かずなり

@agmcanar

第1話 オープニング

「和成くんごめんなさい、他に好きな人が出来たの。別れて下さい。」

 終わりは突然だった。

 僕はたった今十年付き合った彼女に振られた。医者の男を好きになったとのことだった。これが寝取られか。いざ自分の身に降りかかるとかなり内臓が抉られる感覚になった。

 一つだけ救いだったのは、寝取られた相手が医者だったということである。相手が上すぎてキッパリと諦めがついた。

 ちなみに自己紹介をさせていただくと、僕は安達和成。今年で三十三歳。

 高校を中退してからは長年アルバイトに勤しみながら大ファンのバンド、アハルテケの追っかけをしてきた。だから長年元彼女には寂しい想いをさせてきた自覚はあった。それもあって今年から正社員の仕事に転職し、そろそろプロポーズをしようとしていたがもう遅かったようだ。

 僕は後悔の念に駆られながら自宅に戻り、死んだように眠った。

 翌日から仕事のシフトが始まったが、中々身が入らなかった。

 元々入りたてで完全に仕事を覚えきれていない上、モチベーションの著しい低下も手伝ってミスを連発してしまった。

「こら、安達!此処のセッティングは前も教えたやろ!何で出来てないねん!」

「ああ、はい、すみません。」

「何やその態度。喧嘩売っとんかコラ!」

 上原さんが厳しく叱ってくるが、今の僕には何も響かなかった。普段から熱心に仕事を教えて下さる頼れる先輩だが、その気持ちを受け止める余裕が無いのだ。

 僕達の様子を見兼ねたのか、現場リーダーの下田さんが此方に駆け寄って来た。

「上ちゃん何を興奮してるの。落ち着け。安達君ちょっとこっち来て。」

 僕は下田さんの後ろをついて行くと、現場横の資材室に入った。

「安達君、最近何かあったか?俺の目から見ても明らかに元気が無いように見えるからさ。」

 正直に言ってしまってもいいのだが、理由が彼女に振られたからというのが何ともカッコ悪い。揶揄われるのではないか。

 頭の中で葛藤して口をモゴモゴさせていると、

「いいから言いなさい。どうしても言えないなら仕方ないけど、現場の皆に迷惑がかかるぐらいなら言って気持ちを入れ替えて欲しい。」

 口調こそ穏やかだが、目元に殺気が篭っていることが見て取れた。震え上がった僕は観念して彼女に振られて気持ちが落ち込んでいる旨を話した。下田さんは時折頷きながら親身に話を聞いてくれた。

「そうだったのか。ショックだよな。でもお金が発生している以上は切り替えて頑張って欲しい。何なら今日飲みに行こうか?此処じゃ話しづらいこともあるだろ?」

 下田さんは言い終わると、僕の右肩をポンと叩いて現場に戻って行った。僕は呆然とその背中を見つめていたが、心の重しは少し軽くなった。

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