王子様と文学少女
茉莉花茶
例えば世界に真実の愛が存在するとして。
例えば世界に真実の愛が存在するとして。
いや、存在するとしてというか、間違いなく存在はするのだけれど。
私がその真実の愛の一端にでも指先で触れようとすれば、この腕は崩れ落ちるか弾け飛ぶくらいはするだろう。
真実の愛に触れることが出来るのは、自分を愛せるモノだけだから。
高校生活にも慣れきってダレてくるようになってからというもの、どうにも私に対して無遠慮な矢印が向いているように感じる。
午後の授業が終わった頃に、部活に行く前の短い時間を使って私のことを眺めに来る下級生だとか。
いつも一定以上の距離をとってきて、話しかけると俯いてしまうような女子クラスメイトだとか。
女から女に対して矢印が向くのはフィクション特有のモノだと思っていたけれど。
どうやら身近にちょうどいい相手がいると、オンナノコは好奇心に別の皮をかぶせてすげ替えることができるらしい。
そういう子がこちらに対して幻想通りの生き方を願うコトと、そういう子の理の外にある行動を私がとった時の感情の爆発が厄介なモノなのは、丸2年を使って学習した。
笑顔で手を振るだけで俯いて逃げていく程度の子なら、面と向かって何かを言ってくることは無いケド。
………………
授業が終わって15分もすれば、ほとんどのクラスメイトは帰路に着くか部活に行ってしまう。
夏前の運動部はいつも忙しいし、文化系の部活は秋に向けて色々とやることがあるらしい。
特に部活にも所属していない私はといえば、適当な時間まで図書室で時間を潰し、暗くなる前に帰路に着くのがいつもの事で。
この時間潰しには、いつも一緒に下校する後輩をここで待つというルーティンも含まれている。
図書室の奥、作者名があいうえお順になっている小説の棚。
その一番上の段の端っこから、赤坂二郎の小説を抜き取ってパイプ椅子に座った。
赤坂二郎の小説は探す手間も無く、なんとなく読みやすくて頭に重たくない。
こういう話は適当に読む分には軽くて受け流しやすいから、目から入ってすぐに吐息となって出ていくのかも。
「笠幡センパイ、お疲れ様です」
「ああ、川越か。オツカレ」
30ページほどを読み切ったところで、背中から腕が回された。
スキンシップ過多の後輩、川越の登場である。
文芸部員である彼女は、いつも下校時刻より随分早い時間にここへ来る。
待ち合わせ、いつも通り、ね。
椅子から立ち上がって本棚へ本を戻し、川越の方へ向き直る。
文学少女然とした大人しそうな顔つきで、黒髪ロングに、そんな雰囲気とは対照的に身を飾る目的だとひと目でわかる姫カット……姫カットだっけ?
まあともかく、私より頭ひとつ分小さいこの女を、学校がある日は私は毎日のように待っているわけだ。
「センパイ、いつも同じ本を読んでません?」
「かもね、覚えてないけど」
「信じられないことですね、毎日読んでるのに覚えてないんですか?」
「興味がないからね、こういうの」
あくびをしながら、ふたりで連れ立って図書室を出る。
暖かくて、けれどどこか明るくなりきれないような色の夕陽を窓から浴びて。
ふたりで並んでゆっくりと歩を進めていけば、ものの数分で玄関口へ辿り着く。
ここで一旦別れて、二分後に校門前で合流するのも、またルーティンだった。
「おまたせしました、センパイ」
校門前で待っていれば、靴に履き替えた川越が小走りですぐにやってくる。
こういう女の子に無警戒に笑顔を向けられると背筋が粟立つのは、この二年での学習の結果だろう。
大人しそうに見える子は、結構な割合で根深いのだ、色々と。
合流して、ゆるい足取りでゆっくりと帰宅路を往く。
こうして帰るようになってから、すでに2ヶ月……3ヶ月?
コレがいつも通りになるのに、そう時間を費やしていないことくらいしか覚えてないけれど、少なくともこの関係は心地好い。
二人で帰るようになった日をちゃんと覚えてないって言ったら川越に怒られそうだから、そこは黙っておくことにする。
……我ながら適当すぎるかな?
「センパイ、また女の子に告白でもされました?」
「んぁー? いや、ここ最近はそういうのないよ、そんなふうに見える?」
「なんだか上の空だったので、なんなら私の話を聞いてなさそうだったので」
上の空だったのはそうだけれど、私は女の子に告白されると上の空になるのだろうか。
まあ私のことをよく見ているらしいこの後輩が言うのだから、多分そうなのだろう。
「まあ、その、ちょっと考え事をね」
「センパイ、考え事をするような頭を持ってたんですか?」
心底驚いたというような顔で、大変に失礼なことを口にする後輩である。
川越じゃなければ置いて帰っているかもしれない。
「失礼だね、でもまあ、嘘だから。何も言い返せないかな」
「センパイっていつもそうですよね。何か考えてる風で何も考えてないし、周りが勝手に良い方に解釈をするのを止めないし、だから一匹狼だの王子様だの尾ヒレが付いて好き放題言われるんですよ」
「まあ私ってほら、顔だけは良いから。最近は便利な日傘も手に入ったから快適で助かるよ」
「人を日傘扱いですか」
私の言葉に、川越は苦々しげに口元を歪める。
ザマーミロ。
「んじゃ、この辺で」
「ハイ! また明日!」
最寄り駅前のスクランブル交差点で、軽く手を振って別れる。
ふたりで歩くのはいつもここまでだ。
元気に手を振って自分の帰路へ着く川越を見てると、なんとも出来た良い後輩だと思わされる。
川越以外の女の子だとこうはいかないものだから、こうしていつも楽をさせてもらっているのだ、私は。
スクランブル交差点を渡って、私も自分の帰路へ着く。
変わらずゆっくりとした足取りで、夕陽の中を歩いていく。
駅前を通り過ぎ、スーパーの前を通り過ぎ、歩道橋を通り過ぎ。
明日もまた楽をさせてもらおう、そんなことを考えながら、ホンの10数分。
目の前には我が家。
扉を開ける、家の中へ入る。
また、あした。
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