第10話 血の誓約

「覚悟は決まったようだな」


 月灯りの下、一人の青年が立っていた。

 大聖堂の裏の森の奥深くにそびえたつ、大木。

 欠けた月が草むらを照らし出し、そこに佇む青年、エーヴァルトもまた照明を浴びたように浮かび上がる。草むらに住む虫たちの声が辺り一面に響いていた。時より吹く風が肌に心地の良い冷たさだ。


 貸し出し用カンテラを手にしたリーネは、ゆっくりとエーヴァルトに近づいていく。

 全ての準備は整ったのだ。あとは、エーヴァルトと取引をすれば終わる。リーネは、エーヴァルトから十歩程開けた位置に足を止めた。そして、月明かりに怪しく光るエーヴァルトの深海色の瞳を挑むように見つめる。


(大丈夫! あの堅物で有名な神官長だって説得できたんだもの! 正義の味方であるエーヴァルトさんなら、絶対大丈夫!)


 根拠の乏しいことを考えながら、ここに来るまでのことを思い起こし、リーネはカンテラを持つ手にぐっと力を入れる。


 図書室の仕事を終え、ひとりで夕食を済ませたリーネは、その足で、神官長の元へ向かった。レーナとは顔を合わせづらい。どんな顔をすればいいのかわからなかったのだ。

 思い切って、神官長室の戸を叩き、中に飛び込んだ。

 生贄の儀式のことが、重く心にのしかかってはいたし、それを命じた神官長に怒りすら覚えていたのだが、その思いをぐっと抑え込み、白髪交じりで鼠みたいな顔をした神官長に、切々と訴えたのだ。

 

 姉の儀式に立ち会いたい。姉の雄姿を見届けたい。たったふたりの家族で、今まで手に手を取り合って、助け合って来た家族である自分には、姉の最期を見届ける権利があるのではないかと。

 

 涙ながらに訴え続けた。演技で泣いているつもりだった。だが、半分は本心から自然と流れる涙だった。口に出して並べ立てた言葉も同様で、自分の言葉にまた悲しみや憤りが込み上げてきそうで、冷静さを欠かないようにするのが大変だった。

 最初は閉口して、目を丸くしていた神官長も、次第に涙ぐみ、最後にはリーネの肩に優しく手を置き、「リーネ。レーナに同行してあげなさい」と、思いの外、すんなりと了承してくれた。儀式ぎりぎりまで、神官長に纏わりつくことも覚悟していたリーネは、拍子抜けしてしまったくらいだ。それでも、なんとか殊勝な表情を取り繕い、何度も頭を下げてから、神官長室を辞した。

 

 神官長の了承を得た今、残るはエーヴァルトとの取引だけだ。

 自室にいるだろうレーナに顔を見せようかとも思ったが、決心がつかなかったので、神官長室からそのまま森へ向かったのだ。

 

 エーヴァルトと無事取引が成立すれば、これからいくらでも時間はある。今はどんな顔をしたら良いのかわからないけれど、問題が解決すれば、全て笑って流せるだろう。

 

 そうして、リーネはエーヴァルトの前に立っていた。結局、血の誓約が何たるかわからないまま、そのおどろおどろしい誓約を結ばなくてはならない。

 だが、覚悟など言われた時点でできていた。


「は、はい! で、でも……血の誓約って……一体どんなことするんでしょうか?」


 なるべく平静を装って訊ねると、エーヴァルトは怪しげに口元を緩める。


「文字通り、血を使った誓約を交すんだ」


「ぐ、具体的には?」


「お互いの、流れる血を体内に取り入れ、それから自分が命を賭してまで誓うことを口にする。誓約は絶対だ。破れば命を落とす。果たされれば、自然と呪縛は解ける」


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