第15話 解く/解いたり結んだり
端的に言って、本日わたしのテンションは低い。どん底だ。ニシキさんと会えるという事実を前にしても、全くもって上がらない。
本格的に暑くなってきたというのもあるが、気分低迷最大の原因は、昨日やらかした友達との喧嘩。久しぶりに会えて、連絡先も更新できたのに、別れ際が近づいた頃合いで喧嘩をしてしまったのだ。原因は下らない……本当に下らない意地の張り合いだったので、思い出したくもない。
「やあ、須々木くん、待たせたね……、あれ?」
待ち合わせ場所に指定した駅前広場、駅舎の軒下で待っていた所へ、涼しげな装いのニシキさんがやって来る。淡い色彩の日傘も、からんころんと転がる足音も涼やかだ。
笑顔を
「気のせいなら申し訳ないのだけど。もしかして、元気ない?」
「……はい。ちょっと昨日、やらかしちゃって……」
ニシキさんは、誤魔化しても意を汲んでくれそうだったけど、わたしが吐き出したかったので白状した。友達と喧嘩をしてしまったことまで、全部。
立ちっぱなしにも関わらず、黙って聞き終えてくれたニシキさんは、「仲直りしたいの?」と問いかけてきた。そりゃあしたい。仲直りしたい。何せ、すっごく気の合う友人なのだから。即座に頷けば、ニシキさんも頷いた。
「よし。ちょっと予定を変更しよう。須々木くん、ICカードの残高と、小銭の用意は充分かな?」
「え、はい」
なんで急にそんなことを、と首を傾げる間もなく、ニシキさんは駅構内へ入り、まっすぐ改札へ進んでいく。慌てて後を追えば、あまり使わない路線のホームに降り、ほとんど乗ったことがない車両に乗って、降りたことのない駅へと辿り着いていた。
流れるように運ばれてきたわたしは、にこにこ微笑むニシキさんに何も言われないまま、神社へと連れてこられた。休日とあって人も多いこの神社は、確か縁結びで有名なところ、だったはず。
「解けてしまった縁を結び直す第一歩。その後押しが神仏のご加護であれば、きみも
「あー、なるほど、そういう……、……。縁結びって、恋愛とかそういう関係じゃないんですかね?」
「そうとは限らないだろう。恋愛に限るなら、縁という字の前に恋だの愛だの付けておくべきだ。縁結びを名乗るのなら、どんな縁でも結んでみろという話だよ」
「そんな無茶苦茶な……」
ふふん、と胸を張ってみせるニシキさんは、
鳥居をくぐって参道を進み、絵馬やおみくじが
前の人がお参りを済ませ、順番が巡ってくる。お参りの作法は、賽銭箱の目の前に看板が掲げられていたこともあって、何とか完遂した。ニシキさんのように、スムーズにとは行かなかったけれど。
「よし、須々木くん。次はおみくじを引こう」
「ノリノリですね」
「運試しはワクワクするからねぇ。ついやりたくなってしまうんだ。なに、凶を引いたら結んでいけば良いんだし、気軽に引こうじゃないか」
最初っから、ニシキさんが来たいがために、神社に連れてきたのではという気がしてきた。まあ、わたしも神社仏閣は好きだし、だんだん楽しくなってきたから、良しとしよう。
売店の近くに置いてある、小銭を入れてから取るシステムのおみくじ。白地に黒い字が記されたそれを、先行のニシキさんが素早く引く。どうやら直感任せなタイプらしい。わたしは何となくごそごそと漁って、適当に挟まったものをそのまま引き抜いた。
「さあて、どうかな……ふむ、小吉。まあまあだね」
「わたしもまあまあですね、吉です」
「吉って大吉の次に良いんじゃなかったっけ」
「え、結構下の方なんじゃないですか?」
「うーん、神社によって違うんだったか。ここはどうなんだろうねぇ……ははは、細かいことなんて考えず、まとめて結んでしまおうか」
お互いのおみくじを見せ合い、覗き込むようにして駄弁りながら、たくさんのおみくじが結ばれた所へ歩いていく。ニシキさんに訊いたところ、名称はおみくじ掛けというらしいが、翌日にはもう忘れてしまいそうだ。
おみくじを縦に畳んで、空いているところに結びつける。ぎゅっと引っ張ると破けてしまいかねないので、緩く結んだ後は、上から押し付けて折るように。
「あれ。そういえば須々木くん、ちゃんと内容読んだのかい?」
「読みましたよ。全体的に、悪いことは書いてありませんでした」
「なら大丈夫だね。どうだい、仲直りの後押しになれたかな」
「ふふ、とりあえず気は晴れましたよ。ありがとうございます、ニシキさん」
立ったままのニシキさんと、しゃがんだわたしの間を、言葉が行き来する。ちょうど、ニシキさんの草履がよく見えてもいた。神社にある朱色寄りな赤と同じ、鮮やかだけれど落ち着いて、深みのある色をしている。
「鼻緒、切れそう?」
「え、全然。綺麗ですよ」
降ってきた声に答えながら、立ち上がる。まじまじと見たニシキさんの草履、その鼻緒は紺色で、紐の網目は模様のようだった。
「そりゃ良かった。解けるならまだしも、切れたら縁起が悪い」
「解けちゃうのも悪くないです?」
「切れるよりは良いだろう。切れるというのは断絶だ。解けただけなら、まだ結び直す余地がある。きみとご友人の縁もそうさ。切れたわけではなく、解けてしまっただけなのだから」
どこか含みのある、ニシキさんの微笑。ミステリアスで、どこか寂しそうで。このひとが人ではないのだと、何となく分かる表情。
解けた縁と、切れた縁。そのどちらもを、ニシキさんは知っているのだろうなと、眺めているのだろうなと思った。おみくじを結んで、空になった手のひらに、まだたくさんの糸を握っているのだろうな、とも。まだ張っている糸も、切れてしまって垂れ下がる糸も。年を経たり、解かれて結んでを繰り返したりして、ゆるゆる揺れる糸も。
「切ることは滅多にないが、解くことはたまにある。何回も解いて、結び直したこともある。繰り返した糸は跡がついて、結び直すのも容易だが、新しめの糸はなかなか難しい。聞くに、きみとご友人は長い仲なんだろう? それなら、切れることなく結び直せるさ」
「おみくじより、ニシキさんの言葉の方が、後押しになります」
「そいつは嬉しいね。正直なところ、私が口出しをする必要なんてなかっただろうから、余計なお世話だったかもしれないが」
「わたしが元気になったから、いいじゃないですか。改めて、ありがとうございます」
日傘を並べて、砂利が敷き詰められたおみくじ掛け周辺から、石畳の参道へ戻る。神社の境内で、ニシキさんの足音を聞くと、お祭りがあるのかと錯覚してしまいそうだった。どこか、神社でお祭りに行けるような機会があったら、浴衣に草履でお出かけしてみようかな。
のんびり考えて、でも手入れとかどうするんだろうと、すぐ現実につまらなくされてしまう。「ところで」とニシキさんが再び口を開いたこともあって、浴衣は頭の片隅に仕舞われた。
「縁だの縁結びだの縁起だのと言ってきたけど、縁って仏教語なんだよね」
「え、そうなんですか」
「うん。でも、きみたちってごちゃ混ぜでも何でも
ああ、わたしも薄っすら憶えがある。あるだけで、詳しくはさっぱり思い出せないけど。
それにしても、神社で仏教の言葉や概念をなぞっているなんて、言われてみると不思議だった。同時にちゃっかりしているなとも思う。何か良さげなもの、発展に繋がりそうなものは取り入れよう、というような。
「あ、それと。昼ご飯を忘れていたね。すまない、須々木くん。お腹が減りすぎて、また元気がなくなってしまっていないかな」
「お腹は減りましたけど、まだ元気ですよ。空腹より暑さで元気が削がれてます」
「そうだねぇ。一度、冷房の効いた室内で休まなければ。来る途中にあった洋食屋さんにでも行こうか」
「行きましょう。パスタがあったら食べたいですね」
「奇遇だな、私もだ」
糸を連想する話をしていたせいだろう、頭の中はこんがらがった糸玉を放り、どんなパスタを食べるかという思考に入れ替わっている。ナポリタン、カルボナーラ……もし迷って決められなかったら、ニシキさんと別々のパスタをシェアしてもらおう。たぶん、賛成してもらえるはず。
二転三転、どんどん話題を変えながら、洋食屋さんまで歩いていく。すっかり気分も転じて、前向きになってきた。ごちゃごちゃ絡まった縁を解いて、結び直して。仲直りができればいいな、と。こちらから送るメッセージを思案する。
間もなく到着して、幸運にも待つことなく洋食屋さんの席に座れた直後。ニシキさんに断りを入れてからスマホを起動すると、件の友達からメッセージが届いたと通知が入っていた。開けば、既に「ごめん」という文字。先を越されてしまったらしい。
どんよりとした杞憂が完全に晴れて、すぐさまメッセージを返す。これでひとまず、心置きなくお昼ご飯を食べられそうだった。
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