異世界転生『バラモン賢者』〜世界皇帝のさらに上、最高階級バラモンの一人息子に生まれたけど何故か捨てられたので、階級社会のしがらみを忘れて異世界ライフを満喫することにしました〜
空花凪紗~永劫涅槃=虚空の先へ~
第1話 終わりと始まり
窓から斜めに過ぎゆく滑走路を眺めながら僕は決意を新たにする。この飛行機が向かうは極寒の地アラスカ。僕はその地で自死するのだ。
新年早々の機内は静かだが、それは別に乗客が少ないからではない。空港のラウンジには少なからずの乗客がいたのを覚えている。静けさの理由はここがファーストクラスだからだ。僕が大学に入って二年間バイトをして貯めた金の殆どが費やされたからには、静かでないと困る。だが、そんな平穏な時は永続などしなかった。飛行機の機体が安定してから数分後のこと。
「すみません。少しお話できますか?」
突如話しかけてきたのは髪をきっちりとまとめた好青年だった。男なのでキャビンアテンダントでもないし、機長といった風体でもない。他のファーストクラスに乗っている客だろうが、一体何の用なのだろうか。
「はい、構いませんが」
「ありがとうございます」
僕の返事に対して男は丁寧にお辞儀をすると、僕の目をじっと見つめてきた。僕は居たたまれず、数秒して目をそらしてしまったが、男の瞳は真剣な眼差しをしていた。すると、何やら胸から紋章の着いた警察手帳のようなものを取り出して見せてきた。僕は一瞬ドキッとした。だが、その心配は杞憂に終わった。
「失礼しました。実は、私は国際秘密警察の者でして、同じファーストクラスに同席したあなたをテロリストではないか検分しに来たのですが、あなたは優しく誠実で、正直な人のようです」
「はぁ……。それはどうも」
秘密警察だがなんだか知らないが、不意に褒められた。だが、これから死にに行くことになっているからか、余り嬉しくはなかった。いや、褒められたのは嬉しいのだろうな。そして、同時に褒められたことで死ぬのを躊躇う気持ちが少しでも湧いたことに不安を感じてしまったのだ。
どうせなら優しい言葉はもっと早く言って欲しかった。そうしたら違う道もあったかもしれないのに。だがもう、全て手遅れなんだ。何故なら僕は、人を殺してしまったから。僕は優しくなんかない。父親殺しの殺人犯だ。
「では、良き旅を」
男は丁重にそう言うと、自分の席の方へと去っていった。去り際、男の体から甘い香水の香りがほんのりと香った。男なのに香水をつけているのだろうか。不思議に思って男の方を見ていると、綺麗な女性が通路を横切った。白髪のボブヘア、空色の瞳をした彼女は僕の方をちらりと見て微笑むと、秘密警察を名乗った男の後をついていった。後には甘い香水の香りがした。あの男の連れなのか。いや、むしろ彼女が護衛対象なのではないか。
あんなに美しい人がいるんだと、通り過ぎて行った北欧美少女の顔を思い返しては、最後にいい思い出になったなと割り切り、考えても仕方ないことなので忘れて、僕はポケットからスマホを取り出した。機内モードだけど、電話帳を開いてある電話番号にメッセージを送る。中1の時からの癖だ。死んだ母の電話番号に、意味もないのにメッセージを送る癖。
『あの冬の日から二年間探し続けたけど、結局生まれた意味は分からなかった。僕の精神は疲れ果ててしまったよ。柔らかな僕の翼は今は休まる時。小説『阿寒に果つ』の純子のように、僕はアラスカの地にて世界で一番美しい死を、安らかな眠りを――』
その時だった。「手を上げろ!」と怒号が響き渡った。振り返るとそこには覆面を被った男が立っていた。その背後には銃を持った黒ずくめの男たちの姿があった。どう見てもハイジャックされたようだ。しかも、僕たちはテロリストに狙われていたらしい。先の国際秘密警察を名乗った男はやはりこれを想定したのかもしれない。
ファーストクラスにいた数名の乗客全員が一斉に両手を上げた。
「お前ら全員勝手に動くんじゃねえぞ! 動いた奴は殺す。分かったな!」
乗客は皆沈黙する。
「先ずはお前だ。ついて来い」
一人の老婦人が銃を突きつけられた。だが、その老婦人は恐怖に耐えかねて泣き出してしまった。その瞬間、彼女の頭に銃弾が撃ち込まれた。脳漿が飛び散り、女性は倒れたまま動かなくなった。他の乗客たちも顔色を変えて震え上がった。僕はそんな光景を見ながら、ゆっくりと立ち上がった。自分でも驚くほどに冷静だった。いや、死に場所を求めていた僕だからこそか……。
「おい、テメェ何やってんだ? さっさと座れよ。殺されてえのか?」
「……」
僕は無言のまま犯人グループを見据える。秘密警察を名乗った男は僕に向かって首を横に振っている。「座ってください」と言いたげな彼に向かって僕は微笑みを返した。
「いいだろう。ガキ。先ずはお前からだ。こっち来い!」
僕は言われるままに歩み寄ると、リーダー格の男の前に立った。その男は拳銃を僕の頭に向けると、舐めるような視線を向けた。
「ふうん……、なかなかいい面構えじゃねーか。そんなに死にてぇのか?」
「はい」
「へぇ、随分あっさり答えるじゃねぇか。怖くはないのか?」
「怖いですよ」
「ああん? 嘘つけよ。だったらなんで逃げようとしねえんだよ。まさか、俺を倒せるとでも思ってんのか?」
「いいえ、これっぽっちも思いません」
「舐めてんのか?」
銃で殴られた。痛くて、立ってられない。僕は地に伏してしまう。痛いのは慣れたものだ。男はそのまま僕の頭に足を乗せて喋り続ける。
「ねぇとは思うが……」
何やら呟きながら男は懐から鈍く輝く漆黒の石を取り出して、僕に向ける。
「変化なし。てことはこいつは神じゃねえな」
今、神って言ったのか?
「よし。ここでお前は見せしめとして殺す」
状況は最悪のままだ。結局、僕は暴力に屈するしかないのか……。口元を歪めながら笑う男が父の姿に重なる。男はそのまま僕の額に向けた拳銃の引き金に指をかけた。そして――。
「なっ!」
動いたのは秘密警察の男だった。彼は懐からナイフを取り出すと、男の喉笛を切りつけた。鮮血が吹き出すと同時に、男は床に崩れ落ちた。
続いてもう一人待機していた男が彼に向かって発砲したが、彼は素早く身を翻して弾丸を避ける。そして懐から拳銃を取り出してもう一人を撃ち殺した。その動きには無駄がなく、流れるような動作であっという間に二人を殺してしまった。
そのまま部屋の隅にいたもう一人の男の頭を鷲掴みにして壁に叩きつけると、首筋にナイフを突き立ててとどめを刺した。
あっという間の出来事だった。僕が何かをする暇もなく、気がついた時には全てが終わっていた。秘密警察は僕の方に振り向くと、微笑んで言った。
「少年、ありがとう。助かったよ」
僕は「どういたしまして」と答えようとした。だが、思うように声が出なかった。代わりに血を吐いてしまった。腹を見ると、白いシャツは真っ赤に染まっていた。
一瞬読み込めなかった現実を受け止めると、体の力がすっかり抜けてしまい、僕はそのまま後ろに倒れ込んだ。通路の向こうに、取り押さえられている男が一人いた。彼の手のそばに落ちていた拳銃から出る硝煙は、まるで僕の命の灯が消えていく象徴に思えた。僕は薄れゆく意識の中で、自分が死んでいくのを感じていた。
ああ、これでやっと終わるのだ。僕は安堵した。それと同時に後悔の念に襲われた。結局、僕は生まれてきた意味を知ることはできなかった。だけど、せめて最後にこれだけは言える。僕がいたから妹を父の暴力から救えた。僕がいたから他の乗客は助かった。あの美少女だって、僕が救ったんだ。それでいいじゃないか。それがお前の生まれた意味でいいじゃないか。
「ああ、ごめんなさい」
眼の前にあの北欧美少女の顔があった。悲しいのだろうか。泣いているその顔に手を伸ばす。彼女の美貌や透き通る声はまるで女神のものであった。
「あなただったのですね」
何を言っているのかは分からないが、彼女は血で塗れた僕の手を握ってくれた。優しく、慈しむように。
「向こうに行っても、私はここであなたのことをずっと見守っています」
彼女はそう言うと、僕の額にキスをした。そのまま僕は深い眠りに就いた。
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