第14話:招かれざる客

 上質な天鵞絨びろうどの生地をいっぱいに敷き詰めたかのような空だった。


 生地を彩るのは一つ、一つが極小ながらもきらきらと発光して、地球上に現存するどの宝石よりもずっと美しい。


 30階という高さから見える景色は、正に絶景の一言に尽きよう。


 夜を照らす灯りはさながら宝石のように眩く、この光景もまた彼が生きた時代にはないものだ。


 かつての面影がまったくないな、と雷志は自嘲気味に小さく鼻で笑う。


 なにもかも変わった世界にて、雷志の存在はあまりにもちっぽけだった。



「…………」



 雷志は感傷に浸ることもせず腰にある大刀をすらり、と静かに抜いた。


 夜空にぽっかりと浮かぶ白い三日月の、氷のように冷たくも神々しい光をたっぷりと浴びた白刃が妖艶ながらも美しく煌めく。



「……人が疲れてるのに、お前らは空気がどうやら読むのが苦手ならしいな」



 そう声をかけた雷志が、目前にいるのが禍鬼である、と判断するまでにわずかばかりではあるものの、数秒の時を要した。


 何故ならば対峙する相手は、雷志がこれまでに相対したどの禍鬼とも遥かに異なっていた。


 人間のような、そんな禍鬼は数多にいた。


 だが今対峙するそれは、顔や肌さえ除けば人間とほぼ大差はなく。


 装いについても、ボロボロながらも漆黒の着物を着こなしている。


 もはや機能してないに等しい深編笠より覗く、血のように赤々とした瞳の輝きは不気味極まりなく、鋭い牙がずらりと並ぶ口からは絶えず獣のような吐息がもれる。


 そして右手には、辛うじて形だけ保っているも同じ一振りの大刀がしかと握られていた。


 加えて白銀という本来の輝きには程遠い、赤黒い刀身が禍鬼の恐怖をより一層高めていた。



「……お前が何者なのか、とか。目的はなんなのか、とか。俺にとっちゃ実にどうでもいい。どういう訳か、お前は今俺を斬り殺したくて仕方がない……だろ?」


「…………」


「しかし、なんだ。この世界にきて……いや、この時代か。とにもかくにも俺の周りにはもう知り合いはいないし、ましてや恨みを買った覚えもないんだが……」


「…………」


「……人語は話せない、か。まぁいい。それじゃあ、やるか?」



 雷志がそう口火を切った瞬間、けたたましい咆哮が夜空にあがった。


 禍鬼が先の先を仕掛けた。


 どかどかと地を蹴って、肉薄する様はさながら一陣の疾風のごとく。


 それを迎え撃つのが雷志だが、この時彼の表情はわずかばかりこわばっていた。


 これまで彼が相対した禍鬼は、一言で例えるならば獣に近しかった。


 本能が赴くがままに殺戮をする彼らは、確かに驚異でこそあるが人のように技がない。


 研鑽された技の前には、どれだけすさまじい膂力であろうとも無意味である。


 では、今回の敵手はどうか?珍しいこともあるものだな、と雷志はそう思った。



「まさかの強厳流じげんりゅうかよ……」



 雷志にとって、この強厳流じげんりゅうは忌まわしき記憶として今も心に深く残っている。


 九州地方に古くより伝わる古流剣術で、他流派の人間からは「こんなにトチ狂った剣は知らねぇ」と、そう言わしめるほどで有名である。


 その要因となるのが正しく、強厳流じげんりゅうの戦い方そのものにあった。


 彼ら、強厳じげんの剣士はとにかく恐れることを知らない。


 通常、人は相対した時あれこれと考えてしまう生き物である。


 こと死合であれば、常に相手の動きを予測して脳内で幾度シミュレーションをし、そして実行に移す。


 強厳じげんの剣士は、最初の一太刀に己が全身全霊ぜんりょくをこめる。


 要するに当たったら、避けられたら、などという思考は彼らにとっては二の次、三の次なのである。


 また、強厳流じげんりゅうの剣には上段の構えしかない。


 上段の構えより全力疾走で敵手に肉薄した後、渾身の唐竹斬りを打ち落とす。


 その際に彼らは独特の気声を発する。


 まるで発狂したましらを彷彿とするそれは、猿叫えんきょうという。


 いくらなんでもそれはないだろう、とかつての雷志はひどく呆れていた。


 もちろん彼のみでなく、数多くの者が嘘にも程があるとして失笑していたぐらいだった。


 あらかじめ偽の情報を流し、あたかもそうであるかのように錯覚させる。


 戦においてこの戦法は基本にして常套手段であるし、そも死合においてもっとも重要視されるのは、いかに相手に手の内を知られないかにあった。


 技とは、知らないからこそ強いのである。


 故に情報を暴露されないためにも、雷志は対峙した相手は必ず斬ることを常とした。


 だが、強厳流じげんりゅうはそんな雷志らの予想を裏切った。


 喧伝に嘘偽りはなかった。


 強厳じげんの剣士は、死に対する恐怖がまるでない。


 だからこそ初太刀に全身全霊ありったけをこめることができる。


 彼らの太刀筋に防御は一切通用しない。


 かつて、この強厳流じげんりゅうの死合を偶然目撃した門下生がいた。


 曰く、防御した刀ごと頭をかち割られたとのこと。


 敵手の得物がナマクラであった、という可能性も確かに。なきにしもあらず。


 されど、防御をした上で尚且つ堅牢とされる頭部をかち割るなど常人技ではない。


 それ故に強厳流しげんりゅうの初太刀は必ず外せ、といつしかこう門下生らの間に広がるようになった。



 ――事前に情報があったから、あの時なんとか難を逃れた。

 ――受ければこっちがやられる……。

 ――だからこいつら相手には防御は一切不要だ。

 ――やるのは避けるか、受け流して反撃するかのどっちかのみ!



 あれの太刀筋は決して受けるな。


 雷志は切先を中空で制止したまま、禍鬼まがつきを視界に納める。


 そしてついに、初太刀が振り落とされた。


 まっすぐと縦に空を両断するそれは、まるで赤き稲妻のよう。


 いかに堅牢な城塞でも、稲妻の前では強度も紙切れに等しい。



「……ッ!」



 けたたましい金打音が夜の静寂を切り裂く。


 雷志が取った行動は、極めて単純なものだった。


 まず見栄えだけでいえば、彼のその技には派手さも豪快さもまるでない。


 言葉悪くして言えば、あまりにも地味すぎる。


 されど地味だからこそ雷志の剣は超実戦的にして、確実に命を奪うことを可能とする。


 雷志の最大の武器は、超人的な動体視力と即応能力にある。


 すなわち、敵の攻撃に対して自らはどう動き、負担なく、そして攻撃するか。


 勝利までの勝ち筋プロセスを瞬時に導き出し実行する。


 いわば、五体に備わった自己防衛システムが雷志の場合は優れているのである。


 彼はこれを双極剣いんようけん、とそう呼称した。


 けたたましい金打音が鳴った。


 雷志は、またしても己が表情かおに驚愕の感情いろを濃く浮かばせる。


 ありえないだろう、と雷志はすこぶる本気でそう思った。


 双極太刀いんようのたちは、早い話がカウンター技だ。


 初見で見切ることは、ほぼ不可能と断言しても過言ではない。


 過去、数多くの罪人や武芸者が雷志へと挑んだ。


 ある者は生きるために、ある者は山田浅右衛門やまだあさえもん襲名者を倒したという功績を手にするために。


 試刀流しとうりゅうの中で彼ほど、もっとも多く挑まれた者はおらず。


 当の本人は「修練ができてちょうどいいや」と、その程度にしか捉えていなかった。


 いずれにせよ、そうして挑んだ輩はもうこの世にはいない。


 数百年という時が流れるよりも遥か昔、双極剣いんようけんによって等しく敗れ去った。


 だが、この禍鬼まがつきは未だ健在である。


 初見でありながら彼の太刀筋を完全に見切り、バッと大きく後方に飛んで間合いを取る敵手を雷志は訝し気に睨むことしかできない。



「……お前は何者なんだ?」



 その言葉に雷志はハッとした。


 禍鬼などと言うものは、結局似たような獣ばかりだ。


 加えてこれより斬る相手のことをわざわざ知ろう、などと思うつもりも彼には毛頭ない。


 人であればいざ知らず、搾取される獣のことをいちいちより深く知り、理解しようなどとする輩はよっぽどの酔狂者でもない限りは思うまい。


 だが、雷志は獣に強い興味を抱いていた。


 初見でありながら、必殺剣を回避して未だ健在である禍鬼まがつきは、明らかに他とは一線を画す存在である。


 それは実際に太刀あった雷志だからこそ、一番よく理解していた。


 こいつに興味がわいてきた、と雷志はその顔に不敵な笑みをふっと作った。

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