第8話

「何があったの? ロイさん」


 異変に気付いたミスカが訊ねる。


「ドランプルが出た」


 その短い返事に、ミスカの表情が急に険しくなった。

 雰囲気で非常事態なのは察した。しかし竜馬には何を意味しているのか分からない。


「何だ? そのドランプルって」


「――踏み付ける者ドランプルってのはね、とある危険な災獣ディザストの呼称よ」


 竜馬の疑問に、感情を押し殺したミスカは吐き捨てるように答えた。

 普段見せないその様子に、余程嫌悪しているのだろうことが伝わる。

 しかし、それ以上のことまでは教えてくれず、彼女は己のウィスタ――レーベインへと駆け寄っていく。

 他の魔導師たちも慌ただしくウィスタに乗り込む中、色んな意味で置いてけぼりの竜馬に補足の説明をしたのはロイだ。


「リョーマが襲われた悪食グラッドは確かに狂暴だが、やることと言えば人や家畜を食らうぐらいの精々、禍災かさい級止まりの災獣ディザストでな。だが、天災てんさい級に分類される踏み付ける者ドランプルはその名の通り、街すら踏み潰す厄介な災獣ディザストで、対処出来なければ悪食グラッドなんぞとは比較にならないぐらい甚大な被害が出ちまう」


「街を踏み潰すって……。そんな大げさな」


「大げさでもなんでもなんでもねえ、現にミスカの故郷を滅ぼした張本人だからな」


「え……」


 と、竜馬は言葉を詰まらせる。同時にミスカの表情が変化したのも納得した。

 彼女にとっては因縁であり、復讐の相手に当たるわけだ。


「でもウィスタがあれば倒せるんですよね?」


「いや、倒せるものならうの昔に倒しているさ。現状ウィスタを以てしてもヤツの進路を変えさせるのが精一杯。――つまり、今、この街に未曾有の危機に直面していると言っても過言じゃない」


 冗談ではないのだろう。ロイの重苦しい表情が物語っている。


「とりあえずリョーマは自室で待機していてくれ」


「ロイさんはどこに?」


「オレはアリウス様のところに行く。報告は既に届いてるだろうが念のためってのと、次の指示を仰がなくちゃならん」


「俺も一緒にっ!」


 突然訪れた非常事態に、自分の役割を全うすべくウィスタが次々と出撃していく中、竜馬はロイの後を追う。

 だが、アリウスの執務室へと向かうまでもなく、彼の方からこの格納施設へとやってきた。


「街の住人には北の大通りから退避させろ。準備が出来たウィスタから随時、北門から出撃させよ」


 流石はこの街を治める立場の者といったところか。歩き様、周囲へと的確に指示を出す姿は実に落ち着いたもの。周囲も狼狽えることなくそれに応えている。


「アリウス様、踏み付ける者ドランプルがこちらに向かっています」


 駆け寄ったロイの報告。アリウスは表情を変えることなく答える。


「訊いている。場所はメザン渓谷で間違いないか? だとすれば、かなり接近を許したことになるが」


「はい。それが真っ直ぐ西へ向かっていたのが進路を急に南に変え、真っ直ぐこちらへ向かっているとのことです」


「そうか。ここで報告が遅れたことを責めても始まらん。魔導師たちには踏み付ける者ドランプルの進行方向を僅かでも逸らせろと指示を出してあるが、果たしてヤツがこちらの思惑通りに動いてくれるかどうか。念のため、街の北側の城壁にも鉄火砲てっかほうと弓の迎撃部隊を配置しているが恐らく焼石に水。この街に辿り着いた時点でお手上げだろうな」


 二人の会話を要約すると、街にまで接近を許せば守る術はなく一巻の終わりらしい。

 あのウィスタですら決定打には成り得ず、追っ払うのが精一杯の踏み付ける者ドランプルとは一体どんな災獣ディザストなのか、想像すら及ばない。

 危険生物が当たり前のように跋扈する世界とは聞いていたが、まさかこんなにも早く危機が迫ろうとは。街の外の危険度を改めて思い知らされるのだった。


「……俺に何か出来ることないっすか」


 竜馬は二人に申し出る。

 アリウスは傍らの竜馬へと視線を振った。


「出来ることというが君はこの危機に対し、一体何が出来るのだ?」


「……ウィスタは、空いているウィスタはないっすか?」


 アリウスの冷静な指摘に、竜馬は答える。

 これはウィスタに乗りたいという単純な願望からではない。流石の竜馬でも時と場所は弁えている。ウィスタ以外では役に立てないからにはそれを使う。限られた選択肢の中での回答に過ぎなかった。

 その竜馬の言葉に、アリウスの瞳が僅かに揺れる。一瞬の機微だったが、竜馬はその仕草の意味を察した。


「あるんですか? だったらそれを俺に貸してください!」


 竜馬の願いに、アリウスは呆れたように吐息を漏らす。


「確かにあることはある。で、それでどうする? 君はウィスタを動かすことは出来るが、それだけだ。魔法が使えなければウィスタと言えど戦力にならない。そんな君が戦場に向かって何をするというのだ?」


「囮でも陽動でも出来ることはあると思う。ただ何もせず手をこまねいて、この街が潰されたら悔やんでも悔やみきれない。俺はやれることをやりたいんだ!」


 この時アリウスは拳に力を込めて訴える竜馬の目を覗いていた。

 竜馬の双眸にはどこまでも真っ直ぐで、本心であることは疑いようはなかった。


「……なるほど、その言葉に嘘偽りは無いようだな。いいだろう、ついてこい」


 と、踵を返したアリウスは格納施設の片隅へと足を向けた。

 案内されたのは、長年放置されていたのだろう、くすんだ白色の緞帳どんちょうの前だった。

 アリウスは心を鎮めるように吐息を漏らした後、天井から吊るされるそれを一気に開帳する。

 暗闇から現れたのはウィスタ、――なのだろうか。

 一応二足の立ち姿なのだが、人型というにはやや趣が異なる。

 両手両足には鉤爪を備え、背中には一対の膜翼が主張していた。

 臀部でんぶからは尾が垂れ下がり、頭部は爬虫類染みた骨格の上に角まで生やしている。

 ミスカたちのウィスタとは明らかに異なる外観はより生物的で、竜馬の知識に当て嵌めれば擬人化した赤いドラゴンといったところだろう。


「これも……、ウィスタ?」


 その竜馬の疑問に答えたのはアリウスだ。


「そうだ、ファーニバルという。何故『破滅の赤竜』などという全人類が最も畏怖すべき災獣ディザストを模しているのかは聞かないでくれ。当時の当主の趣味の悪さは、私では到底理解に及ばん」


「……動かせるんすか?」


「動くはずだが、如何せん長きに渡り放置されていた。調整に少し時間が必要だな」


 アリウスは趣味が悪いと評したが、竜馬は一目で惹かれた。

 その雄々しき体躯に触れようと、無意識に一歩踏み出す。

 しかしその竜馬の肩を掴み、制止を掛けた者がいた。ロイだ。


「アリウス様、このウィスタはカーライル家の象徴です。王家以外の者に気安く触れさせるものではありません」


「え、じゃあ、アリウスさんが乗るべきじゃ……」


 そう反応する竜馬に対し、アリウスは力なく笑う。


「残念だが、私の身体は生まれつき魔導師の素養がない。だからファーニバルを受継いでも扱う能力がないんだ」


「あ……」


 残酷な真実に、竜馬は返す言葉が見つからない。


「気にすることはない。私は代わりにウィスタの開発に身を捧げることで、この街の統治者としての責務を果たす。そう心に決めたのだからな。だからリョーマがこの街を守るのに協力するというのなら、このファーニバルは自由に使え。ロイもいいな」


 そう告げるアリウスの目に迷いはなかった。


「ロイ、ティニアを呼んでくれ。久しぶりに動かすファーニバルの調整を急ぎたい。リョーマ、それまで工房で待機だ」

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