第三十八話 【蜷局の拳】ムラサキ
「──さぁ、蛇の真髄、受けてみなっ!必殺!【
高らかにそう声を出しては、「ホォーッ!!」とまたしても奇声…いや、気合いの声を上げて、ムラサキはその場で数回、地面を足先で小突く。
不思議な動きだが、それを訝しむ必要などはない。
なんせ、次の瞬間には既に私の目前にまで迫っており、腰だめに貯めた拳を、腹を砕かんとするように伸ばしていたのだから。
私はそれを、当然のように、その打撃を柄で受け止めようと右手の槍を上げる─────然し。
「────…なっ!?」
拳は槍をすり抜けて、私の腹部に叩きつけられる。
重いという訳では無いが、然し、全身につき走るような鋭い痛みが広がって、そのまま私は後方へと弾き飛ばされる。
「ぐぅ…っ!」
2m程の距離を舞いながらも、そのまま体をねじって着地をすれば、私はじんじんと痛みを滲ませる腹に顔を顰めさせる。
「はぁーっはっはっはっ!見たか!これがオレの生み出した最強拳法【
「…はっ、今のうちに言ってろ───よっ!」
悪態を吐きながら、私はそのまま駆け出して、そして短槍の穂先をムラサキの胴体部に向けて突き出した。
奇妙な拳法だろうとも、所詮相手は格闘、拳使い。槍を使ってる私とは
つまり、このまま槍でジリジリと体力を削って、集中が切れた瞬間を一気に叩く!
「───なんて思ってるんだろうな!でも、まだまだ甘いぜ!甘すぎる考えだ!言ったろ?オレの蜷局拳は防ぐ事なき蛇牙の拳でありながら…」
そう言っては、ムラサキは槍を躱す───なんてことはせず、そのまま腕を大きく前に突き出して、そして
“ ピシ ッ ”と、まるで石化するように速度を失い、その場で固まる槍の穂先。
プルプルとその場で微かに震えながらも、然し大きな動きを見せることは出来ない。
その姿は、まるで蛇に巻きつかれ、自由の全てを奪われた小動物の様だ。
そして今回の場合、小動物がその槍ならば、【蛇】とは、ムラサキの腕である。
ムラサキは突き出した右腕を、まるで間接の存在しない、蛸の触手のように槍を絡めさせ、そして、ガッシリと固定している。
率直な評価として、筋力、そしてそれを強化する魔力だけであらば、ムラサキは私の格下だ。
突きに反応し、普通に手で掴まれたとて、無理やりにそれを突き出してしまえば、そのまま体を一突きにできるだろう。
だが、この奇っ怪な止め方の場合、単純計算で【私の握力】と【彼の全身】との筋力勝負になるだけでなく
それを乗り越えたとしても、腕という広い範囲、胴体に近しいその範囲で掴んでいる相手を突くのは、まず不可能なのだ。
よく絵本の中で見る、馬の目の前に吊り下げた人参のように永遠に届かせることは出来ない。
槍を動かせば、ムラサキの体も動かしてしまうから。
「防ぎ得ぬ蛇牙でありながら、オレの拳は、崩れることの無い蛇の蜷局なのだからな!!」
「あぁ、でも、君の攻撃には当たってしまいそうになった。オレの拳は最強でも…─────!」
「─────君の瞳には弱いから、ね!」
「…っ!しつこい!!」
「へぶぅ!?」
槍を固定したまま、ばちこん!とウインクをしてそんな事を言うムラサキ。
そのムカつく動きと言い方に苛立ってしまって、槍を掴み直しては、それごとムラサキの顔面を壁に向かって叩きつける。
『えげつないのう…。』
“ ばこぉん ! ”と、破砕音を打ち鳴らしながら、壁を十数センチ抉って叩き込まれたムラサキ。
そのまま地面にずるずるとずり落ちて、数秒ピクピクとその場で痙攣しているも、数秒してしゃがむ様な姿勢にまでゆっくりと立ち上がれば
こちらに背を向けながら、ぼたぼたと滝のように溢れかえらせている痛ましい鼻の血を前腕で拭っている。
「───か、躱すと思ってた…あの〜、なんか、ごめんね?」
言ってみた後に思ったが、戦闘中に言う言葉では無いそんな言葉を、私は小さくなったムラサキの背に申し訳なさげに投げかける。
「─────は、はははっ!な、なるほど!いやわかったとも!オレは君を舐めていた!」
「君!!名を名乗れ!!」
そんな言葉を尻目に、ムラサキはそうやって不気味に笑いながら立ち上がって、そして振り向きざまに指を差してこちらに名を尋ねる。
「え、…あぁ、アンリ。アンリ・パラミールだよ。というか…─────」
「は、はっはっはっ!そうかそうか!!アンリ!アンリ・パラミールか!良いとも!久々に手応えのある豪傑が来たらしい!────」
「───であるならば、使わざるを得ないな!」
「我が奥義!【
「────あの、まだ鼻血出てるよ。」
怪しげな微笑と共に、奥義らしい技の名前を告げていたが、私はそうやって水を差してしまう。
でも正直仕方ない面が強いと思う。
だってずっと、すごい量の鼻血が出てたんだもん!!気にするなって言う方が無理!!
私の言葉を聞いて、再びゴシゴシと前腕で顔を拭うムラサキだが、どうやら結構深く切れてしまったようで、焼け石に水にしかならずに未だぼとぼとと血は零れ続けている。
───────さすがに見てられないというか、時間がもったいないな。
『お前のせいなのだがな。』
…。
先程、壁に叩きつけ折れてしまっていた右手の槍をその場に捨てながら、私はおもむろにムラサキへと近づいていき、そして懐から何かを取りだし、それを手渡す。
「…ねぇ、良かったらこれで塞いどきなよ。待っといてあげるから。」
「……わ、悪い。」
それ…つまるところ、鼻を抑える用のハンカチを渡しては、私はその場を離れ、そしてコロッセウムの元に戻って、ムラサキの様子を見ておく。
彼はもう一度しゃがみこんで、渡されたそれで鼻頭を抑えながら、じっとしているようだ、流石に待っといてあげよう。
『───ごほん、してアンリ。お主、あの拳法の突破法は見つかったのか?彼奴がバカを晒した…いや、油断を晒してくれたおかげで結局こうなったが、依然お前は劣勢だぞ。また始まれば負けは必至だろうよ。』
いや、大丈夫。もう私はあの拳法の正体を見破ったよ。
『ほう、して、その心は?』
あの拳法の正体。それはムラサキの持つ強固な、かつ柔らかい関節だ。
それで、普通は出来ないトリッキーな動きを可能にしている。
初めの槍をすり抜けるような──────いや、あれは今思えば、正確には“くぐり抜けるような”になるのかな。
拳の動きもそう、さっきの巻き付けるような受けの技術もそう。
それさえ分かれば、私にだってやりようはある!
『クフ、フフフ…!そうだ、その通り、正解だ。【蜷局拳】、あれの正体は、幾らかの工夫はあれど、武術という技術などではなく、奴の持つ特異体質だ。…それで?やりようはあると言ったが、どう突破するつもりなのだ?』
それは見てのお楽しみってね、───ほら、向こうさんもやっと立ち上がってきたみたいだよ!
「───はーっはっはっはっ!待たせたな、アンリ!いや、よく待ってくれた!お礼に、君には私の奥義【
「あぁ、そう言えばそんな話だったね。……なら、その上で言ってあげる。」
「【蜷局拳】!破ったり!」
「───!!…は、はっはっは!成程!だがその慢心、すぐに打ち砕かれる事になるだろうぜ!」
「────…さぁ、受けられるものなら受けてみやがれ!奥義!【
「ならばその奥義を受けきって、破ったってことを証明してあげるよ!」
***
“ タララ ッ ”と、衝撃を逃がさぬよう数ミリのズレもなく地面のただ一点に、強靭なバネのような関節のスプリング、それを利用した高速の足蹴りを見舞ってやる。
1秒にも満たぬ時間ではある、だがその回数は20回。
すれば、この肉体は走るよりも早く、飛ぶよりも早くに前方に弾き飛ばされる。
これが最速の踏み込み、【
────気づいた時には、前方にあるアンリという少女の顔。
先程の事もあって、少し拳が緩みかけるが、だが、君たちを守るためなんだ。
…許してほしい!あと出来ればその後のお茶にも付き合ってほしい!
────ごほん。作り直した手刀をつくように広げて構える。
そして放たれるは、アンリが初手に放った、音の壁を突き破るが故に、音を置き去りにした速度の斧の投擲────よりも早い、目に留まらぬ連撃。
その全てが、防御も意味無く掻い潜る鞭のようにしなる手突きだ。
一秒に八度放つことが可能なその連撃。それを、体力が持つ限りの1分間、洪水のように叩き込む!!
これを食らって立ち上がれたものはいない。それはきっと、彼女も同じだろう。
初めの数回は、警戒故に叩き落とされた。だが、続く連撃には間に合わなかったのか、もう腕に伝わる衝撃はない。
ただの棒立ちでこの殴打を喰らい続けている。
彼女は途轍もない魔力を保有しているのは見て分かる。そしてそれを防御にも使っているのだろうが、それはそれ、これはこれだ。
単純な体格差もあって且つ、これはムラサキさまの最高威力!最高速度の岩砕く鉄拳!威力は十分!魔力の防御でも間に合うとは思えない!
「アンリ・パラミール!討ち取ったり──────「【蜷局拳】、敗れたり。」
…!?
連撃が終わり、最後の一撃とするために握った拳を顔面に叩き込みながらの勝利宣言。
じとじとと汗を滲ませる顔で笑みを作りながらのそれを…然して、塗り替えるのは、既に倒したはずの少女の声。
「───そろそろ離してよ、大の男が女の子の体をベタベタと触るものじゃないよ。」
頬を撫でるように突きつけたオレの腕を鬱陶しげに払い除けながらアンリはそう言う─────いや、頬を撫でるように……、何故だ!?オレは確かに、躊躇ったとはいえ、確かに拳を握っていた筈なのに!?
手刀でも拳でもない、こんなふにゃふにゃとした手での打撃など、魔力防御のあるこの少女にダメージなど与えられるはずもないじゃないか!
****
“見習い呪術【
触れて、魔力を流した対象を操作する。
私は最初の二撃を放たれた時点で、肘の関節に魔力を叩き込んで、この呪術を発動した。
幾ら腕を動かして防御を掻い潜ろうとしたとて、払い落としを避けようとしたとして、その支柱となっている【肘】そのものは動かない。
そして打ち込んだ魔力で、前腕から先、特に手首を操作しては、私の体に触れる前に、逸れさせるよう操作した。
結果、ただの一撃も私の体に
「──改めてもう一度。【蜷局拳】、破れたり!だね」
慄くように距離をとるムラサキに対し、背中に担いだ【フロベルジュ】を引き抜いて、そしてその剣先を向けては自慢げに言い放つ。
「…く、ぐぅ…ッ!!いいや、いいや!まだだね!!確かに蛇牙は防がれたが、蜷局の盾は未だ健在だぜ!どちらの攻撃も通じない、千日手で終わりだ!」
「─────そう?…そうだったらいいね!」
“私は一秒に20回ほど、地面に足先を打ち付ける。”
瞬間、貯められた力は爆発し、私の肉体をムラサキの直前にまで弾き飛ばした。
「だ、【
「……んふふ、余所見してる場合じゃないんじゃない?」
自慢げに笑みを浮かべながらも、私はそのままフロベルジュを前に突き出す。
ムラサキも同じように、【蜷局拳】の為に腕を突き出すも、それは何処か諦観混じりであり…
「お、ぉぉぉ…っ!!待って、タンマタンマタンマ!!─────って…あれ?」
────然し、突きはあっけもなく、ムラサキの腕に絡め取られて、そして、槍と同じくガッシリと固定される。
「あ、あれ───?…いや!やはりそうか!…ふふ、【蛇手】を使って、驚かせて奇襲をするつもりだったかな〜!?だが、このオレはいつでもナイスガイにしてクールガイ!冷静な対応をするものさ─────って、あれ?」
先程の焦り顔はどこに行ったのか、鼻を高々と伸ばすような笑みで饒舌に語るムラサキ。
その目前で起こるのは、紫水晶の昂り。
恐らくは魔法の行使ではない。そこまでの魔力ではない────だがこれは…えーと…まさか…?
ちらりと視線を下に送る。
その武器が、
「─────あっ。」
「【炎剣フロベルジュ・弱火バージョン】!!」
“ ボウ ッ ! ”と、燃え盛る赫灼が一瞬ムラサキの顔面を包み込んでは、そのままこんがりと黒焦げにし、そしてその、文字通り爆発するような痛みによって、男は失神。
そのまま、地面へと仰向けに倒れた。
顔面を黒煤に覆われた
「────だから言ったでしょ、【蜷局拳】、破れたり...ってね!」
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