第十話《零と氷雪・後半》

 重心を左脚に傾ける。右足の使用は最低限にして、可能な限り負担を減らさなければならない。


「―――穿ち抜け、氷槍!」


 ―――考える暇はなさそうだ。


 飛んできた槍をステップで回避。着地と同時に殺しきれなかった衝撃が痛みを与える。


「ぐっ‥‥‥」


「まだまだ―――舞い踊れ、氷の刃!」


「流石にそれはキツ―――っ!?」


 回転して迫る刃を掴み、他の刃にぶつけて相殺させる。だが、刃の数は多く、更には踏み込みが浅いため充分に力を乗せることができずに相殺に失敗した。


「くっ、仕方ないか―――【硬】!」


 気で全身を覆い、氷剣をガードする。


 ―――やっぱり、このままだとジリ貧になる‥‥‥。


 そう感じた僕は、更に思考を回転させる。


 ―――必要なのは阻害されずに動ける肉体。神経系が穿たれ、満足に運動を伝えることのできないこの肉体を。それさえあれば、もう一度自分のペースに持ち込める。だけど、それは現状不可能だ。


 そうして、一秒にも満たない世界で、考え、考え、考えて―――。


 ―――思いついた。流れを引き寄せる答えが。勝利の方程式、その欠片が!


「ふぅ―――っっっ!」


 気を右足に流し、全力でその制御に集中する。


 ―――気で強引に肉体を操作する。それが僕の出した結論だ。気が神経の代用を果たし、肉体を気の操作と連動させることで無理矢理動かす。


「‥‥‥何をしたのかは知らないけど―――喰らいなさい。舞い踊れ、氷の刃。そして―――凍り付け、世界!」


 弧を描くように飛翔する刃と、隆起する氷柱が同時に迫ってくる。速度は氷柱の方が遅いが、片方に気を取られたらアウトだと言えるくらいの速度はある。


「出し惜しみはもうしない―――ここからは全力速攻で叩き潰す!」


 脚に流す気とは別に全身に気を循環させる。その流れに無の力を乗せ、循環速度を更に上げる。


「そして―――《無の支配者ゼロ・ルーラー》、打ち放て!」


 手を前に突き出し、限界まで膨張させた無の力を解き放つ。


 解き放たれた力の塊は飛翔して、氷柱に触れては消滅させてを繰り返した。


「隙を狙うなら―――今だ、【瞬】!」


 狙い目は無の力の中心点、力が持続している限り安全圏であるその空間を通り抜ける。


 次の安全圏は‥‥‥空中。氷柱も剣も届かないその空間だが、同時に視認されるリスクを孕む。そうなってしまうと、さっきの二の舞となり、叩き潰されてしまい、今度こそ敗北するだろう。


「だけど―――このチャンスを逃したら二度と勝機は巡ってこないし、さっき決めたんだ。出し惜しみはしないって!」


 出し惜しみがないなら、《無の支配者ゼロ・ルーラー》を全力で運用できる。なら、リスクを恐れる道理はない!


「【瞬】―――、【空】ッ!」


 一歩目で空に飛び出し、二歩目で空を踏む。


「それを待っていたわ―――打ち砕け、氷槌!」


 ―――やっぱりか。


 空中に飛び出し、白月さんに視認されたその瞬間に、氷のハンマーが振り降ろされた。

 当然、僕がそれを想定していない、なんてことはなく―――。


「ハァッ!」


 腕に無の力を集中させ、その一撃を打ち砕く。


「―――なっ!?」


 彼女からは叩きつけたと思ったら一瞬で破壊された、そんな風に見えたのだろう。驚愕に目を見開く様子を見て―――チャンスだ。そう思った。


「―――【空】」


 地面に向かって一歩。加速する肉体が落下して、あと二メートルで間合いに入る―――そんな瞬間に、彼女と目が合う。いや、合ってしまった。


「まだよ―――舞い踊れ、氷の刃ッ!」


 回転する氷の刃。それは、今の僕にとっては最悪手、とも呼べるものであり、どうしようもなく対応を余儀なくされる、逆転の一手だ。


「クソッ‥‥‥そうだ、【飛】!」


 一瞬だけ悪態をつくが‥‥‥直ぐに解決策が浮かんで、それを実行する。


【飛】、それは天式の中で唯一の遠距離攻撃であり、僕の保有する現段階での唯一の遠距離攻撃の手段でもある。だが、威力はお察しの通り低く、一切気を使っていないパンチと威力は変わらないだろう。


 ―――だが、それでも充分に切り抜けるためのピースになる。


 狙いは下から向かってくる刃。その中のどれかでも軌道をずらすことが出来れば‥‥‥それだけで、連鎖的に氷の刃による結界は崩壊する。ただでさえ二メートルという狭い範囲、更に言えば落下によって間合いが二メートルよりも減った状況。二十、、三十とひしめく刃、その密度は中々のものだろう。だからこそ、この一撃が刺さる―――!


 正拳突き―――空中で振っているから正しいのかは知らないが、腰だめからの突きを放つと、ガキィ、と石がぶつかったような低く鈍い音が鳴り、結界に穴が開く。


「噓―――っ!?」


 ―――その半秒後、刃のぶつかり合いによって回転の制御が乱れ―――結界内に侵入した瞬間、パラパラと刃が落下し、結界が解除された。


「今―――オオッ、【撃】ッ!」


 ゴォッ、っとそんな轟音が鳴り、白月さんが吹き飛ばされる。目に映るのは僕の腕だけとなっていた。


 着地から一秒もせず、捻った右腕を全力で突き出し、限界まで威力を高めた一撃。それを、確実に叩き込んだ。そんな腕の感覚と共に息を吐き、ふと、思う。


 ‥‥‥ブザー音が鳴っていない。つまり、終わっていない―――!


「まさか―――!?」


 確実に仕留めた筈だ。今までのダメージ感覚からして、あの一撃を叩き込めれば確実に削り切れる、そんな確信があったのだ。


 ―――本当に?


 本当だ。今までの攻撃、一番火力が高かったのは初撃だ。あれですら三割と少しは削れていたはず。なら、それ以上の火力であるこの一撃であれば削り切れない道理はない。


 ―――本当に、命中したのか?


 それはほぼ確実と言ってもいいだろう。咲夜や天宮さんみたいに一瞬で攻撃を透かせる手段は《氷雪の女王コキュートス》には不可能、そのはずだ。それに、確かに僕の拳には重みがあって、思い切り殴り飛ばした感触があった。


 ―――いや、もしかしたら、一つだけ違和感があったかもしれない。


 僕の攻撃は本当に直撃していたのか。それだけに違和感を持つ。思えば、一瞬だけ人体ではない何か―――氷のような、いや、氷だ。それを殴った感覚があったかもしれない。


 それによってダメージを軽減することに成功すれば―――っ!?


 思考がそこまで到達した瞬間、ヒュオッ、と凍えたような風切り音が鳴り響き、首を傾けて耳のあたりをナニカを回避する。


 ―――慢心‥‥‥と、言うべきか。正直、勝ったと思っていた。天宮さんと戦った時もそうだったが、決まったと思った瞬間に思わぬ反撃を喰らうことが多い。


「危ないな‥‥‥っ!?」


 急に全身に痛みが奔る。それと同時に、全身を巡っていたエネルギーが消失して、圧倒的なまでの倦怠感が襲い掛かってくる。


 ―――気が練れない。そして、《無の支配者ゼロ・ルーラー》も反応しない。


 そこから導き出せる答えはただ一つ―――ガス欠だ。燃料が切れ、行動のための力が振るえなくなった。出し惜しみをしない―――その考えが仇となってしまった。


「限界っ‥‥‥なのか‥‥‥!?」


 痛みと倦怠感に押されるまま膝をつき、倒れこもうとしたその瞬間―――想いが迸る。


 ここまで来て負けたくない。後一歩での勝利を諦めたくない。みっともない姿は見せられない。


 ―――捻りだせ、最後の一滴を。頭突きでもなんでもいい。兎に角、最後の一撃を―――【瞬】を叩き込めるだけの力を―――集めろ。


 そうだ。まだだ。まだ僕の脚が残っている。全身の気は消失して、無の力も使えない。けど、最初に構成した―――脚にだけはまだ、気が残っている!


「これで決める―――【瞬】ッ!」


 震える脚を押さえつけて、気合だけで一歩を踏み出す。だが、それと同時に彼女の声が響いた。


「―――凍え果てろ、終わりを告げる絶対零度―――《ニブルヘイム》」


 歌うように高らかに。そして、氷の如く冷たい声で言った彼女から、冷風が吹き付ける。世界が氷に浸食されて、地面から、空から、正面から。停止という概念そのものが牙をむいているようで、体の全身が凍りつく。


 ―――だが、それでも僕の動きは、動きだけは停止しなかった。


「なんで―――!?」


 そう思うのも無理はない。だってそれは―――僕の能力、《無の支配者》の副産物には一切通用しない概念だからだ。


「終わり‥‥‥だッ!」


 死力を尽くしたタックル。それによって白月さんの、僅かな体力を削り―――ブザー音とともに、僕の勝利が確定した。


 ━━━━━━━━━━━━


 ―――試合が終わって数秒、周囲を取り囲んでいたホログラムが解除され、僕自身のダメージもすっかりと見る影もなくなり、万全の状態でそこに立っていた。

 その数メートル先には白月さんがいて、そのまま僕に近づいてきてから話しかける。


「―――お疲れ様。まさか負けるとは思っていなかったわ。それと‥‥‥最後のアレは何なのかしら?」


 ―――特別なことは何もしていないんだけれど‥‥‥まあ、馬鹿正直に話す必要もないか。


「最後の‥‥‥か。まあ、そこは秘密ってことで」


 僕がそう言うと、まるでそう言うかと分かっていたかのような表情を見せる彼女。


「でしょうね。私だってタネくらいは秘密にしたいもの」


 そう言ってはいるものの、やっぱり少し残念そうだと、僕の目からは見えてしまう。


「‥‥‥うーん、全てを教える、ってわけじゃないけど―――ひとつ、ヒントを」


「―――それって?」


「僕が君の技―――ニブルヘイム、だったかな。それに対処した方法は咲夜とは違う。つまり、咲夜との戦いでやられたようなゴリ押しで突破した訳じゃなくて―――ただの相性だ」


「相性‥‥‥。ええ、ありがとう」


 そこで会話が途切れ、先生が声を上げる。


「皆さ~ん、集合してくださ~い!」


 少し腑抜けた声だ。咲夜ならゆるふわ、とでも形容するのだろうか。そんなことを頭の片隅で考えながら僕たちは移動を始める。


「―――意外に長引きましたが‥‥‥全員が終了したため、本日の授業はこれで終了です。今回は初回だったので全体を見るのに留めましたが‥‥‥次回からは私も口出しをしていきますのでよろしくお願いしますね。それじゃあ―――解散です~」


 その言葉を皮切りに、皆が一斉に話し出す。


「‥‥‥お疲れ。随分とギリギリの勝負だったじゃねぇか」


 咲夜が近寄ってきて、僕に話しかけてくる。


「―――まあね。そっちも中々に苦労したんじゃない?」


「ああ、マジでキツかった。正直、最後の一撃を放たれた時点で敗北を悟っていたんだがなぁ‥‥‥。運よく逆転できたよ」


 話しながら思うのはあの二人。入学前の時と比べて二回りくらい強くなっていて、僕だけでなく咲夜すらも負けかねないほどの強敵へと成長した。それをたった二週間程で行ったのを見て―――。


「―――僕らも負けてられないね」


「ああ、その通りだ。次は―――完膚なきまでに勝利する」


 咲夜のその宣言を聞いていたのか、背後からぴょこっと飛び出す二人。


「―――随分と舐めた口を聞くわね‥‥‥。上等よ、次こそは私たちが勝利するから。‥‥‥でしょ?」


「そうね。お互い一敗ずつしている状況だもの。私としてもこれ以上醜態を晒すわけにはいかないわ」


 二人の燃えるような瞳と凍えるような笑みを見て、薄ら寒いモノを感じ、少し冷や汗が流れるが‥‥‥。


「―――ま、そんなことはどうでもいいが‥‥‥次の授業、また移動だから時間ヤバいぞ」


 咲夜の雰囲気を壊すその一言で、僕たちは全員、現実に目を向ける。


「‥‥‥ホントだ皆先行ってる!?」


「―――急ぐわよ、三人とも!」


「ちょっ‥‥‥走ったら危ないわよ」


「んなこと言ってる暇あったら急ぐぞほらほら!」


 ―――焦りとともに廊下を駆ける僕たち。道中、先生にしょっ引かれることもあったけど‥‥‥皆、笑ってた。

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