~第11節 神職~

 ---翠月すいげつカエデの巫女の一日。


 シュッ…シュッ…


 まだ朝陽も昇りきらない紫色に染まる東の空が見えるころ、一人の巫女が神社の境

内の片隅にある格技場で木製のなぎなたで素振りをしていた。その額にはまだ暑くな

る前の涼しい時間にもかかわらず、玉のような汗がにじみ出ていた。それがなぎなた

のひと振りごとに落ち、その拍子に乾いた碧い畳へと染み込んでいく。


(…昨日の疲れはあるけど、稽古は欠かせないよね…)


 森の野鳥がさえずり合い、すがすがしい朝風が格技場の開け放たれた窓から流れ込

み、頬をなでる。その風が艶のある長い黒髪をたなびかせていた。そして徐々にまぶ

しく強い陽の光が窓から差し込み始めて、カエデは夜が明けたことに気がつく。と同

時に流れて目に入りそうになった汗を真白いタオルで拭った。


(もうこんな時間かぁ…)


 毎日の巫女の仕事は朝早くから始まる。それゆえにカエデはその神事に間に合うよ

うに早起きをして、なぎなたの素振り稽古に臨んでいた。日々の鍛錬が前日の鎌倉で

の予期せぬ戦いにも通用することは充分良くわかった。それでも全く疲れが出ていな

いかというと、それは嘘になる。


「遅いですよ、ちゃんと時間に間に合うように準備なさい」


 全ての巫女をまとめる役割を担う母親は紫色のはかまを履き、宮司の一つ下の階級

権宮司ごんぐうじ』の役職である。その立場上どうしても時間にきびしい。確かに神事や行事

は時間で動く場合が多いので仕方がないとは思いつつも、カエデはそれに抗いたい気

持ちもある。


 同時にそれは将来自分が神職を継ぐことも視野に学ばなければいけないことも理解

はできているつもりだ。素振り稽古を終えたカエデは体の汗を拭き、急いで身なりを

整えた。そして格技場で巫女装束に着替えた上で中央本殿にかけつけた。そこにはす

でに父親の宮司と母親が朝の祝詞のりとの準備をしていた。


「はい、すみません、お母さま」


(…はぁ…でも昨日の今日でちょっとキツイかなぁ…)


 とはいえ、昨日の事情をおいそれと話すことが出来ない以上、言い訳をするわけに

もいかないのがつらいところだ。本殿正面に対して中央に宮司をはさむ形で母親とカ

エデは横一列に並ぶ。


「カエデ、少し疲れが見えるようですが、あまり無理はしないことですよ」


 娘の疲れの状態をみて取った宮司は、いたわりの言葉を投げかける。


「はい、お父さま、でもなんとか大丈夫です」


 若干の不安が残るが、大丈夫という娘の言葉を信じて宮司は朝の祝詞のりとを始めた。


「…全世界と人類が平和でありますように…」


 そして最後の言葉を3人揃って読み上げる。ちょうど祝詞のりとを読み終わったところで

中央本殿に射しこむように朝陽が奥まで届く。その時カエデの体がほんのりと白くそ

して神々しく光がまとった。それはまるで朝陽の光を全身に受け止めて吸収したかの

ようにも見える。その娘の突然の状況に宮司は驚きを隠せない。


「…カエデ、その光は…」


「えっ?」


 自分のからだが白く淡く光っているのに気がつかず、まだ自分に起きていることに

理解が追いついていない。


(…ひょっとしたら祝詞のりとの一部に魔術の詠唱が入ってたのかなぁ…)


「わ、私、次は境内のお掃除に行ってきますっ!」


 神性が備わって来たのかなどの疑問が残るが、自分でも確証が持てないためこの場

はとりあえずごまかすしかなかった。慌ててその力を隠すかのように、カエデは淡い

光をまとったまま中央本殿を足早に抜け出した。途中慌てていたせいか階段で袴のす

そを踏み転びそうになる。が、なんとか踏みとどまり掃除用具庫の方へ走る。


(はぁ…いままでこんなことなかったのに…私ってどうかしちゃったのかな。神聖魔

術が使えるようになったからかなぁ…)


 やがて掃除用具庫の中へひとり入り、ひと息つくと体にまとっていた光は徐々に自

分自身の中心へ消えていった。立てかけてある竹ぼうきとちり取りを一つ取り、おも

むろに倉庫の入り口の方へ見やる。中央本殿や掃除用具庫を結ぶ石畳の上には、木々

から落ちた枯れ葉がそこかしこに散らばってはいるが、汚いという印象はない。


(…いつか父さまや母さまに、ちゃんと伝えられる日が来るといいのに…)


 まずは人の通る石畳の上の落ち葉を綺麗に掃除するのが先決と考えたカエデは、掃

除用具庫の周辺から掃き始めた。


 ★ ★ ★


 午前中に境内の掃除と社務所にて参拝客の対応の準備と、お昼の休憩を行った。そ

して午後は祈祷に来られた参拝客の対応や、祈祷後の授与品の準備など、また社務所

での電話対応を行って意外と多忙である。午後も3時になろうかという時、午後も境

内の掃除が残っている。そこでカエデは少し落ち着きなく掃除をしている。


「あーぁ、今日は行きたいけど、どうしよっかなぁ…」


 午後の風にあおられて集まった落ち葉を石畳の上でちり取りに集めながら、誰とは

なしにひとりつぶやく。そこでカエデの後ろから石畳外に敷き詰められた玉砂利をザ

クザクと鳴らし、近づく人影がある。


「あとはあたしがやっておくから、お姉ちゃんは行ってきなよ。今日はライブ見に行

くんでしょう?」


 そこにはカエデよりも小柄にした一見小学生とも思えるような、高校生の妹『翠月すいげつモミジ』が同じように竹ぼうきとちり取りを持ちたたずんでいた。格好も同

じ巫女装束を着ているがまだ見習いの段階だ。2つに結ったツインテールの髪が風に

流されてそれがなんとも景色に溶け込んでるように見える。


「あー、でも母さまにうるさく言われそうだけど…」


「母さまにもあたしが言っておくから、心配しないで行ってきなよ。そろそろ時間な

んでしょ?」


 それを聞きカエデの顔はパッと明るくなり、その場で小さく足踏みを始める。


「う~ん、それじゃぁお願い、よろしくっ!今度なんかおごるからねっ」


「ちゃんと覚えておいてよ~」


 手に持った竹ぼうきをモミジにフリフリしながら、小走りに掃除用具庫へ向かっ

た。何のライブに急いでいるかといえば、秋葉原でメンバー全員が若い男性声優アイ

ドルグループの推しのミニライブがあることをモミジは知っていた。片道2時間ほど

はかかる場所での開催なので、今からスタートするならギリギリ間に合う時間だ。


(モミジ、ホントに感謝感謝だよ。持つべきものは妹って感じね…)


 掃除用具を急ぎ片付けて中央本殿には戻らず、敷地内の自宅へまっしぐらにカエデ

は走る。その様子はさながら疾風のごとくだ。すぐに普段着に着替えて必要な荷物を

持ち、そそくさと自宅をあとにした。その後東京方面に向かう電車に揺られながら、

ふと思い出したことがある。


(そういえば、セレっちとライムちゃんあのあと大丈夫だったかなぁ…ちょっと心配

だけど、ごめんね、今日は自分にご褒美ってことで…)


 会場あるビルの前には開場10分前ギリギリに到着し、心底ホッと心をなでおろし

た。そして上階の8階までエレベーターで向かう。若干汗ばんで息がきれぎれだ。


(はぁ…間に合ったぁ…)


 会場には既に満員近くのファンが席に着き、推しの出現を今か今かと待っている。

受付をして混み合った自分の席に着くと、汗をハンカチで拭いてサイリウムを取り出

した。あとは始まりの時間まで待つのみである。


(あとは…明日はカケルくんの大事なアーチェリー大会があるから、絶対遅れないよ

うに起きないとね…)


 アイドルグループのミニライブに間に合ったと同時に、神事に忙しく動く中、カエ

デはホッとして身近な親友以上に思う人を思い浮かべていた。

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