第5話 付加価値。
マイアールが帰った今も、客達は俺達——正確にはルークに注目している。
「ルソー様、ご挨拶が遅れて申し訳ありません。ようこそ当店にいらっしゃいました。私は当店のマネージャーを務めるヴァン•ルースティカと——」
ヴァンが思い出した様に対応する——確かこいつはルークに会うの、初めてだった。
「貴方がルースティカさんですね? 評判は聞いてますよ?」
「へ?」
勿論ヴァンは知らない。ルークが俺の前任者であるという事を。
「ルースティカの事をご存じでしたか。ルースティカくん、ルソー様はオーナーと知り合いなんだ」
「そ、そうなんですね! ルソー様! 大変恐縮です!」
俺の嘘に対してヴァンは本気で恐縮した。
「ふふ、ところでトリスティスさん?
ルークは客としての持て成しを希望みたいだ。珍しい。
というか、初めてだ。先程「久しぶり」とは言ったが、俺がこの男と会ったのは先月だ。いつもは外で会う。
「ええ、丁度一部屋空いてます。どの様な者をご所望ですか?」
どんな奴を充てがえば良いんだ? 普通に若い女か? それとも少年?
「そうですね——トリスティスさん、貴方が良いです」
何? 俺を指名?
ルークの言葉に俺やヴァンだけでなく、こちらを取り巻く客達も目を丸くし
「る、ルソー様。トリスティスはこの店の支配人でして……」
ヴァンが今更な説明をする。
そんなヴァンにルークは近づき、俺達にしか聴き取れない小さな声でそっと言った。
「安心して下さい。少し二人で話したい事があるだけです。貴方達の想像する様な事にはなりませんよ?」
話?
二人で話したい、という事は、他人に聞かれたくない話をしたい、という事に他ならない。だがそういう話をする時は決まっていつも密会だ。今に始まった事じゃない。そうじゃない話をする時も「グループの他の連中」を交えてである。
こんなに目立つ密会をする意図はなんだ?
「畏まりました。ただ今準備しますので、今暫くお待ちください」
準備らしい準備もないのだが、定番の決まり文句ののち、俺はルークと共に部屋に入った——。
この部屋は広く明るい。
壁の材質自体は大勢の客達が騒ぐフロアと同じ石壁であるが、天井にある魔石の光が部屋全体に行き届いていた。男女五、六人が寝そべってもまだ余るベッドの近くに、大きなソファーとテーブルがある。少し離れた所にここのベッド二つ分ぐらいの広さの浴室が水晶壁で隔てられていた。壁に埋め込まれた蛇の石像から大理石の浴槽に湯が注ぎ続けている。洗い場の広さも十分で、体を痛めない為の大きなマットも立て掛けてあった。
見慣れた自分の店の設備だが、こういう立場で入室するといつもとは違って見えるモノである。
「ルークさん、話ってなんです?」
この部屋には防音の封印がされてある。いつもの様に砕けた口調でも、問題ない。
「せっかくお風呂があるんです。貴方に背中を流して貰いながら話したいな」
いったい何だってんだ?
困惑しながらも俺は風呂の扉を開けその傍らに立つ。
衣服を脱ぐルークから目を背けて待ち続けると、やがてルークが近づいてきた。
「ウォルフくん、服を着たまま入るのですか? 貴方も脱ぎなさい」
「……はい」
気色悪りい。
俺も服を脱ぎ、先に中に入り洗い場の小さな椅子に座るルークをまじまじと見る。未だ鍛えられているであろうその整った後姿に意外なモノがあった——
無数の蛇が網の様に絡まり作られた大きな花。背中にあるそんな花から、尻や四肢にかけて同じく蛇で
「ルークさんが刺青とは、意外ですね?」
理由は想像がつくが、わかりやすい話題だ。この怪しい雰囲気による気まずさを紛らわすには丁度良いだろう。
俺達みたいな連中で刺青を彫る奴は珍しくない。彫る痛みを我慢したという屈強さの証になるし、彫る為の金もあるという余裕の証にもなる。更に「自分はイメージ通りの奴だぞ」という威嚇にも使えるので、ある種のステータスにもなっている。
だが本当に怖い奴は、刺青を彫らない。
屈強さをアピールする必要がない奴。
金をアピールする必要がない奴。
威嚇をする必要がない奴。
つまり、強い能力と立場を持つ連中だ。ルークはその筆頭である。
「意外——? なんて
「ええ」
別に笑ってやっても良いが、話を膨らませてくれるのは助かる。
「簡単な事ですよ、『
ルークは先程俺がやった「威嚇」の事を言っている。
俺がマイアールに少しばかりムカついたのは事実だ。無能な奴が偉そうに俺を怒鳴るばかりか殴りつけたのだから。そして、俺が奴を威嚇した理由はただの打算だ。
店として客を招いている以上、店側は低姿勢での対応を求められる。
だが、だからこそ、勘違いする奴らが現れる。立場を低く見せている者が本当に弱い生き物であると勘違いするのが人間なのだ。
通常はその勘違いから生まれる優越感をくすぐり、煽てて、身の丈に合わない金を使わせる。接待とはそういうものだ。
ただし、客のその勘違いがエスカレートし過ぎると、こちらにとって割に合わなくなる。
そこで、定期的にこちらの力を見せつけて「現実の怖さ」を思い出させるのだ。それにより客は一線を弁える様になる。客同士の噂を聴いた者達も同様だ。
あの店の支配人を怒らせるとヤバい。
事前にそう思わせる事で未然にトラブルを防げるし、この俺自身にも
「ええ、そうです。だからこそ解せない。その刺青、ルークさんの価値を下げてはいませんか?」
刺青で下がる価値などたかが知れているが、俺は更にこの話題を続ける。この男はこういう話が好きなのだ。
「ふふふ、貴方ならそう思うでしょう。ですが、他の人達は、そうは思わない——」
俺達の密談は大抵、こういった世間話から始まり、そのまま終わる事もある。
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