聖女と名無しの栞屋

 私は何年もかけて一人で街に出られるようになりました。騎士団長や騎士達はついていますが、どこのお店にも入れます。私は大人になったのだと実感したのです。

 先日二十四歳になった私の生誕祭が行われました。やっと大人になったのだと自覚できたところで、問題が出てきたのです。



 その一つは、私の結婚問題です。

 神殿は毎月のようにパーティを開いています。生誕祭で、それが私の結婚相手を見つける為だということを知りました。私は好きでもない人と結婚するつもりはありません。ですが、貴族の女性や平民は十五歳から十八歳で結婚するのが一般的なので、心配されていることは理解できます。


 二つ目は、アンドリューが生まれたことで、経験のあるユリエルがアンドリューにつくことが検討されていることです。姉としてはユリエルが側にいることは安心しますが、とても快諾は出来ませんでした。



「聖女様~!」



 マントを着ていても、話しかけられることは往々にしてあります。子供達の多くは暗黙の了解という言葉を知りません。



「こんにちは」


「こんにちは!聖女様、この間森に行ってくれてありがとう!」


「僕たちね、手紙読んでくれて嬉しかった!」


「じゃあ、もしかしてあなた達はリューとショーン?」


「そう。俺がリューで」


「僕がショーンだよ」



 二人は私の手を取って森へと連れて行きました。騎士達はもちろん同行しています。森は平坦ところに道を作っていることもありますが、前回馬車も通れたほど道が整備されています。それは騎士達が驚いたほどで、いつの間にか道は整備されたようです。

 そこで、私はこのまま森に向かってもいいのかと頭をよぎりますが、ここまで来て子供達の手を離すわけにもいきません。



「おっちゃーん!」


「聖女様連れてきたよー!」



 遠くの方で黒いマントを着たまま薪を割る男が見えました。おっちゃんと呼ばれているのが栞屋なのでしょう。



「お前らなんてことを…ッ…聖女様はお前らみたいに歩いたりしないんだぞ?お貴族様はみんな馬車に乗って街に来るだろう?」


「えっ…でも…」


「いいのですよ。騎士団長、帰りの馬車をここにつけてもらってもいいですか?」


「はい。そのように手配します」


 栞屋が言ったように、確かにこれまでで一番歩いたかもしれません。少し足が痛いのも事実です。でも子供達はピンピンしています。



「聖女様、栞屋だよ!入って入って!」


「ショーン!ずるいぞ!俺も聖女様と入る!」



 私はフードを被った栞屋の前を横切り、カランカランカランッと音を立てながら扉が開けられ、店の中へと入りました。空だった本棚には二冊の本が並べられています。そして、中央の机には、たくさんの木の栞が並べられているのです。先日訪れた時と、ほとんど変わらない光景です。



「こっちが僕が今読んでいる本!」


「俺は聖女様がくれた本を読んでる!」


「二人とも本を読んでいるの?すごくえらいわ!」



 本を読めるというのは、多くのことを学べているということです。それはこの子達の将来がずっと広がる可能性がある良い事でした。



「栞屋のおっちゃんが文字を教えてくれたんだよ!」


「おっちゃんは前は難しい本をたくさん読んでたんだ。なのに本が全部盗まれて…」



 栞屋は店には入って来ませんでした。



「騎士団長、栞屋を連れて来てください。そして、騎士団長は外で待機してる騎士と交代してください」


「それは出来ません。聖女様の身の安全に責任を持つのが私の仕事です」


「適材適所という言葉があります。騎士団長は顔が怖いので、猛獣が来ても逃げ出すでしょう。騎士団長は外で見張りを」


「お断りします」


「いいえ、子供達も栞屋も、騎士団長がいると威圧されてしまいます。これは決定です」




 騎士団長には悪いことをしました。でも、恐らく栞屋にいるのに必要なことだったのです。




「聖女様、お呼びと伺いました…」



 すぐに栞屋は店に入って来ました。窓際のベンチに座る私たちの前で、孤児院長に怒られている子供のように私たちの前に立ちます。



「栞屋はいつもどこに座っているの?」


「おっちゃんは、いつもここに座ってるよ。僕たちは一緒に座ったり、椅子に座ったり、ハンモックで寝たりしてる」


「なら、栞屋も一緒に座ってください」



 四人が座っても、狭すぎることはありません。子供達はベンチで座って大人しく本を読むわけではなく、立ち上がってみたり、机の上に広げて置いて立ったまま読んだり、飽きてハンモックでユラユラと寝転んだと思えば、床でもゴロゴロと寝転がります。



「栞屋、家族に会いたいとは思いませんか?」



 私はベンチの隅に座って、リューが置いて行った本を読んでいる栞屋に声を掛けました。



「わたしには家族はいません。親も名も捨てて森に住んでいるのですから」


「名がないのですか?」


「はい。子供達の呼ぶ、おっちゃんが、わたしの名となりました」


「そうですか…呼び名があるというのはいいことです…また来週来ますね」


「えっ?」



 私はリューとショーンと彫られた栞を見ました。でも、栞屋の栞には名前は何もなかったのです。それは少し寂しいことだなと思いました。



「聖女様、お疲れではないですか?」


「はい。少し疲れましたけど、街に戻ってください。みんなが本を読んでいて、私も本が欲しくなりました」



 騎士団長は、森へ行く時は装備が変わるとお小言を言いましたが、お休みの日の私の行動を制限することはありませんでした。



「騎士団長は顔が怖いのです」


「聖女様、俺の顔は武器の一つですよ!」


「武器はしまってもらわないと困ります」



 私は、少しだけ仕事について考え方が変わっていました。相手が仕事をしていても、たまには冗談を言ってもいいし、仕事ではない話を話してもいいのです。



「仮面舞踏会用のマスクでも被るのもアリかな…聖女様も一緒にどうです?」


「私に仮面を被せても意味がありません…仮面舞踏会に出てもいいのなら一緒に付けることも薮坂ではないですけど?」


「騎士団長として申し上げます。仮面舞踏会だけは聖女様が唯一参加できない夜会です。男は狼、女は豹となって肉食獣のように暴れ回るのが仮面舞踏会なのです。私がその場にいる全員を殺すことに同意してくださるならば、護衛としてお供いたします」


「……あっ!着いたようね」



 仮面舞踏会には、身分を隠して参加し階級による作法を不要とした特別ルールがあります。そこに、身分に縛られず男女が出会いを求めて集まるのだそうですが、私はマスクをしても聖女であることは隠せないので、迷惑となることでしょう。そんなことは分かっていますが、参加できないからこそ興味はあるのです。



 私は一冊の本を手に取りました。そしてその日は遅くまでユリエルの部屋で本を読んだのです。




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