのか、彼女を抱き起こして、その顔を覗き込みながら、
「大丈夫? 分かるかしら?」
と、少々大きめの声で話しかけた。
美術館なので大きく響いて聞こえたのかも知れないが、実際にもハッキリとした口調だったので、それだけハッキリとした口調で言葉を吐くためには、ある程度の音量は必要だと思った。
「うーん」
初めて彼女は声を発した。
想像していたよりも重低音で、ハスキーな声だった。やはり美術館という場所であること、そして意識不明から戻ってきての第一声だということが大きく影響しているのであろう。
その声を聞いて緒方先生はハッキリとその人が誰なのか分かった。
「中江さん?」
と声に出すつもりはなかったが、声に出してしまったことにハッとしながらも、歴然とした表情を浮かべたまま、介護されている中江つかさを見ていた。
医者は別に驚いたような表情を見せなかったが、まわりの野次馬からの痛いような視線は感じた。この場所で野次馬の一人としてしか見えていなかったはずの緒方先生が、急病人の知り合いだということに驚いたのだろうか。
偶然ではあるが、それほどビックリしたような偶然ではないように思うのは、冷静になってから思い出したからだろうか。その時の視線の先を見ることのできなかった緒方先生には。その痛いほどの視線の原因が何だったのか、今となっては知る由もなかった。
その次に声を発したのは、医者だった。
「あなた、中江さんなの?」
と、自分に覗き込んでくる相手に対して、
「ええ」
と一言答えた中江つかさだった。
中江つかさは、仰向けになっているので、覗き込んでくる相手が、天井のライトの眩しさから逆光になっているので、どんな顔をした人なのか分からなかっただろう。
そんな相手に、よくすぐに答えを言えたものだと思ったが、その発想ができるほど、その時の緒方先生は冷静だったということなのかも知れない。
「中江さん」
と、緒方先生は再度声を掛けた。
中江つかさが緒方先生の方を向いて、
「先生」
と言ったことから、中江つかさには、そこにいるのが緒方先生であるということは分かっているようだ。
それが緒方先生が中江つかさを最初に感じた時だった。意識したのはヒヤシンスの絵を見た時であり、そのことを緒方先生は自分で意識できているのだろうか。
中江つかさはしばらく放心状態だったが、少しずつ顔色がよくなってくるのを感じるとそこから先は快方に向かうのは早かった。話ができるようになると、それまでの中江つかさとはイメージが違っているほどに饒舌になっていた。
「中江さんは、よくこの美術館に来られるんですか?」
と緒方先生が聞くと、
「よくというほどではないんですが、たまに来ますね」
「そうなんだ。私もね、いつもというほどではないんだけど、たまにね」
というと、
「たまに」
という言葉がキーワードになっているのか、よくよく話をしてみると、お互いに来ている日が同じで、鉢合わせにならなかったことの方が同じ日に来ていたということよりも偶然を感じていた。その感覚は緒方先生よりも、中江つかさの方に強くあったようだ。
「本当にこんな偶然があるんですね」
と中江つかさが言うと、
「ええ、同じ日に来るのが何度もあったなど、本当に偶然ですね」
という緒方先生に対して、
「私はそれよりも、よく同じ日に来ているのに、鉢合わせにならなかったなって思う方が強いですよ」
と言って、好奇の目を緒方先生に向けた。
「そう? そういう考えもあるわね」
と、わざとはぐらかしたような言い方になった緒方先生だが、実は内心、そんな奇抜な発想をしている中江つかさに対してドキッとしていた。
「私は、ここに気分転換に来ることが多いので、何かを目的に来るというわけではなく、来てみたいと思うと来るようにしているのよ」
という緒方先生に対して、
「私もそうかも知れないわ。でも私の場合は、見たい絵が常設展示場にあるので、他の絵はおまけのようなものなんです」
「見たい絵というのは?」
「花の絵なんですが、花の種類は分からないんです。美術館の人に聞いてみたですが、その時には、『その絵のモデルになった花が何の種類なのか、私たちにも分からないんです。作者の人もハッキリとは言わなかったそうなんですよ』って言われたんです」
「そんなことってあるのかしら? じゃあ、作者の人は目の前にある花を忠実に描いたわけではないということなのかしら?」
「そういうことなんでしょうね。でも、絵画って、別に目の前の被写体と忠実に描かなければいけないものなんでしょうか? 別に改ざんしているわけではないので、芸術作品としては、それもありなんじゃないかって思うんですよ」
「それはその通りね。でも、どうして中江さんはその絵に興味を持ったの?」
「どうしてなのかしら? 最初に見た時に感じたことと、次に見た時に感じた感覚が違ったからなのかも知れないわ。しかも、最初に見た時なんだけど、その絵を見てから数作品先にも同じように花を描いた作品があって、それを見た時、もう一度、さっきのその作品を見てみたいという衝動に駆られたんです。そしてもう一度戻って確認してみたんですが、その時に最初に見た時と違った印象を受けたんですよ」
もう一度前の作品に戻ってみるという感覚も、中江つかさならではなのかも知れないが、緒方先生には中江つかさを見ていると、
――彼女ならありえることなのかも知れないわ――
と感じた。
「そのように違ったの?」
「一口には言い難いんですが、言えることとすれば、明るい部分よりも影になっている部分が違っていたような気がするんです。いわゆるバランス的なところが違っていたように思うんですよね」
絵に大切なのは、バランスだと緒方先生も感じていた。配置的なバランスもあれば、色のバランスもある。その二つを凌駕したのが、今中江つかさの言った、
――影のバランスなのかも知れない――
と緒方先生は感じた。
色のバランスと配置のバランス、それは絵を描いてみたことがなければ感じることはないだろう・
また、そのことを感じるまでにどれほどの時間を感じるかということが絵画に対してのセンスであり、才能のようなものではないかと感じた。だが、目の前の被写体を忠実に描くのが絵画の基本だと思っていたのは間違いなく、目の前にないものを描いたり、省略したりすることは、芸術に対しての冒涜のようなものではないかとさえ思っていたほどだった。
絵を描いたことはあったが、描き続けることをしなかった理由は、
「私には才能がない」
と思ったことだ。
その理由として、
「色のバランスと配置のバランスについては理解できたが、自分が描こうとすると、まずは配置のバランスで挫折してしまう。つまりは、最初にどこから描き始めるかということが問題で、それを思うと、先に進まなくなってしまった」
それはまるで以前に聞いたことがある、
「将棋で一番隙のない布陣」
の話を思い出した。
「一番隙のない布陣というと、最初に並べた状態なんだ。一手指すごとにそこに隙が生まれる。だから最初の一手で勝負の行方が見えると言ってもいいかも知れない」
という話だった。
最初にどこに筆を落としていいか分からないということが一番のネックだ。ほとんどの人はそれを意識しないだろう。だが、それでもバランスよく仕上げることのできる人が、才能のある人だということになるのだろう。
中江つかさに、そのことが分かっているのだろうか?
「中江さんは、絵を描いたりするの?」
と聞くと、
「ええ、たまにですけどね」
という返事が返ってきた。
まだ彼女のヒヤシンスの絵を見る前だったが、最初にヒヤシンスを描いた彼女の絵を見た時、なぜかこの時のことを忘れていた。すぐに思い出すことができたのだが、一瞬だけでも、
――どうして忘れてしまったんだろう?
という思いがあったのは事実で、緒方先生に瞬間的な記憶が飛んでしまう状況が備わっていることを自覚したのは、その時が初めてだった。
別に記憶喪失というわけでもなく、物覚えが悪いというわけでもない。いきなり急に忘れてしまうことがあるというだけで、突発的なことだった。
その理由について考えたこともあったが、考えれば考えるほど堂々巡りを繰り返してしまいそうで、何度かのスパイラルの後、ハッとしたように意識を閉ざすことにしていた。
そうでもしないと、無駄な時間が過ぎていくだけで、しかも、スパイラルに深く入りこめば入りこむほど、一気に時間を消費してしまっているようだ。
――こういうのを、負のスパイラルっていうのかしら?
と緒方先生は感じていて、自分の中に今まで見えていないだけでいくつかの負のスパイラルがあることを自覚しないわけにはいかなかった。
負のスパイラルは誰にでもあることだろう。緒方先生だけではなく、目の前にいる中江つかさにもあるだろうし、ただ、それは自覚している人がどれほどいるかということや、自覚している人の中でも、どれほどの人がなるべく隠しておきたい感覚だと思っているかというのも重要なことではないかと感じていた。
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