第9話 笑顔に包まれて
「うん、ええと思う。ここ行って開業した人知ってるわ。ここは店のジャンル問わんと平均的っちゅうか標準的っちゅうか、そういうベースを教えてくれるみたいやから、守梨ちゃんにちょうどええと思う。実際は店始めてみな分からんことも多いけど、そんなんどこの店もそうやし」
なので守梨は、さっそくセミナーの申し込みをしようと決めた。6ヶ月コースで、今からだとセミナー開始は5月だ。1ヶ月単位で始まるのは幸いである。
「ところで守梨ちゃん、下世話な話で申し訳無いんやけど、相続税とか大丈夫やった?」
松村さんの心配はもっともである。しかし不幸中の幸いで、両親の事故を起こした建設会社からかなり高額の慰謝料が出たのである。お金関係はいろいろあったのだが、差し引きしたらどうにかプラスになってくれた。
それを伝えると、松村さんは「それなら良かったわ」と心底安心した様な表情になった。
「お金は大事やで。「テリア」再開時点で黒字やったら万々歳や。どうしてもいちから店始める時って、融資とかで実質マイナスのことが多い。私かてそうやった。まずはそれを返すことを念頭に置かなあかん。それが無いだけでだいぶ気も楽になるはずや」
それは本当にそう思う。両親はそう言った部分を守梨には見せなかったが、きっと苦しい時期だってあったはずだ。「テリア」は
「セミナーでも教えてくれるやろうけど、営業資金を日々どれだけ積んで行くか。常に黒字を狙うんは当たり前。それでも赤になる時はあるかも知れん。
その通りだ。守梨とて大阪人なのだから、その自覚や心当たりはある。
「やからと言うて、お金重視の商売はあかん。まずせんとあかんのは、誠実な商売や。例えばコスト下げようとして食材を安物に変えるとか、そんなんは
「はい」
そして、両親もそばにいてくれる。本当に心強い。
松村さんは慎重に言葉を選んでくれた。だからこそ守梨の身になって行く。飲食店経営が簡単で無いことは守梨にも分かる。それでもこの場所を守るために必要な、唯一のことだ。
気負っては空回りするだけである。冷静に、落ち着いて、目の前のことを最大限の力で取り組む。それが近道なのである。全てのことに通じるものなのだ。
後片付けを終えて松村さんが帰った後、守梨と祐ちゃんはコーヒーを
松村さんに相談できたことで、また一歩、「テリア」の再開に近付けた様な気がしていた。
今、お父さんとお母さんはどこにいるのだろうか。最近不思議と、気配だけは何となく感じることができる様になっていた。ただやはり見えないし聞こえない。どこにいるかまでは分からないのだが。
守梨はふたりに語り掛ける。
「お父さん、お母さん、松村さん来てくれはったで。見ててくれた? 松村さん、お父さんとお母さんを見て感じたことを、守ってはるんやね。私もそうあれる様になりたいんよ。まだまだこれからやけど、勉強するから、応援して欲しい」
両親の返事はもちろん守梨には届かない。だが。
「守梨、おやっさんもお袋さんも、嬉しそうに頷いてはるわ」
「ほんま?」
「うん。おやっさんら、松村さんが元気でいてはったんも、嬉しかったみたいや」
「そっかぁ。この前の「マルチニール」に一緒に行けたら良かったんやけどなぁ」
「それは難しい」
「なんで?」
祐ちゃんは一呼吸置くと、ゆっくりと口を開いた。
「おやっさんとお袋さんは
「そりゃ、お父さんらにとって、ここは大事な場所やろうから」
長年守り、育てて来た大事なお店だ。心残りがあっても何らおかしくは無いだろう。
「おやっさんら、死んでやっと、守梨にここを継いで欲しいて言えたんやと思う。生前言われたことあったか?」
「無かった。せやから私、就職したんやし」
だから両親がそんなことを思っていたなんて、思いもよらなかったのだ。
「おやっさんらは、守梨がやりたいことをやって欲しかったと思う。でも継いでくれたら嬉しいとも思ってはった。どっちも本心なんやと思う。守梨も「テリア」もどっちも大事にしてはったからやと思う。せやから守梨がここを再開させるって決めたんは、ほんまにおやっさんらにとって嬉しいことやと思う。俺もできるだけ手伝うから。おやっさんらの言葉、俺やったら伝えられるから」
「それはほんまにありがたいんやけど、祐ちゃんの用事があったらそっち優先してな? 彼女さんとかできたらデートとかもあるやろ」
「いや、それほんまに今どうでもええ」
そうきっぱりと言われ、守梨の中に複雑な思いが沸き上がる。嬉しい様な、切ない様な、どこか安心する様な。
「そうなん?」
「そう。あ、おやっさんとお袋さん、何やえらい笑ってはるんやけど」
「そうなん? どうしたんやろ」
「ほんまにな」
守梨と祐ちゃんは、揃って首を傾げた。何かおもしろいことでもあったのだろうか。
だが、例え見えなくても、両親が笑っていてくれるのなら、守梨にとっても幸いなことだ。そして今、守梨がしようとしていることが、間違っていないと確信できるのだった。
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