第12話-SideA 夏休みの予定

 期末試験と、一学期最後のイベントである水泳記録会が終わると、学校は一気に夏休みに意識が向かう。


 明菜の今年の夏休みの予定は、後半だけしか決まっていない。

 夏休み後半、八月の下旬に久しぶりに両親が一時帰国してくれる予定になっているのだ。

 期間は十日ほど。

 その際、折角だから、と北海道旅行に行くことになっている。

 今から楽しみだ。

 本当は明菜の誕生日である八月十三日には帰ってきたかったらしいが、仕事の都合でどうしても日程が合わなかったらしく、何度も謝られた。


 ただ、それ以外の予定は現状まるで決まっていない。

 香澄やクラスメイトらと遊びには行こうと言っているが、具体的には全く未定だ。


 それに同好会活動もある。

 特に八月中旬のペルセウス座流星群は、やはり見てみたい。

 四月にやって以降、学校に泊まっての観測会はまだ実施されていないが、久しぶりに泊まり込みでの観測会をやるのだろうか、という期待はある。


 ただ。


(私、自分を抑えられるかな)


 四月と今では、夏輝に対する気持ちが違い過ぎる。

 あの時は恩人で、ちょっと変わった――自分限定だが――名前の友人、というだけだった。

 だが今は――誰よりも大好きな人だ。

 こっそりキスまでしてしまっている。多分彼は認識してないか、夢の中の出来事だと思っている気がするが。

 二人きりで夜の学校にいたら、そういう雰囲気になってしまうと抑えが効く自信はない。かといって解決策もなく――回避したいと思っていないのも自覚していた。

 香澄に話したらどやされそうである。


 とはいえ、実際に観測会をやるのかも含めて、いい加減夏休みの予定を――と思って地学準備室に着くと、扉が開いていた。

 夏輝の後ろ姿が見える。少し角度を変えると――なにやら嬉しそうにスマホを眺めていた。


(なんだろう?)


 まだ気付かれた様子はない。

 気になって、息を殺して背後に忍び寄る。

 人のスマホを覗き見るのがルール違反なのは重々承知しているが、好奇心には勝てなかった。

 すると、表示されていたのはいつものメッセージアプリ。

 そこに彼が『長野行、了解』と入力して、今まさに送信するところだった。


「夏輝君、長野行くの?」

「明菜さん!?」


 ものすごく驚かれた。

 その顔がちょっと面白くて、笑いそうになる。


「い、いつの間に背後に」

「今。なんか夏輝君、嬉しそうにスマホ見ているから何かなぁ、と思って」

「人のスマホ覗き見るのは……マナー違反かと」

「うん、それはごめんなさい」


 やはりやめておけばよかった、と後悔する。

 だが、夏輝もそれほど怒ってるわけではないようで、「まあいいけど」とあっさり許してくれた。

 ほっと胸をなでおろすと同時に――先ほどの文章が気になった。

 話の続きを期待して、夏輝をじーっと見てみる。


「ああ、うん。来月うちの親が久しぶりに帰ってくるみたいでさ。で、長野に旅行というかキャンプ行こうって。ちょうどペルセウス座流星群が極大化する頃と重なるし、俺の誕生日がその頃なんだ」

「え? そういえば夏輝君の誕生日って、いつ?」


 そういえば聞いたことがなかった。

 意外にクラスメイトの誕生日を聞くことはあまりない。

 聞いてしまうと誕生会などを期待したりされたりするので、よほど仲が良くない限りはそう聞き出そうという事はしないのだ。

 実際、クラスメイトで誕生日を教え合っている人は、今のところいない。

 ただ、夏輝の誕生日は――とても知りたい。


「ああ、言ってないか。八月十三日」


 一瞬呆然としてしまった。


「びっくり。私と同じだ」

「へ?」

「私も八月十三日」

「すごい偶然……だな」


 偶然というか運命めいたものも感じて、嬉しくなる。

 これなら、絶対にお互いの誕生日を忘れることはない。

 ただ話の通りなら、その誕生日に夏輝は長野に行っている、という事になる。

 当日お祝いできそうにないのは――残念だ。


「いいなぁ、長野って星空綺麗そうだし。そこで流星群かぁ」


 去年はあの事件の後ようやく立ち直りかけた頃で、香澄が家にやってきて無理矢理誕生日を祝ってくれた。

 ただ今年は、香澄は彼氏がいるし、部活も忙しいと聞いているから難しいだろう。

 一人の誕生日というのは少し寂しいが、その他で埋め合わせてもらうことにしよう――そう思った時。


「……キャンプ、一緒に来る?」

「え?!」


 意味が一瞬理解できなかった。

 理解が追い付くと、嬉しさでいっぱいになる。


「あ、いや、その、うちの両親と一緒でいいなら、なんだけど」

「それはもちろん。でも、いいの? 親子水入らずじゃないの?」


 夏輝だって久しぶりの家族との時間のはずだ。それを邪魔するのは気が引ける。

 心底、本当に一緒に行きたくても、彼の負担になるならそれは嫌だ。


「それは別にいいよ。……ホントに行く?」


 だが、どうやら本当にそれは嫌とは思ってないらしい。

 ならば、明菜に迷う理由はなかった。


「うんっ」


 多分嬉しすぎて頬が緩みまくっている。

 それが分かっていても――明菜はそれを引き締めることは出来そうになかった。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 その後。

 さすがに子供達だけで決めるのは問題外だし、そもそも明菜自身、親に何も言わずに行くのは問題があると思ったので、親への許可はちゃんと取ります、と宣言してその日は解散した。


 そして帰宅後。

 時計を見ると現在十七時前。

 アメリカ西海岸にいる両親の時間は――確か時差はマイナス十七時間だったはずだから、日替わり直前の時間帯だ。

 まだ起きている可能性もあるが、さすがに電話するのは気が引ける。

 とりあえず事情を書いたメッセージを送ることにしたが――どう送ればいいのか、悩んでしまう。

 ただ、あまり悩んでいると両親がメッセージを見るのが明日になり、そうなると返事はさらに遅くなるだろう。


『友達と八月に旅行に行く話があります。相手のご両親も一緒なので、行ってもいいでしょうか』


 これだけとりあえず送った。

 が、送った後にこれだと相手が男性だとは伝わってないことに気付く。

 それで許可されて、あとで発覚したらもっと厄介だ。とはいえ、さすがにあまりに詳細が不明だから、多分確認の連絡はあるだろう、と思ったら――。


 突然スマホが呼び出し音を鳴らした。

 メッセージの着信ではない。これは電話の呼び出し音。

 発信者は――父だ。


「もしもし」

『もしもし、久しぶりだな、明菜。元気か?』

「うん。元気だよ。えっと……メッセージ見て、だよね?」

『うむ。さすがにあれだけではどういうことかわからなくて、確認だ。ただあの内容だと、二条さんのところと、というわけではないだろう?』


 二条家とは中学生の頃、ほぼ家族ぐるみの付き合いをしていた。

 その関係で、向こうの家族と明菜と母親で旅行に行ったこともある。


「うん、違う。同じ天文同好会の人。で……その、クラスメイトの、男の子」


 言うべきかどうか迷ったが、やはり言わなければならないだろう。

 父はそこまで厳格ではないが、かといって寛容すぎるという事もない。

 もっとも女子高生で一人暮らしを許してしまうのだから、世間一般的に見れば、相当寛容だとみるべきかもしれないが、そこは明菜を信頼している、という事でもあるのだろう。

 だとすればこれは、その信頼への裏切りととられるかもしれない。


『……もう少し詳しく聞いていいか。どういう子だ』


 少しだけ声が硬い。当たり前と言えば当たり前だろう。


「どうといっても……すごくいい子で、同じ天文同好会……ってのは今言ったね。その、どういえばいいのか……」


 夏輝のいいところを言おうと思えばいくらでも言える。

 ただそれが父の望む答えかと言えば、それは違う気がして言葉が出ない。


『明菜。その子のこと、好きなの?』

「お母さん?」


 突然母の声が割り込んできた。

 何事かと思ったが、多分スピーカーモードで二人ともそこにいるのだろう。

 そして、あまりにピンポイントな質問過ぎて驚く。離れていても、たったこれだけの会話でも気付かれるものなのか。


『ちゃんと答えて。どうなの? 去年の――のような気持じゃないの?』


 思わず目を見開いた。知っている可能性はあるとは思っていたが、言及されたのは初めてだ。

 両親には、前の彼氏山北重雄のことは一度も話していない。とはいえ、去年は夏前に一時帰国してきたので、ちょうど落ち込んでいた時期を見られている。

 あるいはその時に、香澄に事情を聞いた可能性は――十分にあるだろう。


「……好き。あの時とは違う。夏輝君が本当に――大好き」


 両親相手にこのようなことを言うのはどうしようもなく恥ずかしい一方、この気持ちがどれだけ真剣なのか、両親に理解してもらいたいという思いが強くなっていく。


『相手の方の名前は?』


 再び父の声。


「秋名夏輝君。季節の秋に名前の名、夏に輝くって書くの。名前、ちょっとおもしろいでしょ」


 電話の向こうでも笑ったような気配があった。

 この名前は、さすがに驚くだろう。


『ご両親が一緒とのことだが、どういう方かわかるか?』

「ご両親はどちらも写真家って言ってた。名前は……ごめんなさい、聞いてない」

『旅行と言っていたが、どこに行くんだ?』

「詳しくはまだ聞いてないの。長野にキャンプだってことだけ。その、流星群観に行きたいの」

『そういえば天文同好会と言ってたな。なるほど。そういえばそういう時期か』

「お父さん知ってるの?」

『こっちでも少し話題になってるからな。こっちだと深夜に一番極大化するとかで』


 時差の都合で、日本は流星群の一番いい時間は明るいことが多い。

 ちょっとだけ羨ましくなる。


 なにやら向こうで話しているようだが、よく聞こえない。

 一時的にスピーカーをオフにしているのかもしれない。

 やがてそれが聞こえなくなると、父の声が鮮明に聞こえてきた。


『少し待っていなさい。母さんとも相談してからまた連絡する。そう遅くはならないようにする』

「うん、わかった。待ってる。またね、お父さん、お母さん」


 それで電話は切れた。

 思った以上に緊張していたのか、大きくため息が出る。


 許可されるかは――分からない。

 さすがに両親がダメと言ったら、それに逆らうつもりはない。

 言いたいことを全部言えたかは分からないが――あとはもう両親の判断に任せるしかないだろう。


(許してくれると――いいな……)


 今流れ星が見えたなら、多分三回願いを言える。

 そのくらい――明菜は強く願っていた。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 翌朝になっても連絡は来ていなかった。

 とはいえ、アメリカあっちは今は真昼間だ。

 相談して決めると言っていたが、この時間は少なくとも父は仕事だろう。

 あの後すぐ返事が来てなくて、深夜――あっちでは朝――に返事がなかった以上、返事が来るとしたら日本時間では早くても十時くらいか。


 ただ、今日は一学期の終業式なので、午前中で学校は終わってしまう。

 その後同好会でしばらく学校にいても、旅行の可否を今日中に夏輝に連絡するのは難しいかもしれない。


 明日から夏休みということもあり、教室はどこか浮き立つような雰囲気がある。

 ちなみに先ほど数人の男子生徒から休みの予定は、と聞かれたが「未定です」とだけ返して、それ以上の言及はさせなかった。

 長野に行けるかどうか分からないから、両親が帰ってくる八月後半以外は現状ほぼ空白なのは事実だ。


 夏輝を見ると、クラスメイトの何人かと話していた。

 夏休みの予定や、あとは休み明けから本格的に始まる文化祭に向けての準備の話もしているようだ。


 文化祭それ自体は実行委員が主体となって進めるが、クラスの出し物の準備はクラス全体でやる。一年の時は全員が委員に就任する都合で、クラス担当と実行側の担当で分担されていたが、今回は男女一人ずつ。

 全体でも中心となる二年生の実行委員はかなり忙しいので、学級委員がクラス側を引っ張るケースはどうやら多いらしい。

 そして――夏輝も明菜もその役割を期待されているし、夏輝は今のところその期待に十分に応えつつある。


 それを見てると、明菜は嬉しくなる一方――複雑な気持ちにもなる。

 このまま彼が本来の力を発揮すれば、遠からず彼の魅力に気付く人は多くなる。

 それが気が気ではないが――そういう意味では、明菜にとってもこの夏休みは勝負の季節と言えた。


「夏輝君、楽しそうだね」


 夏輝への相談が一段落したのを見計らって、声をかける。

 最近、教室でも彼と話す機会は大幅に増えた。

 それは、彼に対するやっかみともいえる視線の数が大幅に減ったからでもある。

 まだ皆無とは言わないが、どちらかというと明菜と夏輝を応援してるような視線を感じることもある。


「まあ、そうかな……多分明菜さんのおかげだ」

「そうだと嬉しいな。じゃ、またあとでね」


 たったこれだけの会話でも、心が浮き立つのを感じた。

 単に職員室にクラスメイトから集めた夏休み中の補習授業――成績が芳しくない者だけが対象だが――の出欠予定を書いたプリントを持っていく前に声をかけただけである。

 どうせあとで地学準備室で合流するのだが、その前にちょっとでも話したかったのだ。


 四十枚近いプリントを無理やりクリアケースに入れて、職員室へ向かう。

 教室内はある程度空調が効いているが、廊下にはない。

 なので実は、学校で一番暑いのは廊下、つまり移動中だ。

 職員室までの距離はそれほどあるわけではないが、早くも汗ばんできてしまう。

 今年の夏もやはり暑い。


 職員室に入ると、教室以上に効いた冷房の涼気で、むしろ寒気すら感じた。


「先生、補習の出欠予定、集めてきました。確認お願いします」

「おお、那月か。ご苦労。どれどれ……」


 一応教師の確認を待つ。

 と、スマホがメッセージの着信を知らせてきた。


「あ、先生、ちょっとすみません」

「ああ、いや、大丈夫そうだからもういいぞ。ご苦労さん。那月も夏休み、有意義に過ごせよ」

「はい。では、失礼します」


 一礼して職員室を出ると、すぐにスマホを取り出した。

 メッセージの着信が一件。

 差出人は竜也、とある。

 父だ。


 メッセージを開くのが怖かった。

 通知欄にはメッセージの冒頭だけが見えているが、『お前がそこまで言う』とまでしか見えない。

 これでは内容は分からない。

 報告のメッセージは最初に結論を書くべきだ、などと意味の分からない文句を言ってみるが――開けばすむことに、明菜は一分近く葛藤していた。


 意を決して――メッセージを開く。


『お前がそこまで言うのなら、相手の親御さんもいるとのことなので、許可する。楽しんできなさい』


「やっ……」


 危うく大声をあげて飛び上がるところだった。

 が、かろうじてここが職員室のすぐ前であることを思い出し、自重する。


 準備室に行けばすむ話だが、一秒でも早く夏輝に伝えたかった。

 絵文字スタンプで『やったー』というのと一緒に、先ほどのメッセージのスマホの画面スクリーンショットを送る。

 その後、考えてみたら彼が父の名を知らないことに気付いて、慌ててメッセージを追加した。


 それから、ほとんどスキップでもしそうな勢いで、教室に戻る。


 夏休みが――始まった。

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