~第29節 闇の印~

 直前までの激しい戦いの禍々しい空気から一転し、辺りには静寂が訪れ鳥や小動物が安全を確認したかように、少しずつこの場に戻り始めていた。心地よい風もそれを祝福しているかのように、頬をなでて吹き抜けていく。切り立つ岩山の前には大きな黒い塊が今もプスプスと何本もの細い煙を立て、残り火もくすぶっている。もとは牛頭の巨人『ミノタウロス』のものであったものだ。その身体の中央からは見たこともない巨大な赤黒く光る『暗黒結石ダークストーン』がせり出してきていた。


 重傷を負っているアギトの左腕の傷口は、キレイに縫合されたかのようにつながっていた。聖水の力とカエデの治癒魔術でそこまで回復したのである。念のためその傷口に包帯を巻いたアキラは、右腕側を自分の首にかけ、アギトを支えるようにゆっくりと立ち上がる。


「す、すまねぇ…」


「なに言ってんだ。生きてるだけましだと思わないとな」


 額に脂汗をかきながら力なくうなずくアギトは、すべてをアキラに預ける。そして同じように首に腕をかけながら、カエデはカケルの身体を支えるようにして、樹の根元から立ち上がる。ミノタウロスの亡骸を一瞥いちべつしてから、マリナはふと岩の扉がある付近をながめる。


「あれは…あの岩の扉の横に、小さな赤黒く光る石が見えますね」


 マリナが指摘した黒光りする小さな暗黒結石ダークストーンは、ちょうど人の手の届く高さに埋め込まれていた。


「ミノタウロスは、確か『闇の印』というものがあるかどうかを、聞いていたが、実際どういうものが鍵なのか…」


 ミノタウロスから取得した巨大な暗黒結石ダークストーンを一抱えし、ナツミは自分の翼で上空へ飛びあがり、ホバリングする。それをそのまま岩の扉の小さな暗黒結石ダークストーンに近づけてみる。


「これが鍵だったりするのかな…?」


 しかし、うんともすんとも、何の反応もない。


「仕方ない、こちらも万全でない上、ライアさんに報告もあるから、一度ドライアード達の森に戻ろう」


 アギトを抱えたままのアキラは森の方へきびすをかえし、森へと続く街道の方へと向かう。続いてカケルを支えるカエデ、そして巨大な暗黒結石ダークストーンを抱えたナツミが上空から追う。魔力を消耗しきってしまったセレナは、なんとか自力で立ち上がるも、足元がふらついてしっかり立つことが出来ていない。そこへマリナがサッと背中を支え、倒れるのを防いでくれた。


「大丈夫ですか?セレナさん。私が一緒についていきますから、安心してください」


「はい…ありがとうございます」


 最後のしんがりを務めるマリナとそれに支えられたセレナは、その場を後にした。


 ★ ★ ★


 帰りを出迎えてくれたドライアード達と女王ライアは、パッと満面に笑みを浮かべ全員が無事に帰還できたことを、大変喜ばしく思い語りかけた。


「ミノタウロスの闇の波動が、消滅したことを確認しました。討伐いただき本当に感謝いたします。なにより、みなさんが全員ご無事なのがなによりです」


「僕自身は…あまり何もできませんでしたが。みんなが協力してなんとか倒すことができました」


 悔しい表情で拳に力を入れながら、アキラはライアに答える。そこへセレナをテーブルの椅子に預けてから、マリナが進み出てサポートする。


「そんなことはありません。貴方の事前の戦略や、的確な指示がなければ、私たちは生き残れなかったかもしれません」


「そう言ってもらえるだけでも、僕は本望だよ」


 そこにモソモソと奥から大木が枝を揺らしながら、近づいて来る。ポルムも満足そうに後から出迎える。


「よくぞあの難敵を討伐していただけましたね。私からも感謝をいたします」


 そして、疲労困憊のアキラ達の面々を見たライアは、しばらく休むよう提案する。


「みなさん、傷や疲労の回復があると思いますので、何日かこちらで休まれてはどうでしょうか?」


 ライアの提案に誰一人、異議を唱える者はなく、ポルムの背中の宿で休ませてもらうことに同意した。


 ★ ★ ★


 日はまたぎ、丸一日ゆっくり身体を休めた後、再び外テーブルに集まるアキラ達に、ライア含むドライアード達が水や食料を提供している。アギトの傷も全快し、カケルやセレナの体調もすっかり元に戻っている。


「もう…出発されるのですね…」


 寂しそうにライアがうつむき加減にそう言うと、手のひらに乗るくらいに小さな木箱をアキラに手渡した。


「そうですね。僕たちは元の世界に戻る方法を探しているので、お申し出はありがたいのですが、あまりゆっくりとはしていられないもので…ところで、これは…?」


「これは、ミノタウロス討伐の成功報酬です。どうぞ、お受け取りください」


 その小さな木箱を開くと、ヘッドに陽光が反射して虹色に輝く宝石のついた、金色の輪の指輪が一つ、白い綿毛に包まれて大事そうに入っていた。指輪のあまりに美しい輝きに言葉を失うアキラに、フフッといらずらっぽく笑い、ライアが説明する。


「それは、今から1000年ほど前にここを訪れた、偉大な魔導士様を治療してお助けした際に、お礼として頂いた品で、この森の至宝のひとつなんです。これは装備者の属性の効果を、何倍にも引き出してくれる効果があるそうです」


 アキラは困惑し、若干ライアに木箱を戻しながら、改めて向き直る。


「そんな古からの貴重なものを頂いて、良いのですか?」


「もちろんです。実際わたしたちはこの森から離れることも出来ないため、手に余る宝の持ち腐れなものでして…有効に使っていただける方を探していたのです」


 木箱を戻す手を逆にそっと押し戻し、ライアはアキラを納得させる。


「それでしたら、ありがたく頂きたいと思います。ところで、ひとつお聞きしたいのですが、ミノタウロスの守る岩の扉に『闇の印』というものが必要なようで、暗黒結石ダークストーンを近づけたり、ほかに何をしても開かなかったのですが、なにかご存じではありませんか?」


 それを聞くと、首を傾げながら人差し指をアゴに当て、少しの時間ライアは考える。


「『闇の印』…ですか?それは闇の波動を鍵にしたものでしょうか。暗黒結石ダークストーンで扉が開かないということは、それ以上の闇の力が必要なのかもしれないですね」


 闇の力と聞いて、セレナはライアとアキラの前に進み出る。


「この中で闇属性の魔力を持っているのは、わたしだけです。わたしが使ってもいいですか?アキラさん」


「あ、あぁ。僕らでは使いきれないからね、よろしくお願いするよ」


 そう言って、アキラはライアから受け取った木箱を、セレナへ手渡した。そこで、巨大な暗黒結石ダークストーンをペシペシと叩きながら、ナツミがライアに問う。


「この巨大な石はあたしたちじゃ使いきれないので、置いて行きますが、いいですか?」


「はい、これほどの暗黒結石ダークストーンは見たことがありませんが、いろいろと使い道はありますので、ありがたくいただいておきますね」


 広げた翼を折りたたむナツミに、にこやかにライアは微笑む。そこへ、カエデも感謝の言葉を述べたく前に進み出る。


「ライアさん、わたしからもお礼をしたいです。水属性の魔術で雨を降らすことができるのですが…」


 話の途中で『雨を降らす』というフレーズに喰いつき、ライアはカエデの両肩をガッシと掴む。


「雨を降らすことが出来るのですか?!それは是非お願いしたいです!以前エルフ族がこの地に共に住んでいたころは、定期的に雨を降らしてもらえたのですが…彼らが去ってしまった今、わたしたちドライアードは水属性の魔術が使えず、この乾期で困っていたのです…」


 両肩をしっかりと掴まれたカエデは、一瞬たじろいだがすぐに平静を取り戻し、呪文の詠唱に入る。


「は、はい!喜んでやらせていただきます!力の根源たるマナよ!水の精霊ウンディーネよ、雨の恵みをこの地にもたらしたまえ!『降雨レイン・フォール』!」


 カエデの足元に水色の魔法陣が展開し、先ほどまで晴れていた空にグレーの雨雲が敷き詰め、地面に跳ね返るような雨がこの森一帯に降り注いだ。


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