聖女誘拐事件
いつものように王都から1時間ほどかけて郊外の教会を回っていた時だった。聖女様は神殿をシンボルとした紋章のついた四頭立ての馬車に乗り、その周りは15人の騎馬隊が周囲を固めていた。
誰が見ても聖女様が乗っていると一目で分かるが、整備された王道しか使うことはなく、盗賊含めて一度も報告に上がったことはないし、騎士団が巡回もする道。
「敵襲っーーー!」
それはいくつもの住宅が立ち並ぶ街中で起こった。聖女様の馬車に手を振っていた住民は、その声を聞き、剣を抜いた騎士を見ると、悲鳴をあげて逃げ回り、人通りも多い道で人々は四方に逃げ回った。
馬車の進行を止めるように止められた藁を乗せた荷車から、五人の男が剣を持って現れ、後ろには小道からも荷車が来て、退路も塞がれた。
「上です!!」
騎士の一人が声を上げた途端、雨のように矢が降ってくる。一人、また一人と倒れ残ったのは騎士団長を含む重装騎兵だけだった。
「聖女様、必ずお守りします。しっかり鍵をかけて、頭を下げていてください」
騎士団長は決して馬車の入り口から動かなかった。前方に一名、後方に一名、傷付いた馬を捨てた騎士団長と残る二名を守るように、矢から逃れることが出来た騎乗した騎士が敵の動向を伺っていた。
聖女の祈りの声が護衛騎士達を震え立たせた。
「来るぞ」
敵の数は増えていた。騎馬兵二人が先陣を切り敵を蹴散らし、歩兵となった三人が馬車を守った。
「入り口は俺がつく!勝たなくていい!お前ら負けるなよ!」
敵の目的が殺すことなのか誘拐することなのか分からないが、歴史は悠然と語っている。誘拐の可能性が高い。
これまで神殿に忍び込んできた過激派は聖女信仰反対と叫んでいたが、神のいる場で聖女暗殺など出来るわけがなかった。神の前で、人間はとても無力だ。騎士が手を出すまでもなく、神殿内では神が聖女様を守った。
ーー聖女様を殺したかったら、火矢にするのではないか
相手も素人ではないことは剣が交わえばすぐにわかった。相手の剣に紋章はない。騎士落ちの傭兵か、あるいは他国の騎士か…
動きの速さでは劣るが、防御に隙のないフルアーマーの利点。騎馬がまだ残っているので、たった五人ではあるが、装備を考えれば十分勝算がある。
「煙幕です!」
「馬車から離れるなよ!」
瞬く間に煙が立ち込め、敵も含めて咳がそこかしこで聞こえる。
「放て!」
「ヒヒューーン!!」
甲冑を着ていては口を抑えることもできない。視界が遮られる中、馬が嘶くと同時に、腹部に衝撃が走った。ボウガンだ…そう思った時には片膝をついていた。
うまく呼吸もできない、甲冑に突き刺さるボウガン、部下たちの悲鳴。
ーー聖女様…
馬車の入り口に縋るように倒れ、最後に見たのは地上が輝く天国だった。
◇ ◇ ◇
「もう一つください」
「へい。お持ちしやす」
聖女は無事に誘拐されていた。
何日も酷い揺れの馬車に乗せられ、荷馬車の棚の裏に縛られたが、休憩の時は丁寧に対応され、縄も解かれる。野営をしながらも簡易ベッドに寝かされ、料理が運ばれている。聖女は大人しく男たちに従った。
「聖女様、俺の腕は皮一枚で繋がってたんですがね?今はこの通り。加護というのはすごいんでやすんね」
「腕がまだ生きていたからです。腕が死んでいたら傷が塞がるだけでした」
「オレは胸を斬られて死んだんですが、生き返りました!」
「まだ死んでいなかっただけです」
男たちは脅してくるどころか気軽に話しかけてきたが、料理長の料理が食べたいと思っていた。塩とハーブの味にそろそろ飽きてきた。
「いつまで馬車に乗ればいいのでしょう?」
「この森を越えればすぐですぜ!二日もあれば着くでしょう」
山がなかったことは助かった。革のコートを着ていたとはいえ、手袋も馬車の中に置いてきてしまった。野営のテントは寒く、布団の中でもコートを着たまま寝た。
安全の観点から、神殿から二時間の距離までしか祈りに行けなかった。特別な加護が欲しいものは大陸の端から数ヶ月かけてやってきた。一つの国と言っても、王都とそれ以外とでは、加護に大きな差を感じていたはずだ。
「騎士団長は大丈夫かな…」
矢が降り注いだ後、騎士が戦っている間戦闘を助ける小さな祈りをし続け援助したが、私たちに勝ち目はなかった。押し込まれた荷馬車の中にはハルバードやハンマー等、甲冑対策も豊富にしていた。それを温存していても誘拐されたので、綿密に計画した上での犯行だったのだろう。
ルートも予め決められていたはずだ。今日は関所も検査もなく通されていたので、目的地は近いと思っていた。
彼らの目的は、彼らの主人の娘に加護を与えることだった。その子が助かれば、後はどうでもいいと集まった騎士団上がりの志願兵だったらしい。きっと騎士団長も生きているはずだ。他の兵士も祈りを何度も与えたし、死んではいないはずだと生存を願いながら眠りについた。
ある屋敷に着くと、その家はとても異様だった。立派な門構えとは違い、屋敷の家具は極端に少なく、使用人も少ない。没落貴族と言われれば納得出来た。
「強引にお連れして申し訳ありません。私が…」
「今はあいさつより優先することがあります。祈りを必要とする方の元へ案内してください」
「はっはい!!」
色の落ちてはいが、貴族らしい服を着た男が出迎えたが、早々に目的を果たすために挨拶は断る。
想像とは違い、通された部屋で寝ていたのは同じ位の年齢の大人の女性。本来、神の加護の中にいるので病気にはならないはずだが、彼女は風邪でも引いたように顔を赤くしていた。
「私の娘、フェゼリーテです」
「なるほど。医師の見立てはどうだったのですか?」
「最初は風邪だと言われましたが、どんどんと酷くなって…今では呼吸すらもままならずに医師からはいつ死んでもおかしくないと言われています」
「そうですか。折角連れてきていただきましたが、フェゼリーテさんは私の祈りでは治りません。神の怒りに触れたのでは?」
加護の中にいれば風邪を引くことはない。人が犯す過ちは神の力の及ぶところではないが、不運な事故のようなものならば回避できるくらいの力。実際に確認しても、神の怒りに触れて加護を失ったとしか思えなかった。
「聖女様でも…ダメ…なのですか…」
「やったことはありませんが、私の祈りで一時的になら症状が落ち着くかも知れませんが…私の祈りは神の力ですから、神の意思には逆らえないと思います。まだ信仰心を力にする祈祷師の方が良いのでは?」
へたり込んでしまった白髪混じりの貴族の後ろから、開けたままだった扉から、女性が入室してきた。
「一番いいお茶を淹れてきやした!って、ご主人様、どーしたんすか!」
「私では治癒は難しいとお話ししたところです。祈りだけ捧げますので、後でありがたくお茶をいただこうかと思います」
後ろで悲鳴とも呼べるような鳴き声がする中、聖女は祈りを捧げた。聖女の加護は神の権利の一部を付与されたに過ぎない。だから、神の意思を無視して治癒を試みても一時凌ぎ。
国王達が流行病から治癒できたのは、神に謝罪をしたからだ。そして、王子が加護の恩恵を再び受けて森で過ごせたのは、体力があり他人を避けていたことで風邪を引かなかったこと、そして行動を改めたからだろう。
行動を改めるものには赦しを与える。たが、フェゼリーテは赦しをもらえていない。それには理由があるはずだった。
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