第11話 NOという勇気

 先輩社員Iさんは大学生の息子を持つ50代の男性社員である。いつも9時に出社して退社は21時をまわる。仕事が忙しい、回らないからといった原因もあるが、残業をして給料を少しでももらおうとしているように見える。一日3時間残業すれば一ヶ月に60時間以上の残業を行うことになる。私のようなペーペーならば、このくらいの犠牲で得られる給料は10万円近く増加する。20年以上のキャリアを持つ彼ならばもっともらっていることは確実である。しかし、余計な仕事は極力増やしたくないようであった。


 係長Kが私とIさんに仕事を振ってきた。これは新規顧客で詳細な作業や料金などあまり話し合いがなされていなかった。

Iさんは「私はもう無理ですよ。これ以上仕事が増えれば回らなくなります。」と反論した。しかし係長は「私も含め3人でやるのでカバーし合いましょう。」とまとめて仕事を投げた。

パソコンをカタカタ叩きながらIさんは横目で私を睨んだ。

「俺は手伝わねーからな。係長を頼れよ。」


「?????」


この時の私の状況を記載しよう。まずは3年間欠かさずカウンセリングを受けている。痔が切れた。寝汗が滝のように流れ自律神経が乱されていた。文字を読むことが困難になり、仕事以外では字など目が受け入れなかった。腕は痺れ、眼球が震え、食事は摂っていないのに体重が変わらなかった。


孤立無援のこの状況。結論から言えば大きな問題を犯してしまい、本社ではちょっとした話題になった。Iさんは文句や皮肉を言いつつもいざという時は助け舟を出してくれた。係長は口を挟むだけで余計な仕事を増やし続けた。他の先輩たちは我関せずを貫き、なぜかはわからないが、他部所の人間からよくエールを送ってもらえた。

Iさんに白羽の矢が立ったのには先輩Kさんの影響が大きいと私は思っている。この人は曲者で実績があるため上司からの評判はいいが、同僚、部下からは良い話を聞かない。早く仕事を終わられる技術を持っているのに、その術を共有しないのだ。Iさんの仕事もやっていた時期があり、彼曰く工夫すれば負担は大きく削減できるというのだ。しかし肝心な部分は自分にわかるようにしか言わないため、Iさんにはうまく伝わっていない。むしろIさんはそのやり方に反対で時間を割いて習得するより自分なりに行ったほうが効率がいいと思っている節があった。

係長はKさんの言い分を信じたのである。

反省会を開いた時、Iさんはまず「私は手を回せないと言ったはずですからね。」と穏やかに言った。一歩間違えば喧嘩が勃発しそうな空気である。


 しかしこのIさんの態度、私はどうも嫌いになれない。仕事中も「こんなん新人がやっていい仕事じゃねえよ。あいつに全部任せておけよ。」とこちら側の意見を言ったり、不器用ながら応援してくれているような気がしたからだ。さらに彼の俄然とした態度。これは当時の私にはなかったものである。これはその職場で生き残っていく上で必要なものだった。


Iさん元気にしているかな。

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