第15話

【15】


シャルロッテは母親と一緒の寝台で寝こけていた。びっくりするほど綺麗な寝顔だった。


麗しき母娘に忠誠を誓う、若くはないけれど優秀な護衛兵が最後まで私を通すまいと頑張ったので、かわいそうだけど殺してしまった。彼の心の中にいたのはシャルロッテと同じくらい無邪気で可愛い男の子、子供時代をともに過ごした大切な幼馴染で、いずれ盟友になるはずだった子だった。愛する男の子に刺されたとき、彼は目を見開き、それからすうっと命の火が消えて、どうと倒れたときにはすでに息がなかった。きっと幸せな夢を見ているに違いない。


――どうして、ここまで来てしまったのだろう?


胸の中に憎悪はあれど、私はつくづくそう物思いにふける。邸宅は奇妙に静まり返っている。おのおの使用人たちは見かけたはずの愛しい人の影について考えているのかもしれない。


――どうして私、見つからなかったのかしら?


可能性は二つ、カムリかミラーのどちらかに、気配を絶ち姿を見えにくくする隠形の能力があった。もう一つ、ただの運。


なんとなく後者な気がする。なんとなく……私は本来の道筋から離れはじめ、そしてあの人を困惑させているのじゃないかしら?


「ねえ、そこにいるの?」


と問いかけた先、虚空からはなんの返答もないけれど。届いているといいな、あなたに。原作の神様、作者様その人に。あなたはアマルベルガのことなんて、ただの脇役としか思ってなかっただろうけど。原作第一部完結から十年後に雑誌に載った短編では、ひどい設定ミスまでされたけど。


「これからもひっかきまわすからね、覚悟しておいて」


そうっと胸に手を当てる、アマルベルガの胸だ。アマルベルガの顔かたちで私はせいぜい妖艶と描写してもらえるよう、微笑む。世界を敵に回したって生き延びることを誓う。誇りを守って戦うことを選ぶ。


「どんだけ殺そうとされたって、そうしないから」


それでシャルロッテの母親が、美しい娼婦の髪をかき回しながら、


「ううん……」


なんて呻いて目を開けようとしたものだから、私はアマルベルガの短刀をスカートの裾から取り出し、躊躇なくその胸を突いた。あっと小さな悲鳴。目を覚ましたその人はとても綺麗だったと推測できる顔だし、今だってもう四十は超えているだろうに二十五に見える。


それでもおばさんだ。アマルベルガに何一つ勝てているところはない――若さも血筋も教養も。愛されているなんて、それがたったひとつの武器だなんて。そんなの通じるのはこの家の中だけだ。アマルベルガをいじめて楽しむのは、もう終わりだ。


私が微笑んだのに向けられた憎悪の目はあまりに凄まじく、なるほどこの人が外国人ながら公爵閣下に見初められるまで、どれほどライバルを蹴落としてきたかが本能的に理解できるほどだった。心臓を貫かれ、致命傷なのに、女なのにまだ起き上がろうとしていた。腕を上げ、私の手を鷲掴もうとしていた。


ぜんぶ、無駄だけど。


「あははっ」


と私は笑う。姿がくるりと変身し、美しい女がかつて恋した兄のような人の姿になった。彼女はそれを見て、ふっと少女のように目を細め泣きながら死んだ。


そのままシャルロッテを殺してもよかったが、ふと気が変わった。実際のところ、愚かなことに私はこの一連の殺人の落とし前をどうつけるか考えていなかった。どこからどう表れてどう殺したら早く的確か、しか興味がなかった。シャルロッテはいちばんひどいやり方で嬲り殺しにするつもりだったし、今は男の身体なのだからそれができる。けれど……。


「そうね、あなたにはそれがお似合いね」


と私は異母妹の寝息に囲まれ女の口調で呟く。


さて、ジェラールはというとこちらも母と妹の部屋の隣でぐうぐう寝ていた。寝台にはメイドの一人がいて、こちらも半裸でくうくう寝ている。この子には役立ってもらおうと決意して、ジェラールの額にがっと短刀の刃を落とした。


ぱっくり皮膚が割れ、血と脂肪の白い綿みたいなところ、ちぎれた血管の管の丸まで見える。血が噴き出して顔から体から、全部が赤色に染まった。


ジェラールはもんどりうって寝台から床に倒れ込み、ばたばた末期の踊りをはじめる。


「キャ、キャアアアアアア!!」


と目覚めてうるさいメイドに目を合わせ、


「公爵に家族を殺されたものだよ、その報復だ」


と精一杯悪ぶって言った。メイドの目は瞳孔まで開き、口は開けすぎて切れてひどい有様だ。


「さあ、ご主人に報告にいけば?」


床にごろんとメイドの身体を落とす。彼女は着るものもとりあえず、ときどき壁にぶつかりながらきいきい逃げていった。


騒ぎが起きる前にシャルロッテのところに戻った。メイドの叫びで起きたらしい彼女は、不思議そうに母親の死体を眺めている。


私は彼女と目を合わせた。彼女の心の中には、彼女自身がいた。


シャルロッテとシャルロッテの姿をしたその異母姉と。見つめ合う。


沈黙を破りシャルロッテはにっこり笑った。


「これは夢ね。シャルはこんなのと違うもん」


私は首を横に振る。小柄で足まで小さいシャルロッテは、その足によくあう踵の高い靴に豪華な肩を出すイブニングドレスを着ていた。これが彼女の自己イメージなのだ。いつでも美しく可愛いシャルロッテ。


「シャルロッテ、あなたに全部の罪をかぶってもらうわ」


人がくる音が聞こえる。護衛兵も控室の侍女もいたはずなのだが、間抜けなことにいったん騒ぎの元であろう表の方に行ってから、慌ててこの部屋に戻ってきているようだ。この家の質というのがそれにあらわされている気がした。しょうがない、ずっと何年も外国人の平民が女主人だったんだもの。


「これからわたくしはお前に何もしないわ。今まで――悪かったわね」


クスッと笑って私は部屋をあとにしたが、シャルロッテは嫣然たる笑みを浮かべたままだった。彼女は心から信じている。横にある母親の死体は嘘で、明日になればシャルロッテは皇子に愛され父にも愛され兄にも母にも愛される。思い込めばそこにある血も肉も無視してしまえる、アマルベルガの不幸や心に思いをはせることがなかったのと同じに。それがシャルロッテ。愛される以外なにもない娘の本質。


「じゃあね、さようなら」


そうして使用人通路に消える私を見送って、シャルロッテはことんと眠りに落ちた。


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