咀嚼して胃へ

 このところ暑さによって確実に食欲がグンと落ちてきている。

 こうなると食事がめんどくさいものに思えてきて、一錠で一食分のカロリーと栄養素を摂れるカプセルみたいなものってないのかな、などと考える。

 もし、そういうアイテムが食事として主流になっている世界があれば、そこの人々はみんなガムを噛んでいると思う。

 本来は食事に際して発生していた、咀嚼運動や唾液の分泌が激減したことによって健康上のリスクが高まり、それらを補うために保健機関がガムを推奨するようになったからである。ガムは基礎的なヘルスケア商品となり、ガム業界が盛り上がりを見せる。

 こう書きながら思ったが、例えばSFなんかにはこういう視点が大切だったりするのだろうか。ある発明やイノベーションに付随して起こる生活様式の変化、みたいな。



 食欲がないとき、何なら食べられるかを頭の中でシミュレーションしてみると、大抵の場合、カステラならいけそうな感じがある。なんでか分からないけれど。単に私が甘いもの好きだからなのかな。

 逆にいうと、そのカステラさえも食べたくない/食べられないような状態は健康上かなり追い詰められていると言える。

 羽海野チカ「三月のライオン」という将棋漫画がある。これの7巻あたりで主人公の桐山がある人物に胃薬を届けにいく場面があり、その胃痛に苦しむ相手のために薬以外にもゼリーやプリン、リンゴジュースなど食欲がない時でも胃に入りそうなものをあれこれ携えて行く。その中になんとカステラがあるのだ。

 これを読んだとき、すごくリアルな描写だと感じるとともに、食欲が無いときにカステラの存在に思い至る人は案外たくさんいるのかもしれないなと感じたのだった。



 高校三年生の夏ごろ、クラスの友達が急に胃薬を一包渡してきたことがあった。胃痛持ちの友達である。

 その春、私は胃腸炎になってしまい新学年が始まって冒頭の一週間を休んだ。この友達とは出席番号とそれに伴う初期の座席が前後ということもあって私の胃腸炎のことが印象にあったらしい。

「もうとっくに治ったから大丈夫だよ」と遠慮すると、何があるか分からないから御守りとして持っておいた方がいいと譲らず、そこまで言うならと筆箱の普段使わないポケットの中にしまった。

 それからしばらくしたある日、休み時間にボーッと座っていたら後ろから名前を呼ばれ、見るとこの友達だ。

 胃を抑えながら苦しそうに机に蹲っていた。

「◯◯くん、胃薬……」と小さく言われ、私は慌ててかつて貰った胃薬を取り出してパスした。

 問題はこのあとで、今となっては自分でも本当に信じられないことに、私は求められたとおり薬を渡すと、自分の役割は終了したと言わんばかりに前に向き直ったのだった。

 なんであんなことをしたのだろう。

 その様を見られるのは友達にとって不本意なことかもしれない、と思ったのだろうか。普通に真っ直ぐ心配すればよかったのに。分からないのであれば、なにかできることがないかこちらから更に訊けばよかったのに。

 深い後悔の念、というと大袈裟になってしまうけれど、それでもやはり苦い思いがあり、ときどき思い出す。

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