ソーニャさん、太もも吸っていいですか?


 直上から照り付ける太陽が私たちを日焼けさせてやろうと言わんばかりに燦燦と日差しを送り込んでくる今日この頃。私は今ぱっかぱっかと歩を進める馬車に揺られて一路オークが支配する領地、オークリアへと向かっています。


 なぜオークリアへと向かうことになったのかというのを思い返せば、少し時を遡ることになります。


――――――――――――――――――――――――

「ステラよ、オークリアへ向かえ」

「わかりました。慰問ですか?」

「ああ、カラザフが死んだのでな」

――――――――――――――――――――――――


 以上。この短い会話で私はこの肌がじりじりと焼けるような暑さの中を旅することになったのです。


 しかし短い会話とはいえ、その中に含まれている事情は魔族内の政治的な要素を多分に含んでいます。


 そもそも魔族とは、魔王を筆頭にオーガ、ヴァンパイア、ダークエルフ、オークという四大種族とそのほかの少数民族の総称です。


 この四大種族の中にも力関係があり、オークはその中で最も弱い立場に置かれています。オークは多産で魔族の人口の大半を占めるものの、個の力で他の種族に大きく劣るためです。


 それゆえ魔族の産業の中でも農業や鉱業といった重要な部分はオークが担っているにもかかわらず、彼らは他の四大種族から見下されています。グレウスが私の護衛をしていたオークの兵士を獣の血と呼んでいたのもその一つです。


 ですが彼らを無下に扱い反乱でも起きようものなら、魔族の経済は立ち行かなくなってしまいます。さらに言えばオークリアは魔族領の中で唯一陸地で人間の領地と面しており、過去に何度も人間との争いの舞台となってきた場所です。


 そのためオークは防衛の要も担っており、立場こそ弱いものの経済的にも戦略的にもオークは重要な立ち位置にいるのです。


 実力至上主義の魔族ではこの矛盾を認識している者がいても、解決に取り組まれることがないという根深い問題を抱えています。


 そんな事情からオークの方たちに魔族上層部への悪感情を蓄積されると大変なことになります。そこでカラザフの死に際し王女である私がオークリアを訪れることで魔王は決してオークを軽んじていないことをアピールするのです。


 魔族の王女として行事に参加するのは嫌ですが、自分のために失われた命に報いることを嫌がるほど人の心を失くしたつもりはありません。


 自分の道徳心というものが、世紀末な魔族の価値観に染まり切るのを拒んでいます。心は人間らしくありたいのです。

 

「馬車の中なのに暑いですねえ。体調は大丈夫ですか、ステラ様」


 私と同じ馬車に乗っているソーニャさんが問いかけてきます。


 あの私の不器用なお願いの後、結局ソーニャさんには私の侍女になってもらうことになりました。いつまでも捕虜として捕えておくわけにもいきませんし、人間であるソーニャさんを私の傍に置いておくには何かしらの建前が必要でしたから。


 というわけで今私の目の前にはシャツにスカートという動きやすい姿のソーニャさんがいます。可愛いです、眼福です。僧侶としての修道服姿もまた良いものですが、私服というのもまた可愛らしさが出ていいです。


 やはり可愛い女の子は目の保養になります。それは自分の性別が前世からずっと女であろうとも変わらない真理なのです。


 特に最近はなんだかんだ殺されかけたり、急に謎の力に目覚めたりして精神が反復横跳びしているような状態でしたから、癒しは大変心に染み渡ります。運動後に飲むスポーツドリンクのようなものです。


 ……今、馬車の幌によって影ができているとはいえそれなりに暑いので飲みたくなってきてしまいました。


 つまり癒しをもっと摂取する必要性に駆られているということです。えいっ。


「わ、急に倒れてこられて大丈夫ですか?」

「だいじょうぶでふ、ちょっと横にならせてくだふぁい」

「はい。でもその状態でしゃべられるとくすぐったいですよ」


 ふへへ、ソーニャさんの太ももを顔面で味わいます。美味かな美味かな、マシュマロのように柔らかく、この荒涼とした空気の中にあってもお菓子のような甘い臭いがします。


 この太ももに埋もれたまま死んでしまえるなら、一片の後悔もないでしょう。このまま溶けてソーニャさんの太ももを流れる汗になってしまいたいです。


「そういえば……」


 とソーニャさんは一つ間を置きます。


「リリア様もこうして子どもたちによく甘えられていました」


 ちらと見上げればその目は馬車の外、青く広がる空の向こうを見ていました。綺麗な碧色の目に、寂しいくらいに晴れた青が映っています。


「ソーニャさんは本当に良かったんですか?」


 憂いのある表情に、聞かずにはいられませんでした。


「え?」

「私はあなたの敵ともいえる存在です。既にお父様の手によってとはいえ、勇者さんを殺しました。将来私が魔王になれば、多くの人を殺すかもしれません。そんな未来が訪れた時、きっとソーニャさんはとても後悔するんじゃないでしょうか」


 聖女の力を持っているとはいえ、根本的に私が人類の敵であることに変わりはありません。魔王の娘、魔族の王女……次期魔王に目覚める可能性が最も高いと考えられる者。


 いくら幼かろうと、いくら確定事項ではないとしても、その記号だけで人類の敵として十分なのです。魔法使いの方が私を殺そうとしたのもそれに尽きます。


 将来もし私が魔王に目覚めた時、私は魔王として振舞うことでしょう。それで人類の命がどれだけ失われようと。そして聖女の力で目の前の魔族を助けずにはいられないでしょう。どこまで行っても、人類に仇なすことになる。それを傍で見続けるというのは。


 私にとってはとても繊細な部分に踏み込んだつもりの質問でした。しかしソーニャさんは、唇に手を当てて何でもないことのように言いました。


「確かに、アレフさんは死んでしまいました。けれどそれはステラ様のせいではありません。一生私はあの光景を忘れずに悔やみ続けるでしょう。もう少し力があれば、助けになれたらと」


 けれど、と。


「だからこそ、私はここにいるんですよ。身寄りのなかった私を拾ってくださったリリア様への恩返しというのもありますけれど……」


 ソーニャさんが見る馬車の外には、あのときと変わらない護衛の方々がいます。


「知っていますか?聖女の力を行使するのに最も重要なのは、心の奥底からの強い思いだそうです。祈りとも、願いとも表現されます。……人を癒したいと心から思える方が魔王になったとしたら、誰も傷つかない未来につながるんじゃないでしょうか」


 ね、小さな魔王様と。


 ……何やらとても顔が熱いです。ぐりぐりとソーニャさんの太ももに顔を押し付けて鎮火を図ります。だめですねこれ、摩擦で余計顔が熱いですいやあっつ!


 頭まで茹っているようですね、少し落ち着きましょう。どうもソーニャさんが語る私はまさしく聖女と言わんばかりの人間ですが、あの時私が思っていたのは『なんとかなーれ☆』くらいの安い願いだった気がします。あれでいいんですか……?


 ええ……?それでいいんですか神様?


 こんこん、と馬車の側面が叩かれます。護衛の方が馬車に並走していました。


「王女様、もうすぐオークリアの首都、オクスノへ到着いたします」


 告げられた声におもむろに馬車の外へ顔を出しました。肌に日差しが焼き付き、乾いた風が髪をなびかせます。


 遠くまで少し茶けた石造りの建物が立ち並ぶ商業の街、オクスノが私たちを迎えました。

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