第三章
手がかり
空狐と気まずいまま数日が経った。
小珠が浴衣を着て夕涼みをしていると、一体の気狐が「二口女さんが来ましたよぉ」と呼んできた。
また来てくれたのか、と驚きながら駆け足で二口女を迎えに行く。屋敷の入り口付近で二口女が気狐と笑い合っているのを見て嬉しくなった。狐の一族が嫌いとはいえ、気狐とは少し打ち解けているようだ。気狐の対話力が為せる技だろう。
「二口女さん、こんばんは」
「あら、小珠。今日は河童からの贈り物を届けに来たのだけど……その後どうかしら? 市へはまだ来られないの?」
二口女に急かされぎくりとした。
本当は、あの後すぐにでも空狐に二口女から教えてもらった町の現状を報告し、市へ行く許可を取ろうと思っていた。しかしあれから数日――空狐とは目も合わせられていない。
風呂敷で包まれた河童からの贈り物を受け取りながら、どう伝えようか迷う。こんなものを二口女を通して渡してくるということは、河童も小珠の帰りを待っているのだろう。
「小珠ちゃん、最近空狐様を避けているのではないですかぁ?」
気狐が言い当ててくる。同じ屋敷にいる彼女たちにはお見通しらしい。
「市へ行きたいのでしょう? どのみち、天狐様か空狐様の許可は必須ですよぉ」
「天狐様よりは空狐様の方が許可は出やすいのではないかと思いますよぉ」
「空狐様、小珠ちゃんに弱いですもんねぇ~」
二体の気狐たちがくすくすと笑いながら言った。
そして、ふと気付いたように「こんなところで立ち話もなんですし、応接間にご案内しますよぉ」と二口女を屋敷の中まで連れて行く。小珠もその後に付いていった。
応接間では小珠よりも気狐たちの方が二口女と盛り上がっていた。気狐たちは美しい二口女の美容に興味があるらしく、「お肌綺麗ですねぇ~何かされてるんですかぁ?」などとはしゃいでいる。
河童からの贈り物は鈴のお守りだった。りんと小さく音がする。
(可愛い……)
さすが女を口説き慣れている河童の選んだ贈り物だ。感心していると、二口女が補足説明をしてくる。
「それ、無病息災のお守りよ。河童は小珠が病でふせって市に来ないと思ってるの」
確かに、あれだけ毎日市で店を出していた小珠が急に長期間来なくなれば、そう考えるのも不思議ではない。心配させてしまっているのが申し訳なくなった。
俯く小珠を他所に、二口女と気狐たちの間では恋の話が始まった。気狐は恋の話が本当に好きだ。
「二口女さんの恋人さんはどんな方なのですかぁ? こんな美人の恋人さんなのですから、さぞお美しいんでしょうねえ」
「あっ、ここに紙がありますよぉ。似顔絵書いてみてくださぁい。わたくしも書きますぅ」
小珠の前で突然似顔絵大会が始まった。気狐たちは見た目が全く一緒であるにも拘らず、「男はやっぱり吊り目よねぇ」「いいえ、顎髭よぉ!」と異性の好みの意見は食い違っていた。
二口女は静かに、一つ一つ思い出すように、紙に男性の顔の部位をゆっくりと描いていった。絵画で生計を立てられるのではと思うくらい上手だ。
――その時。
「えっ。この男なら、この前港町で見かけましたよお」
隣の気狐が驚いたように目を見開いて言った。
気狐は普段外の町との交易を仕事にしている。きつね町の外部にもよく行っている者たちだ。どこかで二口女の恋人を見かけていてもおかしくはない。
「み、港町というのは」
余程驚いたのか、珍しく二口女がどもっている。小珠も思わず気狐を凝視した。
「山を一つ越えて向こう側に、お船が発着する都市がありましてぇ。外のお国からの文化を盛んに取り入れている、きつね町とはまた一風変わった場所なんですけれどもぉ……この方、確かに美形ですから、わたくしたちもお声がけしたのです。確か造船業をやっていた方だったような……」
「それは確かなんですか?」
身を乗り出して問いかける。
「ええ。わたくし達、こう見えて記憶力は良いのですよぉ。一度見た顔は忘れません」
「――行きましょう、二口女さん」
気狐の言葉を聞いてすぐに、小珠は立ち上がった。
「ええ!? だめですよぉ!」
ぎょっとした様子で小珠の袖を掴んできたのは気狐だ。
「小珠ちゃんは、この町を出ることはおろか、屋敷から出ることも今は禁止されているのですよぉ!? それに港町といっても広いですし。行ったところで必ずこの男性に会えるという保証はどこにも……」
「それに、外に出るのは一般の妖怪には非常に危険です。現在は妖怪と人間の棲み分けが明確に行われ人間の間で妖怪の存在が否定されるようになってきたとはいえ、まだ妖怪の妖力を悪用しようとする輩も一部にはいるのですぅ」
「天狐様や空狐様から許可が下りるとも思えませんしぃっ」
あわあわと矢継ぎ早に小珠の両隣から制止してくる気狐二体に微笑みを返す。
「私は元々、人間の村で生まれ育ちました。その辺の妖怪よりも人間らしくできると思います。人間には妖力を感知する機能がないのでしょう? 見た目的には、私達が妖怪であるとは誰にも分からないのではないでしょうか」
「そう……ですけどぉ……」
「二口女さんの恋、応援したいですよね? 気狐さんたちも、人間の男性に恋しているのでしょう」
気狐たちは着物の袖で口元を隠しながら目を見合わせ、数秒して覚悟を決めたようにこくりと頷いた。
「……分かりました。明日の早朝、共に出かけましょう。ただし、見つからなくても夕食までには戻りますよ。あと護衛の野狐も数体連れていきます」
「まったく……小珠ちゃんは、時々強気で大胆なところがありますよねぇ」
気狐たちは呆れたような苦笑いを浮かべているが、嫌な感じはしなかった。
◆
夜、こっそりと荷物を纏めていると、小珠の部屋にキヨが入ってきた。お茶をいれたから一緒に飲もうとの誘いだ。
小珠はキヨと一緒にちゃぶ台を囲みながら、明日きつね町の外へ行くことを伝えた。
「一人で行くのかい」
「ううん。気狐さんと野狐さんと、二口女さんと一緒だよ」
「空狐は行かないのか」
小珠はキヨから目をそらし、悪いことをする子供のように小さな声で言った。
「……空狐さんには内緒で行くの」
「おや」
がっはっは! とキヨは面白がって笑う。
「小珠も、逞しくなったねえ」
キヨが呟く。
「もう、わしがおらんでも立派な娘さんじゃ」
――誇らしげな、どこか寂しげなその声の意味を、この時の小珠は知らなかった。
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