第37話 説得 ―Justice Heart―

変更点 

全体的にかなり加筆してます。説明不足過ぎたので。





 ノックの音がした。


「入りな」


 マギサ・オロロージオは机に広げていたカードをカードケースに仕舞って来訪者を迎え入れた。ノックの調子で、誰が入ってくるかの予想はついた。


「失礼します」


 果たして予想通りにヒロユキがその顔を見せる。だがその後ろに続く3人の顔は予想外だった。教師としてはまだ未熟だが生徒人気は異常に高いクララ・サファリア。見目が良い以外の印象がない女生徒。そして――。


 まるで今人を殺してきたと言わんばかりに殺人的な目つきをした男子生徒――天之玄咲と目が合った瞬間、マギサはもう何十年も感じていなかった本能を震わす悪寒に背を震わせた。


「ッ――!」


 睨んでいる。天之玄咲は明らかにマギサを睨んでいた。まるで今から殺そうとする人間を見るかのように、敵意をその眼に籠めて。それ自体は珍しい反応ではない。殺意も敵意もマギサは雨に降られるように浴びてきた。だから驚いたのは敵意を向けられたからではない。


 天之玄咲の視線にナイフを心臓に突き立てられたような致命の錯覚を覚えたからだ。


(……どこか浮かれ気の抜けた顔をしていた昨日とはまるで別人だね。なるほど、これがこの子の本性。魂の本質。舐めたいくらいにゾクゾクするね……!)


 天之玄咲。強者を具現化したような佇まいに、地獄を写したかのような瞳。既にして歴戦の風格が全身から発せられていた。間違いなくいくつもの死線を超えてきたのだろう。


 しかしそれでも魂格8。しかも入学時点では魂格1だった。サンダージョーとは逆に、低すぎるという意味で天之玄咲もまた異常だ。普通あれだけ戦闘に長じていれば嫌でも魂格は上がる。魂格を上げずにあそこまで練り上げた。それはある意味でサンダージョー以上の異常とも言えた。


 強さと魂格のギャップの間に何が潜んでいるのか。何を秘めているのか。全く興味がつかなかった。マギサは皺だらけの顔を罅割れた硝子板のように歪めた。


(1日でこの変貌。何があったのか、聞くのが楽しみだね)





 隣に立つシャルナがマギサの笑顔を見て震える。無理もないと玄咲は思う。マギサ・オロロージオの笑みにはそれだけの気持ち悪さと圧力があった。前者は皺の多さのせい、後者は秘めた強さのせいだろう。玄咲も、昨日対面していたら怯んでいたかもしれなかった。

 

 だが、今は違う。どうでもよかった。シャルナ以外どうでもよかった。シャルナのためなら道理だって蹴散らす。そんな気持ちで今玄咲はマギサと対面していた。


 この学校の最高権力者。国宝よりも己の決定を優先できるマギサ法を独立付与された世界最強の個人。マギサ・オロロージオの決定がシャルナの運命を左右する。マギサをいかに説得するか。玄咲は現在進行形で頭を巡らし続ける。


 ヒロユキがマギサへ事情を話し終えた。


「まぁ、かけな」 


 その言葉で、テーブルを挟み、玄咲とシャルナとクララが、マギサとヒロユキと向かい合う形となった。マギサが身を乗り出し威圧感のある笑みを近づけてくる。高い鼻がいやに目立った。


「要するに、そこの堕天使――アマルティアンの処遇を私がどう決めるかってそういう話だね。あ、天之玄咲。あんたの暴力事件は不問とする。怪我なんて魔法で治せばいいだけの話だからね」


「な、マギサ! こいつは退学にするべきだ! 危険人物だぞ!」


「いいっていいって。成績優秀だし、怪我なんて回復魔法で治せばいいだけさね。それに理由なく暴力を振るったって訳じゃないんだろ。じゃあいいじゃないか」


「しかし!」


「ヒロユキ」


 マギサが凄む。


「私がいいって言ってるんだ。分かるね?」


 巨大な怪物がヒロユキを丸呑みにしようとしてる。そんな錯覚を覚えるほどの威圧感。ヒロユキの口がパクパクと空ぶった。


「よし、決定だね。それとヒロユキ、あんま私情を挟むんじゃないよ。孫娘ができたからあんた本当に駄目になったね」


「うっ」


 自覚があるのかうな垂れ黙るヒロユキ。ふんと鼻息を吐いて、マギサが視線をシャルナに向ける。そしてあっけらかんと言い放った。


「で、そっちの堕天使の子は退学だ。残すメリットがないからね」


 一瞬、脳と視界が揺れた。

 今、シャルナがこの学園を退学になる。

 それはシャルナの浄滅を意味する。

 つまり、死。

 シャルナとの永遠の別れ。


 ゲームでもシャルナはマギサに庇われることなく退学にされた。だから予想していた。覚悟していた。それでも玄咲はショックを受けた。愛するシャルナを襲う悲劇的な運命が大迫力で一瞬のうちにその最期まで脳裏で描かれたからだ。


 アムネスの亡霊。シャルナの末路。外見的特徴以外今のシャルナとは別人の悲哀を纏ったその姿。好きだった。けど今のシャルナを知ってしまった。笑顔が素敵な可愛い優しい女の子。そんな子が死んだ目の復讐鬼になる過程なんて想像もしたくなかった。シャルナをアムネスの亡霊になどさせるわけにはいかなかった。ゲーム通りになどさせるわけにはいかなかった。


 この世界は現実だ。昨日一日で嫌というほど思い知った。それでも中々振り切れなかった己の愚昧は今日先程絶望で断ち切られた。だからもう認められる。


 この世界は現実だ。その絶望こそが今となっては希望だ。ゲームと違って現実は未来が定まっていない。変えられる。絶望を希望に変えられる。シャルナがアムネスの亡霊になる未来だって、昨日一日散々ゲームの展開を望まずして変えてきたように、変えられるはずだ。シャルナの退学は止められる。自分が止める。命に代えても。


 この世界は現実だ。ならば地獄で上書きできるのが道理だ。地獄を自分色に塗り替え合うのが現実なのだから。この世界でもそうすればいいだけのこと。


 覚悟を以て、


「待」

「待ってください!」


 口を開きかけるもクララに先を越されたので玄咲は少しの間黙っていることにした。


「学園長が庇えばこの子は助かります! お願いします! この子の在学を許可してください!」


「駄目だね」


「なぜですか!」


「さっきも言ったようにメリットがない。むしろデメリット塗れだ。堕天使族はアマルティアンの中でも特別エルロード聖国に狙われてるんだ。今の国際関係の中で庇うのは難しいよ。もし庇ったらプレイアズ王国の締め付けはさらに強まるだろう。そこまでしてそんな凡庸な子を庇うことはできないね」


「し、しかし」


「くどい」


 マギサは吐き捨てた。


「天下壱符闘会の優勝に役立たない子はいらないねぇ。むしろその子は外部圧力の増加という形で足を引っ張る。マギサ法も万能じゃない。間接的制裁は防げない。退学にした方が我が国、そして我が校のためさね」


「学園長!」


「クララ、あんたいつからそんな偉くなった。この学校では私がルールだ。私に逆らうんじゃないよ……!」


 マギサの蛇のような髪が逆立つ。極端に魔力量の多い人間はカードを介さなくてもごく単純で小規模な魔法現象ならば起こせる。とはいえ普通ならばコップを触れずに倒せるとかその程度の可愛らしいもの。しかし、世界一で文字通り桁大概の魔力量を誇るマギサの起こす魔力現象にはまるで可愛げがない。髪の末端まで魔力を行き渡らせ神経が通っているかのようにうねらせられる人間など世界中を探してもマギサくらいのものだろう。


 マギサのその生物としての格の違いを主張するような超常現象を目にし、クララは小さな悲鳴を漏らす。だが、一歩も引かなかった。玄咲は太陽を仰ぎ見るように目を細めた。


「私は、例え退職されたって――」


 玄咲はクララを静止にかかった。自分のせいでクララを退職になどする訳にはいかないし、これ以上甘えるわけにもいかなかった。元々、マギサの説得は玄咲が一人で行う予定だったのだから。


 玄咲はクララにマギサの説得ができるとは思っていなかった。ヒロユキの説得ならできるだろう。自分は逆だ。ヒロユキの説得ならできないがマギサの説得ならできると思っている。だから説得の役を奪いにかかる。


「クララ先生。もういいです。あなたがそんな台詞を言ってはいけません。クララ先生はあまねく生徒を照らす天――太陽なんです。教師をやめてはいけません」


「い、いきなり変な褒め方をしないで! 照れるでしょう!? 状況を考えなさい!」


「す、すいません……クララ先生の気持ちはとても嬉しかったです。勇気づけられました。けど、あとは俺がやります。俺が説得しなければならない。最初からそのつもりでした。それに」


 マギサに視線をやり、玄咲は開戦の狼煙上げとなる口火を切った。


「こんな負け・・・とこれ以上言葉を交わしたらあなたの口がその分穢れる。どうかうがいでもしてきてください」


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