第7話 再会のドミグラスソース

「はい、守梨まもりちゃん、お待ちかねやで!」


 そう言いながら松村まつむらさんが提供してくれたのは、ビーフシチューだった。ブラウンのソースの中に、ごろごろとおお振りの牛肉が入っている。ソースに絡んだお野菜は人参とブラウンマッシュルーム。彩りで真ん中に青々としたうすいえんどうが盛られている。


 これこそが、守梨が食べたかったものだ。ビーフシチュー。正確には、ビーフシチューに使われるドミグラスソース。


「これがいちばんストレートにドミグラス味わえるやろ、思ってな。味、同じやったらええんやけど」


「……はい」


 守梨は言葉を詰まらせながらも、どうにか返事をし、うるみそうになる目をきつく閉じた。




 守梨の両親が事故に巻き込まれたと連絡があったのは、「テリア」が定休日のお昼過ぎだった。


 「テリア」の定休日は火曜日。会社員である守梨は会社にいた。外国から缶詰やレトルトなどの食品を輸入している会社である。


 ありがたく内定がもらえたので入社したのだが、タイやインドなどのレトルトカレーや、イタリアのトマト水煮缶などが社員価格で安く買えるので、守梨のお昼ごはんや、「テリア」が定休日のごはんにお役立ちだった。


 その日も守梨は談話室で、タイのグリーンカレーをレンジで温め、同じくレンジで温めたパックのジャスミンライスに掛けて食べていた。


 その後はそのまま同僚と世間話などをしていた。守梨の様に会社の輸入品をお昼ごはんにする人も多かった。


 電話があったのはそんな時だった。守梨のスマートフォンに着信があるのは珍しかった。両親は守梨の仕事中は用事があってもアプリでのメッセージだし、祐ちゃんや他の友人も同様だ。


 表示された番号は知らないものだった。非表示では無かったので電話を受けることにする。守梨は立ち上がって、廊下に出た。


「はい」


 発信元が判らないので、名乗ることは止めておいた。


「こちら、阿倍野あべの警察署です。春日かすがさんのお電話でお間違い無いですか?」


 警察。その単語に守梨の心臓が跳ね上がる。幸いにも守梨はこれまで警察のお世話になる様なことは無かった。落し物を拾って届けても、謝礼などは辞退して来たから、拾得物が落とし主に戻っても連絡が来たことは無かった。逆もしかり。


 警察が一体自分に何の様なのか。守梨はどきどきしながらも首を傾げるしか無かった。知らないうちに何かに巻き込まれたりしているのだろうか。


「はい、春日ですが」


「春日智昭ともあきさんと春日代利子よりこさんは、ご家族さんでお間違え無いですか?」


「……はい」


 両親の名前を出され、嫌な予感が頭をかすめる。今朝家を出る時、リビングで見送ってくれた両親の顔が浮かぶ。


 今日ふたりはお勉強も兼ねて、大阪メトロ御堂筋線の昭和町しょうわちょう駅が最寄りのビストロにランチを食べに行くと言っていた。


 心臓が早打ちを始める。警察からなんて、ただ事では無いのでは。


「落ち着いて聞いてください。春日智昭さんと代利子さんと思しきおふたりが、事故にわれました」


「……じ、こ」


 ぐらりと大きく頭が揺れた。立っていられなくなり、空いていた手で頭を抑えて壁にもたれこむ。そのままずり落ちそうになったが、どうにか両足で踏ん張った。


「りょうしん、は」


 かろうじて発した声が掠れて震える。相手はどうにか聞き取ってくれた様で。


「残念ですが」


 相手の静かな声に守梨は頭を打たれ、目の前が真っ暗になった。今度こそその場にへたり込んでしまう。


 お父さんとお母さんが、死んだ……?


 それから先、守梨の記憶はおぼろげである。通り掛かった同僚に助けてもらい、付き添ってもらってタクシーで阿倍野警察署へ向かい、安置室で並んで横たわる両親の顔を見た。


 担当の警察官から聞いたところによると、建設途中のビルを通り過ぎる時、上から鉄棒の束が落ちて来て、直撃してしまったとのことだった。


 お父さんはお母さんをとっさに庇おうとした様だったが間に合わず、ふたりとも頭を強く打っていた。顔にも傷が付き、頭には包帯がぐるぐる巻きになっていた。


 守梨は両親の亡骸なきがらに取りすがって、叫ぶ様に泣いた。まるで身体の中から全てを吐き出す様に声を上げた。流しても流しても涙は止まらず、そんな守梨の肩を同僚が支えてくれた。


 それでも少しばかり落ち着いた時。警察官に聞かれた。


「他に知らせたい方がおられたら、ご連絡なさってください」


 そう言われた時、親戚がいない守梨の頭にいの一番に浮かんだのはゆうちゃんだった。ああ、でも心配を掛けてしまう。しかしいずれは言わなければならないことだ。


 祐ちゃんも仕事中なのに、守梨はそこまで気が回らずに祐ちゃんにメッセージを送ってしまった。するとすぐに返事が返って来て、すぐに来てくれると言う。


 それからしばらくして、祐ちゃんが駆け付けてくれた。同僚は祐ちゃんと入れ替わる様に会社に戻って行き、守梨は祐ちゃんに支えられながら、祐ちゃんの存在に安心して、また涙を流した。


 それからは祐ちゃんと、祐ちゃんの両親が中心になって動いてくれた。立場的に喪主は守梨になるのだが、心痛がまるで癒えない守梨はろくに働くことができなかった。


 これがもし、両親が病気などで、死期がある程度予測できていたなら、何か変わっていただろうか。判らない。だが突如訪れた悲劇は、守梨から全ての力を奪った。


 お通夜、お葬式、火葬にお骨上げ、そしてようやくふたりの骨壷を手に自宅に戻り、としている間に、お父さんが大事に継ぎ足して来た「テリア」の宝とも言えるドミグラスソースを、不甲斐なくも駄目にしてしまったのだった。




 そして「マルチニール」のドミグラスソース、これこそ「テリア」から分けられ、新たに継ぎ足され守られているものなのだった。

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