第7話 狩猟大会 中編

 私は席に座り直すと、他の令嬢達からの興味津々な視線に気付いた。

 その中の一人が真っ先に質問する。


「ソフィア様はいつ頃にクリストフ猊下と仲を深めていたのですか?」



 あいにくと一切話したことすらありません。なんなら未来では殺し合いをしていましたよ。全戦全敗でしたけどね。

 だけど未来について正直に言えば頭がおかしいと思われてしまう。私は少し恥ずかしそうに見えるようにドレスの袖で口元を隠した。


「そうですね。去年頃からお話をするようになりまして。だけどまさかあの方が私の婚約者になってくださるとは思いませんでしたの」



 なるべく嘘と本当を混ぜつつそれっぽい話を作る。

 すると私が王子との婚約破棄をしたことに触れるのは当然のことだろう。


「ソフィア様はクリストフ猊下と結婚するために、王太子殿下との婚約を取りやめにしたのではないのですか?」

「いいえ。私は王太子の婚約者として相応しくないと思いましたので、辞退しただけです。お父様にご相談はしましたが、まさか別の婚約者を探しているとは知りもしませんでした」



 ごめんなさい、お父様。帰ったら謝るから、私の嘘を許してくださいませ。

 お父様に相談を全くしていないため、それを伝えないといけないことが憂鬱だ。


 お父様へ懺悔しつつ、私の嘘は加速していく。

 私の話を聞いて、令嬢達は面白おかしく色々と話を広げていく。


「クリストフ猊下はあまり浮いた話がありませんでしたが、もしかするとずっとソフィア様をお慕いしていたのではありませんか」


 そんなわけがないだろう。ほとんど接点がないのに、私のどこを好きになるというのだ。前の私はわがままで派手好きだったので、あんな堅物そうな司祭が好むものではない。

 だけどそれを言っても仕方が無いので、私は少しだけ照れた顔をしてみた。


「そうだと嬉しいですわ」



 令嬢達は、こういう恋愛話は大好物だから、もっと私とクリストフの話を聞きたがっていた。

 しかし静かに傍観していたブリジットは、扇子を開いて口元を隠し、目を鋭くして私を見た。

 他の令嬢達はその雰囲気に押されて、先ほどのはしゃぎようが嘘のように落ち着いた。


「ソフィア・ベアグルント、わたくしは納得していませんわ」


 ブリジットとは同い年のライバルだった。それはもちろん王太子との婚約者争いでも彼女と競い合ったという意味だ。


「わたくしは貴女だからあの方に相応しいと思っていましたのに、貴女にとってその程度だったのですね」



 彼女の目は私を非難していた。私も彼女の立場なら理解できる。婚約中に関わらず別の男を作って、王太子と別れた最低な女だと。


「ベアグルントも地に堕ちましたわね」


 私は言い返せなかった。たとえ未来で彼と別れることが運命であっても、それを伝えることができないのだ。

 私は押し黙って、彼女の目から逃げるように太ももの上に置いた手を見つめる。

 その時、大きな悲鳴が聞こえてきた。



「逃げろ! 森の動物たちが暴れ出して、群れをなして来ている!」


 その言葉を証明するように、ドタドタと森の方から音が聞こえ、草木をかき分けてくる音も近づいてきた。

 そして森の中から光る目が見えた。


「グオォォーー!」


 熊が木々をなぎ倒しながらやってくる。その他にも鹿やイノシシ等の動物がこちらへやってくる。

 突然の事態にみんながパニックになっていた。


「お前達! 女達を守れ!」


 残っていた近衛兵達が剣を持って立ち向かっていく。だが多勢に無勢で、暴れる動物たちによって食い散らかされていた。


「きゃあああ!」


 一緒にお茶を飲んでいたブリジットの取り巻き達が我先にと逃げ出した。

 近くでお茶をしていた他の令嬢達も脇目も振らずに走って行った。

 このままでは私達も死んでしまうのは明白だ。

 しかしブリジットは逃げずに、侍従が落としていった槍を手に取っていた。


「わ、私がどうにかしないと……」


 ブリジットは槍の一族として、武芸も嗜んでいた。

 有事の際は父親と一緒に国のために戦わないといけないからだ。

 しかしやはり女ということもあり、実戦経験が豊富なわけでは無かった。


「ブリジットさん逃げましょう! あの数は無理です!」


 説得を試みるが、それがかえって彼女の使命感に火を付けてしまった。


「む、無理かどうかではありません! 私は由緒正しきグロールングの末裔です!」



 私を押しのけて、迫ってくる一匹の熊へと戦いを挑んだ。


「ブリジットさん、ダメです! 逃げてください!」


 このままでは本当に逃げ遅れてしまう。

 他の近衛兵達が抑え込んでいるが、もうまもなく決壊する。

 ブリジットは震える腕で槍を何度も振っているが、腰が引けており戦う以前の話だった。


「やあああ!」


 ブリジットは懸命に槍を突き刺そうとするが、熊は簡単にその槍を腕で弾き、ブリジットの手から槍が離れた。


「あ、あ……」


 彼女は無防備な状態になってしまい、熊の威嚇する声を聞いて、とうとう膝から崩れ落ちた。



「グオー!」


 目の前で叫ばれてブリジットは恐怖で泣いていた。

 いくら私でも、知り合いが殺されるところなんて見たくない。

 テーブルに置いてあった温かいお茶が入っているポットを手に取り、それを熊の顔目がけて投げた。


「ガァ!」


 熱湯を顔に浴びた熊は痛みでもだえていた。しかし興奮状態にあるので、それで怯むことは無い。



「や、やったのは私ですよ!」


 言葉が通じるのかどうかは分からない。

 しかし、私は動物に嫌われる性質があるので、良くも悪くも動物から意識を向けられやすい。


「グルル!」


 熊もまた、標的を私に変えたようで、低い姿勢で走り出した。


「ソフィアさん!」


 ブリジットが私を呼んでいたが、それを気にしている暇は無い。

 他の動物たちも、熊の叫ぶ声と私の存在に勘づいて、どんどん私の方へ走り出していた。



「はぁはぁ」


 動きづらいドレスのせいで、全速力で走るのも大変だ。

 さらに鍛えていないこの体では長くは保たない。


「どうして私ばかり狙ってくるのよ!」


 後ろをチラッと見ると、ほとんどの動物が私を狙っているのでは無いかと思うほど集まっていた。

 私の体力が無いこともそうだが、熊の足は想像以上に速かった。


「ガァ!」


 もうすでにすぐ後ろにいた熊は、大きな前足で私へ攻撃してきた。


「きゃっ!」


 私はドレスの裾を踏んでしまい、その場に倒れた。

 爪が私のドレスの横腹部分に掠り、そこから肌が丸見えになった。

 足がもつれたおかげで服の一部を掠っただけで済んだが、倒れてしまったため状況は最悪だ。


「こ、来ないで!」



 落ちている小石を拾って投げたが、興奮している熊は怯まない。

 熊の後ろからもたくさんの動物が迫っており、これはもう万事休すだ。

 まさかせっかく未来から帰ってきたのに、こんな早くに死ぬことになるとは運がなさすぎる。


 前の狩猟大会は面倒だからと、体調不良を言い訳にサボっていたが、今回もそうすればよかったかもしれない。


 熊が腕を振り上げたのを最後に、目をつぶって一撃に備える。

 だが待ってもその一撃は来ない。私はゆっくりと目を開けると、熊が鎖で首を絞められていた。


「えっ……え――!?」


 熊は突然浮き上がったと思ったら、その巨体がハンマーの代わりのように他の動物たちへと衝突していく。

 熊の体があまりにも悲惨になりすぎて、思わず同情してしまった。

 私はようやく少しだけ落ち着いて、助けてくれた人物を見つけた。


「クリス……トフ様?」


 先ほど熊が居た場所の少し後ろに凄い形相のクリストフが鉄球を操っていた。

 先ほどの鎖は、クリストフの持っている鉄球の鎖だったようだ。



「急げ! 加勢するぞ! 僕に続け!」



 森から馬に乗った男達が出てきた。先ほど狩りに出ていたリオネス達が帰ってきたのだ。

 だが半分くらいはクリストフがその鉄球で縛った熊だけで倒していた。


 ――熊って人が持ち上げられるんだ。


 もう死ぬかと思っていたので、助かったら気が抜けて、どうでもいいことを考えてしまった。

 しかし久々に彼の戦闘を見たが、黒獅子は伊達ではないと強く感じた。

 よくぞ私は彼から生き延びてきたと感心してしまった。



「ソフィア嬢……」



 クリストフから呼ばれた。私も助けてもらったお礼を言いたい。


「助かり……ましたわ?」


 私の声が震えた。

 クリストフの殺気が止まるどころか増している気がした。

 その目は憎悪に満ちた目で、そのせいで体が縮こまった。さらに私の喉がきゅっと締まって息が出来なくなった。


 ――やばい、やばい、やばい。


 私の直感が早く逃げろと言っている。だけど足が言うことを聞かず、息ができないためどんどん苦しくなった。

 先ほどの熊の比では無いほどの死の恐怖がやってきた。


 鉄球が熊を放し、そしてドスンっと地面に落ちた。

 彼の足が鉄球を引きずりながらどんどん近づく。

 未来で私を殺そうとした本物の黒獅子だ。


「あ……ぁ」


 助けを呼びたいのに声が出ない。彼は間違いなく私を殺そうとしている。

 涙が勝手に流れだし、必死に体をひきずりながら、後ろへ下がる。

 ドレスが汚れようとも関係が無い。

 私は生きたいのだ。


 その時、クリストフの横をすり抜けてきた人がいた。


「ソフィアさん、大丈夫ですか!」


 先ほど逃げ遅れたブリジットが駆け寄ってきた。

 クリストフは何もせず見送り、ブリジットは私を抱きしめて支えてくれた。



「良かった……無茶をしすぎです……おかけで助かりましたわ」


 彼女も無事だったことにホッとした。その時、クリストフから困惑した声が聞こえてきた。


「ブリジット様、一体何があったのですか?」


 やっとクリストフの殺気が消え、ブリジットへ問いかけるのだった。

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