第6話

 ティニアの研究に付き合わされて一週間した頃。

 普段は夕方までみっちり付き合わされるのだが、その日は珍しく昼前に解放された。


「今日はもうホントに終わりっすか?」


「ええ。集めたデータを一度整理しておきたいのと、次に試したい検証の下準備をしたくてね」


 ティニアの唐突な通告に、竜馬はこれからどう時間を潰そうかと思案するが、それはすぐに無駄になる。


「リョーマ、残念だが遊びにはいけないぞ」


「え? どういうこと?」


 部屋の隅で寛いでいたロイの横槍に、竜馬はすぐに理解出来ない。


「工房でやることはなくなったが、君には他に行って貰いたいところがある、ってことさ」


 そこまで言われ、漸く納得する。


「どこいくんすか?」


「とりあえず着いてきてくれ」


 と、工房を後にすると、すぐにとある一室へと案内された。

 中には貫頭衣を纏う一人の老人と、六人の若年者が向き合っている。構図的には教鞭をとる教師と、生徒の関係だ。

 竜馬は彼らにとって予定無き来訪者だったのだろう。好奇な視線を一斉に浴びる羽目に合う。

 その反射的な行動には悪気がないとはいえ、どこか居心地が悪い。転校生は恐らくこんな心境を味わっているのだろう。


「いやー、講義を中断させて悪いね、ワイボー老師」


「ふむ、ティニアから聞いておる。その若いのに魔法を教えればいいんじゃな?」


「そういうこと」


 ロイに老師と呼ばれた白髪の老人は、長く伸びた眉毛に口髭、顎髭で埋もれ表情がよくわからない。だが、そのおっとりした口調から温和な人物だと感じさせた。


「あー、若いの。名はなんじゃったかな?」


「天羽竜馬っす。竜馬と呼んで貰えれば」


「ほお、リョーマか、良き響きの名じゃな。さて、今日のところは何を学んでおるのかさっぱりかもしれんが、とりあえず静かに聞いておってくれい」


 優し気な老師はどこにでも落ちていそうな木の枝で空いた席を指し、竜馬を誘った。

 魔法の素質は血統がものをいう。

 優れた魔導師の家系からは良い素質の子が生まれ易いとされ、事実過去の魔導師達は代々優秀な血を後世に伝えていた。

 だが、それも今は昔。優秀な血統も時代の流れと共に途絶えつつある。

 それと併せて数を減らしているのが魔法の知識、技術を伝える者の存在だ。

 魔法が失われるのは災獣ディザストへの対抗手段の喪失を意味し、人類存亡の危機と言っても過言ではない。

 そんな未来を危惧した統治者達は魔導師を囲い、市井に埋もれた素質はあるが知識のない者達へ魔法教育を施し、街を護る次世代の魔導師達の数を確保している。


 ここがその教育機関の一つというわけだ。

 故に、この部屋に欠伸をしているような生徒は一人としておらず、皆、真剣な眼差しで老師の話に耳を傾けていた。

 緊張感の漂う教室の中、他の魔導師候補達に負けない意気込みで聞き入る竜馬の目は希望に満ち溢れている。

 だが、人生とは常に上手くいくとは限らないもので。思いも寄らない形の難問に阻まれることとなる。

 それは言葉の壁だ。

 と言っても竜馬はこの世界での意思疎通に支障をきたしたことはない。何故通じるのか不思議に思うことはあったが、会話が成立している以上、深く考えていない。

 では何が立ち塞がったのか。それは日常会話で使用する一般言語ではなく、魔法を操るための言語。所謂「呪文」というヤツだ。


「ではリョーマ、儂の呪文を復唱してみるのじゃ――」


 しかし、続くワイボー老師の発する声が言葉として上手く聞き取れない。

 勿論、音としては捉えているのだが、発音を正しく聞き取れないのだ。

 見よう見真似で口ずさんでも、老師は首を横に振る。


「もっと呪文の意味を理解して、正しく文言を発するのじゃ」


 そうは言われても、呪文の意味どころか、言葉になっているのかすら聞き取れないのだから、どこが悪いのかが分からない。

 それでも時間が解決してくれると、意識を鼓膜に集中する。何度も何度も真似をしてみる。

 だが五日、十日と経っても竜馬の脳と耳は呪文を理解してくれず、正しい発音で紡ぐことは叶わなかった。

 他の魔導師候補達の視線が辛い。

 無論、彼らは竜馬を見下してるわけではない。しかし、何時まで経っても一歩目で躓いている竜馬は自分を卑下し始め、そういう目で見ているように錯覚させていたのだ。


「リョーマ、明日の講義は休みにしよう」


 竜馬の肩に手を置き、そう勧めるのはロイだった。


「そう思い詰めては上手くいくものもいかなくなる。一度気晴らしでもしようか」


「そういう風に見えるっすか?」


「ああ、すっかり余裕がなくなっているな」


「……了解っす」


「焦るなよ。こういうのはある日突然出来るようになったりするものさ」


 慰めの声を掛けられながら、竜馬はとぼとぼと自室へと戻る。

 魔導師の師事を受けてまだ十日。挫折、というにはまだ時期尚早だろう。

 だが、突然現れた崖はあまりにも絶壁で高かった。いや、竜馬にとっては崖程度ではなく、雲で山頂が覗えない山脈が立ちはだかったように感じた。

 何しろ解決の取っ掛かりすら掴めていないのだ。登頂など夢のまた夢。下手をすればこのまま心が折られることもあり得る。

 ロイという通り、深刻に考えすぎるのも良くないかもしれない。

 悶々とする思考を抑えながら、その日、無理やり眠りにつく竜馬だった。

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