第60話 バエルの告白

「わーっ、世界って思ったよりずっと発展してるのね! 見ると聞くでは大違いだわ!」


 決闘の3日後。学園外。プレイアズ王国市街。90年代に発売されたゲームなのでスマホや携帯電話、まだメジャーじゃなかったパソコンなどは登場しないが、冷蔵庫や洗濯機や電灯やポケベル等の電化製品は登場するそれなりに高度な文明レベルにも関わらず、一部の建物を除いて頑なに中世ヨーロッパ風を維持する世界観重視の街並みを眺めてバエルが顔を輝かせてそう言った。


 本来なら休日である日曜日を挟んで普通に授業が始まる予定だったラグナロク学園は、現在一時的に休学中だ。ゲームと同じ流れだ。学園長が上手くやってくれたようだと玄咲は安堵する。日曜日、玄咲の指定した時刻、場所に赴いた学園長が雷丈家の悪行の証拠を掴み、その事後処理やらなにやらで学園長だけでなくヒロユキや一部教師まで駆り出され、生徒にも全く無関係ではなく、結局休学にしてその間に雷丈家絡みの問題を各々片づけることになったのだ。プレイアズ王国において雷丈家とはそれだけ大きな存在だった。


 とにもかくにも休日。玄咲はどうしてもシャルナにプレゼントしたいあるものを購入するために街に出かけていた。ついでに簡易召喚したバエルを伴って町の観光もさせている。


 現在玄咲のSDには岩下若芽などの上級生から根こそぎ奪ったバトルポイントが5000万ポイント入っている。ラグナロク学園で稼いだポイントは街で普通に通貨として使うことが可能だ。国が運営に関わっている学園ならではのシステム。ラグナロク学園生の優遇の一環であるが、SDを使って街で買い物をするラグナロク学園生の姿が少年少女の憧れを呼び入学希望者の増加に繋がっているのだと、玄咲はゲームで街のモブから聞いたことがある。確かにこのなんか近未来風で格好いい見た目のSDを使って優雅に買い物をする姿は少年少女には憧れの的だろうなと、玄咲は己のSDを見て思った。


「楽しいか、バエル」


「ええ。とっても楽しいわ! 玄咲、ありがとう!」


「そうか……俺は君の笑顔が見れてとても嬉しいよ。これからも時々こうして君に外の世界を見せてあげよう」


「うん! そういえば玄咲。さっきからあなた私と普通に会話しているけれど人目が気にならないの? 小声で延々独り言ブツブツ呟いてる凄く危ない人になってるわよ」


 バエルの指摘の通り玄咲は現在道行く人々が割れて通る危ない人となっている。独り言に加えてその鋭すぎる眼光が危なさに拍車をかけていた。ポケットに突っ込んでいる手が凶器を隠し持っているかのようにも見える。ラグ学の制服のブランドをもってしても誤魔化せぬ危険人物感。しかし当人は全く気にしていない。


「いいんだよ。俺は自分のことは割とどうでもいいんだ。それに、人目を気にするより気にせずバエルと会話する方が得だろう?」


「……そうね。よく分かってるじゃない。ふふ、そりゃ気にならないわよね。だって私と会話できるんだもんね――あら? ねぇねぇ、玄咲。あの店に入りましょう」


「書店か。いいぞ」


 玄咲はバエルと書店に入店した。すぐにバエルが入口近くのテーブルに積まれてる本を指さす。


「あ! 面白そうな漫画があるわ! 是非読みましょう」


「漫画本か。CMAって本当文化レベルが滅茶苦茶だよな。そこがいいんだが。えっとタイトルは【レッド・アイズ】か……」


 玄咲は漫画本を捲ってみる。異世界を舞台にした漫画だ。主人公は狂気に呑まれた軍人。切れると目が赤くなるらしい。どこかで聞いた設定だ。主人公の名前は天杉謙作。どこか玄咲と似た名前だ。そしてそのストーリーもまた玄咲の人生を彷彿とさせた。極めつけに異世界の名前は地球といった。どこからどう見てもレッドアイズは地球時代の玄咲をモチーフにした漫画だった。バエルに青ざめた顔を向けて玄咲は口をパクつかせる。


「こ、これ……なに?」


「あらあら。玄咲そっくりな主人公。格好いいわね」


「格好良くない。気持ち悪い。ああ、よく考えたらバエルに聞いても仕方ないか。分かる訳ないよな。すまない、無茶振りして。応えられない質問をしても意味ないか」


「む。むむむ……あなた、まだ私を甘く見てるわね。いいわ、頃合いだからネタバラシしてあげる。要するに」


 バエルが人差し指を玄咲に突き付ける。


「この世界がCMAを元にした世界なんじゃなくて、CMAがこの世界を元にしたゲームなのよ」


「?? CMA開発者に異世界帰還者でもいたのか?」


「あなたにしては頭を働かせたわね。でも違うわ。人間にはね。他世界の情報を受け取るアンテナみたいなのがついてるの。この漫画も、CMAもそのアンテナから受信した他世界の情報をアイデアとして創作に落とし込んでいるのよ。アンテナの精度は人によって違うけどね。CMAの制作者はビンビンだったみたいだけどこの作者はシナシナだわ。名前から違っちゃってるんだもん。でも、良かったわね。あなたの一生は漫画になるくらい劇的で人の興味を引くものだったってことよ。創作になるってことは価値を認められたってことよ」


「なるほど。CMAの開発者が自分は元からあるものを掘り出しているだけだとインタビューで答えているのを読んだことがあるが、そのまんまの意味だったのか」


「そういうこと。つまり、この世界はゲームの世界ではない。純然たる異世界よ。電子の中の世界でも文字の上に浮かび上がる世界でもない。あなたの住んでいた地球と同じ、生命が息づき苦悩する実存する一世界なのよ。というわけでもうこの世界をゲームの世界などと思い込むのはやめてね。この世界に対する無礼よ? 玄咲」


「う……」


 玄咲は転生初日、この世界がゲームの中だと思って行動してきた。その行動がいかに滑稽だったか翌日にはもう理解していたがバエルの説明を聞いた今となってはさらに痛々しくしか思い出された。実在する人間にあのような態度を取っては嫌われて当然だったなと玄咲は苦々しく顔を歪める。


「……全く、俺は痛い人間だった。あんな振舞いをしては全方位から嫌われて当然だ」


「でも、大分成長したんじゃない? レベルも上がったしね」


「そういえばまだ確認してなかったな。俺は今何レベルなんだろう」


 玄咲は漫画を棚に戻す。そして人目の有無を確認してからポケットから手を抜き、カードを手に持ったままパパっとSDを操作してステータスの項目を開いた。



 天之玄咲

 魂格50



「……大分レベル上がったな。1学期で上げておくべき目安まで1日で達してしまった。レベル差があるほど経験値はたくさん入るからな。流石サンダージョー。レベル93なだけは――バエル」


「なに」


「今ナチュラルにゲームの感覚で話してしまったんだがこれも改めた方がいいのかな」


「いいんじゃない? CMAの知識も使いようよ。製作者のアンテナが鋭かったのね。ゲーム的な仕様に落とし込めきれていないところも多いけれどかなりの精度でこの世界の再現を成し得ているわ。参考にする程度なら十分メリットがあるわ。要は依存しなければいいのよ。もし不安なら私に聞いて。この世界とのギャップが大きければ私にできる限りで正してあげる」


「ありがとう。バエルには助けられてばかりだよ」


「どういたしまして」


「しかし、中々面白そうな本が並んでいるな。ちょっとだけ眺めていくか」


 玄咲は店内を散策する。そしてある1冊の本に眼を留めた。本棚から抜き出して表紙を眺める。


「カード図鑑か……そういえば俺の知識と現実のカードの効果、大分差異があるみたいなんだよな。内容は……うん、詳細だ。それに分かりやすい。いい本だ」


「買っていったら? お金は一杯あるんでしょ?」


「値段は――5000円か。全然問題ないな。勉強用に買ってくか」


 玄咲はカード図鑑を購入して店を出た。無料の紙袋を手提げて歩く玄咲にバエルが話しかける。


「帰ったら一緒に読みましょうね。玄咲」


「ああ」


「約束よ」


「ああ、約束だ」


「ふふ。楽しみ」


 玄咲の隣で可憐な笑みを浮かべるバエル。この世界に転生できた幸運を玄咲は改めて噛み締めた。


「その、バエル。今更だけどありがとう」


「なによ急に」


「君に会えて本当に良かった。決闘だって君がいなければ負けていた。本当に君は、俺の……うーん、天使ってのは、なんかバエルにはしっくりこないな。相棒?」


「相棒、いい言葉ね。うん。しっくりくるわ。私は玄咲の相棒よ。でも……ねぇ、玄咲。私のこと、愛してる?」


 しおらしく上目遣いでバエルが聞いてくる。その女の子らしい仕草にドキリとしながら玄咲は本心で答える。


「ああ、愛してる。……俺は永遠に君を愛するよ。君が望むなら地獄にだって一緒に堕ちよう。まぁ、俺はどうせ地獄行きだからどちらかといえば同伴してくれという誘いになるのかもしれないがな。よく考えたら俺にとってご褒美だ……あ、そうだ」


「なに?」


「もし封印が解けなかったら一緒に封印されるよ。そしたら少しは寂しくなくなるだろう?」


 名案を思い付いた。そんな表情でバエルに提案する玄咲。それは素敵ね! そんな返答を期待して。


 バエルは立ち止まって――というより浮き止まって一言も発さない。


「……」


「バエル? ……もしかして嫌だったか?」


「違うわ。呆れてるの。……あなた、どれだけ私を愛しているのよ。馬鹿だわ。馬鹿」


「馬鹿でも、本気だ」


「っ!」


 バエルが一瞬泣き出しそうな表情を浮かべる。気のせいだろうと玄咲が思うほどの一瞬、しかし確かにバエルは感涙にむせびかけた。プライドが高いバエルは泣くことを惰弱、無様と断じてそんな表情を決して玄咲に見せようとしないが。


 本当は玄咲の胸にすがりついて泣きたいくらいバエルは玄咲の言葉が嬉しかった。


「……愛、か。それも、悪くないわよね」


「ああ、愛と平和があれば他にはなにもいらない。いらないんだが……やっぱりこの世界でもそんな理想は叶わないらしい。いきなり、あれだよ。バエルがいなかったらどうなっていたことか……」


「うん。そうね。私にもっと感謝しなさい。……愛と、平和、ね……案外、こういう時間のことをそう言うんじゃない?」


「バエルも、そう思うか?」


「うん。私ね、思ったより愛されるの好きだったみたい。クロノスが愛愛うるさいの昔は理解できなかったけど今なら少しわかるわ」


「そうか。今、そう思ってくれているならとても嬉しいよ。俺は君にそういう感情を与えられているんだな……」


「ええ、そうね。……ねぇ、玄咲。あなたに1つ言っておきたいことがあるの」


「なんだ」


「好きよ」


 玄咲は立ち止まる。周りの人間が不審者でも見るように玄咲を見る。だが、今の玄咲にはそんな視線に気づく余裕すらない。バエルが続ける。


「うん、やっぱはっきりさせておくべきね。言ってすっきりしたわ」


「……それは、友達、的な、意味で」


「恋人的な意味で。歩きなさい玄咲。その内魔符警察カードポリスがくるわよ」


 玄咲は歩き出す。すぐに人にぶつかる。苛立たし気な視線を向けてきた相手が玄咲と眼が合うなり速足で去る。そんなどうでもいい一幕を挟んでから玄咲は口を開いた。


「……本当に?」


「本当」


「嘘だ」


「嘘じゃないわ」


「じゃあ冗談だ」


「冗談じゃないわ」


「じゃあからかってるんだ」


「からかってなんかない」


「じゃあ夢だ」


「夢でもない」


「夢に決まってる」


「どうしてそこまでムキになって否定しようとするの」


「……こ、怖いんだ」


「……怖い、んだ……」


「ああ」


 玄咲は人通りの少ない裏路地に入り、バエルにしっかりと向き合って言った。


「幸せ過ぎて、怖いんだ」


「――そっか」


「俺は、地獄に落ちるべきろくでなしだ。その自覚くらいある。だから、その、幸せが上手く馴染まない。居座りが悪いを通り越して怖くなるんだ。多分、自己否定感が強すぎるんだろうな」


「いいじゃない。幸せになったって。私が赦すわ」


「――」


 赦す。


 バエルのその言葉に玄咲の心臓が跳ねる。


「――いい、のかな?」


「いいのよ。一緒に幸せになりましょう」


「じゃ、じゃあ――だ、駄目だ。やっぱり、怖いよ。し、神経が、引きつって、血が逆流するようで、髪の毛が抜けそうなくらい不安で、そして、その先に、きっと地獄が待ち受けていて、だから、だから怖いんだ……!」


「あなたの恐怖の根源って地獄?」


「……ああ。地獄に落ちるのが、怖いんだ……」


「――まぁ、確かに死後の沙汰は生前の行いである程度決まるわね。ろくな未来は待ってないかも」


「だよな……」


「じゃあ、死後は私とずっと一緒にいればいいわ。転生も何もせず、シーマちゃんみたく私とずっと一緒にね」


「――いい、のか」


「あなたが言い出したんじゃない。封印されてでも私と一緒にいたい、いや絶対一緒にいるって。一人の魂を死後のルールを捻じ曲げて手元に置くことくらい私にかかれば楽勝よ。封印が解かれようが解かれまいが私とあなたは永遠に一緒ってことね。はい、これで玄咲の悩みは解決。だから大人しく私と――」


「バエル、愛してる」

 

 衝動のままに玄咲は言い切った。


「最初にそう言っておくべきだった」


「……嬉しいわ。とても」


「で、でも。俺は、シャルのことも、大好きなんだ」


「いいじゃない。別に」


「え?」


「いえ、いやなのだけどね。あなたは絶対あの子から離れられないし、あの子も絶対あなたから離れられない。……魂単位でそういうずぶずぶの関係性なのはあの子の魂を見た瞬間に本当は分かってたのよ。離そうとしたってあなたに嫌われるだけだろうしもう諦めたわ」


「……すまない」


「そう思うなら」


 バエルが玄咲に数センチまで顔を近づけて断言する。


「その分私を愛しなさい。それで全部赦してあげる」


「分かった。俺のできる限りで」


「ふふ。それでいいのよ。……ところで玄咲。前から気になってたんだけど」


「なんだ」


「あなたって複数人に同時に好意を抱いて何とも思わないの?」


 玄咲は少し躊躇い、だが結局は本音を吐露した。


「……その、世間的には良くない思想なんだろうけどさ。俺はこう思うんだ」


「どう思うの」


「好きな相手は何人いてもいい。そっちの方が幸せだ。俺は昔から愛する対象はたくさんいた。クロマルだろ、クロスケだろ、家族だろ。たくさんいた方が、幸せだよ。だから、正直なところ、あまり憚る気持ちはない。そりゃ、あまりに無節操なのは良くないとは思うけどさ。本気で愛してるならいいんじゃないかと思ってる。それが俺の本音だ」


「……ああ、あなたって、恋愛観が凄まじく幼稚、あるいは度を越して純粋なのね。性的欲求を嫌うのも行き過ぎたプラトニクの結果……愛と恋が無分別状態にあるのね……」


「あと、理由はもう一つあってさ」


「え?」


「恋愛ってのは最終的に一人選べば途中で何人好きになってもいいんだよ。それがリアルな恋愛なんだ。CMAから教わったことだ。CMAって凄く恋愛観がリアルでさ――」


 ドン引きして玄咲を見るバエルを見て玄咲は自分の失言に気づいた。


「……玄咲。今の発言は間違いなくあなたの歴代最低発言だわ」


「……いや、自分でも薄々おかしい気はしていた。でも、俺は間違いを指摘されないと完全には気付けないタイプの人間なんだ……」


「そのリアルな恋愛観(笑)は今すぐ修正した方がいいわ。それは非常識で最低なクズの発想よ。私はあなたにクズになって欲しくないわ」


「……うん」


「……はぁ。私にも予想できない勘違いをあなたはまだまだしているんでしょうね。あなたのゲーム脳が完全に治るにはまだまだ時間がかかりそうね。先が思いやられるわ……」


「……努力する」


 心底からの呆れが滲んだ表情で頭を抑えるバエル。その仕草に自分の非常識さを改めて思い知らされて玄咲は俯いた。


「俺はやっぱ異常なんだろうか……」


「そうね。でも、それでいいんじゃない」


「え?」


「私はあなたの異常なところが気に入っているの。無理に変えなくていいわ」


「……バエル」


「でも、リアルな恋愛観だけは修正しといてね。あなたにクズでいて欲しくはないから」


「そ、早急に修正する……」


「ええ。あと、玄咲」


「なんだ」


 バエルが表通りを親指で指して極めて真面目な顔で言う。


「裏路地とはいえ流石にずっと留まっているのは不審者感が凄いわ。そろそろ出発しなさい」


「あ、ああ。そうだな。表通りからちらちら見られてるもんな。そろそろ出るか」


「あの子へのプレゼントを買うんでしょう?」


「うん。シャルにさ、これが俺の気持ちだって渡すんだ。きっと、喜んでくれる。だって、シャルは俺に――いや、何でもない。少し浮かれすぎてるな」


 台詞を途中で切り裏路地を抜けて玄咲は表通りへ復帰する。


「……ま、いいわ。私も短期間で随分丸くなったものね」


 小声で言いながらバエルもその後に続いた。


 バエルと会話しながらさらに歩くこと30分。ようやく玄咲の目的地が見えてきた。プレイアズ王国の王城周辺の活性地域から少し外れに立地する入口の暖簾に一文字ずつ、金、星、と書かれた万屋【金星かねほし】。とにかく金の欲しい店主が、カード、AD、そしてカップラーメンまで、とにかくせわしなく何でも取り扱っている店だ。ゲーム通りならシャルナへのプレゼントを売っているはずの店。


「売ってると良いんだが」


 敬愛してやまないCMAの開発者のアンテナの精度を信じながら玄咲は暖簾を潜った。

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