第4話 国外の夕日

 国の外には広大な野原が広がっていた。


(何もない……。建物もないし、隣国なんて当然見えないわね。ここから一番近い国は、確か……モユファル王国だっけ。歩いていけるのかしら?)


 私には歩く以外の選択肢はなかったが、一体どのくらい歩けば良いのかも見当がつかなかった。夜になれば、野生の動物たちに遭遇するかもしれない。盗賊に襲われる可能性だってある。

 

(モユファル王国につく前に死んでしまいそうね。国外追放って死刑みたいなものじゃない……!)


 改めて自分がいかに無力かを思い知った。

 諦めに似た感情が湧き、木に寄りかかって座り込む。このままここで飢え死にするのが一番楽かもしれない。食い殺されたり、暴力を振るわれるよりは痛くないだろうし……。


 そんなことを考えながらしばらく座ったままぼんやりとしていた。

 時間的にはランチタイムも過ぎた頃だろうし、本当ならすぐにでも歩き出さなければ夜が来てしまう。けれど身体は動かなかった。




 どのくらい時間がたったのかは分からない。座りながら眠ってしまったようだった。

 目が覚めたのは馬車の音が聞こえてきたからだ。馬車は少しずつ減速し、私の目の前で止まった。


(止まった……誰かが私を迎えに来てくれたのかしら?)


 そんな淡い期待が頭をよぎったが、すぐに打ち砕かれた。


 窓から顔を出したのは、見知らぬお爺さんだった。グレイヘアで、鋭い目つきをしていたが、私を見つめる表情は怖いものではなかった。


「お嬢さん、こんなところで何をしているのかね? もうすぐ日が暮れるから、家族のもとに戻りなさい」


 口調は柔らかで落ち着いた声だった。まるで本当に私のことを心配しているみたいだ。


「無理よ。私は国外追放されたの。国一番の悪女だから。……だから戻る場所なんてないわ」


 私が投げやりに答えると、お爺さんは少し眉をひそめた。


「訳ありかね……。ではどうするんだい? 夜になれば悲劇のヒロインに浸っている場合ではなくなるがね」


「そんなことは分かってるけれど……」


 私がうつむいて呟くと、お爺さんは深いため息をついた。


「はぁ……世間知らずのお嬢さんや、その耳につけているピアスを渡してくれればモユファルまで乗せてやろう。どうかね?」


 突然の提案に私は驚いた。


(この人何者なの? このお爺さんのほかには運転手が一人いるだけだし、護衛がいないのは不自然だわ)


「ご提案はありがたいけれど、護衛もなくモユファル王国まで行くなら貴方も安全とは言えないのではなくて?」


 もしかしたら悪い人かもしれない。疑いの目を向けると、なぜかお爺さんは面白そうに微笑んだ。


「なるほど、観察眼はあるようだね。心配しなくとも、この運転手が護衛も兼ねているんだ。……さあ、どうするかね」


 このお爺さんが奴隷商人なら今よりも最悪な状況になりそうだけど、そんな風には感じられない。

 ここにいたら死ぬだけなのだから、答えは一つだった。


「……」


 私が無言でピアスを渡すと、お爺さんは馬車の扉を開けさせた。




 馬車の中は荷物が多く、私も荷物になった気分だ。


(学校の授業でモユファル王国までは馬車で4時間程度だって言ってたっけ……)


 余計なことを考えないようにどうでもいいことを思い出していたが、馬車に揺られているとジワジワと涙が溢れてきた。


 お爺さんは私が泣いていることには触れず、水を渡してくれた。差し出された水を無言で受取りゴクゴクと飲み干すと、身体中に水が染み渡るようだった。


(美味しい……)


 たくさん泣いて身体中の水分がなくなったせいか、とても美味しく感じた。この日飲んだ水の味は一生忘れないだろう。


 泣くだけ泣くと、涙は出なくなった。もう枯れてしまったのかもしれない。顔を上げると、だんだんと日が暮れて夕日が地平線に沈んでいくのが見えた。


「綺麗ね……城壁に囲まれた国の中では見れない景色だわ」


「そうだろうな」


 私がポツリと呟くと、お爺さんが静かにうなずいた。


(数時間前では考えられない状況ね。つまらない人生だと思ってたのに……刺激的じゃないの)


 私はこの時、生き抜いてみるかという気持ちになれた。


 


 モユファル王国に到着すると、すっかり日が暮れていた。

 馬車から降りると、お爺さんが私に聞いた。


「さてお嬢さん、この先どうするかね」


 この先どうするか、それは私がずっと考えていたことだった。答えなんて出ないけれど、今目の前の希望を掴まなくては生きていけない。


 私は姿勢を正すと、お爺さんの目を見た。


「道中大変お世話になりました。私はソフィア・リーメルトと申します。貴族学校に通っておりましたので、文字の読み書きと計算なら出来ます。た、体力にも自信があります! だからどうか、雇ってください!」


 自分がしてきたお辞儀の中で一番丁寧なお辞儀をした。

 正直自分でも酷いお願いだと思う。こんな世間知らずの娘を雇ってくれる人がどこにいるというのだ。

 図々しいとは思ったけれど、生き抜くためには他の方法が思いつかなかった。


 お爺さんは黙って私の話を聞いていたが、しばらくすると口を開いた。


「……まあ及第点だろう。望み通り雇ってやろう」


「あ、ありがとうございます!」


「ところで、何の仕事か分かっているのかね?」


「えーっと……分かりません」


 お爺さんは、やれやれといった様子で私をとある建物に連れていった。

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