第30話 気分転換 ─side 彩加─

 仕事内容は嫌いではなかったし同僚とも仲良くできていたけれど、上司が大嫌いだった。いつも仕事を押し付けられて毎日のように残業で、休む暇がなかった。高校の頃から趣味で続けていたバンドも練習に参加する時間が取れず、そんなうちにメンバーたちが家庭を持ち始めてから解散になった。

「疲れたんなら帰ってきたら?」

 と母親に言われ、一人暮らしをしていたマンションを引き払って江井市の実家に戻ったのは同窓会から数年後だった。上司からのパワハラやストレスに耐えられず、仕事も辞めてきた。

 ふと思い立って、日曜日にえいこんの見学に行った。歌うのは子供の頃から好きだったし、篠山とも話がしたかった。美咲と朋之の事情は本人から聞いていたけれど改めて簡単に聞いて、自分のことも話した。そして──定演が終わってからえいこんに入ることになった。同級生たちには定演のあとの食事中に報告した。

 えいこんの練習に通い始めてしばらくしてから、Hair Make HIROに行ってみた。予約はしていなかったけれど、平日なので他に客はいなかった。

「あれ? 佐方やん。珍しいな」

 迎えてくれた裕人とは、小学校から高校まで一緒だった。小学校のときは特に話さなかったけれど、中学のときは仲良く話していた。高校に入ってからはそれぞれクラブで忙しかったので詳しいことは知らない。

「そういえば、こっち戻ってきたとか言ってたなぁ」

 裕人は言いながら手際よく準備をしてシャンプー台に案内してくれた。アシスタントもいるけれど裕人が全てやってくれるらしい。

「うん。今は実家でゆっくりしてる。週に一回、日曜日にえいこんに行って……もうちょっとしたら仕事も探すつもりやけど」

「ふぅん……。倒すで」

「はぁい」

 顔にタオルをかけられて、シャンプーしてもらう。子供の頃の彼を思い出して、ふと笑ってしまった。

「どうした?」

「ははは……中学ときのこと思い出して」

「ああ……ははは。紀伊も最初に来てくれたとき同じこと言ってたわ」

 やっぱり同級生にされるのは変な感じするよな、と裕人は笑いながら、シャンプーを終えて今度は鏡の前に案内された。特に長さを変える予定はないので、整えてもらうだけのつもりだ。

「美咲ちゃんは……通ってるん?」

「そうやなぁ。日曜日が多いかな、子供つれてトモ君と一緒に来てくれるわ」

「へぇ……」

「最初は向こうの店のときで、平日に来てたわ。たまたまトモ君と一緒になって、飯行って……あいつら……まさか結婚するとはなぁ……」

 裕人は美咲と朋之の話をしながら、髪を綺麗にカットしてくれた。腕が良いとはいろんな人から聞いていたけれど、噂は本当だった。そういえば裕人は中学のときから髪型には変なこだわりがあった──ということは、裕人はあの頃から美容師になる夢があったのだろうか。

「そういえば佐方、聞いた? 紀伊かトモ君から」

「え? ……あ、森尾君? 子供が同じクラスって」

 定演は同級生たちと一緒に聴いていて、森尾も男の子を連れてきていた。一緒にいた女の子は美咲の子供のようで、二人は小学校で同じクラスらしい。そのことは、担任の篠山からも聞いた。

「それもやけど……なんかな、Harmonieが危機らしいねん」

「危機?」

「うん。代表の先生が引退すんねんて。先生はトモ君に継いでもらいたいらしいんやけど、トモ君は今までに何回も断っててな……」

 Harmonieは解散の危機が迫っているらしい。

 朋之が歌が上手いことは認めるけれど、確かに彼には代表を務める器が備わっていない。美咲もいるので一緒にできそうな気もするけれど、美咲はまだまだ子育てがあるのでHarmonieに割ける時間が少ないと聞いたことがある。

「俺はできたら、残してほしいんやけどな。直接は関わってないけど、ずっとトモ君から聞いてたし、紀伊にも思い出あるやろうしな」

 裕人はカットを終えたようで、ハサミからドライヤーに持ち変えた。風の音で会話が途切れたので、朋之がHarmonieの代表になることを想像してみようとして──できなかった。彼のことは今でも好きではあるけれど、美咲と結婚しているし奪うつもりもない。別れてから何人かと付き合って忘れていた時期もあったし、これからは友達として関わっていくつもりだ。

「もし解散したら、あいつらどうするんやろうなぁ。他のメンバーもやけど」

「実は──えいこんもヤバいらしくて」

「え? 篠山先生って……そんな年やった?」

「ううん、先生はまだ大丈夫やけど……」

 えいこんができた当初は五十人ほどいたメンバーも進学や就職で練習に参加できないことが増え、特に当初にたくさんいた高校生メンバーたちはほとんど同時に離れていったらしい。美咲がいた頃はまだ人数がいたし、Harmonieと合同のときは少々窮屈になるので気付かなかったのだろう。

「大倉君、入る?」

「いや……、俺は無理やわ。仕事あるし」

 裕人とカラオケに行ったことはあるけれど、彼に合唱の趣味がないことは知っている。美容室は土曜日も営業しているので、練習に参加できないことももちろん知っている。

「そういえば佐方……前に紀伊が佐方のこと怒ってたけど、仲直りしたんよな? 何かあったん?」

「別に……ただ距離置きたかっただけ。中学のときのことは葬りたかった」

「ふぅん。仲良さそうに見えたけどな」

 当時はそれで楽しかったけれど、似ていることが多すぎて嫌なのは美咲も同じだったはずだ。一緒に買い物に行くことがよくあったので文房具が同じになるのは仕方ないとして、好きな人まで一緒になるのは想定外だった。塾で最後にクラスが上になれたのは良かったけれど、男子と話すことが増えた美咲が少し羨ましかった。だから高校に入って違うタイプの友人ができてから、美咲に連絡するのはやめた。

「女同士って怖いよなぁ」

「うーん。そうやね」

 もちろん今はそんなことは気にしていないし、連絡をすれば普通に返事をくれる。美咲は朋之と結婚して少し得意になっているけれど、それ以外は仲良くしてくれる。

「ありがとう、またな」

 時間があったので、裕人は簡単に髪を巻いてくれた。出掛ける予定はなかったけれどまっすぐ帰宅しては勿体ないので、少し遠回りしてから帰ることにした。

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