15章 春の庭
第122話 春の庭01
鹿を狩った翌朝。
「さぁ、おうちに帰るまでがピクニックだ」
と言って笑いながら帰路に就いた。
コハクとエリスは文字通り道草を食いながらのんびり歩く。
コハクは果物も野菜もどちらかというと甘いものが好きらしい。
逆にエリスはちょっと酸味がある果物が好きで、野菜は少し苦みのある方が好きなんだそうだ。
今度ズン爺さんに伝えておこう。
他にも、サファイアがどこからか木の棒を咥えてきて自慢げに見せてくるのを誉めてやったり、小魚を狙って泉に飛び込んだルビーが失敗してずぶ濡れになったのをみんなで慰めてやったりしながら楽しい時間を過ごした。
こんな話をコハクと一緒にマリーに話してあげよう。
きっと喜んでくれるはずだ。
いや、もしかしたら逆に寂しがるかもしれない。
なにか土産でもあればいいが、と思って途中ロブローという果物を摘んだ。
そのまま食べるのは酸っぱ過ぎるが、ジャムにするとやたらと甘くなる、この世界独特の不思議な果物だ。
せめて、思い出のおすそ分けができれば、そんな気持ちで大切に袋に入れた。
やがてそんな楽しい時間も終わり、屋敷に着く。
帰りつくと、少し寂しいような気もしたが、出迎えてくれるみんなの顔を見た瞬間、嬉しさの方が勝った。
「ただいま」
みんな揃ってそう言うと、コハクとエリスはズン爺さんに促されて厩舎へ行く。
少し名残惜しそうにしていたが、そんな2人に、また行こうと言うと、
「ひひん!」
と鳴いて喜んでくれた。
時刻はまだ昼前。
後で我が家の分を適当に取り分けてくれ、と言ってドーラさんに鹿肉を渡す。
「あらあら、まぁまぁ」
と言って、その量に驚きつつもドーラさんの顔は嬉しそうだ。
いったいどんな料理に化けるのだろうか。
そんな期待を抱きつつ、まずは旅装を解いて、軽く行水をした。
着替えて食堂へ降りていくとリーファ先生がいて、
「やぁ、お帰り、バン君」
と軽く言って出迎えてくれる。
こちらも軽く、「ただいま」と言って席に着くと、昼食が運ばれてきた。
献立は、米と具沢山のみそ汁、酢で煮込んだコッコ肉とナスことポロの浅漬け。
いつものようにみんなで美味しく食べ、食後の薬草茶を飲んでいると、リーファ先生から、近いうちにまたマリーに魔力循環をしてくれないかと頼まれた。
例の魔力循環はあれから何度か行っている。
おそらくあと少しだ。
おそらくリーファ先生も同じように思っているらしく、
「いよいよだね」
と嬉しさとほんの少しの緊張が混じった顔でそう言った。
「ああ」
と私も真剣な眼差しで短く答える。
そんな言葉を交わして、午後もそれぞれの仕事に戻って行った。
翌日、さっそく、マリーを訪ねる。
差し入れにロブローのジャムを渡した。
マリーは初めてだったらしいが、紅茶に入れると、
「まるでお花のような香りになるのですね」
と言って喜んでくれる。
私が、
「クッキーに乗せても美味いし、チーズケーキにも合うだろう。お菓子だけじゃなく、ガーのローストにつけるソースの隠し味にすると味に奥行きが出る」
と言うと、マリーは、
「それは美味しそうですわね」
と言って笑ったが、その笑顔はどこか寂しそうに見えた。
当然だ。
彼女はそれらの料理を食べたことがない。
きっとみんなと同じものが食えないことが寂しいと感じたのだろう。
しかし私は、そんなマリーに向かって、
「大丈夫。もう少しだ」
と言って笑いかけ、
「そのうちみんなで一緒に食おう。きっと最高の飯になる」
と言った。
「うふふ。やっぱりバン様は食いしん坊さんですのね」
と言って、マリーの笑顔がいつもの笑顔に戻る。
(そうだ。きっともうすぐだ)
心の中でそうつぶやくと、ピクニックの思い出を話し始めた。
今咲いている花。
生っている果物。
森のにおい。
渓流の音。
きっとどれもマリーの知らない世界の話だ。
どの話も興味深く聞いてくれるマリーに、
「いつか、みんなで行こう」
と言うと、今度はいつもの笑顔で、
「はい!」
と言ってくれた。
そして、話題は動物たちの話に移り、ルビーの無邪気さと、サファイアのお姉さんぶりの話をすると、ずいぶんとおかしそうに、
「あらまぁ」
と言って笑い、コハクの食の好みが同じ森馬でもエリスとは全く違うことを話すと、
「あら、同じお馬さんでもずいぶんと違うんですのね」
と言って、驚いてくれる。
そんな穏やかな会話に、つい時間を忘れて話し込んでしまった。
ふと気が付けば、リビングには西日が差し込んできている。
「はっはっは。その調子なら明日でも大丈夫そうだね。またバン君に手伝ってもらって魔力循環をしよう」
と、そんな私たちの会話を横で聞いていたリーファ先生が苦笑しながらそう言った。
私たちはハッとして少し顔を赤くしてしまう。
「ああ…、そうだったな」
「え、ええ。そうなのね…」
とお互いにドギマギしながらやっとそう言葉を発した私たちにリーファ先生は、また苦笑しながら、
「今日はゆっくり休んでくれ。明日はちょっときついかもしれないからね」
と言って、薬草茶の残りを飲み干すと、
「さぁ、今日はお開きにしようか」
と言って立ち上がった。
心なしか、リーファ先生の表情が硬く見える。
おそらくリーファ先生も緊張しているのだろう。
明日は、勝負だ。
そんな思いが私の心を引き締めた。
「おはよう」
「おはようございます。師匠」
翌朝、いつものように稽古に出て、いつものようにローズと挨拶を交わす。
いつものように木刀を振るが、どうにもうまくいかない。
(どうした?落ち着け)
そう自分に言い聞かせ、集中を高めるがどこかちぐはぐだ。
まるで、心と体が別の生き物になってしまったようなそんな感覚に戸惑っていると、突然、
「きゃん!」
「にぃ!」
と声がした。
ハッとして振り向くと、そこにはいつの間にかルビーとサファイアがいて、真っ直ぐ私を見つめている。
なぜだか救われたような気がした。
(私は何を焦っていたんだろうか。自分ひとりで勝手に全部を背負い込んで、空回りしていた)
そんな自分に気づかされる。
(みんないるじゃないか。今日だって、リーファ先生がついていてくれる。それなのに…)
私はまた、忘れていた。
共に支え合う仲間がいることを。
心強い家族がいることを。
ふと、肩の力が抜ける。
「そうだな。ありがとう」
そう言って、2人を抱き上げ優しく撫でると、今度は、
「きゃん」
「にぃ」
と鳴いて、2人とも私に頭をこすりつけてきた。
すると、そんな光景を見ていたローズも、
「師匠。お嬢様はいつも、『あの治療のあとはとっても調子が良くなる』と言って喜んでいらっしゃいます」
と微笑みながそう言ってくれる。
私は、
「そうか。それは良かった。いかんな、いつの間にか緊張していたようだ。おかげで目が覚めた。ありがとう」
と言って、みんなに礼を言うと、
「さぁ、朝飯を食いに行こう」
と言って、井戸へ顔を洗いに向かった。
いつものように朝食をとる。
思い起こせば昨日の晩飯はどこか味気なかった。
もちろん、それはドーラさんのせいではない。
ドーラさんが作ってくれた鹿肉の生姜焼きは絶品だったに違いない。
きっと私の気持ちのせいだ。
(みんなで狩った鹿肉にもドーラさんにも悪いことをしてしまった。でも今日はきっと美味しく食べられる)
そう思うと、いつものシンプルな朝食がいつも以上に美味しく感じられた。
そんな朝食が終わり、いよいよ離れへと向かう。
いつものようにリビングへ通されると、そこにはいつものように微笑むマリーの姿があった。
にこやかな挨拶もいつもの通り。
もう、変な緊張からは解放されていた。
今日は向かい合って互いの手を取る。
昔の記憶を思い出すと、背中に手を当てて補助してもらったあとは、こうして向かい合って手を合わせてやっていた。
それを思い出して、前回からこの方法を取り入れてみたが、このほうが、よりマリーの魔力の流れ…なのだろうか?あの青白い線がはっきりと見える。
しばらく続けていると、少しマリーの呼吸が少し乱れてきた。
私はそっと、その呼吸に合わせるようにゆっくりと魔力を巡らせていく。
やがて、あの黒い渦が見えてきた。
慎重に、慎重に。
自分にそう言い聞かせながら、ゆっくりとその渦の周りを少しずつ解かすように魔力を流していく。
やがて、渦の中心に一本の太い線が捕らえられているのが見えた。
(これだ!)
私は直観的にそう思い、その太い線に絡みついている黒い渦をそっと解かすように魔力を流していく。
おそらくマリーが苦しそうにしている。
(すまん、もう少しだ)
心の中で謝りながら慎重にその作業を続けた。
どのくらい経ったのだろうか?
ゆっくりと、だが確実にその太い線が黒い渦の重力のくびきから逃れるようにゆっくりと解放されていく。
それを見届けて私は集中を切った。
気が付けば、汗だくのマリーが息を荒くしてメルに支えられている。
「よく頑張ったね」
とリーファ先生が声を掛けた。
マリーは「はぁはぁ」とあえぐばかりで何も答えられない。
しかし、少しだけ微笑んだように見えた。
「…よく頑張ってくれた」
私もそう言って微笑む。
(…ひひん!)
気のせいだろうか?
コハクの声が聞こえたような気がした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます