第18話 不死身の少女

 崩壊した門の上。


 少女は亀裂の入った壁に立ち、眼下の戦場を眺めていた。


 闇に身を潜め、黒いマントを風になびかせる。少女の顔はフードに隠れていて、表情は見えない。


 訓練場では、少女の放ったボスウルフが大暴れしている。こんなに巨大なブラッドウルフを見たことがないのだろう。怯えた馬は甲高い悲鳴を上げ、騎士たちが交わす号令は絶叫へ変わった。


 心地よい夜風が止む。


 少女は背後に気配を感じて、ゆっくりとふり返った。


 銀色の瞳が、じいっと闇を見つめる。


 どんなに深い闇の中でも、その目はネズミ一匹見逃さない。少女は用心深く辺りを見回したが、狭い壁の上には誰もいないようだ。


 視線を戻すと、ほんの一瞬目を離した隙に状況は一変していた。


 さっきまで優勢だったボスウルフが、大勢の騎士に取り囲まれて身動きが取れなくなっていたのだ。追い詰められたボスウルフは、短い尻尾を振って馬を威嚇していたが、もはやその行動に意味はなかった。


 ――ウオオオオーーーン!


 夜空に向かって遠吠えをしても、助けてくれるブラッドウルフは一頭もやって来ない。


 当然だ、みんな死んでしまったのだから。


 そのとき、無防備になっているボスウルフの喉を目がけて、剣が一斉に振りかざされた。馬に乗った騎士たちが、ボスウルフをかすめるように突進していく。


 松明を反射した刀身が美しく弧を描き、その輝きが何度も何度もボスウルフの喉を掻き切っていった。


 ――ッ!


 血飛沫に赤く濡れた喉はもう、声を出すことも、呼吸することもできない。枯れた咆哮を上げるボスウルフがふらりとよろめき、大きな木が倒れるように地面へ横たわった。


 砂埃に包まれるボスウルフの周りに、血が花咲くようにジワジワと広がっていく。


 ブラッドウルフの親玉は、少女の期待を裏切って、あっけなく死んでしまったのだ。


 ボスウルフの死骸を、少女は退屈そうに眺めていた。ボスウルフに群がる人間を冷たく見下して、少女が訓練場に背を向けたときだった。


 「動くな……!」


 ヒュッと風を切る音が聞こえた瞬間、少女の細い首に剣先が突きつけられた。


 少女は声を出すことも、驚くこともせず、肩越しに声の主をふり返った。


 フードの闇の中で、少女の瞳が青年の姿を捉える。肩にかかる漆黒の髪に、殺気の込もった青い瞳。


 この人間、どこかで見たことがあるような……。


 少女が記憶を遡っていると、青年が見透かしたように口を開いた。


 「僕に見覚えがあるんだな?覚えているか……ジアン・オルティスのことを。僕の兄さんのことを!忘れたとは言わせないからな!」


 剣を握るセロの拳に力がこもる。剣先が喉に押し付けられても、少女は身じろぎ一つしない。


 黙ったままの少女に、セロは問う。


 「なぜ、兄さんを殺した……!」


 兄の死を知らされてからずっと、不死身の少女に聞きたかった。まさか、こんな形で出会うことになるとは、思ってもいなかったが。


 地上の平和を脅かし、身勝手な侵略を続ける魔界軍のために、なぜ兄が命を奪われなければならなかったのか。


 その答えを、ずっと知りたかった。


 少女が素直に話すはずがないことは、頭ではわかっている。だが、聞かずにはいられなかった。実の兄を殺した憎い敵が、その口でどんな言い訳をするのか。


 弟に仇を打たれる前の懺悔に、ぜひ聞かせてもらいたいものだ。


 生温い夜風に吹かれながら、二人は静かに対峙していた。


 答えない。


 それが、少女の出した答えのようだ。


 「残るは……おまえだけだ」


 セロは剣を構えると、フードに隠れた首へ狙いを定める。


 磨き研がれた刃先が、躊躇なく振り下ろされる。


 少女の首を確実に捉えたと思ったそのとき。少女は何の予備動作もなしに、突然高く跳び上がった。


 セロの剣は空を切り、乾いた風切り音だけが残った。


 少女は空中でくるりと一回転すると、狭い壁の上へ見事に着地する。


 セロは瞬時に剣を構え直して、もう一度切りつけた。


 不死身の少女を、簡単に倒せるとは思っていない。攻撃が当たらなくても、想定の範囲内だが……何度攻撃しても、すべて避けられてしまう。


 軽やかにステップを踏みながら回避する少女は、踊っているようにも見えた。


 「……くそっ!」


 セロの悔しそうな声が漏れる。


 苦戦する彼と違って、少女は随分と余裕そうだ。


 剣先をかすめることさえできず、時間とともに焦りが積っていく。落ち着きを失った心が、荒れ狂う波のようにざわついた。


 しかし、少女は気がついていなかった。セロの攻撃を避け続けることで、自らを壁の端へ追い込んでしまっていることに。


 一際高く剣を掲げたセロの攻撃を見切り、少女は後ろにステップを踏もうとした……が、後退することはできなかった。


 黒いブーツの踵が物見塔の壁に当たって、コツンと小さく鳴る。終わりを告げられた少女は、背後の塔を憎々しげに見上げた。


 袋のネズミだな……セロは冷たく鼻で笑った。


 もう、終わりにしよう。


 セロが渾身の力で剣を振ったそのとき。


 黒いマントに隠れた少女の両腕が、目にも止まらぬ早さで構えられた。

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