第7話

【7】


カムリはもともと魔物だった。とても力の強い魔物だったので、人間の魂を食った。


「魂?」


そうとも。魂とは普通なら手を触れることもできない物質だ。人も魔物も神すらも。けれどどこかいつかの魔物が、何かどうしたかの拍子に一人の人間のそれを、食ってしまえたんだよ。そして罰を受けた。


「罰……」


そうだとも。魂を犯すは禁忌である、ってねェ。神だか摂理だか世界だか、そういうものが罰を下した。永遠に人にはなれず、さりとて魔物にも戻れず。自分自身の自我なんてものは、心なんてものはない。


どこかの人間の魂を食ったなら、次もその次もそうせよと定義されたのさ。


そして次の魂、また次の魂を食って、その魂の自我を得て生きている。永遠に。


「それが、私? アマルベルガ――わたくしじゃなくて、日本人の私?」


「そういうことさ。ふゥむ。カムリは死体に入り込んで息を吹き返す。けれどとうのカムリは思うことも考えることも感じることもできない。食われたはずの魂がすべてを乗っ取り、食った側のはずのカムリは眠ることもできない存在に貶められるのさ。けれど確かに存在している……言葉が通じるだろ?」


「ええ。これがカムリの能力だってこと?」


「そういうこと」


コロ太郎はころんと寝台に転がり、腹を見せ、魔物の顔で笑った。


「魔物だもの、世界の次元の違いなんて簡単に乗り越えられる。なんのことはない、お前たちはたまたま、死んだタイミングが一緒だったのさ。それでカムリに見初められた。それだけなのさ」


「そう……なの」


私は胸に手を当てた。少女の心臓は皮膚の下でトクトク息づいている。これがアマルベルガの生ではなく、ましてや私の生ではなく、そのカムリとかいう魔物の生だというのか。


「そうともさ」


悠々寝転がりながら、魔物は鼻を鳴らす。


「自分のものは何一つなく、お前たちのぶきっちょな生き方を指くわえて眺めてなくてはならないのさ。ああかわいそう」


私はひとつのことを思った。鏡映しの魔物はそれを読心して、ぴたっと動きを止めた。


「わたくしの考えを分かった?――そうなのよ、つまりはこう考えていたの。あなたをどうにかして丸め込んで、わたくしに味方してもらう。わたくしがシャルロッテを憎めばあなたはシャルロッテの姿になる、そうすれば皇子様の私室でもどこでも入り放題よ。きっと暗殺できるわ」


「ばかなこと、ばかなこと。さすがは仕事と勉強以外してこなかった何も持たざる社畜だねェ」


「ええそうね、その通りだわ。それで今、カムリの話を聞いてこう思ったの――魔物は別の魔物を食って力をつけるのだというわね、わたくしの中にはカムリがいて、手も足も出せず歯噛みしているというのね。それじゃあ……それじゃあ……」


「私にカムリを食えと?」


コロ太郎は唸る寸前の犬の顔をした。


「ええ。できないの?」


「できない……ことはない」


しっぽがぱたんと揺れる。


「きっとそのうちわたくしの日本人だった頃の記憶も消えるのだと思うわ。わかるの。意識せずともアマルベルガになれたように、いつか意識せずしてアマルベルガと同一の存在になる。カムリの存在に気づかなかったように。ならつまり、わたくしが死ねば?」


「カムリは次の宿主を探して身体から飛び立つ」


「神だか摂理だか世界だかに呪われたように。ねえ、それは瞬時に精密になんの隙もなく行われるものかしら? 魔物にさえ手を出せないほどにスムーズに?」


コロ太郎はもうすっかり魔物にしか見えない。飼い犬は最初からどこにもいなかった。


「わたくしが死ぬ瞬間、あなたに全部あげるわ。カムリもこの肉体も何もかも、食い散らかすといい。そうすればあなたはカムリの力を得るのよ――ここに縛り付ける呪いさえ打ち破り、また自由になれるでしょう? 違って? ねえ?」


魔物はぺろんと鼻を舐めた。しっぽがにゅっと伸びて、蛇の尾になった。


「違わない……」


「なら?」


「ふん」


彼はきゅうっと目を細めて私を見上げる。蛇の尾がぱたぱた揺れる。


「いいだろう、契約だ」


そんなわけで私たちは正式に契約を交わした。指先を食い破った私は血をミラーに与え、


「わたくしが死んだら、わたくしとその肉体に付随するすべてを食べてもよい。それまでわたくしに力を貸しておくれ」


「承知した」


とまあ、そんな具合である。学園では精霊の召喚魔法とその契約方法を学ぶ。ミラーから指示されたやり方がそれとそっくりそのものだったのには驚いたが、


「精霊も魔物も変わんないよう。人間に都合のいいのを精霊、悪いのを魔物とあんたたちが勝手に呼び変えてるだけ……」


「へえ」


ということだった。


正直、鏡映しの魔物をどのように味方につけるのか皆目見当もつかなかった。できるだけの餌をちらつかせて、それでもだめなら殺される前に死ぬしかないとまで思い詰めていた。


カムリ。カムリね。


原作小説にもかけらも登場しなかったくせにしれっとこの世界に存在している以上、たぶん原作者の先生の思惑さえ超えたイレギュラーなんだと思う、私と同じに。顔も知れないどころかこのアマルベルガの運命に私を巻き込んだ憎いやつ――だけれども、同時にこいつが私と同じところに存在していなかったらこうはならなかった。


だから、まあ、感謝してやってもいい。


「名前がないと不便だもの、適当に名付けてもよくて?」


「別に気にしない」


「じゃあ、ミラー」


「ふん。安直だこと……ヘェエ、小説読みながら名前がないから読みにくくてイライラしてたんだぁ? ふぅううん」


「うるさいわねえ」


さて。私は目を閉じる。深く強く、念じなくてもいいほどに恨む――麗しき純真なるシャルロッテ!


わたくしのほしかったものすべて、得る前に奪い取っていった憎い異母妹!


目を開ける。素晴らしいフリルが大量についた桃色のドレス姿のシャルロッテがそこにいた。


瞬間、皇子と腕を組んできゃらきゃら笑うシャルロッテ、私が舞踏会に着ていくはずだったドレスを横から奪い取ったシャルロッテ、母上の形見のハンカチを使用人に盗ませた上捨てたシャルロッテ、母親と一緒になって私の髪型を笑うシャルロッテ、いろんなシャルロッテが脳裏をよぎり、抑えきれない憎悪が噴出する。


「おお、こわ」


とミラーは肩をすくめる、その仕草にさえイラっとするのだった。


「わたくしを嘲笑わないシャルロッテなんて、新鮮だこと」


「そりゃ、私だって無理に力を使いたいわけじゃないもの。敵対する間柄じゃないなら憎悪をそのまま返したりしないさ」


「鏡映しの能力は制御できるのね」


ミラーは悪ガキみたいにシャルロッテの顔をゆがめた。そうすると、さすがの彼女も変な顔。


「自分の能力を制御できない魔物なんて、走れない犬みたいなもんさ!」


私ははじめて心から笑った。


「それじゃ――さっそく皇子を殺しにいきましょうか。シャルロッテが動く前にやり返さなきゃ殺されるわ。どうやって学園までいくの?」


「は? そんなん私の能力を超えてるよう。馬車でもなんでも呼べばいいじゃないか」


「え? 着の身着のまま押し込められたのよ、そんな権限もうないわよ」


「えっ」


「えっ」


閑話休題。我々は互いに魔物と人間の、それぞれ能力を見誤っていたことを知る。


「なんてこと。魔物なんだから壁抜けでもなんでもできるとばかり……」


「無茶苦茶いうんじゃないよ。そっちこそ、公爵令嬢だろう。なんかないのかい。影で働く暗殺者だの、忠誠を誓った騎士が白馬を駆って助けにこないのかい?」


「そっちこそ無茶言わないでよ! 暗殺者なんて壁の上に陣取って魔法銃で狙撃するだけの盗賊くずれ。騎士はみんな出世と恩賞目当てだったもの、とっくに見限られてるわ」


「なんてことだ」


「なんたることかしら」


それで作戦会議になった。


そして悔しいけれど――ほんとのほんとに、どうにも苦しいことだけれども、向こうから仕掛けられるのを待つしかないという結論に至った。


「やられる前にやりたかったわ……」


「こっちこそだよう。ああもう、とっとと死んで、食べさせておくれよう」






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