第5話「眠り姫のように」
私は手に持っていた一輪の百合の花を、まるで童話の眠り姫のように佇む、彼女の美しい顔の横にそっと置いた。
――享年十七歳。
彼女のその顔は、皮肉にも生前の時のどの姿より、美しいと思った。
彼女の為にあつらえられた棺の中で、真っ白な百合の花に囲まれて、豊かな胸の上で手を組み、目を閉じて横たわる彼女の姿を見ていると、不謹慎だが、既に死んでいると思われていた眠り姫に、思わずキスをしてしまった王子様の衝動も、理解出来るというものだ。
周りの啜り泣きが、パイプオルガンの厳かな音色と共に、教会内に響いていた。
キリスト教葬儀というものに、私は参列した事がなかったのだが、確かに仏式葬儀より、彼女の最後には格段に相応しい気がした。
亡くなった後ですら抜け目なく美しい、本当に彼女らしいと思った。
若くして命を落とした彼女――
人伝に聞いた所によると、彼女の死因は「若年性心筋梗塞」との事だ。
元々、持病があったのか? それともストレス性のものなのか? 詳しい事は分からない。
啜り泣きの声の中に、微かにクスクスと笑い声が混じった気がした。
私は思わず眉を顰める。
表向きは「心筋梗塞」となっているが、本当にそうだったのだろうか? と小さな疑問が私に芽生えていた。
彼女は美しかったが、その美しさ故の純粋で残酷な素直な性格で、彼女は自分以外の全ての人間を見下していた。
彼女の姿に魅了される人間も大変多かったが、その何倍も敵が多かった。
有体に言うと大変世間から浮いていた。全く馴染まなかった。万が一、姿が美しくて、世間に馴染むような性格だったとしてもだ。その場合も逆に周りから反感を買い、更に浮いてしまっていただろう事は、容易に想像出来た。
美しさ故の孤独――
彼女は美しく生まれた時から、そう言う運命を背負っていたのだろう。
ただ私は、彼女が“殺された”などと微塵も思っていなかった。
実際、本当に心筋梗塞で亡くなったのだろう。
あの夕暮れの図書室で見た、彼女の悲しそうな、身震いするような素敵な微笑みを思い出す。
生き物である以上、老いからは逃れなれない。自分もいつかは若さが失われて老いていき、その完璧な美しさが失われるだろうと、彼女も分かっていた筈だ。
永遠でないからこそ、美しいものは美しい。そのジレンマに彼女も苦しんでいたのかもしれない。
私のような、平凡で美しさとは掛け離れた容姿の人間にとっても、「若さ」が失われると言う事は、大変にショックな事だ。
このまだ瑞々しい肉体が、母や祖母のように、皺くちゃに弛み、シミだらけにいずれなっていくのかと、想像するだけでも恐ろしい。
だが、その絶望を女は抱えて生きなければならない――それが生きると言う事だと、きっと有象無象の人々はそう言うのだろう。
ただもし、自分が彼女程の美貌の持ち主だったら、それが失われていく絶望は計り知れない、耐えられない。
彼女の葬儀に参列している人々は「こんなに若くして亡くなるなんて、可哀想だ」と彼女の短命を嘆いている人が大半だろう。
彼女の存在を疎んでいた人々さえ「これから幾らでも、幸せな未来が待っていたかもしれないのに、哀れだ。ざまぁない」とほくそ笑むかもしれない。
――でも、果たしてそうだろうか?
彼女の美しく穏やかな表情を見ていると、それはとんだお門違いなのではと感じる。
彼女は美しいままで時を止める為、自ら、心臓を止めたのではないだろうか?
物理的な自殺と言う事ではない。
これから若さが失われて、醜くなっていく自分に絶望して、その大き過ぎる絶望感が、自らの心臓を止めてしまった。
そう考えると、彼女の死に全てが納得出来るのだ。
彼女の美しさに対する、絶対的誇りとプライドがそうさせた――彼女なら、不思議とそれが可能な気がする。
世界中の全てが、それが哀れで間違った事だと言っても、私だけはそうは思わない。彼女は美しい姿のまま時を止めた。
――それだけの事だ。
私は胸に去来した、熱くて溢れそうな感情を抑えられなかった。
私は彼女の美しい額に、そっと唇を落とした。
眠り姫にキスした王子のように。
でも、彼女は目覚める事はもうない。それでも、いやだからこそ、彼女の美しさは私の中で永遠になった。
つづく
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