ジャスティスへのレクイエム(第2部)
森本 晃次
第1話 核開発
最初の紛争を戦争と呼ぶのだとすれば、それは、
「第一次戦争」
と呼んでいいのではないだろうか?
それ以降、三年ほどは紛争の火種はあったのだが、お互いに先端を開くことはしなかった。お互いの国同士、
「相手国を刺激しないように」
と、国境警備隊にはそれぞれ訓示が出され、国境警備隊の任務につく人も、軍の中から選抜された優秀な人たちだったこともあって、軍紀が乱れることもなく、相手を監視するという点では優秀だった。
この間にアレキサンダー国もチャーリア国も、お互いに軍拡を重ねていた。
ただその目的はお互いに違っている。アレキサンダー国はチャーリア国を侵略するためで、チャーリア国は侵略から自国を守るためだった。そのため揃える軍備はそれぞれに違っていた。しかし、攻めと守りのそれぞれを強化しているので、攻める方も迂闊に手を出せば大やけどを負ってしまうことは分かっているので、簡単には攻撃できなかった。
お互いの軍事バランスが保たれているとはいえ、周辺にて、
「これで平和が保たれている」
などと感じている国は一つもなかったことだろう。
一触即発の状態でありながら、お互いに睨みあっているだけだというのは、必ず近い頂礼、衝突を免れないということを意味しているからだった。
もちろん、その間に外交的な平和努力は行われていた。
ただ、アレキサンダー国とすれば、ある程度高圧的な態度を示しているのは、あくまでも自分たちがクーデター政権であるという負い目があるからだった。一歩間違えれば、まわりにばかり目を向けていると、足元から掬われるという不安がないわけではなかった。内部にも目を光らせながらの外交が高圧的になるのも仕方のないことではないだろうか。
チャーリア国としても、そのあたりのことは十分に分かっているつもりだった。それだけに余計なけん制は自殺行為であることを認識していた。チャーリア国にとってアレキサンダー国は、自分たちを母国から追い出した憎き相手であり、到底国家として容認できる相手ではないということも分かっている。軍部の中には強硬派がいて、
「今なら、アレキサンダー国をやっつけることができます」
と、自分の軍隊に自信を持っているからこそ言える発言をする幹部もいたが、シュルツは冷静だった。
「まあ、そういきり立つこともないだろう。来るべき時が来れば、私の方から命令を発する。それまで待ってはもらえないだろうか?」
と何度も説得を繰り返していた。
チャールズの方もシュルツの考えにしたがっていた。
「我が国は、まだまだこれからのできたばかりの国だということを、皆さん自覚してください。いくら軍備が整っていても、まわりは我々を新興国だとしてしか見てくれていません。つまりは、海のものとも山のものとも分からない我々を支援してくれる国が本当にあるのかどうか、それは外交努力によって、培われていくものだと思っています」
というのが、チャールズの考えで、閣議でも同様の発言を何度もしていた。
「アレキサンダー国は、本当に攻めてきますかね?」
というのは、外務大臣の意見だった。
「必ず攻めてくると思っているよ。その理由については私とシュルツ首相が分かっているつもりだが、今はまだその理由を話す時期ではない。もう少し待ってほしい」
とチャールズは言った。
外務大臣は、アクアフリーズ国からの亡命者ではない。元々アルガン国にいた政府高官だったが、チャーリア国の独立に際して、アルガン国から派遣された大臣だった。出世には違いないが、本人が左遷されたと思っているのだとすれば、この国の行く末など他人事に思われるかも知れない。
ただでさえチャーリア国はアクアフリーズ国からの亡命者とアルガン国からの派遣とでまかなっている国である。一枚岩ではなく、烏合の衆と言ってもいいのではないだろうか?
そのことを一番身に染みて感じているのがシュルツだが、今はまだ他の高官には話ができない秘密を持っていることで、不安しかなかったが、いずれクリアされればチャーリア国は、他の国に負けない一枚岩の国になれると自負していた。
「ところで、数年前にありましたアレキサンダー国との国境付近での紛争ですが、その際にアクアフリーズ国の軍隊も、一部参加していたという話ですが、首相はご存知でしたか?」
と、今度は陸軍大臣が口を開いた。
陸軍大臣は、元々アクアフリーズ国でも陸軍にいて、参謀部長をしていた。彼にとってチャーリア国の軍も、現在のアクアフリーズ国の軍も、それぞれに掌握しているだけに、もし今自分で話したことが事実であるとすれば、一番憂慮を感じているのは、当の陸軍大臣ではないだろうか。
「ああ、知っているよ。君にとっては耳が痛い話で、旨を締め付けられるようなことなのかも知れないが、彼らはアクアフリーズ国内に立てられたアレキサンダー国の傀儡政権に操られているんだ。今後彼らを解放してあげるのも我々の使命だと思っている。その時は陸軍大臣。君には十分に働いてもらうことになるから、そのつもりでいてくれたまえ」
とシュルツは答えた。
「はっ、閣下の仰せの通りでございます」
と直立不動で敬礼した陸軍大臣の気持ちは、伸びきった背筋が表していた。
そんな陸軍大臣を頼もしいと思いながら、シュルツ長官は、何度も頷いて見せた。目には涙を溜めていたのだが、その涙が心の底からのものだったのかどうか、分かる人は誰もいなかったことだろう。
三年前にアレキサンダー国と国境紛争があってから、閣議は今までに比べて頻繁に行われるようになった。その大半は国境警備の問題から始まって、外交交渉問題、そして自国の軍拡問題と、アレキサンダー国を意識した内容になっていた。
それというのも、シュルツ長官が日頃から話しているように、
「アレキサンダー国は必ずまた攻めてくる。それまでに我が国はできる限りの準備をしておかなければならない。それが外交努力であり、軍拡である。しかもこの軍拡は、自らが侵略するためのものではなく、あくまでも専守防衛が目的である」
というのが前提だった。
「専守防衛だけでいいんですか? 先制攻撃こそ、最大の防御ということもありますよ」
と他の閣僚から言われたこともあったが、
「今は専守防衛に徹する時期なんです。しかるべき時期がくれば、我が国も戦略のための軍拡を進める時期が来ると思うのですが、まずは攻めてくると分かっている相手を迎撃することで、却ってこちらが握ることができれば、そこでいい条件での和議を結ぶことができて、国際社会からも認められるとは思わないかね?」
と、シュルツ長官は言った。
長官の言葉にはそれなりの説得力があった。説法も筋が通っているし、彼の説得力は、他の閣僚にはないものだった。
シュルツ首相は、閣議では長官としての立場を強めている。さすがに最後の決議の際には首相としての立場で立ち振る舞うが、閣議においての説得力という意味では、長官としての立場が一番都合がいいことを熟知しているのだった。
チャーリア国は立憲君主国である。チャールズは元国王ではあるが、最初は大統領として、今は大総統として君臨している。大統領と大総統、言葉が違うだけだと思われがちだが、首相から見れば大総統の地位は絶対のものであった。それまでの国王に匹敵する地位を、チャールズはこのチャーリア国でも維持していた。
閣議の際では、チャールズはほとんど発言しない。それは立憲君主国での国家元首が閣議では発言しないという慣例に基づくものだが、この国では発言する余地がないほど、シュルツ首相の力が絶大だった。
この力は君主としての力ではなく、まわりを纏めるというオーラを発するカリスマ的な力だと言ってもいい。かつての独裁者にあったいい部分のカリスマ性だけを受け継いだといえば、分かりやすいかも知れない。
だからといってシュルツは独裁者ではない。上にはチャールズが控えていて、今でも呼ぶ時には、
「チャールズ様」
と呼んでいる。
もちろん、閣議などの公の場でその呼称を使うことはないが、二人だけの時にその言葉を使っているのだから、シュルツが独裁者になりえるわけはなかった。
――今でもシュルツは私に忠誠を誓ってくれているんだな――
と感じているチャールズは、シュルツに頭が上がらない自分を卑下する気持ちなどサラサラなかった。
ここが、新興国だといいながらも国際社会に認められようとする謙虚な気持ちを持つことで、国内も纏めることができているチャーリア国の魅力なのに違いない。
閣議の様子は逐次国民に公開されていたが、国家機密にかかわるような閣議は非公開とされた。
チャーリア国は立憲君主国ではありながら、意外と自由は国民の側にあったりする。民主主義でいうところの、基本的人権や教育を受ける権利は保障されている。しかし、君主は大総統であるため、主権は大総統にあるものとされる。
さらに軍部は独立していて、政府も介入できない。完全に大総統直下のものとなっている。軍部を掌握できるのは、この国ではチャールズ大総統と、シュルツ長官だけということになる。シュルツは首相でありながら長官でもあるが、その長官というのは、軍部の全権を任されているという意味で、軍部における「首相」と言ってもいいだろう。
シュルツは軍部の最優先事項として軍拡を挙げた。それにはチャールズ大総統を始めとした政府首脳も意見を唱えるものはおらず、全会一致で軍拡は承認された。だが、軍拡の主旨が専守防衛にあると知ると、反対を唱える官僚も少なくはなかった。
元々アクアフリーズ国にいた人たちは専守防衛に反対を唱えることはない。何しろ、クーデターに遭って国を追われることになったのだから、その気持ちはよく分かる。専守防衛に反対なのは、アルガン国からの「左遷組」だった。
「俺たちは、こんな腰抜けの国に左遷されたのか」
と嘆きたくなると思っている人も少なくはない。
チャーリア国を新興の大国にしたいと思っている連中は、アルガン国出身者が圧倒的に多かった。
彼らにとっては、大総統がチャールズで、首相がシュルツというのも面白くない存在だった。
「どうして、アルガン国出身者がトップにいないんだ?」
と疑問に思うのは当然で、二人は元国王と、ナンバーツーだったとはいえ、亡命者なのだ。
そんな連中にトップを任せているのだから、自分たちが左遷されたと思うのも当たり前のことで、このあたりがチャーリア国の中に潜伏している、
「アリの巣のような小さな穴」
なのかも知れない。
チャーリア国の軍拡は、シュルツが考えていたよりも遅れていた。
一年で達成するはずの計画から考えれば、六十パーセントほどしか進んでいない。これがシュルツにとっては一番の頭の痛いところであった。
「三年はアレキサンダー国がおとなしくしてくれていれば、我々には防衛するだけの自信ができるのだが」
と、三年をめどに立てていた軍拡計画だったが、実際には四年はかかってしまいそうな勢いだ。
「このままではまずいな」
とシュルツは一人悩んでいたが、あとは国境警備隊の動向を見守るしかないのが状況だった。
軍拡が進んでいないのは言うまでもない、アルガン国出身者の専守防衛に反対派の勢力によるものだった。
彼らは頭がいい。自分たちが邪魔をしているということを悟られないように事を進めることに長けている連中ばかりだった。
そんな連中だから、左遷されたのかも知れない。アルガン国としても、さすがに何十年も彼らを部下にしていれば、彼らに何らかの力があり、それが自分たち政府を阻害していることを分かっていたので、チャーリア国建国に伴い、これ幸いと左遷したのだろう。
百戦錬磨のシュルツも、まだ少ししか一緒にいないのだから、そんなことが分かるはずもない。彼らを信じるしかないと思っていたが、そこに最悪の結果が待っているなど、思いもしなかっただろう。
シュルツの考えをよそに、アルガン国出身者で構成された連中の見えない力の影響は絶大で、訳が分からないままに、軍拡が進んでいないことを悩むシュルツだった。
「私の計画がいけなかったんだろうか?」
今までにそんなことを経験したことがないだけに、シュルツは悩んだ。
今までは自分が考えていたことはほとんどうまく行っていた。遅延することもなく計画通りに進んでいたのに、今回はどこが悪いというのか、計画は完璧のはずだった。
さすがにチャールズに相談するわけにもいかず、一人で考え込んでしまっているシュルツを心配そうに見つめるチャールズは、本当に心優しい君主だったのだ。
そんなチャールズを見ながらアルガン国出身者の連中は、少し後悔の念に襲われていた。だが、そのうちに一人が、
「何を感傷に浸っているんだ。我々はあいつらのために左遷されたんだぞ。悔しさを忘れたのか」
と一喝されて、我に返った彼らは今一度、自分たちの立場を見直したのだ。
そんな中の一人にニコライという男がいた。彼はアルガン国の出身ではあるが、実際にはアルガン国を形成している民族から見れば少数民族で、小さい頃からまわりから迫害を受けていた。
ニコライのまだ幼かった頃は、まだまだ差別が横行していて、主流民族でなければまともに扱われないという時代だった。彼の父親も頭はよかったのに就職もまともにいかず、肉体労働に従事し、家族を養っていた。母親もパートに出て生計を助けていたが、やはり民族の壁はなかなか越えられず、仲間外れにされていたのが現状だった。
両親とも、家に帰ってからはそんな素振りを一切見せない。夫婦間でも自分が表で置かれている立場を口にしなかったに違いない。もちろん、子供のニコライも子供仲間から苛めに遭っていた。味方はおらずに孤立した時期もあった。今からでは信じられないが、本当にそんな時代が存在したのだ。
その頃のアルガン国は、まだまだ発展途上国というイメージが国際社会の中には息づいていて、植民地として奴隷のような状態になることはなかったが、地理的な問題で、絶えずどこかの国から侵略を受けていた。
かつての世界大戦が終わって、アルガン国は晴れて侵略から逃れることができたが、国土は他の国同様に荒れ果てていて、復興にはかなりの時間が掛かった。それでも列強ほどひどくはなかったことで、二十年も経たないうちに国としての体制が整い、国際社会からも認められるようになった。
元々侵略を受けていたのは、地理的な問題だけではなく、この国には地下資源が豊富にあったからだ。平和になった世の中では、彼らの地下資源は彼ら自身が使えるようになり、そのおかげで重工業が飛躍的に発展した。社会的にも地位を確立した上に、地下資源によって経済も潤ってきたことで、一躍アルガン国は世界でも有数の、
「富める国」
となったのだ。
平和な世界で輸出品が増えたこと、工業力がアップしたことで、一時期は軍事予算もかなり取れるようになった。兵器開発も自国で行えるようになり、世界大戦によって各国が保有していた科学者も、大戦終了で解放され、世界各国に散っていたが、アルガン国は彼らの行方を確認し、自国への協力を頼んだ。
中には、
「私はもう科学に関わる開発をしたくない」
と言って断る人もいたが、ほとんどの科学者はアルガン国の誘いに乗った。
途中から他の国からも引き抜きがあったので人数的には少し減ったが、世界的に見てもアルガン国細科学者を抱えている国はなかったのだ。
彼らには科学者なりの考えがあった。中には偏屈な人もいて、政府を悩ませるような人もいたが、政府の考えていたよりもはるかに大きな影響をこの国に与えてくれたのは、アルガン国にとって、嬉しい誤算だった。
復興も奇跡なら、発展も奇跡だった。世界的にもモデルになりうる国家とし優良国のレッテルが貼られ、世界はアルガン国のさらなる発展に注目していた。
だが、アルガン国の頂点は意外と早くやってきた。
頂点を迎えてしまうと、あとは横ばい状態が続くだけ、いつ下降線を描くかということになるのだろうが、さすが土台がしっかりしているからなのか、アルガン国が下降線を描くことはなかった。
「横ばいになり始めて十年が経ってもまだ横ばい状態なら、下降線を描くことはないだろう」
という経済の専門家の意見もあったが、アルガン国はまさにそんな国だった。
発展を見守っている間、いろいろな国と国交を結び、アルガン国の成功にあやかろうという国もあった。
実際に、アルガン国と国交を結んだおかげで復興が五年早まったといわれる国もある。「アルガン国とは仲良くさえしていれば、得をすることはあっても、損をすることはない」
とまで言われるようになっていた。
アクラフリーズ王国もアルガン国とはかなり早い段階から国交を結んでいた。チャールズの父親の時代からというから、かなりの古さである。
アルガン国としても、先代の国王やシュルツを人間として尊敬していて、彼らがいるからこその同盟だったのだ。
アルガン国が他国と同盟を結んだ最初は、アクアフリーズ国だった。実はその次に同盟を結んだのはグレートバリア国で、アレキサンダー国の前身だった。
革命が起こらなければそのまま同盟を結んでいただろうが、
「クーデター政権とは同盟を続けていくわけにはいかない」
と、同盟の継続を望んでいたグレートバリア国を一蹴した。
これにはさすがにグレートバリア国もショックだったようで、しかも、彼らが現状の敵であるアクアフリーズ国との同盟は継続していることからアルガン国も敵として見るしかないと思うようになったようだ。
グレートバリア国のクーデター政権であるアレキサンダー国は本当のアルガン国の力を知らなかった。過小評価をしていたと言ってもいい。そのため安易にチャーリア国に攻め込んだが、次第に後悔するようになってきたのも事実だった。
さて、アルガン国が次第に差別がなくなっていき、民族間の紛争も極端に減少していった頃、ニコライは就職時期を迎えた。
ニコライは少年時代から差別を受け続けていたが、ひねくれることはなかった。
「なにくそ」
という気持ちが強く、人の何倍も勉強に勤しんだ。
そんなニコライのことを大学時代の恩師でもある教授が一目ぼれした。
「どうだい? 私の研究室で助手をやってくれないか?」
と言われた。
それは思ってもいなかったことで、青天の霹靂だった。
「えっ? 私が教授のお手伝いを?」
というと、
「嫌かい?」
と教授はニッコリと笑って答えた。
「嫌だなんて。あまりにも光栄なことなので、ビックリしてしまいました」
と、本当に驚きを隠すことなく表に出していた。
「私は君の才能を手放したくないんだ。私のこれからに協力してくれ」
「はい、喜んで」
二人は、その時から最強のタッグを組むことになる。
教授は兵器開発では、アルガン国でも屈指の人材で、博士号もいくつか持っていた。物理学、化学、生理学に特に強く、兵器開発はその延長線上にあった。
「私が兵器を開発するのは、専守防衛を基本に考えているからなんだ」
「専守防衛ですか?」
「ああ、自分たちが侵略者になるのではなく、侵略してくる連中を迎え撃って殲滅するための兵器。私はこれを平和のために使ってほしいと思っているんだ」
「なるほど」
「そのためには、コストはなるべく抑えて、安価で取り扱いの難しくない兵器。それが目標だね」
「分かります」
ニコライは、教授と話をするのが好きだった。
教授の意見は自分の意見とも一致していた。特に幼少の頃より差別で一方的に苛められていたのだから、専守防衛という言葉には敏感だった。相手に攻めかかるなどという発想はニコライの頭の中にはない。あくまでも攻めてきた人をいかに殲滅するかが課題だったからだ。
だが、差別を受けている間にはその答えは出なかった。いつの間にか差別はなくなっていて、解放されたのはいいが、目標がなくなってしまったようで、気持ちとしては中途半端だった。そんな時教授に声を掛けてもらえたことは、ニコライにとっての人生の岐路だったに違いない。
ニコライは最初から教授が専守防衛を目指している人だということを知らなかった。
「自分とは縁のない兵器を開発している人」
というイメージが植え付けられているだけで、それ以上興味を沸かせることはなかったのだ。
そんな教授が自分のことを気にしてくれていたということが嬉しくて、しかも研究が自分の今までの生き方にマッチしていて、さらに中途半端に終わった自分を攻めてきた連中を殲滅するというイメージを再燃させることができると分かったことで、有頂天になっていた。
ニコライは教授にとって、実に忠実な部下だった。だが、教授はニコライのことを部下だとは思っていない。
「自分の目標を一緒に達成してくれる同志だ」
と思っていたのだ。
ニコライは教授のそんな気持ちを知ったのは、結構後になってのことだった。頭はいいのだが、人が何を考えているかなどということには疎かった。さすがに捻くれた少年時代を過ごしてきたことが頭から抜けず、普通に人のことを考えることができなくなっていたのだ。
そんなニコライを人間的に救ったのが教授だった。
――教授が私のことを同志だと思ってくれている――
差別のあった時代からはありえないことだった。
相手は自分よりも年上で、しかも教授である。自分を奴隷のようにこき使ってもいいくらいなのに、気を遣ってくれている、労いの言葉もかけてくれて、まるで雲に乗ったかのような気持ちだった。
それでも調子に乗ることはなかった。差別を受けていた時代の感情が残っていることで調子に乗るまでいかないのだ。差別を受けていた自分が今いい方に影響を及ぼしているとすれば、調子にならないことくらいであろうか。
ニコライは、教授の元、のびのびと研究を続けていた。教授もニコライの研究には黙って見ているだけで、お互いに何も言わなくても気持ちが通じ合っているかのようだった。
少しして、まず教授の開発が日の目を見ることになった。安価な兵器であるが、それは相手が攻めてきた時に相手を錯乱させる妨害目的の兵器だった。電子妨害はどこの国でも開発を進められているが、最初に敵味方の識別を完璧にできる開発を行えたのは、教授の研究が最初だった。
これは、国際的に特許となり、教授は世界的な省も受賞するに至った。
「教授、おめでとうございます。努力が実りましたね」
と、ニコライは素直に喜んだ。
「ありがとう。今度は君の番だよ」
と教授に言われ、ニコライは微笑んだ。
そしてそのニコライの研究が日の目を見たのは、それから二年後のことだった。さすがに教授の時ほどの反響はなかったが、軍事関係者の間では注目度はピカイチだった。
それは、教授ほど専守防衛に徹底した兵器ではなかった。専守防衛を行いながら、隙を見て攻勢に出るために必要なプロセスの開発だった。
「相手を目くらましにする」
という発想は、教授のそれと似ていたが、ニコライの研究はさらに敵の隙をつくという先があることで、専門家からも高い評価を受けていた。
この研究に対して、教授は少し複雑な思いを持っていた。
「おめでとう」
とは言ってくれたが、どうも教授の中でしっくりと行っていないようだった。
「隙を見て、相手を攻撃できるプロセスというのが、お気に召しませんか?」
と教授に言うと、
「そうだね。少し私には気になっているんだ」
というので、
「そんなに杓子定規に専守防衛だけしか見ていなかったら、永遠に紛争は終わりませんよ」
「分かっているんだ」
確かに専守防衛で相手を攻撃しないで終わらせることができれば、それが一番だ。しかし、相手を封じることができても、相手の戦意を喪失させることはハッキリと言ってできない。戦争を早く終わらせるためには、こちらからも相手に一撃が必要なのだ。そうでなければ、いたずらに戦闘状態を引き延ばされるだけで、消耗戦は必至であり、教授の研究に矛盾が生じるはずである。
教授クラスになると、それくらいのことは言わずとも分かっているはずだ。だからニコライは指摘しない。だが、それがいつの間にか二人の間に溝を作ってしまっていた。
――教授が意固地だからだ――
とニコライは思ったが、教授の方も、
――どうして分かってくれないんだ――
と苦々しく思っていた。
それは完全な、
「交わることのない平行線」
であり、気持ちがすれ違っていた。
立体に交差しているのに、二次元でしか見ていないので、相手が見えることはない。それは皮肉にも教授が研究を続けている、
「異次元での兵器開発」
という発想に似通っていた。
教授はその矛盾を自分でも分かっていながら、解決できない自分に違和感を抱くようになっていた。精神的に不安定になり、開発どころではなくなってしまった。そのうちに研究所は閉鎖になり、途方に暮れたニコライだったが、そんな彼の頭脳を軍部が見逃すはずもない。
「軍で開発を続けてくれないか?」
という意見に、ニコライは二つ返事でOKした。
シュルツはニコライに直接会って話をした。
「ニコライさん、あなたの考えは私にもよく分かります。その発想の素晴らしさは今まで出会った科学者の中にはいないと思っています。私も専守防衛という考えが一番だと思っています。ただそれは理想論であり、決して実現できるものではないと今は思うようになりました。でも、それでも専守防衛にこだわっているんです。だから時々その矛盾に苦しんでしまい、考えすぎて他のことがおろそかにならないか心配なくらいなんですよ。きっと今のニコライさんも同じだと思っています。でも、一つ何かのきっかけで自分の殻を破ることができると、そこから先には、前しか見えない人生が待っていると思いますよ」
とシュルツはニコライに告げた。
「シュルツ長官は、それがどういうことなのか分かっているんですか?」
「漠然としてだけど分かりかけているような気がします。でも、それは言葉にはできないというだけで、掴んでいるとは思っていますよ。そういう意味では自分でも説得力はあると思っています。ニコライさんもそこまで来ると、スーッと気が楽になってくるのが分かってきて、恍惚の気分になれると思います」
「私も恍惚の気分になれることはあります。恍惚の気分の正体が充実感ではないかということも分かっているつもりなんですけど、今はそんな気分になれないのが本心です。やはりこれは開発者が抱く永遠のテーマであり、一種の堂々巡りなんじゃないかって思っています」
というニコライに対して、
「ほう、堂々巡りですか」
シュルツはそう言って含み笑いを浮かべたが、彼がこんな表情を浮かべる時は、自分の中で分かっていて、相手を試すような素振りを見せた時に示す表情だった。
ニコライはそんなことは知らないので、シュルツの含み笑いに対して不気味さを感じていた。
「ええ、一つの開発を終えれば、どんなに小さな開発でも充実感は訪れます。充実感は達成感とは違い、達成した内容に関わらず、大きさには変わりがないんですよ。だから私はこの瞬間が大好きで、でも開発に終わりはなく、すぐ次がやってくる。考える暇もないほど忙しいというのは、本当は喜ぶべきことなんでしょうけど、私には堂々巡りを繰り返しているようにしか思えないんですよ」
というニコライに対して、
「なるほど、そういう意味での堂々巡りなんですね。やはりそれは達成感と充実感の間にあるギャップが生むものなのかも知れませんね。達成感が大きいのに、充実感はそれほどでもないと感じる時というのは、どこかにジレンマを感じているからなんでしょうね」
とシュルツは話した。
「ジレンマというのは、ギャップと違って板挟みという意味であって、同じようなものの間に存在する差分ではないということですよね。板挟みになってしまった自分の存在って、他の人からは見えるんでしょうかね」
とニコライは言ったが、少し話がずれてきているとは分かっていたが、シュルツは根気よく話についていくつもりでいた。
「ギャップというのはプロセスであって、ジレンマは結果だと私は思っています。ギャップはまわりから見えるものではないですが、ジレンマは結果として現れるものだと思うと、他人からも見えるんじゃないかって感じるんですよ。ただ、ジレンマが見えたとしても、その正体が分かるわけではないでしょうけどね」
「科学者のジレンマって何なんでしょうね?」
「狭義の意味でも、広義の意味でも存在していると思います。狭義の意味では自分の研究の中で研究結果と自分の想像とがかけ離れている時、つまりは直接ギャップから生まれたものですね。でも広義の意味で捉えれば、現在抱えている研究に結果が出た後に、次の研究までの間に陥ってしまう脱力感があるんですが、それを私はジレンマだって思っています。一種の鬱状態のようなものだと思っていますが、そんな時は誰とも会いたいとは思わないし、何をやっても煩わしいと思うようになるんですよ」
それを聞いたシュルツ長官は、
「なるほど、科学者や研究者を堅物のように感じている人がいますが、このジレンマだけを見て、科学者が堅物だと感じているのかも知れませんね」
「ええ、私もそう思います。でも、このジレンマは科学者だけにあるものではないと思っています。政治家であっても、実業家であっても、同じことではないかと思っています」
と、ニコライは言った。
「ニコライさんは、それを悩みとして感じたことはありますか? 研究者としてまわりからの目を気にされているんでしょうか?」
というシュルツに対して、
「もちろん、まわりの目が気にならないわけではないですが、研究に差し障りがあることはありません。もっとも、そんなことをいちいち気にしていては、研究なんかできませんからね」
とニコライは答えた。
「それはそうでしょうね。我々政治家も一緒です。特に上に立つものは、いちいち気にしていては何もできなくなってしまいますからね。何しろ我々が決めた法律や規則というのは、万人が満足のいくものなんてことはありえないんですよ。そんなものを作れるのであれば、いちいち閣議に掛けたりしません。しかも、万人が満足いくようなものが作れる世界というのは、皆が同じ考えということで、まるで洗脳された世界にいるようで、血が通っていないロボットの世界のようじゃありませんか」
シュルツは普段ここまで自分の気持ちを曝け出した話をすることはなかった。
一番気心が知れているのはチャールズだが、チャールズとは何事にも劣ることのない絶対的な主従の関係が伴っている。気心が知れながらも絶対的な相手に対して、本音を言えるわけなどないではないか。
「ロボットのような世界ですか……。私たち科学者は、心のどこかにロボット開発という夢を持っています。表に出すことはないですが、たぶん、ロボット開発を考えたことのない科学者はいないと思いますよ」
とニコライが答えた。
「ロボット開発こそ、ジレンマですよね。今の科学の研究で、共通して開発されている中にロボット開発は伴っていると思います。ロボットというのは、人間と同じ気持ちを持つことができるかどうかが一番の難点だと聞いたことがあります」
というシュルツに対して、
「ロボット開発こそが、実は一番のジレンマを抱えているものなんです。なぜならロボットは人間よりも頑丈で強いものですからね。しかも命令に対して銃実に守るという回路は持っていますが、人間の中にある柔軟な発想力や対応力はありませんからね」
とニコライは答えた。
そのニコライの表情が紅潮していることを看過したシュルツは、ニコライにさらなる興味を持ったようだ。
「ロボット開発にも造詣が深いんですか?」
ニコライは基本的に兵器研究に従事していたが、それ以外の研究にも興味がないわけではなかった。特にロボット関係には以前から興味を持っていた。その気持ちは子供の頃に見ていた特撮ものの影響が大きかった。ただ、その時の印象としては、
――ロボットって、怖いものなんだ――
というものだった。
子供の頃のニコライは、実は怖がりで、妖怪の話や死後の世界の話など、他の友達が話をしているのを聞いていないふりをして、聞き耳を立てていた。怖がりなくせに興味だけを持っているのはニコライだけに限ったことではないが、ニコライ本人は、
――こんな性格は僕だけなんだ――
と思い、萎縮してしまっていた。
これが、そもそも怖がりだと言えることでもあるのだろうが、そのことをニコライ少年に分かるはずもなかった。
大人になって科学者を目指すようになって、ある時急に気付くことになったのだが、怖がりな自分こそ、科学者に向いているかも知れないということを、その時一緒に感じていた。
科学者に最初になりたいと思ったのは、もっと単純な理由だった。
――他の人が目指さないものを目指したい――
という思いからで、本当は子供の頃に誰もが憧れたことで、大人になると簡単に諦めてしまうものを考えた時、最初に思い浮かんだのが、科学者だった。
「お前が科学者?」
学校で聞かれた時に、先生から言われた言葉だった。
「はい」
と胸を張って答えたニコライに、先生は失笑した。
それを見て、ニコライは自分を奮い立たせるというわけではなく、相手の浅はかな発想に軽蔑の念を込めてこちらも失笑した。
こんなやり取りはよく見る光景だが、先生側にはよくあることだが、ニコライの方の失笑は相手を見下す失笑で、他の人のように照れくささや、見下された目に対して萎縮した態度による失笑ではなかった。
ニコライはその時のことを思い出しながら、シュルツを前にしていた。
「ええ、ロボット開発は私が科学者になった時からの夢のようなものですからね」
というと、
「じゃあ、どうして兵器開発の専門家のようになったんです? ロボット開発をおおっぴらにしなかった理由は何かあるのかな?」
と聞かれて、
「ロボット工学というのは実に奥の深いものです。いろいろな研究の中からロボット開発のノウハウを取り入れるというのは大切なことだと思っています」
と答えた。
しかし、この答えは相手が素人の時の答え方で、本心から見ると、考え方はかけ離れていた。
「ロボット工学には、侵してはならない原則があると聞いたことがあります。もちろんご存じですよね?」
ロボットには三原則が存在し、その三原則こそがロボット工学の研究を難しくするのだが、逆に入口であることに変わりはない。その原則がなけれあ、ロボット工学などという発想は、そもそも存在しないものだった。
「ええ、知っていますよ。人間が考えた人間側を守るための原則ですよね。ただ、そこにはたくさんの矛盾が孕んでいて、前提として人間の役に立つものでなければロボットではないというものがあります。ただ、そのために、ロボットは人間を傷つけてはいけないという大前提がある。そして最後にロボットは誰からも守ってもらえないので、自分は自分で守るという原則が存在する。それが段階を経優先順位を明らかにしているにも関わらず、そこにはどうしても矛盾が伴ってしまう。これがロボット工学の発展を遅らせている大きな原因なんでしょうね」
と、ニコライは分かりやすく三原則のことをシュルツに告げた。
シュルツの頭の回転は全世界的に見ても群を抜いていると、彼に関わった人のほとんどが認めている、ニコライはこれだけ言うだけで、シュルツなら理解してくれると考えたのだろう。
「なるほどよく分かりました。三原則には優先順位が存在し、その順位を変えてはならない。そうすれば、人間が危機に陥ってしまうことになり、ロボット開発が世界滅亡まで考えなければいけない深刻な開発になるというわけですね」
「ええ、そうです。ただそれは兵器開発にも言えることなんですが、実は兵器開発の問題とロボット三原則とは切っても切り離せない関係にあると思うんです」
「どうしてですか?」
「兵器もロボットも、人類を滅亡させるアイテムであるということです。ロボットが三原則にしたがわなければ、その時点でロボットは一兵器として存在できるわけですからね」
とシュルツは言ったが、その時、ニコライが寂しい顔になったのを思い出した。
自分は他民族の子供として差別を受けて育ってきた。それはまるで人間の役に立つためだけに生まれてきたロボットと運命が似たりよったりなのではないかと思った。
――私がロボットの研究に躊躇っているのは、子供の頃に受けた差別や苛めの印象が、ロボットと人間という主従関係を否定的に考えているからなのかも知れない――
と感じていた。
シュルツはもちろん、ニコライのことは調べ上げたうえで話をしていた。したがって、子供の頃に受けた苛めや差別のことも知っている。他民族であるために致し方のないとも言えるが、どこまでニコライの心の中を感じることができたのかということまでは分かるはずもなかった。
ニコライも、シュルツ長官が自分のことを調べ上げているということくらいは分かっていた。分かっているので、余計なことを言わないようにしないといけないと思ったが、ニコライを目の前にすると結構ズケズケと気持ちの中に入ってくるシュルツの前では、余計な気を遣うことこそ無用なことではないかと思うようになっていた。
この二人クラスになると、気を遣うことは却って相手に失礼になる。それくらいのことは分かっているが、ニコライとしても相手が長官で国のナンバーツーであることを考えると、下手なことに書き込まれたくもないという思いが生まれてきたのを感じた。
「ロボット工学を研究していると、文明についても考えてしまいます。たとえば公害問題もそうですよね。開発が進めばどうしても産業廃棄物が生まれてしまう。政府は産業廃棄物の存在を考えていなかったわけでないが、その量は想定の限りではなかったんですよ。何といっても、その処分場所には苦慮するし、見つかっても賄えるだけの量をとっくに超えていますからね。研究とその研究で生まれる参拝物は、それぞれが打ち消すことのできるものではない。それぞれプラスとマイナスで広がっていくばかりなんです」
ニコライが産業廃棄物まで考えているとは意外だった。
だが、それも自分の研究を正当化させたいという思いから、似たような発想を転換させただけなのかも知れない。そう思うと、ニコライにとって国家をどのように考えているかがシュルツの頭の中に漠然としてではあるが、生まれてきた。
それもニコライがシュルツが分かってくるだろうということを見越して考えていることだから、ニコライは実に先見の明のある人だと言えるだろう。しかし、それもシュルツと同じであって、二人が話している時は、自分のことよりも相手を見ている時が圧倒的に多いということだろう。
最近のニコライが研究しているのは、核兵器だった。
核兵器と言っても、一つの街や地域を破壊尽くすような巨大な爆弾ではない。
「核兵器は文明への挑戦だ」
と思っているニコライに、地域全体を破壊尽くすような兵器を開発するだけの気持ちはない。あるのは、
「専守防衛をいかに達成できるか?」
という考えであり、その考えから、核兵器の開発へと行き着いたのだ。
この考えが皮肉ではないことをニコライは分かっている。分かっているが彼の中にあるネガティブ志向な発想が、彼をジレンマに陥れ、鬱状態へと変革させている。
「ただ今ある兵器だけでは専守防衛を行ったとしても、戦争を終わらせることはできない。防衛に徹しているだけでは戦争を終わらせることができないことを、もっと君には知っておいてもらいたい」
というのがシュルツ長官の意見だった。
そんなことはニコライにも分かっている。しかも、ニコライがそれを分かっているということをシュルツにも分かっている。分かっていて敢えて指摘したのだ。
ニコライのようなネガティブ志向な男は、触れてはいけないことを避けるのではなく、敢えて触れてみることも重要だ。言い方にもよるし、言う人にもよるのだろうが、その適任者がシュルツだったのだ。
シュルツの言うことはニコライはほとんど理解できているし、意見も同意見がほとんどだ。
――腹を割って心から話ができる相手――
それがシュルツだったのだ。
もし他の人の指摘なら、
――分かりきっていることを言うんじゃない――
と心の中で叫んで、自分の殻に閉じこもってしまいがちなところがあるのがニコライだった。子供の頃の記憶がそうさせるのだが、どうしても差別的な境遇は、彼を狭い殻に閉じ込めておく性質があるようだ。
そんな時、ニコライの尊敬している教授が、ニコライとの話の中で、核兵器の話をしてくれた。それまで核兵器というと、
「世界を滅ぼしかねない悪魔の兵器」
としてしか見ていなかった。
確かにその通りなのだが、
「世間では、核兵器を持っているだけで平和が保たれると思っているようだけど、それはあくまでも一触即発の裏返しでしかない薄っぺらい平和なんだよ。だから、核兵器を持つことが平和だと思うのではなく、核をどのように利用するかということが大切なんじゃないだろうか?」
という教授に、
「そんなことができるんですか?」
「理論上は可能だと私は思っている。君は確か専守防衛だけがこの平和への近道だと思っているようだけど、それは違う。専守防衛だけでは戦争を終わらせることはできない。戦争を終わらせるためにはどうすればいいか、考えてみてごらん」
と教授から言われて、少し考えていたが、
「戦争を終わらせるためには、相手の戦意を喪失させるのが一番ではないでしょうか?」
と答えると、
「そう、その通りなんだよ。いろいろな方法があるだろう。先制攻撃を加え、相手の出鼻をくじくという方法、または諜報活動で、相手国に戦争の厭ムードを作る方法、専守防衛の中で、一度でいいから相手の中核を破壊するほどのダメージを与えることができるかなど、いろいろある。特に最後の相手へのダメージは、何も戦闘による攻撃の必要はないんだよ。たとえばサイバー攻撃などで、相手が何もできないようにするというのも一つの作戦だよね。でも、今の世界はサイバー攻撃には敏感になっていて、ちょっとやそっとのサイバーでは、相手に何もできないようにできるわけではない。しかし、核の力を使えば、相手をコントロールすることができるのではないかと私は考えている。実際にシュミレーションもしてみたんだけどね。どうだい? 君も私の研究に協力してくれないか?」
と言ってきた。
「私が軍を離れるわけにはいきません」
というと、
「それは大丈夫だ。シュルツ長官に私が口をきいておいたから、多分そのうちに、君に打診があると思うよ」
とシュルツの名前がここで出てきた。
――この間、シュルツ長官と話をした中で、気まずいムードになってしまったことが気になっていたけど、これで関係も修復できるかも知れない――
とニコライは、シュルツとの仲が回復することの方が嬉しかった。
しかも、シュルツ長官の庇護の下に研究ができるのであれば、研究も鬼に金棒というものだ。
教授は、亡命してきた相手ではあるが、シュルツとチャールズを尊敬していた。シュルツはもちろんのこと、チャールズもしっかりと情勢を見極める目を持っている青年であることを理解していた。
もっとも、それもそばにシュルツがいればこそのことなのだろうが、いくら側近に優秀な人間がいたとしても、本人が人間的に優秀でなければ、すぐにまわりから大したことのない人間だと看過されてしまう。チャールズは一人だったとしても、十分人間としての魅力に溢れている。
――さぞやアクアフリーズ王国というのは、いい国だったんだろうな――
と感じた。
実際に教授はアクアフリーズ国の大学教授数人とも交流があった。
「王国での研究というのは制限があったりして、なかなか難しいのではあいかい?」
と聞くと、
「そんなことはないですよ。国家元首が国王というだけで、わりかし自由に研究もできるし、発言も自由にできたりします。まわりから見るのと実際に中にいるのとではかなりの違いがあるということですね」
と答えてくれた。
教授は、実際にアクアフリーズ国に足を踏み入れたことはなかったので半信半疑だったが、チャールズやシュルツを見ていて、
――あの時の話は本当だったんだ――
とあらためて感じさせられた。
教授はアルガン国でも屈指の研究者で、世界的にも有名な賞も受賞していて、国を代表する科学者の一人だった。
ニコライは、まさかと思った異動だったが、本当に辞令が出されて、軍に雇われることになった。もちろん教授の下での兵器開発になるのだが、今までの自分の研究が本当に正しかったのかどうかがこれで分からなくなることが一番気になっていた。
軍の研究室は思ったよりもこじんまりとしていた。
「軍の研究なんて民間に比べれば、まだまだ知名度があるわけではないからね。軍内部で研究ができるだけ、この国は恵まれていると言ってもいいかも知れない」
と教授は言っていた。
「私がここに招かれたのは、やはり核兵器の開発目的でしょうか?」
いきなりニコライは核心をついたが、教授は驚くこともなく、
「ええ、その通りです。核というのは無限のエネルギーを有しているのと同じで、無限の可能性も秘めていると思っています。平和利用に対しても無限に存在し、兵器としても無限に存在する。本来は平和利用したいところなんですが、今の世の中、そうもいかない。だったら、厄介な戦争は早く終わらせて、終わらせられればそこから平和利用に切り替えるんです。とにかく戦争の火種を断つことが一番なのだと思っています」
「分かりました。ですが私も専守防衛の考えは捨てるつもりはありません。そこだけはお間違えのないようにしていただきたいです」
とニコライは釘を刺した。
「もちろん分かっていますよ、私はそんなあなただから、この研究室にお招きしたのです。軍で開発をしているからと言って、皆が皆戦争が好きだというわけではない。皆の共通の目的は戦争を早く終わらせることと、最終的な平和利用が目的なんです。とにかく戦争が蔓延っている世の中というのは、平和な世の中から見れば、狂気の沙汰なんでしょうからね」
と、教授は話した。
「分かっていただければ恐縮です。私も皆さんを同志だと思って、これからは研究に勤しみたいと思います」
「ありがとう。ここに最初に来る人は皆、軍での兵器開発というものに対して偏見の目がある。だから、今のあなたが何を考えているのか分かっているつもりです。でも、研究を重ねるうちに次第に研究に没頭するようになって、人の心も分かるようになるんですよ。どうしてだか分かりますか?」
「いいえ」
「それは、皆がそれだけ集中しているということなんです。究極にまで集中力を高めると、その人は急に何かを考え始めるんですよ。考えることは皆同じ、そこに至ることができた人だけができる会話があって、その会話で初めてそのことが明らかになる。だから、そこまでに至っていない人には何を言っても分かってもらえないんですよ。私もその域に達することができて初めてそのことを知りました」
「教授は、それを幸せなことだと思っていますか?」
「もちろん思っています。自分の研究が認められた時と同じくらいに感無量の感覚になれます。研究者にとっての志向の喜びというのは、自分の研究が認められた時でしょう? それと同じ感覚を得ることができるんですよ。これ以上の興奮はありません。ですが、興奮しているのは自分の内に秘めた気持ちだけで、表から見ていてその気配はまったくないそうなんです。だから、この気持ちは本人にしか分からないということですね」
「なるほど、お話は分かりました。私もその域に達するよう、努力したいと思います」
「私の話に興味を持ってくれたということだね?」
「ええ、教授ほどの人が言うことなので、私も共鳴いたします」
「私があなたから『ほどの人』と評されるようになったのも、この感無量の気持ちを味わうことができるようになったからなんです。人は集中力を極めると、必ずそれまで誰にも見えなかったものが何か一つ見えてくるものなんです。その時に、見えたものを信じれる人間になっているかどうかというのが問題なんです。せっかく見えたものを信用できなければ、見えなかったのと同じですからね」
「ハードルは一つではなく、二つあるとおっしゃるんですね?」
「そういうことです。ただこれは研究や集中力ということに限ったことではありません。超えるハードルが一つしか見えない人には越えられない壁というのは、無数に存在していると思っています。それが目的を達成できる人とできない人の分かれ目なんじゃないかって私は感じています」
教授の話はいちいち納得のいくものだった。
だが、この話は今教授を目の前にしているから納得するのであって、一人になって思い返した時、本当にまた納得できるかというと、疑問に感じた。それだけ教授から得られたオーラには眩しいものがあり、
――オーラのせいで、納得していないことまで納得できた気になっているだけなのかも知れない――
と感じていた。
だが、教授と離れて一人になって思い返してみても、気持ちは変わらなかった。
――どうして、納得できないように思ったんだろう?
と感じたが、それは話の内容が今まで想像もしたことのないような話で、初めて聞いた自分がまるで赤ん坊のような初々しい頭で聞いてしまったことが影響しているのではないかと思った。
――我に返るというが、本当に一人になると我に返るんだろうか?
教授と一緒にいる時と、一人になって考える時の頭の中のギャップは、自分で思っていたよりも大きなものだった。
核兵器の話も、今までのニコライだったら、容認できる話ではないので、話をされても説教されているように思い、意固地になってしまったことだろう。しかし、教授との話では意固地になるというよりも、自分の考えとは別の考えがあることに気付かされた。それは自分でも容認できるかもしれないという考えで、今までの自分の中で、一つの案件の中では、複数の容認できる考えがあるなど、ありえないことだったからだ。
核兵器の開発は、すでに行われていて、ニコライは途中からの参加になるようだった。
「君にとっては、容認できないことかも知れないけど、一緒に開発に勤しんでくれないか?」
と言われたが、
「私独自の考えで進めてみたいと思うんですが」
と教授に言うと、教授は少し考えて、
「よろしい。まずはどんなに小さなものでもいいから、自分で納得がいく結論を示して、我々に説明してもらいたい。それが最初に君に課す課題だと思ってもらいたい」
「課題ですか?」
「ええ、ここでは皆協力して研究をしているように見えるだろうが、実はそれぞれに分業して研究しているんだ。それは人の尊厳を崩さないという意味でも重要なことで、研究の過程において、協力だったり人の意見を取り入れるというよりも、自分の納得のいく答えを探し出すというのが完成への近道なんだ。だから君を選んだ。君にはその素質が十分にあると思ったからね。共同で開発しながらアウトローのような素振りを示している人の中には研究者としての資質に溢れている人が多いということさ。もちろん、君もそのうちの一人なんだけどね」
と教授は言ってくれた。
「そう言っていただけて光栄です。私もそんなことを言ってくれる上司の下で研究をしてみたいと常々思っていたので、本当に嬉しく思います」
と、ニコライは感無量だった。
教授とニコライは、他の研究員とは個別に研究を進めるようになった。元々、この国の軍隊における研究所の在り方は、半官半民が基本だった。半分は志願兵の中から徴収するやり方と、民間からスカウトしてくるやり方だった。そのため、内部での派閥や確執は以前から存在していて、最初から軍にいる人と、民間からスカウトされた人たちが一緒に開発に従事するということは慣例としてはなかった。
だが、教授は元々からの軍部の人間である。今までの慣例からすれば民間からのスカウトであるニコライと教授が組むのは慣例違反となる。
もちろん、だからといって何かの懲罰があるわけではない。ただまわりの目が厳しくなるだけで、一般の研究員だけではなく、上層部からの賛否が分かれていた。
この国の軍隊には、軍隊の中に大学が存在している。もちろん有事には隊内での大学は一時閉鎖され、臨戦態勢になるのだが、それ以外の時は大学として運営されている。軍の中で出世したい人は叩き上げからだけではなく、勉強して大学に入学し、卒業することができれば、官僚と同じ扱いで、キャリアである。教授は頭脳明晰だったが、家庭が貧しかったので、大学はおろか、高校もまともに卒業していなかった。軍への入隊は、民間よりも軍に入隊した方が、出世できると判断したからだった。教授が入隊してすぐ大学制度ができたが、持ち前の頭の良さから教授はトップで合格し、在学中もずっとトップ、当然のごとく卒業時も主席だった。
「このまま隊に戻って官僚になってもいいし、大学に残って研究をしてもどちらでも構わないよ」
と大学側から言われ、元々研究するために入った大学なので、
「研究したいので、大学に残ります」
と二つ返事で了承した。
研究員として頭角を現した教授が、若くして教授に昇進し、軍の中の研究室で、日夜兵器の開発を進めている。
教授のモットーとして、
「いかに自軍の被害を最小限に抑えることができるか」
という言葉を掲げ、何とか相手の戦意を喪失させるような兵器の開発に明け暮れていたのだ。
核兵器の開発は、先の世界大戦末期で一応の完成を見た。
一つの街が廃墟になり、そのおかげで戦争はそれからすぐに終結した。史実だけを並べれば、
「核兵器を使用したことで、戦争をやめることができた」
つまりは、
「相手の戦意を喪失させた」
ということで、核兵器こそが戦争を抑止するものだとして考えられるようになった。
「核保有神話」
と呼ばれるものだった。
だが実際には一国が核兵器を持っていることで、一国絶対主義だったのだが、他の国でも開発に成功すると、世界の軍事バランスが崩れてくる。
――一触即発――
という危機が背中わせに、
――世界の滅亡――
を意味することとなり、これほど深刻な問題に発展しようなど、核開発を目指していた科学者やそれを使用した政治家には分かってなかったことだろう。
平和が核兵器の下で作られているのだとすれば、それはあまりにも薄氷である。一か所g踏み間違えると、いたるところにヒビが入り、あっという間に氷は水の底に消えていく。それこそ世界人類の滅亡を意味するものだった。
だが、それは軍拡の中で、
「核兵器は相手の国を滅亡させる最終兵器」
として重宝され、持っているだけで平和が守れるという謂れのない神話を生み出す結果となった。
しかし、その核兵器を別の意味で使い、最小限の効果で、相手にいかに戦意を喪失させるかという課題も無理ではないと、教授は早い段階から気付いていた。
だが、核兵器というのが強大な兵器であるという固定観念から、誰も教授の意見に耳を傾ける人はいなかった。
教授の方も、
「自分で説を立てたのはいいが、説得できるだけの材料と結果がない。これでは誰も核兵器の本当の使用法に気付かないまま、世界は滅亡に向かっているように思えて仕方がない」
と、独り言をいうこともあった。
そんな教授の説に耳を傾けるようになったのは、核兵器が本当に世界滅亡を意味していることに国民が気付き始めた時だ。
一触即発の危機だったのだが、その危機を何とか乗り越えたのだが、国民の核兵器への味方がまったく変わってしまった。
「持っているだけで平和が保てるなんて時代は終わったんだ。これからは持っていれば破滅と背中合わせだということを身に染みていかないといけない」
と言われ始めたのだ。
それまで平和利用と並行で核兵器の開発も行われてきたが、平和利用すら反対するようになってきた。
「国民がここまで敏感になるなんて」
核兵器の危機を以前から唱えていた教授だったが、まさかここまで国民が核兵器を毛嫌いすることになるなど思ってもいなかった。
「確かに核兵器は恐ろしいものだが、核エネルギーは正しくさえ使用すれば、これほど強力な資源はないんだ。核エネルギーに対して、国民はあまりにも勉強していない」
嘆いても仕方がない。
研究所では最初から核兵器開発は行っていなかったのだが、教授は途中から、
「核エネルギーを効果的に使用すれば、最小限の被害で、最大の効果を生み出すことができる。それが相手の繊維の喪失なんだ」
と思うようになっていた。
核兵器の開発を行わなくなったからと言って、戦争がなくなったわけではない。むしろ相手が核兵器を使わないと思うようになった分、相手を攻撃しやすくなった。
それは交戦する方も同じこと、相手に先に攻撃される前に攻撃する、
「先制攻撃」
の作戦が考えられるようになった。
そのため、迎撃用のシステムが必要になった。
「こちらから攻撃するより、相手に攻撃させて首尾よく撃退できれば、相手の出鼻をくじくことができ、緒戦で優位に立つことができる」
これこそ専守防衛の考え方で、
「相手に攻撃されている間に攻撃する方が効率がいいということを、相手に悟られずに進めることができれば、戦争は勝ったも同然だ」
と言えるものだった。
いわゆる
「攻撃は最大の防御」
と言われるが、その言葉に裏があるとすれば、まさにこの専守防衛の考え方ではないだろうか。
シュルツが考えていた専守防衛は、ただ守りに徹するだけで、好機をじっと待っている作戦だったが、さらに一歩進めた考えを示したのが教授だった。
教授も一人では具体的な案は浮かばなかったに違いない。あくまでも理想論として、自分の研究のテーマに掲げ、
「これを達成できれば、私は一区切りつける」
と考えていた。
しかし、その一区切りもこんなにすぐにやってくるとは思ってもいなかったのだが、考えてみれば、好発想などちょっとした思い付きから生まれることも少なくない。ただ、思い付きにも何かのきっかけがなければいけない。教授にとってそれは、
「ニコライとの出会い」
だったのだ。
ニコライには特別の考えがあった。
民間で兵器研究に勤しんでいたのだが、いつも人とは違った発想をしていて、まわりからはバカにされていた。
「お前の発想はどこかズレてるんだよな」
と言われていたが、そのどこかが何なのか、誰も何も言わない。
要するに誰も分かっていないということだ。
漠然と違和感だけを感じ、人と違った発想だということだけで、
「ズレている」
と言わしめる。
全体意識の悪いところの典型なのだろうが、ニコライは気にすることはなかった。今までの差別に比べれば、何でもないことだったからだ。
だが、自分では何も感じていないつもりになっていたが、実際には精神的に蝕まれていた。どこかで発散させなければいけない負のエネルギーが精神的に溜まっていたのだ。
そのことをニコライは自分で気付いた。普通であれば気付くことなど稀なのだろうが、それだけニコライは天才だったということだろう。
戦争や兵器の研究に勤しんでいると、時々我に返ることがある。その時、自分を見つめなおすのだが、その時に気付いたのだ。
もっとも我に返るということまでは気付いているが、自分を見つめなおしていることまで自覚していない。だからこそ、ニコライには気付けたのだ。
さすがにニコライは科学者である。
自分の精神状態から、兵器開発のヒントを得ることに成功した。
「そうだ、これだ。負のエネルギーをいかに利用できるかということが重要なんだ」
と考えた時、次の課題は、
「いかにして、その負のエネルギーを作り出すか?」
ということだった。
負のエネルギーというのは仮説であり、ニコライが考えているだけのもので、実際に形になっているものではない。しかもニコライの思っている負のエネルギーというのは、莫大な力を必要とする。そんなエネルギーというと、核エネルギーしかないではないか。
核エネルギーを思いついた時、すでに国民の間では核エネルギーに対しての疑問が沸騰し、すべての核エネルギーを悪だと決めつけ、非核運動が過熱していった時代だった。そんな時代にも関わらず、いまさら核エネルギーを使用する兵器開発など、国家が許可するはずもない。ニコライはジレンマに陥ってしまった。
そんな時、声を掛けてくれたのが教授だった。
教授も専守防衛に行き詰まりを感じていて、いかにして、相手に悟られず、戦意喪失させて、こちらが有利になるように戦争を終わらせることができるかという研究を進めていた。
教授はニコライにそれとなく相談してみたが、最初ニコライは教授も自分と同じことを考えているとは思っていなかったので、適当に返事はお茶を濁していた。
ニコライには、
――自分と同じ発想をする人が、この世にいるはずはない――
と考えていた。
元々ニコライの発想の多くは、夢を見て、その中にヒントを見つけることから始まったからであって、自分の発想は同じように夢から得られるものでなければ成立しないと思い込んでいたからだ。
実際に、今まで自分と同じ発想の人がいたことはなかった。
「お前はズレている」
と言われるくらいなので、それも当然だろう。
しかし、そう言われることを最初は嫌だったが、そのうちに、
――これが私の私たるゆえんだ――
と、まるで存在意義を見つけたかのような密かな喜びすら感じるようになっていた。
研究は密かに行われた。
核兵器の開発を行っているなどと世間に知られると、下手をすれば軍の機密の漏えいを疑われ、研究どころか軍を追われることになる。もっというと、軍の存続にかかわってくる問題だった。
教授には秘密で開発が行えるシェルターが存在した。これは国家の最高機密に値するものだったが、それだけ教授は国家から信頼されていたのだ。
今回の核開発に当たり、教授は誰に相談するか、かなり迷った。軍首脳には話はできない。だからと言って、このまま誰にも言わずに開発を続けることは困難だった。
誰かに話を通しておけば、何かあった時力になってくれる人を捕まえておかなければ、自分たちの身が危ないからだった。
「相談するなら、一人しかいませんよね」
とニコライとの意見も一致した相手というのがシュルツだった。
二人の判断は間違っていなかった。シュルツに相談を持ちかけると、
「そうか、私も実は君たちと同じ発想を抱いていたんだ。信じてもらえないかも知れないが、ある日、夢の中でこの発想を唱える人がいたんだ。夢から覚めてから、それが誰だったのかは覚えていないのだが、内容はハッキリと覚えている。核兵器とはいえ、小規模なものであって、放射性物質を放たなければ、それはもはや核兵器ではない。そんな兵器を開発できれば、本当の意味での恒久平和が保たれるとね」
ニコライは耳を疑った。
――私と同じように夢の中で発想できる人がいたんだ――
そう思うと、急にシュルツを身近に感じることができ、国家首脳でありながら、まるで親戚のような身近さが感じられた。
シュルツは自国の軍で開発された兵器は、国家の最重要機密事項としていた。国外に武器弾薬を輸出したり、ライセンス契約を結んだりしているのはあくまでも民間企業によるものだった。
だが、今回開発された小型の核兵器は、単体での実験にまではこぎつけたが、実践で実験するわけにもいかず、考え抜いたうえで、民間からの輸出として実践で使用してもらうようにした。
もちろん、効力は本当の兵器の十分の一程度のもので、相手の戦意をくじくなど程遠いものだった。相手にジャブ的な一撃を加える程度のもので、どちらかというと兵器というよりも武器というくらいであった。したがって一発では効力がないので、複数発を使用することで破壊力が増すというものだった。
ただ、核兵器であるのは間違いない。実際の効力に値する破壊力を抑えただけで、使用する核エネルギーに関しては変わりはなかった。
これはライセンス契約ではなく、兵器の輸出のみしか行っていなかった。輸出先にはこれが核兵器であるということは隠している、知らなければ普通に使っている分に、核兵器であるということを看過される恐れはなかった。
ただ、放射能は若干だが放出されていた。人間に害のないもので、核の力として利用しているのはあくまでも起爆剤としてだけであった。実際の兵器としての力と核兵器の効力とが均衡した時、最大の効力を発揮する。それが相手の戦意を喪失させるもので、その力は破壊力というよりも、相手の度肝を抜く兵器だということをニコライと教授はシュルツに説明していた。
シュルツは単体の実験には見学に訪れていた。シュルツが一兵器の、しかも単体実験に顔を出すなど異例なことで、他の研究員はビックリしていた。しかも、その実験には同じ研究所の人もシャットアウトされていて、実験が行われたことすら箝口令が敷かれていた。
「これは素晴らしい」
実験を見たシュルツの第一声だった。
「ご満足いただけたのなら光栄です」
と教授は言った。
「こんなことができるんですね。まるでマジックを見ているようだ」
とシュルツがいうと、
「いいえ、これはマジックなどではありません。いくら信じられないような現象を見たとしても、これは兵器であることには違いないんです。殺傷能力もありますので、そのあたりはお間違いないようにしていただきたく思います」
と今度はニコライが答えた。
「そうだな。兵器なんだよな。でも、これで相手の戦意を喪失させることに一役買うことができるんじゃないかって思うよ」
「そうなってもらえば嬉しいです。我々も兵器開発をしていると、民間でも同じことを思うのかも知れませんが、兵器の開発というのは、堂々巡りであって、いたちごっこの様相を呈していると思うんです。終わりのないものとしてですね。でも、本当に終わりが来るとすれば、それは核戦争であり、世界の滅亡を意味するのだとすれば、私は少しでも相手の戦意を喪失できる兵器の開発が、人類滅亡を迎える前に恒久平和を迎えることができるんじゃないかという期待を持つことができるような気がするんですよ」
と教授はしみじみと答えた。
この研究で、ニコライは途中でハイテンションになっていたようだ。研究をしていると、集中力を高めすぎてどうしてもハイな状態になりがちなのだが、ニコライは比較的冷静な方だった。
そんなニコライがハイになるのだから、この研究にはそれなりの魅力と魔力が共存している。さすが教授は年齢的なもので落ち着いているのか、ニコライを窘めながら研究に熱中していた。
単体での実験は、あまり広い空間を使うわけにはいかなかった。何しろ他の人に何も悟らせないようにしなければいけない状態だったので、狭い空間を必要とし、それだけ実験も小規模になる。
「小規模ではありますが、効果の面でいけば十分に発揮できると思います」
とニコライが答えた。
ニコライは、尊敬しているシュルツ長官を目の前にして緊張もしていた。ハイテンションに緊張が加わって、少しおかしなテンションになっているニコライだったが、やっと単体の実験にまでこぎつけることができたことに喜びを感じていた。
実験は大成功を収めた。何と言ってもシュルツ長官に、
「これは素晴らしい」
と言わしめたのだ。
「こんなことが実際に起こるなんてビックリですね。かつて聞いたことがあった中性子爆弾の話を思い出しました」
とシュルツは続けた。
「中性子爆弾の研究も、水面下では進めています。でも、理論上はできなくもないんですが、コストの面で実用化が難しいのではないかと思っています。ひょっとすると考え方が間違っていて、もう少しコストを抑えられるのかも知れないと思い、そちらの研究を水面下で行っています。でも、予算の関係もあって、少人数でしかできません。そのため、研究が暗礁に乗り上げているのも事実なんです」
ニコライがシュルツに話した。
それを聞いていて、教授は何も言わない。本当は軍の機密として、いくら長官とはいえ話してはいけないことのようにも感じられたが、教授が何も言わないということは、教授自身もこの考え方に賛成で、むしろこの考えは教授のものなのかも知れない。それを敢えてニコライが口にするというのは、目に見えない上下関係が二人の間に存在していると思うのはおかしなことであろうか。
「これはまだ初期段階の実験なんですよね?」
とシュルツがいうと、
「ええ、まだ表に出すことができない状態なので、秘密裏に進める関係で、破壊力を最小限に抑えています。実際に使用する時は、この十倍ほどの破壊力を伴いますが、本当の効果は今ごらんになった状況と変わりはありません」
ニコライは答えた。
「じゃあ、破壊力というのは、効力の範囲だと思っていいのかな? この十倍の範囲でこの効果があると」
「ええ、その通りです。いったん打ち込まれると、目に見えない放射能の輪ができて、そこにすっぽり包まれた範囲内で、この効果が現れます」
「放射能? 放射能が出るんですか?」
「ええ、もちろん核のエネルギーを起爆剤にしていますので、それは仕方のないことです。しかし、あくまでも起爆剤。核エネルギーを確認できるのは、放ってから十分ほどです」
「なんと。十分もすれば核の痕跡が消えてしまうということですか? もしそれが事実だとすれば、本当にすごいことだ」
「それを今から証明しようというわけです。こちらをご覧ください。これは破壊された周辺の核反応を表す計器になります」
そう言って、ニコライは景気をシュルツに見せた。
計器はシンプルなもので、核エネルギーの力を示すものと、周辺の危険度を表す警告機の二つであった。
「そろそろ十分が経過しようとしています。さっきまではここの針がマックスまで触れていましたが、ここに引いてある線を下回れば、核としての効力はなくなり、他の機械で計測した場合、核反応を認めないほどの微弱な反応になります」
そう言ってニコライの示した計器の中心くらいに線が引いてあって、どうやらそこが警告レベルの境目のようだった。
なるほど、十分もすれば、マックスまで振り切れていた計器が次第に低い数値を示すようになり、中心の警告レベルを下回った。
「これが今日最大のテーマである核エネルギーの消滅になります。そしてもう一つの重要天ですが、戦意を喪失させる効果も見ていただきましょう」
そう言って、二人はシュルツを実験現場へと招いた。
危険と書かれたランプは消えていた。
――確か、最初は点灯していたよな――
とシュルツは思った。点灯していることを最初に確認したのは、自分が危険というワードに敏感だったからだろう。
「迂闊に入っても大丈夫なのか?」
と、先を進む二人に声を掛けた。
大丈夫なのは最初から分かっているつもりだったが、念のために聞いたのだ。
「大丈夫です。計器が安全を示しています」
いたって落ち着いている二人を見て、もはや疑う必要はない、シュルツは二人にしたがった。
内部は空気が違っていた。密閉された空間なので、少しは違うだろうとシュルツも感じていたが、破壊による焼け焦げたような臭いではなく、薬品のような臭いだった。
「こちらをご覧ください。これがこの兵器の本当の効果になります」
と言われて、破壊されたはずの部分を見て、
「うーん」
と頷いていた。
それは感動によるものというよりも、何かを考え込んでいるというもので、これは最初の感動を踏まえたうえで見た結果になるのではないだろうか。シュルツは実際実験に際して、効果に対しての報告書に目を通していた。その通りの結果が目の前に出ているので第閃光なのは分かっているが、それを分かったうえで考え込んでいるというのは、
「何をそんなに考えることがあるのか?」
と、教授とニコライ二人同時に感じさせるものだった。
そこには政府の首脳としての立場と、研究員としての立場の違いが現れているということを三人とも分かっていた。
「核兵器と言っているけど、この効果は核によるものなんですか?」
とシュルツはニコライに聞いた。
「核だけによるものではありません。この効果に対しても核は導入部でしかないんです。ただこれがこの兵器の最大の秘密であり、看過されてはいけないところなんです。あくまでも核は起爆剤として使われるだけだと相手に思わせることが大切で、そのために、最初の十分は核エネルギーを放出する必要があるんです」
「ということは、十分よりも少ない時間で、核エネルギーを消すことができると?」
「ええ、可能です。十分間持たせるという方が、はるかに難しかったくらいですからね」
「こんな兵器が開発されるなんて、本当にびっくりですよね。他の国ではありえないことなんでしょうね」
「いいえ、核を同じように最小限の効力で最大の効果を上げるために使おうという理論は存在しています。ただ、そのやり方に各国バラバラで、こればかりは技術協力を仰ぐわけにもいきませんからね」
国際的には、核というのは、
「作らず、保管せず、持ち込まない」
という三変速が存在している。
ここ十数年の間で、これが国際法として確立されてからは、ほとんどの国が条約を結び、批准していた。
ただ、実際に保有している国は軍縮の観点から減らしてはいくが、実際に製造された核兵器を破棄することは困難を極める。核廃棄物の問題を含めて、核兵器をこの世からなくすことは、実際上不可能なことだった。
保有国は使わないのはもちろんのこと、保管には細心の注意を計り、隣国に迷惑をかけないようにしなければいけない。現在の国際社会は核兵器を持っているだけで犯罪者扱いされるのだった。
ただ、それはあくまでも核兵器を爆弾として使用する場合である。
核爆弾は、一つの地域を廃墟にして、人ひとり生き残さないほどの破壊力を有しているだけではなく、その放射能の影響は、周辺に拡散し、広大な範囲で生物の生息を不可能にする。核戦争が人類滅亡を意味するというのは、そういうことであったのだ。
たった一発で一つの小さな国を破壊するくらいの破壊力を有しているのに、世界の保有する核兵器は、数千と言われている。すべてを使用すれば、地球がいくつあれば足りるのか、想像を絶することだろう。
核戦争の脅威は、最大だったのはすでに五十年くらい前のことだった。あれからかなりの時間が経っていて、世界の情勢もかなり変わって行った。一触即発の政治体制も崩壊し、微妙なところでの探り合いの時代に入っていた。
「今なら、うちの国も台頭できる」
として、急に核開発を進める国もあった。
さすがに国際社会の非難を浴び、国際的に孤立し、経済制裁のために国民は困窮している事実もある。
「あいつら強大国は持っているのに、どうして我々発展途上の国が国防のために持ってはいけないのか?」
という言い分だったが、
「それは時代にそぐわないもので、時間を逆行しているにすぎない。悪いことは言わないので、矛を収めてほしい」
というWPCの言い分を、発展途上の国は、
「強大国の陰謀だ」
として跳ね除けた。
現代でも核にまつわる紛争は絶えない。各国で、
「持ってしまった爆弾をどのように保持していくか?」
という大きな課題に直面しているのと並行して進められる発展途上国の核開発。そこにどんなゴールがあるというのか、シュルツは疑問だった。
だが、そんな彼がいくら効果は最小限とはいえ核に手を染めるのか? それはやはり最後には恒久平和を目指しているからではないだろうか。
核と平和という問題に対しては、いろいろな学者が世界的に研究を重ねている。その中で、
「核を持つことが平和につながる」
という考えをいまだに持っている人は本当に少ない。
そのうちのほとんどは旧態依然とした、
「核の中での平和」
という理想を掲げていて、理路整然とした説明は困難で、学者によっては、宗教かかったことを書く人もいた。
「核というものが社会現象であるなら、それは神がもたらした人類への挑戦」
として、核戦争を本当に回避することができれば恒久平和が訪れるというもので、そこに核の保有は関係ないという考え方だ。
だが、少数ではあるが、核というものを放射能と切り離して研究を続ければ、平和利用のように戦争を終わらせる力になると考えている人もいた。それは抑止力という目に見えないものではなく、あくまでも核を使うことで得られる結果であった。その少数派の中にニコライや教授がいるのだ。
彼らは国際的に交流もしていた。研究結果を相手に教えるような愚は侵さないが、お互いに尊厳しあって、それぞれの研究を叱咤激励するくらいの気持ちでいた。
ニコライと教授が核の新しい利用法を開発したということは、交流のある人たちには言葉では伝えていないが、どうやら以心伝心で分かっているようだ。
「私たちも後に続かないとな」
と言ってメールの返信をしてくるくらいだからである。
彼らには、いくら最小限の力で最大の効果を上げる核開発に成功したとしても、すぐに戦争が終わるとは思っていない。戦意を喪失させると言っても、そう簡単に終わらせるわけにはいかないのが軍部の考えだ。
「戦争は始めるよりも、終わらせる方が難しい」
と言われるが、それは終わり方をいかに自分の方に有利に終わらせるかということが重要である。
ひとたび戦争を始めるということは、国家予算の投入や、国民を総動員したりして、戦時体制に持っていくということである。国家を挙げての大事業に、何ら利益もなく戦争を終わらせるということは、始めたことにさかのぼっての国家の罪となるのである。
ただ、戦争を終わらせるということは、被害を最小限に食い止めるということでもあり、国家の方針ともあながちすれ違っているわけでもない。それ以上に戦争遂行者と政府との間に隔たりがあるとなかなかまとまらず、ズルズルと戦争が悪化していくかも知れない状況で、暗中模索していても仕方のないことだろう。
今回の実験は、実際に戦争状態の続いている国で、しかも科学者や政治家の中にニコライと同じ考えを持っている国に任せることにしたのは当然のことだった。
考え方としては同志の国であり、もし国内に同じような開発を行う機関があって開発のテストをお願いしてくれば、二つ返事で了解したことだろう。
だが、今回は兵器の輸入であった。
しかも、実践を最終テストとして考えているのだから、未完成のものを輸入したことになる。失敗すれば国家的に問題になるのは必至で、よく引き受けてくれたものだった。ただそこには上層部での目に見えない根回しや忖度があったことに違いはない。そういう意味でも、これが核兵器であるということは、相手の政府にも秘密にしておかなければならず、本当に一部の人間だけしか知らない機密事項であった。
実際に使用された兵器の効果は、戦闘機に載せられたビデオカメラによって撮影され、閣議の会議場にリアルタイムで写し出された。
「おお」
という感嘆の声が聞こえる中、映像には相手戦闘機が爆発することもなく、急に減速し、エンジンも停止し、飛行不可能となって墜落していく姿が見えた。
搭乗員はそれぞれパラシュートで脱出を試みる。自分の機が爆発したわけではないので、脱出にもさほど苦労はしなかった。
「搭乗員は全員無事のようです。さっそく捕縛に参ります」
と、無電が入った。
その無電は戦闘を指揮している司令官からのもので、司令官も同じ映像を見ながら、現場で指揮をしていたのだ。
その横にはニコライがいて、いろいろと指示を与えている。シュルツと教授の二人は、まさに今閣議の会議室に招かれていた。
とは言っても来賓というわけではなく、
「兵器を売り込みに来た商人」
としての立場で、モニターを見ながら補足説明を加えたり、閣僚からの質問を受け付けて、それに答えたりするためだった。
まず最初にニコライが司令官に連れられて、実際に戦闘機の墜落現場に赴いた。それを見た司令官が一言、
「何だこれは。いったいどうなっているんだ?」
と叫んでいた。
それを聞いてニコライは無表情ではあったが、心の中ではニンマリと微笑んでいた。この微笑みはしてやったりというよりも、単純に相手の反応に共感していたのだ。ここでしてやったりという気持ちになったら、相手に気持ちを見透かされてしまう可能性があったからだ。
相手は何と言っても軍の司令官。人を見る目はあるだろう。そんな相手に自分のような学者が相手をしても、すぐに気持ちを見透かされてしまうのではないかと思ったからだ。
司令官は墜落した戦闘機の焦げ目に目を向けているのではない。逆に焦げていないところに注目していた。
「これだけの高さから墜落したのだから、本来ならもっとバラバラになっていたり、炎上していて姿が確認できなくなっていそうなものだが、ここまで原型をとどめているだけでも魔法のようなのに」
と驚いていたのだ。
その次の言葉をニコライは待った。司令官は完全に言葉の途中だったからである。
「それにしても、焦げている部分と焦げていない部分があまりにもハッキリしていて、焦げていない部分、これはいったいどういうことなんだ? まるで溶け堕ちているように見えるけど」
という驚きだったのだ。
「普通なら漕げ落ちるものなのだろうが、溶け落ちるとはどういうことか。金属部分がまるでプラスチックのようであり、そのプラスシックが腐敗して溶けたような感じになるのは見たことがあるが、金属がこんな風になるのは初めて見たかも知れない。しかもこんなに短時間の間に」
と続けた。
「短時間だから兵器になるんです。これを相手が見た時、どのように感じるでしょうね。戦争をするのが怖くなると思いませんか?」
壊れてしまって木端微塵になっているというのであれば、現象的には理解できるが、溶解してしまったというのは理解できない。戦争という特殊な精神上やいで理解不能な状況を見て、戦意が喪失しないとは考えにくいだろう。
それを見て、実験に使用してくれた国は喜んだ。
「さっそく、これを使うことにします」
と言って、司令官はまだ決まってもいない兵器に戦争での勝利を確信したかのようだったが、その様子を見て、
――なんとなく不安だ。何が不安なのかは分からないが、この人を見ていると不安しかないのはなぜだろう?
とニコライは考えた。
同じ頃、閣僚会議室でも、教授の説明とともに、兵器の導入について話し合われていた。もちろん、現場の司令官からの意見も踏襲した上でのことであるが、司令官としては何においても兵器の購入を前提に話しているようだったので、実際に効果を目の当たりにした軍の司令官がいうのだからという思いも閣僚たちにはあったようだ。
「どうですか? 反対意見はございますか?」
と議長が閣僚に話しかける。
閣僚会議とは言いながら、なかなか議題に上がった当事者でなければ発言がないのがこの会議の特徴だった。
「反対意見がないようでしたら、次の閣議での議題は、この件といたします」
と言って、閉幕となった。
次回の閣議ということであるが、この国の政策は一度の会議で決定することはない。まず一度召集されたメンバーで話し合いを行い、今度は全体での会議となる。要するに国会の場で審議されるということだ。
この場はあくまでも政府としての内閣の場、つまりは行政であったり、実務としての会議である。しかし、次は本当に国の立法に関わるところ、ここで賛成されれば国として承認され、法律化されたも同然であった。
国会閣議は翌週開かれたが、ここでも全会一致でチャーリア国の兵器を導入することで意見が一致した。
だが、このことは世界的には伏せている。なぜならこの国とチャーリア国との間に正式な国交は開かれていない。近い将来開かれる予定にはなっているのだが。実際にはまだである。
国際法として明記されてはいないが、国際ルールとして、
「国交のない国同士での武器や兵器の売買は原則禁止」
ということになっているからである。
実際にチャーリア国はまだできてから数年しか経っていなかった。国際的には以前のアクアフリーズ王国と国交を結んでいた国であっても、チャーリア国は元首が同じというだけで、まったく別の国家という認識だった。
シュルツは分かっていて、それをこの国に売り込んだのだ・
売買は別にして、教授とニコライの努力はこれで結ばれたことがハッキリとした。単体実験での結果がそのまま実践でも現れたのだ。シュルツの方としても、想像通りの結果になったことは嬉しく思えたが、この兵器をいかに使用するかという課題やそれにまつわる課題がこれからのしかかってくることを覚悟しなければならなかった。
最初に実験で使用された時に破壊された戦闘機は、公開されることはなかった。すみやかに残骸は回収され、パラシュートで脱出した乗組員も捕虜としてではなく、合法的に相手国へ送還された。
「感謝の意を表します」
として、相手国もその気持ちを真摯に受け止め、そのことがきっかけで戦争は終結へと向かったので、結局は新兵器が相手の戦意をくじくという主旨からかけ離れた結果ではあったが、戦争終結に向かったことは皮肉なことだった。
「回収された残骸を、研究されましたか?」
ニコライは、司令官に聞いてみた。
「ええ、研究機関に回して残骸ができた時の話もしましたが、そこから導き出されるものは何もないとして残骸を研究したようです。でも結局何も分からなかったということでした」
という話を聞いて、ニコライは納得した。
「我々は、それも知りたかったんですよ。相手国に研究されて簡単に看破されるような兵器では、中途半端ですからね。私たちの本当の目的は、相手国の戦意をくじくというところにあるんです。だから、いくら研究しても無駄だと相手に思わせて、こちらの科学力に底知れぬ恐怖を植え付けたい。これが狙いでもあるんです。そういう意味では今回の実験は大成功でした」
というと、司令官はニコライの表情を読み取ることはできないと確信した。
――この男、何を考えているのか、何段階も考えが層をなしているようだ――
と感じていた。
シュルツは、ニコライに輪をかけて、相手に心を読まれない性格だった。国会閣議には参加できなかったが、内閣の閣僚会議に出席するだけで十分だった。内閣の中にはシュルツのウワサを聞いている人もいて、
「彼は百戦錬磨の大将よりも敵に回すと厄介だと言われていましてね」
と他の閣僚に話をしていたくらいだ。
「なるほど、見ていれば分かります」
とどうやら内閣閣僚の間では、彼は伝説のようになっていたようだ。
「シュルツ長官とは以前、WPCの会議でお会いしたことがあってね」
と、元外務大臣がそう言って話に割り込んできた。
「どんな方なんですか?」
「彼はアクアフリーズ王国では、先代の国王の時代から仕えていたので、王族に対しての忠誠は半端ではなかったよ。だから今のチャーリア国の大総統であるチャールズ氏にも並々ならぬ忠誠心があってね。今の時代にはそぐわない体制なのだろうが、その忠誠心は頭が下がる思いだよ。この国にも一人くらいは彼のような人がいてくれればいいんだけどね」
と言っていた。
「でも、忠誠を誓うなんて本当にかつての大戦以前の考えですよ。ナンセンスですね」
と言われても、
「そうかな? 国を憂うる気持ちは、昔の方が強かった。クーデターもその気持ちからで、今のように自分がのし上がろうとしてのクーデターではなかったからね。この国も昔はそうだったんだよ。大戦が終わって、強大国が植民地競争をやめたことで、国家に対しての気持ちも次第に個人主義に変わっていってしまった。個人主義が悪いというわけではないんだが、挙国一氏hが必要な時があるのに、個人主義ばかりでは本当に国を守れるのかが疑問だね」
「そうですか?」
「そうだよ。だから、国防を兵器に頼ろうとしてしまう。やはり国というのは人があっての国なんだ。逆に人だって国がなければ人ではないと思わないと、国を守ってはいけない。そういう意味では前回のWPCの会議でシュルツ氏が面白いことを言っていた。戦略的にはやはり専守防衛が一番だってね。今そのことを思い出して、なるほどと感じているよ」
「この研究のミソは、核兵器を核兵器の副産物を同時に消しながら、核兵器だと相手に思わせることなく相手の戦意をくじくというものなんだ。だから環境にも優しい。これこそ究極の核開発と言えるのではないかと思います」
ということで、その時その場にいた人たちは納得したのだった。
この国がいずれアレキサンダー国に侵攻されることがあったが、簡単に撃退したというニュースが世界各国に広がった。軍事力から言えば圧倒的にアレキサンダー国の方が上なのに、どうして撃退することができたのか、世界に衝撃が走った。
侵攻をやめた理由についてもアレキサンダー国は何も言わない。ただ、
「侵攻を断念した」
という談話を発表しただけで、談話を発表することが自分たちの正義であるかのように装っていたが、実際には違うことを全世界では分かっていた。ただ、撤退させた直接的な理由が分からなかっただけである。
その本当の理由を知っている人はごくわずかで、当のアレキサンダー国も、
「まるでキツネにつままれたようだ」
と、真相は闇の中だった。
チャールズとシュルツ、そしてニコライは素直に喜んでいたが、教授だけは平然としていた。その様子がニコライには少し気になっていた。
「核開発なんて、どんなにきれいごとを言っても、しょせんは欺瞞でしかないんだ」
と教授は一人ごちていたのだ。
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