第7話 いざ、臨戦態勢

 守梨まもりにとっては久しぶりのホールウェア、ゆうちゃんにとっては初めてのコックコートにそれぞれ身を包む。


 守梨はお母さんと体型があまり変わらないので、お手伝いをしていた時にはウェアをシェアしていた。なのでこのままお母さんが使っていたものを使う。


 祐ちゃんのコックコートは新品である。祐ちゃんはお父さんより背が高いので、丈が足りなかったのだ。搬入したてのコックコートは、ぱりっとのりが効いている。


 ホールウェアは、白い襟付きのシャツに黒のストレートボトム、黒い腰エプロンである。コックコートは白1色だ。高さの低い帽子も白である。


 どちらもオーソドックスではあるが、奇をてらう必要は無いし、お客さまに安心感を感じていただく方が優先である。「テリア」はあくまで、お客さまに憩っていただく場なのである。


 守梨は着慣れているのだが、祐ちゃんはどこか居心地悪そうだ。


「なかなか慣れへんわ」


「動いているうちに慣れて来るで。そうやってコックコート着てくれてると、ほんまにここで料理人やってくれるんやなって実感する」


 守梨がしみじみと笑顔で言うと、祐ちゃんはきょとんとした顔になった。


「ほんまにって、そりゃそうやん。そのためにやって来たんやから」


 さも当然と言う様に言う祐ちゃんが頼もしい。守梨は「うん」と目尻を下げた。


 今日は日曜日。松村まつむらさんたちに祐ちゃんの腕を見てもらう日である。守梨は少し緊張してしまっているのだが、さすが祐ちゃんはそんな風には見えず、堂々としている。先週は迷っていたが、1度腹をくくればぶれないのだろう。本当に凄い精神力だと思う。


 皆さんとの約束の時間は17時。今は15時である。これから祐ちゃんは下ごしらえに入り、守梨はフロアの掃除などに取り掛かる。


「よっしゃ、ほなやろか」


「うん」


 祐ちゃんが冷蔵庫を開け、鶏がらを取り出したのを見届けて、守梨ははたきを手にフロアに向かった。




「いらっしゃいませ」


「いらっしゃいませ」


 守梨と祐ちゃんが揃って出迎えた最初のお客さまは、榊原さかきばらさんご夫妻だった。おふたりは「ご馳走になるんやから」と言って、シャンパンを持って来てくれた。


 フランスシャンパーニュ地方産の人気の銘柄、ベルエポックである。美しき良き時代という意味が込められているそうだ。それはこれまでのお父さんとお母さんの「テリア」の様で、これからそれを継いで行く守梨たちにも当てはまる、そう信じたい。


 ベルエポックは花柄のボトルの美しさに定評があるが、味も一級である。やや酸味があり、りんごなど果物の爽やかさを感じさせる香り。フルーティで甘い味わいなのだが、最後に酸味が引き締めてくれるのだ。


 ワインが飲めなくなってしまった守梨だが、シャンパンは大丈夫なのである。ベルエポックはさすがに守梨にとっては高価なシャンパンなので、なかなか口に届くことは無いのだが。


「ほんまにありがとうございます。あの、これ、食前酒として皆さまに振る舞ってもええでですか?」


 守梨たちも食前酒に、ネクターアンペリアルを使ったミモザを用意しようと思っていたのだが、こんな良いシャンパンがあるのなら、ぜひこちらを飲んで欲しい。お持たせになってしまうのだが。


「もちろんです。でもお嬢さんらも飲んでくださいね。気が早いですけど、お祝いの気持ちも兼ねてますんで」


「はい。いただきます」


「ありがとうございます」


 守梨と祐ちゃんは揃って頭を下げた。


 そして松村さんは貴腐ワイン、フランス産ソーテルヌのシャトー・ギローを2本も持って来てくれた。こちらも1本を食後にお出しすることを快諾かいだくしてもらう。


 貴腐ワインと言えばソーテルヌ、そう言われるぐらい、ソーテルヌ地方は有名な銘醸地めいじょうちなのである。


 そしてこのシャトー・ギローはソーテルヌ格付け1級の実力派だ。蜂蜜の様な濃厚さと果実の様な爽やかなふくよかさを併せ持っている。


 祐ちゃんの両親は、この季節に嬉しい冷菓の詰め合わせを持って来てくれた。普段は常温保存ができて、食べる前に冷蔵庫に入れたら良いものである。


「平日ここで晩ごはん食べてるやろ。そのあとにでも食べて」


「ありがとう、おじちゃん、おばちゃん」


 モンシェールの堂島フルーツゼリーで、いちばん大きな箱だ。たっぷりのフルーツを甘さ控えめのゼリーで包むことで、フルーツが持つ瑞々しさと甘さを引き立てるのだ。


 モンシェールは堂島ロールで有名になったのだが、他にもバラのフィナンシェや堂島カステラなど、様々な甘味が美味しいのである。


 おばちゃんが、楽しそうな表情でこっそり耳打ちして来る。


祐樹ゆうき、結構似合てるやん。孫にも衣装やな」


 守梨はくすぐったい気持ちになって「ふふ」と笑みを零す。おじちゃんも「せやなぁ」と感慨深げに頷く。


「なんや、立派に見えるわ。今日はほんまに楽しみや」


 その祐ちゃんは松村さんと話をしている。ふたりとも真剣な表情なので、何かアドバイスなどをもらっているのかも知れない。


 そして、ふたりと一緒に入って来た長髪の男性。おじちゃんたちとあまり歳が変わらない様に見える。お友だちなのだろうか。特に紹介されないし、祐ちゃんからも聞いていないが、原口家ゆかりの人だったら問題無いだろう。


 ふと目が合うと、男性はにっこりと笑みを寄越してくれる。守梨も薄く口角を上げてぺこりと頭を下げた。


「おじちゃん、おばちゃん、今日は来てくれてありがとう。ゆっくりしてな」


 そして守梨は祐ちゃんに声を掛け、それぞれ皆さんにテーブルに着いてくれる様に促す。奥から右に榊原さんご夫妻、左の厨房に近いところに松村さんご夫妻、そして手前の左に祐ちゃんの両親と男性。


 守梨と祐ちゃんは並んで、皆さんに向かって深くお辞儀をした。


「みなさん、今日は来てくださって、ほんまにありがとうございます。心を込めて、お料理を提供させてもらいます。どうぞよろしくお願いします」


 守梨が言うと、どこからともなく拍手が起こる。それに込められているのは、きっと期待と励ましだ。守梨と、そしてきっと祐ちゃんも、それをしっかりと受け止めた。

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