仕事をぶっちした俺は壊れテンションのまま最下層を目指した。

千八軒

東京大洞穴編

アサヒ復帰する

第1話 アサヒ仕事辞めるってよ

「仕事やめよ」


 そう思ったのは、朝焼けの光が差し込む早朝だった。

 昨日の帰宅は深夜遅くで、帰ってきてすぐ意識を失ったんだと思う。


 それで気が付いたらもう朝だ。

 身体中が痛いのはそのせいだろう。


「あーあ、頭もグチャグチャじゃねぇか……」


 頭をひっかきまわす。手を上げるのすらダルい。疲れなんてちっともとれていないらしい。それなのに今からまた仕事にいくのか俺よ。そう思ったら何もかも馬鹿らしくなった。


「よし、やめた」


 確か今日で18連勤目になる。もちろん休みの予定なんて無い。

 超絶ブラックな会社。毎日毎日限りなく続く労働。

 クレーム対応や、取引先へ頭を下げて回る日々。

 やりがい搾取さくしゅと、ちっとも共感できない愛社精神の強要。

 給料は少ないのに、休みも無いとはどういうことだろう!


「もうウンザリだ。うんざりだよぉ~」


 俺はつぶやきながら、押し入れを勢いよく開けた。

 スパァン! なんて音が小気味よく響く。


「辞めよう。それで、戻って探索者シーカーをやろう」


 安定したまともな職業。命の危険のない日常。そんなのを求めた日もあった。だけどそれは夢幻ゆめまぼろしだった。

 気の迷いで就職したけど、間違いだったと今ならわかる。


「ったく無駄な時間を使っちまったもんだ……、っと」


 俺はいそいそと、押し入れから荷物を取り出す。


 長い包みだ。何重に包まれている。

 布をほどいていくと、黒鉄に光るスコップが現れた。

 見るからに無骨だ。重厚で、刃の部分に厚みがあって、ギザギザなとってもヤバい外見。全長1.2メートルの柄。握って軽く振ってみる。見た目ほど重くないし、手にしっくりと納まった。


「すまん待たせた。ようやく戻る決心がついたよ『アース』」


 俺はスコップの柄部分に触れ呟いた。

 とたんに、スコップ全体に幾何学的な光の筋が走る。


 今からちょうど5年前。世界中で同時多発的に発生した【迷宮出現事変】ダンジョン・インパクト。突然出現した地下迷宮のせいで世界中の都市は大混乱に陥った。


 当時、まだ15のガキだった俺はその混乱の中にいた。地下鉄に乗っていて巻き込まれたんだ。親とも妹ともはぐれ、洞窟の中で1人泣いていた。


 地中の空洞に取り残されて3日。暗闇の中で生きようと足掻いたけど限界だった。

 もう死ぬんだと思った。だけど死ななかった。

 コイツと出会ったからだ。


『――もう良いのですか、アサヒ。私は50年でも100年でも待つつもりだったのですが』


 声が聞こえた。

 静かで落ち着いた女の声だ。涼やかで、流れるような声。目の前のスコップの柄から聞こえてくる。俺は、それを聞いて、ああなつかしいなと思った。


【土塊返し】アーススター

 俺の昔の相棒。

 世間では、魔素結晶体ジオ―ド作用機と呼ばれている道具の一種。あるいは気取って迷宮宝具めいきゅうほうぐとも。


 ダンジョンで採掘できる魔素結晶ジ・オードと呼ばれる鉱物をエネルギー源として超常の力を発揮することができる。ダンジョンを探索する探索者シーカーの唯一無二の得物だ。


「やっぱり、普通の生活なんて俺には無理だった。やっぱり俺の居場所は地底だったよ」 

『サクラには伝えなくても良いのですか?』


「帰ってから言うよ。兄ちゃん、探索者に戻るって。反対されるかもしれないけど、もう窮屈きゅうくつに生きるのは嫌なんだ」


『そうですか』

「アースは反対するか?」

『いいえ。アサヒが自分で決めたのならばよいのです』


 その時、携帯が着信を知らせた。

 どこからかは分かってる。会社だ。


『おい、斉藤アサヒ!! お前、何をしている!? お前の始業時間はとっくに過ぎているぞ! 遅刻だ!』


 遅刻? 遅刻だと? 今何時だと思ってやがる。まだ朝の6時になった所だぞ。

 こんな早朝に出社してくるこいつもこいつだが、「お前は俺より早く出社していろ!」なんて、頭がおかしすぎる。


「あー、すんません。俺、今日で仕事辞めますんで」

「ああ? 何を言っているッ!? ふざけているのか!」

 課長の怒鳴り声が電話越しでも響く。

 斉藤アサヒ。俺の名。しがない社畜だった俺の名。


 だがそれももう終わりだ。

 俺は、『ダンジョン』に戻るんだから。


 俺は無言で、アーススターの柄を撫でる。

 後押しするように、二度三度、光が明滅した。


「――課長。もう一回言いなおしますが、今日限りで仕事辞めます。後の事よろしくお願いしますね。――認めない? 前から辞めるって言ってましたよね。辞表を握りつぶしてたのは課長ですよね? 引継ぎ? 前から後任を探してくれって散々言ってたのに、動かなかったのも課長ですよね。とりあえず出てこい? はぁ――――」


 電話の向こうでは、まだ課長がわめいている。

『つべこべ言わずに出社しろ!』そう口汚く罵っている。


 あー、ヤダなぁ。

 本当は不本意ではあるけれど、しょうがないよなぁ。辞めさせてくれないんだから。


「知らない。興味ないですよ。あんたらにはもうウンザリだ。付きあってられないです。申し訳ないですがけど、これでさようならです」


 ぷつっ――と。返事も聞かずに電話を切った。


 トクトクと鼓動が逸る。だが不思議と落ち着いている。きっとここが俺の人生の分水嶺ぶんすいれい。後戻りができない事をやった自覚はある。けれども心は晴れやかだった。


「あははははは……あーあ、辞めちゃったよ。でもまぁ、ブラックだったし。ずっと辞めさせてくれって言ってたのに、辞めさせてくれないのが悪い」


『しかり。ブラック死すべし、です。アサヒよ。いざ約束の地を目指さん、です』

「だな。とりあえず深淵を目指すとするかぁ」


 新たな気持ちで俺はアーススターを握りなおす。

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