第28話 追憶:生ける炎の覚醒:ミウ

「キミばかりに頼っちゃってごめんね」


 俺の額に濡れたハンカチを置いたミウ姉がぽつりとつぶやく。


 青白い光が満ちる地底湖のほとりにいた。

 土塊操作で進んだ先に見つけた不思議な空間だ。光るキノコが群生し、あたりを照らす。嫌な臭いも、嫌悪感もない。敵性生物がいない証拠だ。


 寝かされた俺は、浅く短い息をはいていた。

 意識がもうろうとして、身体が凍える。戦いで手足を絶たれたからだ。止血はできたけれど絶望的に血が足らない。

 

 寒気がやまない。震えが出ていたけれど、それも次第に止まっていた。明らかな死の兆候が出ていた。


「本当に、ごめんなさい。本当ならまだ学生のキミをこんな場所に連れてきちゃ駄目だった……」


 残った俺の手を握るミウ姉は心底辛そうだった。瀕死の俺を見下ろす顔。そんなの、死にかけている俺本人ですらつらい。俺は言いたかった。ミウ姉が謝る必要なんてない。ここへ来たのは俺が決めたからだと。だけど声はかすれて出せなかった。


 手に入れた幻想器アースの力は、ただのガキが持つには大きすぎる力だ。それは今までの人生観をぶっ壊すには十分だったし、助け出されて家に戻ったらこの後どうしたらいいのかわからなくなった。


 エボン神父がやってきてチームに誘ってくれたのはうれしかった。手に入れた力を全力で振るうことができる。そのための機会と場所がある。それは、救いに他ならなかった。


 謝らないで。俺が自分で決めたことだから

 身体が冷えていく。すべてが遠い。目もうまく開かない。


「アサヒ、駄目! 死んじゃだめだ」


 そう言われても、ひたすらに眠かった。目がかすむ。


「寒いよ、ミウ姉……」


 だんだんと視界が狭まるなか、最後にすこし声が出た。手足の痛みもあまり感じない。必死で叫ぶミウ姉の声はもう聞こえない――。



 ◆◆◆


「お願い、彼を助けて。もう死んでしまう」

「――――――――」

「それは」

「―――――――――――」

「でも、いえ、そうね……」

「――――― ――――――― ――」

「……わかった。それでいいわ」


 どこまでも落ちていくようなまどろみの中。

 聞こえないはずの声を聞いたような気がした。


 ◆◆◆


 暖かさはその時の俺にとって何よりも貴重なものだ。


 寒くて、眠くて、目が開けられなくて。もうこのまま永遠に目覚めないんだと思っていた。俺の意識は地底湖に戻っていた。なぜだろうと思うと、歌声が聞こえてきた。


「――― ――― ―――――」


 覚えがあるメロディ。たしか野営中に聞いたんだ。彼女の地方の子守歌。

 

「アサヒ目覚めた?」

 

 すぐそばで声。ミウ姉だった。俺は彼女に抱きかかえられていた。抱きしめられた腕は心地よく、柔らかな感触が背を包む。


「もう心配しなくていいよ。助かったんだよ」


 彼女の声はやけに弾んでいた。

 俺の出血は致命的だった。なのになぜ目が覚めた。 

 失ったはずの手足を見ると、そこに張り付いていたのは、不定形の軟体動物たちだった。


 てけり・り てけり・り


 歌うようにささやくように鳴いたそれ。深淵の救護者ショゴス。初めて出会ったのはこの時だ。


「この子たちがね。助けてくれたんだよねー。身体を治す力をもってるんだって。間一髪だったよ。偶然この地底湖が巣でね」


 そういう、ミウ姉の目は真っ赤に腫れていた。

 俺は本当に危なかったはず、都合よくショゴスの巣があったからよかったものの、そうでなければ本当に死んでいた。


 ゲル組織の中、無くなったはずの手足の感覚が少しずつ戻っていた。ぴくぴくと動く感覚がある。再生がまだ途中なのか、かゆみがあった。身体を起こそうとしたけれど力が入らない。


「あ、えっと、まってくれる? この子たちが言うにはね。キミの身体にはまだ血が足らないらしいんだよね。だからもっと治療が必要でね。うーん、どういえばいいか……」


 いぶかしむ俺に、ミウ姉は考え込む。そして「ええい、面倒だ!」と身体を起こした。そして――

 

 ショゴスの巣である地底湖に投げ込んだ。


 そこからは、まぁいつものパターンだ。

 口から極太の触手をぶち込まれて、胃の中まで。その時は下からも入れられたかな? ヤバいよな。初めてがショゴスだもんな。パニックで目を白黒させてる俺にミウ姉は言った。


「ご、ごめんね。でも、大丈夫らしいから……」


 俺は全身にもぞもぞとした感触を感じながら、首筋に打たれた薬で痙攣後、無事失神した。


 ◆◆◆


「私も、幻想器があればいいのにって願ったのよ」


 ショゴスの中でミウ姉の独白を聞いた。


「深淵で戦うには、幻想器が必要だってわかった。政府も企業が協力してジオード銃を使ったけどやっぱり力不足だ。だからキミに頼るしかない」


 深層では、民間に流れたジオード銃を持って、民間人が結晶掘りや魔物退治を始めている。深層までならそれでいい。だけど、深淵は敵の強さが違う。


「幻想器さえあれば。そしたら、キミを助けられたのに。みんなを守る、強い力が私にもあればって願ったのよ。そしたら、


 ミウ姉の手足から炎が吐き出す。

 赤々として、逆巻く焔。周囲を明るく照らす。


(え、それなに……?)


 笑っちゃうよな。しばらく寝てたらミウ姉が炎使いになってるんだから。


「私の幻想器ファンタズマ・グリモ。生ける炎の力だよ」


 彼女の胸には、ルビーの宝石が光ってた。その小さな構造物が幻想器の本体らしい。それがしゃべる。


『我は幻想器【紅炎神殿】クトゥグア・レア、願いによって顕現した。主に力を貸そうと決めた』


 ってね。


 ◆◆◆


「いい? いくよ」

 ミウ姉におぶられたまま、俺はうなづく。


【紅炎神殿】クトゥグア・レアお願い」

『承知した』


 ミウ姉の手足が燃え上がる。赤々と周囲の空気が灼熱し、渦を巻く。



「アサヒ」

「わかった。アース、空を」


 天井に向け、渾身の一振りを放った。頭上の地盤はすっかり掘り取られぽっかりと空が開けた。そこから炎が吹き上がる。ミウ姉から、ジェットのごとく炎が噴き出し、俺たちは一瞬でクリーム色の空へと躍り出た。


 地底世界深淵アビス

 空から眺めるのは初めてだった。


 地下とは思えない原生林。乱立する遺跡群。ひしめき合う異形たち。


「いい景色ね!」


『主、ミウ。人間の反応を複数観測。本隊であると愚考する』


 眼下にキャンプ中であろう一団が見えた。チームのみんなだ。

 ヴルトゥールの花園からそれほど離れていない。

 全員武器を背負っている。攻撃の直前か?


「こんなところにいるってことは、戦うつもりね」

「逃げてないってこと?」

「そうね。完全に見捨てられてたら、こんなところにいない!」


 俺とミウ姉は先回りし、ヴルトゥームの花園へ飛ぶ。

 チームが無謀な突撃をして帰る場所がなくなったら困るからな。


 生ける炎クトゥグアの力を振るう【紅炎神殿】の力はすさまじかった。相性もいい。あっという間にヴルトゥームとミゴたちを焼き尽くしてしまった。


 ミウ姉が幻想器を手に入れたのを皮切りに、俺たちの戦いは優勢に転じていくことになる。俺がアースを手に入れたみたいに、願う者の場所に幻想器は現れる。そういう風になっているらしい。



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