14 蝶ではなく、フェイシーとして。
次に会った時、エマの空気が変わっていた。
「あ、フェイシーちゃん。話さなくちゃいけないことがあるんだけどね」
話したいこと、ではなく、話さなくてはいけないこと。その微妙な違いをフェイシーは感じ取った。きっとあの後に何か起こったのだろう。
エマさんは真剣な顔で伝える。かなり考えた結果、今こうして話そうとしていることが伝わってきて、フェイシーは息をのんだ。
フェイシーはエマさんの家に訪ねたけれども、いつものように立ち話ではなくて、家の中に招き入れられた。そして椅子に向かい合って座ると、エマさんは話を始めた。
「……実は昨日の夜、魔女らしい人に会ったの」
「本当ですか」
「そう、それで……あなたが人間になるの、私は反対よ」
と言いにくそうに、しかしはっきりとした態度でエマは言った。意外なことだった。
「どうしてですか」
「こっちが聞いてみたいかも。どうして蝶人形のままでいたいと思わないの? はちみつだけで生きていけるし、青い花だって出せるのに」
エマが変わったのではなく、フェイシーを見る目が変わっていたのだと、気づいた。それはおばあちゃんにも言われたことだ。きっとそう思う人も多いだろう。けれども……。
「ダメなんですか」
フェイシーは、本当はそうしたくないはずなのに、責めるような口調で言ってしまった。
ダメ? 考えてはいけない? 人間になりたいと思うのは、人間の笑顔を見たいと思うのは、人にあこがれるのは……。
そうか、私はあこがれていたんだ。フェイシーは今更ながら気がついた。言葉があって、いろんな人と関わることができて、夢を描くことができて、未来を想像できる。そんな人間に、あこがれていた。
フェイシーは抑えきれない悲しみが込み上げてくるのを感じた。
「エマさんなら、わかってくれると思っていました」
でも違ったんですね、と言って、フェイシーは席を立ち上がって、逃げ出そうとする。エマさんが真面目に考えてくれることはわかっている。けど、やっぱり自分とは違う存在で、自分の気持ちを100%わかってくれる存在ではない。そんな相手と、心から笑い合えるだろうか?
「待って」
エマさんは呼び止めた。
「蝶人形は他にもいるそうよ」
と伝えた。フェイシーは驚いて振り返る。私以外にも同じ立場の人がいるというのか。その事実を、信じきれない思いで見つめていた。
「魔女は何を言っていたのですか」
「……」
「どうして言ってくれないんですか」
「それは……」
「どうして魔女は私に会ってくれないんですか」
ずるい、不公平、という思いが、胸を突き上げてくる。その思いが、言葉に出そうになったとき、悲しそうなエマさんの顔が見えた。フェイシーはそれ以上、何も言えなくなってしまった。きっとエマさんにそれを言っても仕方のないことだから。
フェイシーが黙った後、エマさんは小さく息をつき、フェイシーをまっすぐに見て伝えようとした。
「きっとそれは、あなたに自由を与えたかったからだと思う」
自由? フェイシーは信じられなかった。むしろ不自由だと思った。善人面して、自分は正しいことをしているんだって押し付けて。そして自己満足をしているのだと。
「人間は自由で身勝手な生き物って、彼女、言っていた。そうかもしれないわね」
「でも、とっても素敵な生き物です」
フェイシーは反論する。
「私も聞いていい? どうしてそんなにこだわるの? 見た目は可愛らしいし、そんなに人間と変わらないのに。誰もあなたを見て人形だとは思わないわ。人形は普通、動かないもの」
「魔女に何か言われたんですか」
フェイシーは、焦っているのを自分でも感じた。エマさんに理解されていないと強く感じた。でも、理解していないのは自分の方なのでは?と、ふと思った。
エマさんは視線を逸らしはせず、またまっすぐにフェイシーを見る。それが少し怖いような、でも嬉しいような気がした。
「いいえ、ただ、私が知ってみたいだけ。もちろん話せる範囲でいいのよ」
と穏やかに話す。エマさんは自分を理解しようとしてくれている。100%は無理かもしれないけれど、少しでも解りたいと思ってくれている。そのことが伝わってきて、フェイシーは言おうと思った。
「本当のことを言うと……、私にもわからないんです。蝶だった時は、一度もそう思ったことはないんです。でも人って、いろんなことを感じられて、考えられて、それが苦しい時もあるけど、とても恵まれていて、輝いているように見えて、あこがれで、うらやましくて……そうなれない私が、すごく悔しくて、悲しい」
一つ一つの感情が、大粒の宝石のようだった。その宝石がフェイシーの小さな心の中にひしめき合って、はちきれそうになっている。
言葉として表現した時に、自分の苦しみがどんな形か、見えてきたように思えた。そう思うということは、人間ではないから? 人間とは程遠い存在だからなのかとフェイシーは思った。
しかし、エマさんの目には見守るような暖かさがあった。それはなぜか、尊敬の眼差しにも見えた。
「フェイシーちゃんは、もう立派に人間だよ。それが言えるんだから」
「でも」
「一番大切なのは外側じゃなくて、心のあり方でしょ」
エマのその言葉に、フェイシーはハッとした。
「それを教えてくれたのは他でもないの。フェイシー、あなただから」
と言うと、エマはちょっと待っててね。と言って、一本の青い花を持ってくる。
夢の中で見たものと全く同じものだった。フェイシーは目を見開いた。芳醇な香り、ふくよかな花びら。そこには完成された美しさがあった。
「それは……」
「私、決めた。これね、あの魔女さんがくれたの。二つに一つだって」
二つに一つ。夢でも言われた。
「青い花は願望を表すっていうらしいね。だから私は、あなたに普通の女の子になってほしい。それ以上に重い荷物を、背負って欲しくないの」
青い花びらがハラハラと散ってゆく。
ドクンと、フェイシーの胸から音が聞こえた。それが一度二度、だんだんと周期を狭くして、やがては規則正しく胸打ち始める。
何かが剥がれる感覚がして、咄嗟に両手を首元に当てると、鏡でしか見たことがなかった紫色のチョーカーが手に乗っていた。色がくすんで、ピンクっぽくなっている。
「ああ、本当に……」
体に赤い血液が、熱いものが流れていくのを感じる。
鮮烈な風の冷たさが、耳や鼻にツンと押し寄せるのを感じる。
大地が薫り、世界に色の洪水が溢れ出すのを感じる。
「本当に……人間になれた……」
この感動を、フェイシーは一生忘れなかった。エマさんはフェイシーと一緒に、喜んでくれた。
フェイシーは喜びを大切に噛み締めながら、おばあちゃんの家へと帰っていった。
蝶ではなく、フェイシーとして。
FIN.
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます