第2話 石に込められた悪意

 朝から暑くて、起きづらい日々が続いている。まだ7月だというのに、エアコンが欠かせない気温になっていた。


 どうにか起き出した守梨まもりは朝ごはんを食べて出勤の支度したくをし、家を出るまでのあと10分でお茶でも飲もうかと、グラスに水出しの麦茶を入れた。


 インターフォンが鳴ったのは、そんな時だった。


「はい。どちらさまですか?」


 春日かすが家のインターフォンにはカメラが付いていないので、名乗ってもらわないと誰か判らないのである。しかしこんな朝から何ごとだろうか。


「あ、守梨ちゃん、私、隣の山内やまうちです」


 山内さんは「テリア」の右隣で、小料理屋を経営している夫婦である。来たのはその奥さんだった。


 小料理屋とビストロ。競合しそうでジャンルが違うので、巧くご近所付き合いができていた。両親のお葬式にも、夫婦で参列してくれた。


「あ、おはようございます」


「おはよう。いや、そんなどころや無いねん。すぐに出て来て」


 山内さんは慌てている様子である。それが守梨にも移ったか、「す、すぐに行きます」と早口で応えてインターフォンを切った。


 階段を駆け降り、急いで玄関を開ける。すると山下さんがそわそわしながら立っていた。守梨は目を丸くする。


「どうかしはりました?」


「どうもこうもあらへん。早よ早よ!」


 そう言って大きく手招きするので、守梨はサンダルをつっかけて外に出た。


 山内さんに付いて行くと、ほんの数歩で着いたのは「テリア」の前。そして山内さんが指差したところを見て、守梨は目を見張った。


「何や、これ」


 「テリア」のドアは木造りだが、上部に採光用のガラスがはめ込まれている。そのガラスが派手に割られていたのだ。


 守梨は呆然としてしまう。一体何だ。強盗でも入ったか。でもそのガラスは位置的に、割っても内側の鍵には届かない。そもそも高さ的に腕を入れるのも一苦労だろう。それに窓枠にはガラスが残っていて、下手に手を入れたら怪我をしそうだ。


「ちょ、ちょっと鍵取って来ます」


 守梨は走って玄関に戻る。靴箱の上に置いてあるキィケースを手にして戻ると、鍵穴に鍵を差し込もうとする。焦ってなかなか入ってくれなかったが、ようやく収まって解錠し、外開きのドアを開けた。


 するとドアから少し離れた店内の床に割れたガラス、それとこぶし大ほどの石が落ちていた。守梨はそれらを見下ろし、呆気にとられてしまう。いたずら? それにしてはたちが悪すぎる。


 何にしても悪意を感じる。もしかして気付かないうちに、何かトラブルにでも巻き込まれてしまったのだろうか。


 山内さんもドアの隙間から覗き込んで「うわぁ、えらいこっちゃ」と非難する様な声を上げた。


「守梨ちゃん、これ、警察とかに連絡した方がええんとちゃう?」


「あ、そ、そうですね」


 もう出勤時間だが、そんなこと言っていられない。守梨は石やガラスをそのままにドアを締め、心配してくれる山内さんにお礼を言って、110番すべく、玄関から家に戻った。




 10数分後、私服姿の警察官がふたり来てくれて、守梨は「テリア」のフロアで事情聴取を受ける。心当たりは無いかと言われても、何も思い当たらない。青い制服を着た鑑識の人だと思われる人がふたり、ドア付近や石などを調べたり、写真を撮ったりしていた。


 思い当たることと言えば、セミナーに通う様になって、交友関係は確かに広がっていた。だが一緒に受講する人たちは皆開業を目指す、いわゆる同士である。


 開店すればライバルだのなんだのとあるかも知れないが、基本は縁が切れると思っている。守梨にとってはあくまで知り合いの範疇で、そう親しい人はいない。


「この辺りには監視カメラも無いし、石からも指紋とか出んかったんで、犯人特定は難しいかも知れませんねぇ」


 警察官はそんなことを言って、眉をしかめる。と言うことは、これからもこんな危害が加えられるのかも知れないと、怯えて暮らさなければならないのだろうか。守梨の胸中に不安が押し寄せる。


 だが、これは守梨にとっては大ごとなのだが、警察にとっては小事なのでは無いだろうか。どこまで捜査なりなんなりしてもらえるか。盗られたものがあるわけでも無し、後回しにされてしまいそうである。


「では、また何かありましたら、ご連絡ください」


 警察官は軽くそう言い残し、鑑識の人たちと一緒に覆面パトカーで帰って行った。割れたガラスと石は証拠品なのか持ち帰って行ったが、正直これ以上当てになるとは思えなかった。


 家に戻った守梨は、ぐったりと疲れてリビングのソファに身体を投げ出す。警察が来る前に会社に連絡したら、遅刻はもちろん場合によっては休んでも良いと言ってもらえた。なので時間を気にする必要は無いのだが、迷惑を掛けるのも申し訳が無い。昼から出ようとのろのろと起き上がる。


 しかし、本当に一体何なのだろうか。お店には両親がいるはずだが……。そうだ、両親は何か見ていないだろうか。


 守梨は慌てて下に降り、厨房からフロアにまろび出た。


「お父さん、お母さん、石投げ込んだ人とか見てへん!?」


 しかし、返事が聞こえることは無い。ああ、そうか、守梨には見えないし聞こえないのだった。そんなことも忘れてしまうなんて、思った以上に動揺している様だ。


 今日は出勤するとかえって迷惑になるだろうか。しかし少しすれば落ち着きもするだろう。その前に割られた窓をどうにかしなくては。守梨はダンボールと養生テープを出すべく、控え室へと向かった。

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