第13話 キャンプ準備と思わぬ遭遇

 長野へのキャンプに明菜が一緒に行くことは、夏輝の両親にもすぐ承知された。

 母親はなにやら勘ぐってきたが、とりあえず付き合ってはいないが仲がいい女子、とだけ言ってある。

 実際、まだ付き合ってはいないはずだ。


 キャンプ道具自体は、準備の必要はほとんどない。

 撮影旅行ではしょっちゅうキャンプめいたことをしている両親なので、道具は家に揃っている。

 とはいえ、それは道具だけであり、特に明菜はキャンプに適した服というのは持ってない。


 そのため、夏休みに入ってすぐ、二人は買いに行くことにした。

 今回は夏輝も最初から付き合う。

 夏輝自身はキャンプに向いた服というのは少なからず持っているし、当然どういう服がいいかもわかっているので、そのアドバイザーとしてだ。


 今回行くのは別に山奥の人跡未踏、という場所ではない。

 両親からの情報によると、お手洗いは確保しているというか、近くに温泉施設があるらしいので、贅沢にも温泉も堪能できるという。

 どうもプライベートのキャンプ場のようなものらしい。

 この辺りは両親の人脈に感謝である。


「お待たせ、夏輝君」


 ショッピングモールのエントランス脇で待っていた夏輝は、その声に振り返り……思わず息をのんだ。

 彼女の私服はもちろん初めてではない。

 ただ、本格的に夏になってからは初めてだった。


 ノースリーブの薄いグリーンのワンピースは、裾に向けて色が少しずつグラデーションで濃くなるデザイン。それにレース生地の上着を羽織っていた。

 ワンピースは腰の辺りで紐とゴムで腰がきゅっと閉まっていて、そこから先のスカート部はギャザーが入って緩やかに広がるようになっている。

 清楚な雰囲気が制服以上に強調されているように思えた。

 だが上着の前は当然閉じていないし、ワンピースの胸元は鎖骨辺りまではっきり見えるほどに開いている。

 明菜以外がこのような格好をしていても、夏輝は別に気にしないだろう。

 だが、気になっている女の子がこんな格好をしていては……。

 端的に言えば、目のやり場に非常に困る。


「どうしたの? 顔紅いけど、風邪気味とか?」

「だ、大丈夫。なんでもない」

「そう? ならいいけど」


 そういうと、あろうことか夏輝の腕をとると、そのまま自分に抱き寄せてきた。


「ちょ、明菜さん!?」

「ほら、人が多いし。モールの中は涼しいからいいでしょ?」


 そういうと、明菜は夏輝を引っ張ってモールに入っていく。

 無理やり振りほどくわけにもいかず、夏輝はついていくしかできない。

 若干、周囲から羨望めいた視線も感じる気がする。


「……明菜さん、俺をからかって遊んでない?」

「あ、やっぱりわかる?」


 くすくすと笑いながら、ようやく腕を解放してくれた。


「ごめんごめん。なんか私見て驚いてたから、つい。この服、どうかな?」

「……うん、その、すごく、似合ってると、思う」

「えへへ。ありがと。嬉しいな」


 そういうと、今度は普通に手をつないできた。


「さ、行こ。夏輝君」


 傍から見ても――というよりは当事者も、どうやってもこれはデートにしか見えないだろうな、という自覚はある。以前のように『友達と出かけている』という気持ちには、もうあまりなれなかった。

 彼女の行動一つ一つに胸の鼓動は高鳴るし、愛おしく思えてしまう。

 正直に言って、こう思うの自体、夏輝は初めてだ。


(今更のようだけど、初恋なんだろうか、これが)


 少なくとも記憶する限り、特定の女の子を好きになったことはない。

 それは確かだ。

 よくある母親に憧れる、という事もなかった気がする。

 正直に言えば、好きという言葉を異性に使ったことも、おそらくないはずだ。

 多分――明菜にとっても、自分がただの男友達というだけではない、とは思う。

 ただ、あと一歩踏み出す勇気が、まだ持ててない。

 先日膝枕された時に――寝入ってしまった夢の中では言っていたが、実際に面と向かってはまだ、言う勇気はない。

 そういう意味では、今回の旅行は――親が一緒とはいえ――とてもいい機会だとは思っている。


「あ、この服可愛い。これ、キャンプ的にはどうかな、夏輝君」

「丈夫な生地みたいだし悪くないかな。ポケットも結構あるし、難燃素材だし」

「じゃあこれと……あとは……」


 結局明菜は服を数着と、あとは靴を買った。

 特に重要なのは靴で、こればかりは見た目より機能性重視で選ぶ。

 お昼ごはんを挟んで買い物を終えたのは、夕方三時。

 少し早いが、帰路に就くことにした。


「送ってくれなくてもいいのに」

「まあせっかくだし。一駅歩くだけだしね」


 今回のモールは明菜の家からならやや遠いが徒歩の距離。

 明菜の家まで送ったら、そのまま普段使っている駅から帰ればいい。

 ほぼ一駅分歩くが、むしろ定期券ですむので都合がいい。


 途中、森林公園に入る。

 この中を通った方が近道だからだ。


「思えば、この公園で夏輝君に助けてもらったのが……縁の始まりだったね」

「まあそうでなくても二年で隣同士にはなっただろうけど」

「でも正直に言うと、あれがなかったら天文同好会のことは聞かなかった気がする」

「……確かに。なんであの時屋上にいたのか、からだったからね」


 四カ月ほど前のことだが、ずいぶん昔のようにも、ついこの間のことのようにも思える。

 あの時の小さな偶然が、今二人が並んで歩いている状況を導いたのだろう。

 その積み重ねの一つ一つに感謝したいし、そしてこれからも――感謝し続けたい。


 多分夏輝も、そして明菜も少し――いや、かなり気持ちが浮ついていたのだろう。

 だから――に気付かなかった。


「よお明菜。今日こそ話をさせてもらうぞ」


 明菜がビク、と震えるようにして、身体を強張らせた。

 反射的に、夏輝は明菜とその声の主の間に入る。


「何の用です、山北先輩。あなたとはもう、終わったといったはずです」

「そういうなよ、前みたいに『重雄さん』って呼んでくれよ。俺も反省しているんだからさ」


 明菜が怯えたように、夏輝の袖をつかんだ。

 その手は、わずかに震えている。

 声も少なからず緊張をはらんでいるのが分かる。


「そんななよっとした男に頼ってどうする。俺のところに戻ってこい」


 ある意味、夏輝は感心していた。

 人間、どうやったらここまで――厚顔無恥になれるのか、というある種の見本にすら思えたからだ。


「それ以上近寄るな。彼女が怯えている」


 明菜が驚いて顔を上げる。

 それほどに――夏輝の声は、強い意志が込められていた。


「あ? なんだこのガキ。少し痛い目見せてやろうか!?」

「もう一度言う。それ以上近寄るな。そしてすぐに立ち去って、二度と彼女の前に現れるな」


 自分でもこれだけのことが言えるのだな、と内心驚いていた。

 ただそれくらい、目の前の男に対して頭にきていたし――容赦する必要はない、と感じていた。


「少し離れていて、明菜」


 そういうと、夏輝は明菜を少しだけ押して数歩下がらせた。


「ダメ、夏輝君、この人、力強いから……」

「大丈夫。明菜は下がってて」

「なめてんじゃねえぞ、このガキ!!」

「だめぇ!!」


 男が殴り掛かってくるのと、明菜が叫んだのはほぼ同時。


 夏輝は殴り掛かってきた相手の拳に掌を合わせると、勢いを殺さずにそのまま方向をそらし――たいを入れ替えると同時に、足を払う。

 腕を取られたままつんのめった山北は地面に顔面を叩きつけられそうになるが、夏輝は掴んだその腕の角度を調整し――。


「ぎゃあああ!!!」


 捻りあげられた腕に支えられて、彼の顔面と地面の接吻は防がれた。

 ただし、その勢いで腕が本来動くはずのないところまで動いたため、腕にはものすごい激痛が走っただろう。

 そしてそのまま膝立ちになった男のもう片方の腕をとると、空いたもう一方の腕で手首をつかみ、動かせなくしてしまう。

 夏輝は相手の両腕を極め、さらに膝立ちで抑え込んだ状態にした。しかも無理に立ち上がろうとすると、腕がさらに極まってしまうようにしている。


「え……いま、何が……?」


 明菜は何が起きたかわからず、呆然としている。

 とりあえず彼女が少し落ち着いたのを確認すると、夏輝は目の前の膝立ちの男を見下ろした。


「まだやるか? このまま関節を外してもいいんだが」


 軽く力をいれると、肩があり得ないところまで回ろうとする。


「や、やめろ!! 離せ、腕が折れる!!」

「大丈夫。折れたりはしない。先に外れる。けど、外れたらつけてやる。ものすごく痛いだろうけどね」


 山北の顔が蒼白になる。

 夏輝の言葉が冗談はなく本気だと分かったのだろう。


「最後にもう一度だけ言う。今すぐ立ち去って、二度と彼女の前に姿を表すな。次に彼女の前に現れたなら、その時は容赦しない」

「わ、わかった、わかったから離してくれ!!」


 山北の顔は痛みと恐怖からか、涙と鼻水で酷い有様だった。

 夏輝が手を離すと、つんのめった山北は顔面を地面にぶつけそうになり、今しがた極められて痛めていた腕でかろうじて体を支え――その際の痛みに悶絶したのか、そのまま無様に地面に転がった。

 しかしそれでも、一瞬でも早くここから、というより夏輝から逃げたいのか、よろよろと立ち上がって逃げていった。


「ちょっと……やりすぎたね」

「い、今の……何?」


 明菜の声は少し震えているように思えた。

 突然こんなことをすれば、怯えられて当然だろう。

 ここまでする必要はなかったのだが、どうしても抑えが効かなかった。

 明菜に手を出される可能性をなんとしても消しておきたくて、ほとんど手加減が出来なかった。


「その、俺の祖父、古武術の師範なんだ。で、子供の頃からずっと習わされてた。俺も詳しくは知らないんだけど。まあ、護身術として覚えておけって言われてやってただけなんだけどね」

「夏輝君が武道やってるなんて思わなかったから……ちょっとびっくりした」

「うん。まあ正直、人前で見せたのは初めてだ。うちの学校、格技の授業ないしね。ごめん、怖いよね、こんなの」


 すると夏輝はすごい勢いで首を横に振った。


「そんなことない。ありがとう、夏輝君。守ってくれて」


 その声はいつもの、夏輝の好きな明菜の声。


「夏輝君が強いとか全然想像もしなかったから驚いたけど、でも私を護るためにしてくれたって、すごく嬉しい。本当にありがとう」

「いや……俺もちょっと抑えが効かなかった。やりすぎたと思う。じいちゃんには武術は手段であり心を鍛えなければ正しく使うことはできないって、いつも言われていたんだけど」

「夏輝君の中では、私を護ることは正しい使い方じゃないの?」


 そういわれるとは思わなくて、夏輝はきょとんとしてしまった。


「あ、いや。その、明菜さんを守りたかったのは事実だけど……」

「じゃあいいじゃない。私は本当にうれしかったんだから。……あとさ。さっき、『明菜』って呼び捨てにしてくれたよね。もう一度呼んでくれない?」

「え……あ、いや。ちょっと良く、覚えてない。少し興奮してたから、かも」


 嘘である。

 はっきり覚えている。

 ただ、なぜそう言ってしまったかは夏輝にも分からなかった。


「えー。うーん。まあいいや。今度頑張ってもらおうかな。それにしても夏輝君、ホントにスペック高過ぎない?」

「それ、君が言うセリフじゃないよね」


 これだけの容姿に加えて、男女問わず惹きつけるその立ち居振る舞いと性格。そして学校の成績もよく、運動も得意。

 誰もが憧れる女子生徒だと思う。

 さらに人を元気づけてくれる、そんな力がある。

 実際、自分は彼女のおかげで中学から引きずっていたものを解き放てたのだと思う。


「えー。そうかなぁ。絶対夏輝君の方がすごいと思う」

「そこは見解の相違だなぁ」


 二人でクスクスと笑う。


「少なくとも、今日のところは大丈夫だと思う。もう、家は近いよね?」

「うん、ありがとう。……あのね」

「ん?」


 明菜は言葉を止めると、ふわりと音がしたように、夏輝のすぐ横に踏み出して。


「ものすごくかっこよかったよ、夏輝君」


 耳元で囁かれたその言葉は、吐息すら感じられるほど近く。

 直後、頬の、それも唇に非常に近い場所に柔らかい感触が触れた。

 その正体を確認するよりも先に――。


「じゃ、またねーっ」


 明菜は、走り出していた。

 あとには、真っ赤になった夏輝だけが残されていた。

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