第98話 新たな相棒

 セロがニックの背中を見ていると、隣でドサッと重い音が響いた。


 「ニック!」


 名を叫ばれて、ニックは目を見開いた。叱られた子どものような怯えた目で、グレイスターから降りたケリーをふり返る。


 「おまえ、どうしてオレに黙ってたんだよ!何でオレに相談しなかった?」


 ニックはケリーの気迫に怖気づいて、首を横にふるだけだ。涙を堪える目は潤んでいる。


 「……それじゃ、わからないだろ」


 ケリーは眉をしかめた。


 「ニック、こっち来い!」


 ニックは大人しく馬場の柵をくぐり抜けた。重い足取りで丸馬場の中央へやって来た彼は、顔を隠すように俯いている。


 ケリーのことだ。

 感情に任せて手を出すことはないだろう。


 セロがそう思っていたとき。ケリーは目の前に立つニックめがけて、素早く腕を伸ばした。


 反応の遅れたニックは逃げることも、避けることもできない。顔を上げるのが精一杯だった。


 「……っ!」


 ケリーの唐突な動きに、ヴェルーカはビクッと体を震わせた。セロはケリーを止めようと鞍から腰を上げたが、どうやらその必要はないらしい。


 セロの前には、後輩を抱きしめるケリーの姿があった。


 「ごめんな、ニック」


 驚いて声も出ない様子のニックに、ケリーは掠れた声で話し出す。


 「オレ、本当にバカだ……!後輩が大変な思いをしてるのに、それに気付かないで自分の手伝いまでさせてさ。……そんな奴に、誰も助けなんか求めないよな」


 泣きだしたニックの頭を、ケリーはガシガシとなでる。


 「本当に、ごめんな……ニック」


 「違う……っ!違うんです……!」


 首を激しくふって、ニックは懸命に言葉を吐き出した。


 「ボクは、ケリーさんと先輩が喧嘩するのを見たくなかったんです。あの日、ケリーさんはヴェルーカのことで、すごく怒っていたし……ボクが先輩の作業をしているって知ったら、ケリーさんは先輩たちと大喧嘩するんじゃないかって」


 「おまえ……見てたのか」


 ニックはケリーを見上げて頷いた。


 「馬房掃除をしているときに、窓から見ていました。止めようと思ったんですけど、ボクにはどうすることもできなくて……。どうしようって思っていたら、セロさんが来たんです。でも、そのときはまだ、セロさんのことを知らなくて。ずっと、お礼を言いたかったんですけど、言いそびれていました」


 涙でいっぱいになった瞳で、ニックはセロをふり返る。午後の傾いた太陽を背にしたセロは、きっと影にしか見えないだろう。


 「オレたちの喧嘩を止めたセロを見て、ニックは助けてくれるって思ったんだな。ヴェルーカみたいに、自分も救ってもらえるかもってさ」


 ケリーがセロを仰ぐ。


 グレイスターに乗っている間、ずっと上から感じていたケリーの視線。下から見られるのは、何だか変な感じがした。


 「……なあ、セロ。安心してくれよ。オレはバカだけど、ニックにはもう二度と辛い思いはさせないからさ」


 「ケリーなら必ずニックを守ってくれる。そう思ったから、僕はあの人たちに反抗できたんだ。言っておくが、ケリーは決してバカじゃない。君は間違いなく良い先輩騎士だよ。僕が保証する」


 ケリーは照れくさそうに笑った。


 「ありがとな、セロ。本当に、おまえはオレにとって英雄だ……大英雄だよ!」


 ヴェルーカから下馬したセロが、二人の騎士に向き直る。彼の口角は微かに上がっていた。


 ケリーには、彼の気持ちが手に取るようにわかった。


 セロは笑うのが苦手だ。そんな彼が、優しく微笑んでいる。不器用なセロが、無意識のうちに喜びを表現しているときの顔だ。


 セロは気づいていないだろうが、この癖はケリーと初めて出会った時から、ちっとも変わっていない。


 「それじゃあ、そろそろ戻るか」


 奥の広馬場から戻って来る馬たちを見て、ケリーは切り上げることにした。


 「ああ、そうしよう」


 馬場から出た二人に続いて、ニックはたずねた。


 「あの……このあと、お二人の手入れを見ていてもいいですか?自分の作業は、ちゃんとしますので!」


 ケリーと目が合うと、ニックは恥ずかしそうに頭をかいた。


 「すみません……何だか、このまま作業に戻るのが、もったいない気がしたんです」


 「おう、オレはいいぜ!でも、セロは何て言うかなあ?」


 ケリーはわかりきったことを、わざわざ聞いてくる。そんなイタズラをする先輩には、お返しをしてあげないと。


 「上達するためには、いい手本を見ること。ケリーの上手な手入れを見て、技を盗むんだ」


 「はいっ!」


 瞳を輝かせるニックの背後では、ケリーがニヤニヤと不敵な笑みを浮かべていた。


 「おまえ、絶対わざとだろ?」


 「何が?」


 「言い方が、わざとらしいんだって!それに、何か企んでるときの『何が?』はセロの常套句だろ!」


 どこかで聞いたことのある言葉に、セロはギクッと肩を震わせた。


 「ほーら、やっぱりそうじゃないか!」


 ケリーはグレイスターを蹄洗場の柱に繋ぐと、セロの方を見ずにぽつりと呟いた。


 「まあ……でも。おまえのそういうところ、オレは嫌いじゃないけどな」


 「すまない、ケリー。ヴェルーカのクシャミで聞き取れなかった。何か言ったか?」


 「いいや、何にも?」


 ニックは並んで手入れを待つ二頭の馬に、そっとたずねる。


 「ボクね、ケリーさんやセロさんと一緒にいると、とても温かい気持ちになるんだ。面白くて、見ていて飽きない、しかも優しいなんて、最高の先輩だよね!君たちもそう思わない?」


 ペロッと舌を出すヴェルーカと、誇らしげに鼻を鳴らすグレイスター。そんな二頭と、満面の笑みの後輩に見守られながら、先輩たちは慣れた手付きで馬装を解くのだった。

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