君との永遠が欲しいから
藍ねず
前編
私は呪詛払いを生業とする家に生まれた。
現代においては衰退の一途を辿りそうだと幼心に考えていた家業は、しかし予想に反し、現代においても必要とされているようだ。
「今日も依頼が来るんだね」
「みんな呪われてるらしいから」
依頼人と両親が会話する姿を襖の影から覗き見した私は、瓜二つの顔と頬を寄せた。
私には双子の兄がいる。名前は
「思うよね?」
「思うよ」
旋はいつもにこやかに私の言葉を肯定してくれる。私がこの家に縛られるのを嫌っていることも、呪詛払いという仕事そのものを忌避していることも。
「律は呪いを払うの、嫌いだよね」
「嫌いだよ。呪いだって、誰かの強い想いの一種だもん」
梅雨が明けた夏の夕方。木造平屋一戸建て。縁側の外に置いた水桶には氷と水をいっぱいぶち込んで、私と旋は素足を浸す。
口も冷たさを求めて、舐めるのは市販のアイスキャンディー。私は噛んで食べるのが好きだけど、旋は時間をかけて舐めるのが好きだ。そこは双子でも違うところ。
旋の冷えた足が私の脹脛をつつく。言葉の先を促されたと感じて、私は赤い空を見上げた。
「誰かが誰かを想った結果。それって愛とも言うし、勇気とも言うでしょう? なら呪いだってそこには入ると思うんだ。誰かの想いは、綺麗でかっこいいだけじゃないよ」
強く強く相手を想った結果が陰か陽か。違いなんてその程度だと思うのに、愛は許されて呪いは許されないなんて。
「だから私、払うのやだな。愛も勇気も守らなきゃいけないのに、呪った感情だけは消しましょうなんて。綺麗ごとは好きくないもん」
残り少なくなったアイスキャンディーを勢いよく奥歯で噛む。冷たさに少し身震いしてから咀嚼すれば、肩が触れ合う距離できょうだいが笑った。
「あぁ、そうだね、そうともさ。俺も律に賛成だな」
私は横目に旋を見る。私と似た顔つきだけど、既にどこか大人っぽいきょうだいは、美味しそうにアイスを舐めていた。私の手には木の棒だけが残っている。
「アイスもう一本食べようかな」
「お腹壊すよ。ちゃんと水分も取って」
「はぁい」
渡されたのはペットボトルに入った冷水。旋は面倒見がいいので、私は双子というより妹として世話をされている気分になる。別に悪くないんだけどさ。
私は夕焼けを見ながらアイスとはまた違った冷たさを飲み、今日も誰かが誰かを呪っているのだと目を細めた。
――そんな話をしたのが中学生の頃。
今では女子高生という期間限定の肩書きを入手した私は、同じく男子高校生という期間限定ブランドを手に入れた旋と一緒にバイトをしていた。
旋が始めたのはSNSを使った依頼の募集だ。家に舞い込んでくる呪詛払いの依頼は両親が請け負ってしまうので、私や旋はその補助が大方の仕事。
だけど私達の方が既に両親より力は強いし、補助なんてお小遣い程度の収入にしかならないので割りに合わない。「だから自分の仕事は自分で探そうと思って」とSNSを始めた旋に誘われ、私達は双子の呪詛払いとして名を売った。
最初こそ絡まれることが多かったけど、実際に案件をこなしていけば「本物かもしれない」なんて口コミが独り歩きしてくれた。今では毎日依頼が入るので、その中から本物か勘違いかを見極めて仕事をしている。
今も旋に送られているDMの中から選別をしているところだ。選んでいるのはほぼ旋で、私は隣で最近お気に入りの三色団子を食べているんだけど。
制服を着たままの私達は、今日も隣合って冷水に足を浸している。今年の夏は去年よりも暑くなりそうだな。
「この前はごめんね。俺が選別ミスった」
「周りが自分を嫌って呪ってるって主張した人のこと? 別に気にしてないからいいよ」
「ありがと」
「うん。でもあの人、ちゃんと精神科に行ったのかな?」
「さぁね。自分が病んでるなんて信じたくなさそうだったけど」
「呪われたがりも、程々にしてほしいね」
「だね」
人の「呪われている」と感じる線引きは年々難しくなっている気がする。明らかな霊障などがあれば別だけど「体が重い」「声が聞こえる」「最近立て続けに嫌なことが」という如何にもなやつは、たいていが呪詛ではない。
ストレスや人間関係のもつれ、はたまた偶然運が悪いことが続いた。そんなことも、SNSで呪詛払いという文字を見れば呪いだと思いたくなるし、見なくても「これは呪いに違いない」と思ってしまえば始末が悪い。
そういった人達は、自分で自分に呪いをかけるのだ。
自分は呪われている。呪われている自分がいる。そうでなくてはこの異様さに答えが出ない。だから自分は
そうして嵌った思考は呪いに似た負を呼んでその人の体調を悪くさせるが、その適切な治療者は私達ではない。普通に病院にかかったり、自分の思考や生活習慣を変えた方がよっぽど安く安全に済む話だ。
自呪をする人は例年増えていると両親も言っていたけど、それはバイトをする上で嫌でも痛感している現状である。
「……ねぇ律、次はこの依頼を受けようか」
「うん?」
旋に見せられたDMに目を通す。内容が内容だったので同じ文を何順もしてしまったけど、それは致し方ないことだろう。
「この人本気かな?」
「真に呪われた人か、ただの哀れな勘違い野郎か。楽しみだね」
旋は蠱惑的に両目を細めて了承のDMを指で綴る。こういう目をした時の兄の勘はだいたい当たるのだけど、今回ばかりは信用に足らなかった。
私は団子の無くなった棒をお皿に置き、次の一本に手を伸ばす。
「律、水分補給」
「してるよ」
「自分が思った以上に飲んどかないと熱中症になるよ」
「旋こそ全然飲んでないじゃん」
「飲んでる飲んでる」
年々過保護が加速する旋が今日も水をくれる。いつも常備しているのかと不思議に思うけど、兄は私の課題の進捗や忘れ物まで把握するほどの奴だ。私がどの程度飲食しているかもばっちり知っているんだろう。そのための備えが万全であってもおかしくない。
私はきょうだいの過保護および過剰監視を甘んじて受けつつ、依頼内容を反芻した。
「不老不死の呪いを解いてくれ、かぁ」
胡散臭さが半端ではない。
まず、この世に不老不死という概念は存在しないのだ。
不老不死は仙人だろうと妖であろうと、神であろうとも成し遂げられない事なのだから。黄金の林檎しかり、賢者の石しかり。
だが不老不死の
人魚の肉は著しい回復能力により不老不死の如く人間を作り変え、蓬莱の霊薬も顕著に体を活性化した。だが所詮、どちらもが死を遠ざけただけであり、神であるクロノスさえも時間を停止させることは叶わなかった。
「その不老不死さんはなんだって?」
「なんでも――」
――彼は今から千と八年、六十三日前に呪いをかけられた。
暮らしは貧しく山間で林業を行っていた彼は、その山に住む妖と繋がりがあった。元からそういったものが見える体質だったのもあるが、その妖が棲みついていた祠を掃除してしまったのがきっかけだ。
ある時、病にかかった彼は、妖がいると知りながらも祠に祈りに出向いた。少しでも病が良くなるように。自分には守るべき家族も家系もなかったが、生き汚くとも生きていたかったそうだ。
そうすれば、妖は彼の声を聞いてしまった。
彼の病を治し、体が傷むことを止めた。
その日から彼の体は老いなくなった。彼が健康な日の肉体を繰り返す呪いを妖がかけたのだ。
だから彼の体は進まない。同じ健康な日の状態を巡り、病気には罹らず、傷は治るというおまけの呪いまで付けられて。
彼は、ただ病を治してもらえたら良かった。永遠を欲した訳ではなかったのだ――
「――らしいよ」
「うーん、なんだかなぁ」
何やら楽しそうな旋とは反対に、私は未だに乗り気ではない。こうしてバイトをしているが、呪詛払いが嫌いなことは変わっていないのだ。そうでなくとも、まずこの話が引っかかる。
不老不死の彼が病で死にたくないと願ったのを妖が聞いたとして、妖は不老不死もどきにする必要なんてなかったはずだ。それだけの力が本当にあったなら、適当に男の病気を握り潰すなりすればよかったし、人間嫌いなら悪化させて笑うことだって出来たと思う。
だが、妖は男を不老不死もどきにした。それほどの術をかける理由は一体何だったのか。そこが気になって、腑に落ちない。
そんな私の背後から父の声がかかる。呼ばれたのは旋で、タオルで足を拭いたきょうだいは私の隣から離れて行った。
私もお皿のお団子を食べきってしまったので、足を拭いて水桶を片し、家の書庫に向かった。歴代の呪詛払いの記憶や伝承の詰まったある種の宝庫である。
その中でも不老不死に関する記述や類似する資料を片っ端から見ていたが、本当に不老不死になった者のことなどどこにも記されていなかった。
「病気を後退させる術式」や「体の成長を著しく遅くする祈り」に始まり、「他者の寿命を自分と同じにする式」や「死後に相手の魂を縛る呪い」まで、関連しそうなものは沢山あった。「相手から寿命を吸い取る魔術」など誰が最初に編み出したのか。そこまで生に縋るのか。
だが、こうした呪いには総じて代償が付きまとう。一生喋ることが出来なくなったり、目が見えなくなったりはまだ可愛い方。半身不随や怒号の幻聴に襲われるという例もあれば、同じ場所から動けなくなったり、生涯誰からも認識されなくなったりというものまで幅広く存在する。
何かを想って具現化させた結果というのは、そういった代償の元に成り立っている。何かを強く強く想ってしまえば、それと同じだけの反動があるのだから。
「律」
「あ、旋、話し終わった?」
「うん、そのことなんだけどね」
残念そうに肩を落とす旋を見た私は、なんとなく先が予想できた。
***
自称「不老不死の男」と会う約束をした日、旋は父の仕事の補助に駆り出されて私一人でのバイトとなった。父の日取りは変えられないし、バイトの日取りもこちらが指定したので断りづらい。
結果的に単独行動となった私は、街外れの山のふもとに来ていた。
「君が「せんりつ」か?」
木陰から音もなく現れたのは青白い顔の男。襟元の伸びたTシャツにジーパン、黒い手袋と、浮浪者じみた様子だが、まとう空気には妙な威圧感があった。サンダルを履いた足はしっかり地面についているのに、この浮世離れした空気は何だろう。
相手は私と旋のハンドルネームを開口一番に問いかけ、黒い瞳が私を観察した。私が彼を観察するように。
「そうですよ。片割れだけで申し訳ないですが」
「不老不死を解いてくれるなら一人だろうと二人だろうとどちらでもいい」
男は手袋をつけた手を擦り合わせる動作をし、「行こう」と一言。山を登り始めた。整備された石畳の方ではなく獣が通る雑木林の方へ。
「事前にお伺いしていましたが、妖は本当にこの山から出られないんですか?」
「出られない。この山というよりも、この山にある祠と大樹に繋がれている」
サンダルを履いた足を踏み出す男は迷いなく進んでいく。よく見れば獣道は何度も往復されたように地面が固まっており、これが
「今回の依頼は貴方の不老不死の解除でお間違いないですか」
「間違いない」
「解除した場合、貴方は死んでしまうかもしれませんよ」
「問題ない」
淡々と喋る男は私のことなど一切振り返らない。歩調も合わせる素振りがなく、ついてこられなければそれまでだ、と試されている気分だ。
私はこの男にかけられた呪いを払う。
それは、妖を殺すことで成立するものであると私も旋も踏んだ。
男が自分から不老不死の禁術に手を出したのではなく、誰かに強制的にかけられたのであれば、術者である妖を殺してしまうのが最善手だ。
「妖を殺そうと試みたことは?」
「あるさ。何度も、何十回も……何百年も」
男は汗一つ浮かべることなく山を歩く。私は軽く袖で汗を拭っているのに、不老不死の体というのは発汗機能さえ無くしてしまうのか。
たった一日、健康な体だった日を繰り返している男。病気にかからず、怪我は治るお墨付き。
そんな術をかけた妖は――
「体は同じ日を巡るのに、周りは自分を置いていく」
初めて男が会話を続ける。私は足元に落ちていた視線を上げて、向かうべき方向が分かっている男の背中を見た。
「年老いていく村の者に取り残され、化け物と罵られたことは数知れず。影から看取って、看取って、看取ることすら許されなくなり、世界は俺を置いて変わり続けた」
サンダルが強く山肌を踏む。既に何度も踏み固められた道を。
「変わらないのは俺と妖だけ。この山も祠も、妖も俺も、時間を止められ今日まで来た」
男の先が明るくなる。山の中腹の開けた場所には、灰色の祠が大樹の根元に建っていた。
「何度も呪った。何度も何故だと問いかけた。だが、俺の呪いは届かなかった」
肩を微かに震わせた男は大樹に向かって口調が荒くなる。私は祠から視線を上げ、そこにいる妖を見つけた。
毒々しい赤い杭で両腕を幹に打たれた存在。
白い着物の裾は年月の経過で朽ち、無造作に伸びた白髪が顔を覆っている。
細い首には杭と同色のしめ縄がかかり、大樹の天辺へと繋がっていた。
裸足の両側にも杭が打たれ、まるで見せしめのように。
夏空の下、青く茂った木々の中。妖は静かに、磔にされていた。
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