朝ご飯の玉子焼き

 ある朝目覚めると、いつも通りの白い天井にそこはかとなく違和感を覚える。

 それに、あまり身動きが取れないし、なんだかベッドが狭い。

 枕の横にある時計を見ようと、何気なく首を傾けて隣を向く。その瞬間、俺は思わず飛び起きていた。


 すぐ隣に、同居人の寝顔があったからだ。


 確かに自分たちはなんだかんだ付きあいも長いし、こうして何年も一緒に暮らしていけているくらいには気も合うけれど、流石に寝室は別である。

 それぞれ自室があり、普段はそこで寝ているから基本寝る時は一人だし、このルームシェアを始めた頃に買い直したベッドも当然一人用だ。言うまでもなく、男二人で使うには狭い。


 普段は別に意識しないのだが(そんなもん意識していたら同居なんてしてられない)、この同居人は一時期『顔面国宝』とか何とかともてはやされたくらいには顔が整っている。

 寝起きのぼんやりした視界にいきなりそんなものが現れるのは非常に心臓に悪いのだ。勘弁してほしい。


 今自分はどういう表情をしているか。自分ではさっぱり分からないし知りたくもないが、こんな様子、もしこの男に見られていたら面倒なことになりそうだ。

 こっそりと横目で友人を窺い見るが、隣で眠る当人はまだ穏やかな寝息を立てていたので、ひとり安堵する。


 ほっと息をついたのも束の間。

 いきなり飛び起きた反動か、突然、頭がズキズキと痛み始めた。


「いってぇ…」


 何度経験しても慣れないその痛みに、ふと昨晩のことを思い出す。

 そうだ、確か昨日は二人で晩酌をしていたのだ。体には良くないからなるべく控えているけれど、酒自体は嫌いではないから時々こうして二人で飲んでいるのだが、昨日はその途中でうっかり寝てしまったらしい。

 それを、朝陽がわざわざ部屋まで運んでくれた。…そんな記憶が、ぼんやり残っているようないないような。


 自分はあまり酒には強くないが、朝陽は割とザルな方である。一緒に酒を飲んだ回数はもう数え切れないくらいだが、こいつが本気で酔っ払った所はそういえば見たことがないように思う。きっと昨日も、自分が潰れた後も平然とした顔で酒の缶を傾けていたに違いない。


 次飲む時は気をつけよう。


 何度目かも分からないそんな誓いを胸に刻みつつ、少しだけ痛みの和らいできた頭で何となく辺りを見回してみる。

 窓際のラックに大量にかけられた衣服に、ジャンルもサイズも雑多な本たちが並んだ本棚。自分の好みとは似ているようで微妙に異なるインテリアや小物の数々。

 隣で眠る幼馴染の存在から何となく察していたが、どうやらここは朝陽の自室であるらしい。


(…いや、なんでそうなる)


 どうせ運ぶのなら、すぐ隣の自室に運んでくれればいいのに。この部屋がリビングから一番近いのは間違いないが、労力的にはそう変わらない筈だ。

 第一、二人で寝たら狭いことくらい酔っていたって分かるだろうに、一緒の布団で寝ようとするな。


 …まあ、そもそもは晩酌の途中で寝てしまった俺が悪いし、わざわざ布団にまで入れてくれたのは普通に有難い。そこに文句を言う筋合いはないだろう。


 どうにか自分に言い聞かせて軽く伸びをすると、ベッド脇に置かれたデジタル時計が目に入った。

 現在時刻は6時半。うっかり寝てしまうくらい飲んだ割には、普段とそう変わらない時間である。


「おい、朝だぞ」

「ん~…」


 隣で眠る友人の体を揺するが、当の本人は「あと5分…」と毛布を手繰り寄せるばかりで、起きてくる気配は全くない。


 これがただの休日なら許すが、今日に関してはそうもいかない。

 今日は朝陽の仕事があるのだ。7時半には家を出ると言っていたから、普段なら問答無用で叩き起こしている所だ。


 だから今日は、昨日の気遣いに免じて、部屋のカーテンを全開にするだけに留めておくことにする。

 よく晴れた日だ。窓から真っ直ぐ差し込む朝の光が明るい。


「…ゆーきさん、まぶしい」


 眩しいくらいの朝日に目を細めていると、背後からそんな呻き声が聞こえてくる。

 寝起きの目には厳しい陽光を嫌がるように、毛布を顔まで引き上げる朝陽の姿がそこにはあった。


 …そう、ただの嫌がらせである。


「おいドラキュラ、はよ起きろ」

「…だれがドラキュラじゃ」

「今日仕事あるんだろ」

「んぁ~…」


 相変わらず言葉にならない呻き声を漏らす朝陽に、「ちゃんと起きろよ」とだけ言い残して、俺はすぐ隣の自室へと向かった。


 自室で適当に着替えてからリビングへ入ると、そこが予想外に綺麗になっていて正直面食らった。

 てっきり昨日の残骸が残っているとばかり思っていたが、空の缶は濯いで逆さに並べられ、つまみをのせていた皿は洗って水切りに置かれている。

 昨日の夜にやってくれたのだろうか?あいつも成長したものである。


 そんな感動もそこそこに、朝飯の支度にとりかかる。

 この同居生活を始めるまでの朝陽はろくに朝食を取っていなかったらしいが、一緒に暮らすようになってからは、どんなに急いでいようと食べさせることにしている。

 そんな努力の甲斐あってか、始めはあまり食べてくれなかったのが今では自分と同じ量、同じメニューを食べてくれるようになった。


 昨晩のうちにセットしておいた米は炊けているから、残りは味噌汁とおかずが欲しいところだ。

 後で温め直せばいいから、味噌汁は先に作った。具材はシンプルに、豆腐とわかめでいいか。


 少々考えた末、冷蔵庫から卵を、戸棚からはフライパンを取り出す。


 椀に卵を割り入れ、塩胡椒も混ぜて溶く。軽く味見をしてみるが、なんとなく塩味が薄いような気がするので、顆粒出汁を少々加えてから、温めておいたフライパンへと流し入れる。


「おはよー…」


 じゅわっと鳴った卵の音と匂いにつられてか、朝陽が起き出してくる。眠そうに目をこするその頭からは、ぴょんぴょんと寝癖が飛び出していた。


「おはよ、…飯にするからその顔と頭どうにかしてこい」

「…ん」


 洗面所の方を指して促せば、朝陽は素直に洗面所へと向かった。


 フライパンの中では、卵が固まりぷつぷつと泡が出てきていた。

 残りの卵液も流し込んで、ある程度火が通ったらくるっと巻く。焦げないようにまた火を通せば、それで出来上がりだ。



 朝陽は結構な甘党だが、玉子焼きは甘くない方が好きだと言う。

 ついでに言えば、目玉焼きには醤油派、蕎麦よりも饂飩の方が好きらしいし、一度気に入ったものはしばらく食べ続けたくなる質らしいが、…驚いたことに、玉子焼きの好みも含めて、自分とほぼ同じである。


 これらは皆、この生活を始めてから知った事実なのだが、そういう好みが合うのは非常に助かる。家事を預かる身としては、とても有難い。


 …なんてことを考えていると、洗面所から朝陽が戻って来た。思っていたより早いなと思ったが、その頭はまだ寝起きのまま。

 指摘すれば、「後で直す」との答えが返ってくる。さては直らなかったのか。


「あ、箸持ってってくれ」

「ん」


 箸や小皿を持っていくよう頼めば、ダイニングテーブルとキッチンを行き来する朝陽の頭で、寝癖はぴょこぴょこと揺れる。

 そんな頭でもそれなりに様になっているのだからイケメンは得だよなあ、と毎度のように思いながらも、炊いた米と味噌汁、玉子焼きと簡単なサラダを食卓に運ぶ。


 準備の整った食卓につくと、二人揃って軽く手を合わせる。


「いただきます」

「いただきます」


 それぞれ箸をつけてみて、軽く苦笑いが漏れた。

 玉子焼きはふんわり焼けていたようだが、味噌汁がちょっと薄かったからである。…ちょっと味噌が足りなかっただろうか?


 朝陽は何も言わず無言で食べ進めている。

 これは別に、怒っているとかではなく、単純に眠いだけだろう。


「思ったんだけどさあ」


 朝は同居人のテンションも普段より低い。

 静かに進む食卓の合間に、ふと朝陽が口を開いた。


「なんだ?」

「"ドラキュラ"ってなに?」


 突然何を言い出したかと思ったが、そういえばさっきこいつを起こす時に口走ったような気がする。

 朝の光に弱いから、吸血鬼ドラキュラ。朝なかなか起き出してこない俺たちに向かって、うちの母親がよく使っていた言い回しである。


「今それを言うか」

「今思い出したんだもん。何あれ、初めて聞いたんだけど」

「言わねえ?ドラキュラ」

「言わないよ、お前んちだけだろ」

「まじか」


 うちの母は、ちょっと抜けた所のある人だった。

 そんな母がよく使っていたアレは、どうやら我が家特有の言い回しだったらしい。…まあ、そんなことはどうでもいいけれど。



 そんな他愛もない会話を交わしつつも、この家では基本静かに食事は進む。

 友人たちや家族を交えた賑やかな場も楽しいものだが、こうして静かに食事を取るのも悪くはない。


 一緒に暮らす前から、朝陽と食事を取ることは何度もあった。それこそ、お互いに学生だった頃はしょっちゅうだ。でも、こんなに穏やかな食事の時間を過ごせるなんて、この生活を始めるまでは知らなかった。


 本当に、20年近く一緒にいても、この友人は知らないことばかりである。

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