*⋆꒰ঌ┈ 7月24日:戦友 ┈໒꒱⋆*

 僕は、いつものようにクロを待ちながら、昨日のことを思い返していた。


「クロのこと、傷つけちゃったかな。」


 クロは僕を傷つけないように、憎しみの理由をあえて言わなかった。僕は、そんなクロの気持ちなんて全く考えていなかった。

 確かに『クロの力になれたら』と思ったけれど、僕の心の中は好奇心のほうが勝っていたように思う。


 クロと僕の間に、小さな友情が芽生えていた。


 それに気付かなかったのは僕のほうだ。


 クロは、力になりたいと思っていた僕の気持ちに気付いていたのだろう。だから、僕を傷つけたくなかったのだ。


 『友だちだ』だなんて、僕が言わなくても、クロはそう思っていたんだ。


「ごめんね、クロ……。」


 僕は、遠くに見える海に向かってつぶやいた。


「お前、俺に何かしたのか?」


 突然、クロの声が聞こえた。窓の下に、いつものクロの姿があった。


「いつ来たの?」


「今。」


 クロは、いつもの心を刺すような金色の目を僕に向けている。僕は黒の瞳を見つめた。


「あのね。突然こんなことを言うのも変だと思うかもしれないけど、僕ね、クロの目が大好きなんだ。」


 本心だった。真実を見通す金色の目は、僕の持っていないものだ。僕はきっと、初めて会ったあの日から、クロにひかれていたんだと思う。いや、そうに違いない。それはきっと、クロも同じなのだろう。


「おい。突然何を言い出すんだ?」


 クロはにらむように僕を見た。でもきっと、素直に喜べないからにらんでいるだけなのだ。

 それが、クロの喜びの表現方法なのだ。


 そう思ったら、クロが可愛くて、愛しさがこみあげてきて、何だか可笑おかしくなって笑った。


「どうしたんだ?」


 クロも、そう言いながら笑っていた。


 ほんのちょっとだけ、緩やかな風が僕らを包み込む。

 今は、これでいい。クロはきっと、そのうち話してくれる。


「ねぇクロ、外の世界ってどんな感じ?」


 僕は、クロと出会ってから興味のあった、外の世界について聞いてみた。


「外の世界? 俺たちの世界か?」


 クロは、笑うのをやめ、少し考えた。


「そうだな。広い野原を思いっきり走って、ネズミなんか捕ったりするね。」


 クロは、初めて僕に、楽しそうに語った。


「ネズミ? 生きてるネズミ?」


「あぁ、そうさ」


「僕、オモチャのネズミしか見たことがないんだ。ねえ、どうやって捕まえるの?」


「ん? そうだなぁ……。」


 クロは、そこにネズミが隠れているかのように、茂みを見た。


「まず、獲物を見つけるだろ? そうしたら、風下に向かうんだ。風上は自分の匂いが獲物の方に流れてしまうからな、獲物に逃げられてしまう可能性もあるんだ。だから獲物より風下で待機する。そのとき、自分の体を茂みに隠すのが重要だ。これは鉄則だな。その段階で気付かれず、獲物にも逃げられなかったら、次のステップだ。」


 僕はクロの言葉を想像してみた。


 風の気持ちいい、広い広い野原にいる。

 空想の中の僕は、吹き渡る風の中で獲物を見つける。

 風下に移動し、茂みに身を隠す。相手は、まだ僕の存在には気付いていない。


「次は?」


「次はな、じりじりと距離を縮めていくんだ。気付かれるな? そっと……、そっとだぞ。」


 クロは、僕と本当の狩りをしているように話した。


 僕は、クロのアドバイス通り、空想の中の獲物との距離をじりじりと縮めていった。そっと、そっとと繰り返しながら。


「よし、いいぞ。ダメだ。あんまり近くには行くな。気付かれてしまうから。遠すぎず、近すぎず、だ。」


「わかったよ、クロ。」


 空想の中の僕は、自分の中に眠る本能が教えている位置で立ち止まった。


 いよいよだ……。


「いいか、ここからが勝負だ。力を溜めるんだ。わかるか? 自分のエネルギーで、自分の身体を満たすんだ。」


 僕はクロの言う通りに、自分のエネルギーが自分の体の隅々まで行き渡るように、全神経を集中させた。



 かすかな空気の流れ。

 鼻をかすめる、さまざまな匂い。

 この世の全てを感じた。



「いいぞ。さぁ、狙いを定めろ。お前の獲物を、その目で捕らえるんだ!」


 僕は、目を見開いた。そして自分の獲物を、心の目で捕らえた。


 時間が止まる。クロの呼吸音が聞こえた。


「今だっ!」


 僕は、クロの掛け声と共に全力で駆け出した。


「捕った!」


 僕は、思わず叫んだ。


「やった! やるじゃないか!」


 クロは、とても嬉しそうに笑った。


「空想の中だろうが何だろうが、そんなの関係ないさ。よくやった!」


「クロが、的確に指示してくれたからだよ。」


「違うさ。」


 クロは笑うのをやめ、今までとは違う優しい目で僕を見た。


「お前が、俺を信じてくれたからだ。」


 僕の奥がことりと動いた。そして、とても暖かく、とても清らかな水が僕の中を流れた。


「ありがとう。……戦友。」


 クロは、恥ずかしそうにそう言うと、静かに去って行った。



*⋆꒰ঌ┈┈┈┈┈┈┈┈┈໒꒱⋆*



「私の、最初で最後の『狩り』だったよ。」


「そっか。狩り、したことなかったんだね。」


 話を聞いていた鳶が、しみじみと言った。


「まあ、生きてる獲物じゃないけどね。」


 鳶の隣で翼を休めている鴉は、僕の話が楽しかったのか、目をキラキラさせ、僕と鳶の会話に口を挟まず聞いていた。


「でも、健太さん。」


 きりりとした鳶の目が、私の目をまっすぐ捕えた。


「健太さんはきっと、獲物を捕まえたんですよ。クロさんと一緒に。」


「獲物?」


「そうです。友情という名の獲物をふたりで捕まえたんです。」


 歯の浮くような恥ずかしいセリフも、森の中を通る風のように胸の中にしみこんでくる。鳶の声にはそんな力がある。


「そうだな。そうなのかもしれないな。」


 それまで聞くだけだった鴉が口を開いた。


「お前さんたちは、その日初めて、ひとつになれたんだな。」


 ふたりの言葉に、私は胸が熱くなった。

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