だれかの怖い物語
秋野 圭
第1話 かんちゃん
Fさんが小学生の頃の話だ。
同じクラスに「かんちゃん」と呼ばれる男の子がいた。近所のおばさんたちが彼をそう呼んでいたのを同級生たちが真似し始めた。みんなが彼のことを「かんちゃん」と呼んでいた。
かんちゃんは坊主頭で背が低く、愛嬌のある顔をしていた。運動神経もよくって周囲の人間を和やかにするような人だった。みんなかんちゃんのことが好きだったし、Fさんもその例外ではなかった。
Fさんは初夏のとある夜、夢を見た。その夜は熱波のためか蒸し暑かったのを覚えている。
その夢の中で、Fさんは公園の木陰の下でうずくまっていた。
その公園は「さんかく公園」という愛称で呼ばれる、小学校の近くにある遊び場だった。地図で見るとその名の通り、ずんぐりとした大きな三角形の形をしていて、Fさんたち近所の小学生はよくそこで遊んでいた。公園にはベンチやブランコ、それに鉄棒といった定番の遊具が並んでいる。それを覆い囲むように周縁を背の高い木々が囲んでいた。
その木々の間にはなぜか仮設トイレがひとつ、ポツリと佇んでいた。工事現場などで見かけるような樹脂製のパネルで作られたものだ。その仮設トイレはなぜか、鎖でぐるぐるに縛り付けられていた。
なぜそこに仮設トイレがあるのか、なぜ鎖で封鎖されているのか、Fさんは知らない。しかし、それはまるで仮設トイレの中には『何か』がおり、ぐるぐるに巻かれた鎖がそれを閉じ込めているように見えた。Fさんはそのトイレが嫌いだった。薄暗くて不潔な感じがしたし、なんだか怖い。さんかく公園で遊ぶ時は、そのトイレが視界に入らないよういつも注意していた。
夢の中でうずくまったまま顔を上げると、その仮設トイレがすぐそばにあった。
嫌だなぁと思いながらも夢の中のFさんはそこから離れようとしない。なぜだか分からないが離れてはいけない気がした。木々が風に揺れて騒めいている。夕暮れ時なのか空は暗く、視界が黄土色に濁って見えた。Fさんはじっと仮設トイレを見つめながら、木影の下でうずくまる。
夢の常であるように、その時のFさんも、自分が何をしたいのかわからなかった。ただ漠然と待っているんだと感じた。
しばらくすると、公園にかんちゃんがやってきた。彼の姿を見た瞬間、そういえば彼を待ち伏せて驚かそうとしていたんだ、と急に目的を思い出した。そうだそうだ、と夢の中のFさんは納得する。
かんちゃんは先に公園に来ているはずのFさんを探しているのか、サッカーボールを片手に右往左往していた。今すぐ立ち上がって後ろから驚かせてもいいが、そうして困っているかんちゃんを見るのは面白かった。そこでFさんはもうしばらく仮設トイレのそばにある木陰で隠れることにした。
しかし、かんちゃんはいつまでたってもFさんを見つけてはくれない。なぜだかFさんのいる辺りには近づこうとしなかった。
なぜだろう、と考えてから、このトイレが悪いことに気づいた。きっとかんちゃんもこのトイレが不気味で苦手だから近づこうとしないんだ。
仕方がない、そろそろ顔をだすか……と、Fさんが腰を浮かせた、その時、見知らぬ男が公園に入ってきたのだった。
知らない人だった。近所の人ではなさそうだ。――そして、なんだか怖かった。
男は黒いスーツに身を包み、つばの広い帽子を被っていて顔がよく見えなかった。
かんちゃんも男に気づいたのか、ボールを脇に抱えて見上げていた。男は公園の入り口からまっすぐかんちゃんに近づくと、背を屈めて何事かを話しかけた。
Fさんは夢の中だというのに、なぜだか不安で眩暈を感じた。
あれはきっとよくないことだ。きっとダメなことだ……。そう思うのだが、声を出すことができなかった。
男はかんちゃんに笑いかけながら、彼のサッカーボールを受け取り、もう片方の手でかんちゃんの手を握って歩き出した。
……こっちに来た。
Fさんは息を殺して木陰に身を潜めた。二人は談笑している。何を話しているのかまでは聞こえないが、とても親し気な様子だった。
男はトイレの前まで行くと立ち止まって、トイレを縛る鎖に触れた。すると、難なく鎖は解けて、音を鳴らして地に落ちた。
男は扉を開けた。
Fさんは驚きで目を丸くした。今までずっとトイレを縛っていた鎖が、あんなに簡単に解けるなんて。
男はかんちゃんに何事かを話しかけると、かんちゃんは嫌そうに顔を歪めてトイレの中を覗き込む。Fさんは中がどうなっているのか気になったが、茂みの中に隠れるのに必死で動くこともできなかった。
かんちゃんがそっとトイレの中に入った。Fさんはアッと思ったが、止めることはできなかった。
男はかんちゃんが中に入ったことを確認すると、ゆっくり扉を閉めた。そのまま鎖を元あったようにトイレに巻いた。そのまま男は注意深く周囲を見渡してからそそくさと公園を出ていった。
Fさんは困惑した。どうするべきかわからない。そして同時に、とてつもなく怖かった。とにかくかんちゃんを助けないと、と思って身を起こした。
その時、絶叫が轟いた。
甲高い子どもの声が公園中に撒き散らされる。
――かんちゃんだ。
Fさんは立ち上がってトイレに駆け寄り、かんちゃんの名前を呼んだ。鎖を引っ張ったが、どうしても外れなかった。まるで蛇が蜷局を巻くように、鎖はトイレを縛り付けている。
いいいいいい、と何かに耐えるような悲鳴がトイレの隙間から漏れだす。目の前の小さな箱の中で一体何が起きているのか、Fさんには想像することもできなかった。
Fさんは耐えきれず耳を両手で塞いだ。
そこで、目を覚ました。
いや、もしかしたら夢には続きがあったかもしれない。今になって思い返すと、夢の中で大人を呼んだような気がするし、またあの男が現れたような気もした。しかし、明確に思い出せるのはかんちゃんの叫び声を聞いたところまでだった。それ以外のことはどうしても思い出すことはできなかった。ただ、目が覚めた後は頭が痛くて嫌な気分だったことは覚えている。
複雑な気持ちを抱えたまま小学校に登校すると、Fさんはそこでかんちゃんが亡くなったことを聞かされた。
かんちゃんは生まれつき心臓が悪かったらしい。詳しい死因は覚えていないが、それが原因で死んだということだった。
しかしFさんは、違う、と思った。
かんちゃんは、殺されたんだ。
母親に言ったが、不謹慎だと叱られた。誰もFさんの話を信じてはくれなかった。
Fさんは、自分がかんちゃんを見殺しにしたのではないかと嘆いている。もし、あの夢の中で、あの黒い男が話しかける前に、かんちゃんに声をかけていたら……何か変わっていたのだろうか。
夢に現れたさんかく公園は、今もある。仮設トイレも変わらず、鎖を巻かれたままそこにある。
その中に何があるのかFさんは今も知らない。知りたくもなかった。
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