第30話 グレン VSバッジョ 西暦525年

 ヒベルニア島 Hibernia Island


 月明かりが、草原に屹立きつりつする石板に差し込み、大地に影を落としていた。


「お父様」

 サラサラが、環状列石の中央にたたずむ父セラヌリウスに抱き着いて行く。


「おお、よく知らせてくれた。お陰で助かった!」

 セラヌリウスは愛娘を抱き上げる。


「起こすのが遅れました。二人を危険な目に合わせたのは私の判断の過ちです…」

 サラサラの瞳から涙が零れた。


「何を言う。これが運命の時間だ! 騎士殿。紹介しよう。先程話した儂の娘サラサラだ」


「ブリテン島、ゼルティ王の騎士、バッジョと申します」

 一瞬の戦いではあったが、精神の緊張が持続するバッジョに笑顔はない。 


 サラサラはバッジョの瞳を静かに見つめる。


「サラサラ。貴方が危険を知らせてくれなければ、今頃私は、おので胸を深々と割られ絶命していた事でありましょう」

 バッジョがサラサラに歩み寄る。


「いいえ。私は鏑矢を放つ判断を一瞬躊躇ちゅうちょしたのです…」


「何を言われます。貴方の判断に誤りはありません。それより私が流れ着いた事で、平和な島に邪気じゃきを持つ者を招き入れてしまった。私の方こそ、貴方にお詫び致します」

 サラサラが話す自責の言葉に、首を左右に振る仕草で応じたバッジョが、己の方こそと詫びの言葉を繋いだのだ。


 バッジョの戦いはまだ終わってはいない。


「サラサラ。貴方の持つ鋼鉄の弓を私に貸して下さい」

 バッジョはサラサラに申し出る。


げんの張りは貴方には少し緩いかもしれない」

 サラサラは重い鋼鉄製の弓と、矢筒に残る二本の矢をバッジョに手渡した。


 鋼鉄の弓矢を受け取ると、血糊ちのりが残る長剣を大地に突き立て、バッジョは空を見上げる。


「さて、まだ団欒だんらんとは行かぬようだ!」

 父の言葉をいぶかしむサラサラを連れ、セラヌリウスがバッジョの側から離れ一定の距離を保つ。


 静寂せいじゃくが戻った草原に血の臭いが漂っていた。


 何時の間に現れたのであろう。月光の下、環状に並べられた列石の上に人影が立ち上がる。


 そしてもう一人。腕を組んだ姿勢の男が、黙ってバッジョを見詰めていた。


「お父様!?」

 二人に遅れ、不審な人影に気付いたサラサラが声を上げる。


「サラサラ。いつも儂が話し聞かせていた事が今夜から始まったのだ。唯それだけの事よ… お前は心に平静を呼び戻し、全ての事象を冷静に処理して行くのだ。大丈夫、備えはしてきたであろう!?」

 セラヌリウスが娘サラサラを優しくさとす。


「さて騎士殿。知った顔か?」

 セラヌリウスがバッジョに向き直る。


「いいえ、覚えがありません。只、獣臭い!」


「何だと、この野郎!!」

 挑発ちょうはつめいたバッジョの一言に、南西の石板に立つ男が荒々しい声を上げる。


「トリス。挑発に乗るな!」

 今度は北東の石板に立つ男が口を開いた。


 二人は密かにストーンヘンジの石板に登ると、戦いに有利な位置取りを済ませていた。左右からバッジョを挟むようにして、三人を見下ろしている。


「しかし頭目。獣臭いだなんて… 人一倍綺麗好きな俺に向かって、なんて言い草か!?」

 トリスと呼ばれた男が情けない声を出した。


「ふふ。獣臭いとは、きっと俺に言った言葉なのだろう!? 悪口ではない。俺の中に流れる獣の血臭がバッジョには解るのだ!」

 グレンが言葉を発した。


「俺を知っているのか?」

 名を述べられたバッジョが、面識もない筈と男に尋ねる。


「解からぬのも無理は無い。先には一瞬で捕捉ほそくされたのだ。お前は!」

 魔王セラヌの忠実な僕、頭目グレンが応える。


「そうか!? これで解った。知らぬ間に地下牢に入れられていたのは、貴様らの仕業か!? 汚い真似をする。不意に後ろから私の頭を殴り付けたのだな!?」

 バッジョが自身の後頭部に手をあてる。


「前回お前を一思ひとおもいいに殺さなかった事を、いま後悔した。二人の部下を一瞬にしてほうむられたのだからな…」

 男は怒りを押し殺した声で話した。


「前回は主人のめいで殺せなかったのだろう!? 貴様らはセラヌの忠実ちゅうじつしもべだ!」


「忠実な僕!? その通りだ。セラヌ様は絶対の御方だ!!」


「絶対!? そうでもあるまい。あの時、私を殺さなかったのがセラヌの大きな過ちだ。その為にセラヌは、いずれ我等に倒される宿命しゅくめいを負ったのだからな」

 バッジョは高らかに言い放った。


「いいぞ、騎士殿。貴殿は腕も啖呵たんかも上等だ!」

 セラヌリウスがバッジョに加勢のエールを送る。


「それは無理と言うもの。何故なら、お前らは今この場所で絶命するのだ!」

 配下より頭目と呼ばれた男の、冷酷れいこくな言葉であった。


「それでは三人そろって葬らせてもらいますよ」

 南西に位置する石板の上に立つトリスが厭らしい声を上げる。


「おいおい。トリスと言ったか? お主の相手は儂だよ。この儂の顔を良く見るんじゃ!」


「なんだと、このいじい!」


「そう爺と言ってあなどると、後で後悔するぞ!」


「何を爺い!」

 トリスは胸元に忍ばせたナイフをセラヌリウスに投げ付けようと、ふところに手を入れる。しかし懐の中で、トリスの手は動きを止めてしまう。


(何、手が動かん?)

 トリスは動揺どうようする。


「爺を侮るからだ。もう手も足も動くまい。その手は、お前の頭目がバッジョに倒される迄動かぬぞ!」

 セラヌリウスは鋭い眼光を見せながら、トリスに言葉を投げ掛ける。


(何と言う眼力と暗示か…)

 バッジョがセラヌリウスのわざを見て呟く。


「ちっ、油断ゆだんしやがって!」

 頭目と呼ばれし男が石板の上で舌打ちをする。


「さあ騎士殿。思う存分戦っておくれ」

 セラヌリウスはバッジョに声を掛けた。但しセラヌリウスの強い眼光は石板の上に立つトリスの目を捕えたまま、片時も離さないでいる。


「流石ですね…」

 バッジョも真直ぐに自分の敵を見据みすえた姿勢で、セラヌリウスに言葉を返した。


 そして涼しげな瞳で、「お前、何と言う名か?」 配下より頭目と呼ばれし男に尋ねた。


「俺の名を聞いて生きている敵はいない。お前はそれでも聞きたいのか?」

「ああ、覚えて置く事にしよう…」


「ふふっ。俺の名はグレン。グレンだ!」

「それではグレン。私はあの時の、私では無いぞ…」


「ふっふっ。何を言うかと思えば」

 グレンはバッジョの言葉を鼻で笑った。


「今、心を入れ替えるのなら、見逃してもやろう!?」

 バッジョはサラサラから借りた鋼弓を引き絞り、矢の標準をグレンの胸元に向けて合せた。


「ふっ。くだらぬ戯れ言ざれごとを言う!」

 バッジョを正面にとらえ北東の石板に立つグレンであったが、この時グレンは石板の最後部に唯つま先のみを掛け、何時でも瞬時に肉体を落下させる事が出来るよう備えていた。


 グレンの両手には投げナイフが握られている。


「弓矢など、俺には当らない。俺はその訓練を積んできている」

 グレンはバッジョに応えた。


「それでは試してみるがいい…」

 バッジョはグレンに向け、強く引き絞った鋼弓から矢を撃ち放った。周囲の空気が振動する。凄まじい速さで矢がバッジョの手元から飛び去って行った。


 バッジョの指先を注視していたグレンは、矢が指から放れた瞬間に、つま先を石板から外して地上へと落下する。


(速い!?)

 バッジョが放つ矢の鋭い速さに、重力による自然落下のみではかわし切れないと判断したグレンは、上体を大きくらせて矢を回避する。額をかすめた矢羽が真空を造り出し、グレンの皮膚を切裂いて行く。


 石板の背を落下するグレン。石板の前で最後の矢を弓に装着するバッジョ。屹立する大きな石板を挟んで、両者には互いの姿は見えない。


勝機しょうきは我にあり)

 敵の一本目の矢を外す事に成功したグレンは確信する。


 グレンの脳裏のうりには、バッジョの手に残るもう一本の矢を外す作戦が秘められている。数々の修羅場しゅらばをくぐり抜けて来たグレンの脳は、過去に経験した幾多の戦闘場面を思い起こしていた。


かつて大木の上で、腕利きのアーチャーより矢を射られた事があった。その時、俺は大木の陰を利用して敵を仕留めた経験がある)

 グレンは当時の事を思い出していた。


(大地に降りた俺が、石板の右から出るのか? 左から出るのか? 奴は考えを巡らせる。素早く左右に移動し石板の陰から姿を見せると、奴は俺の残像に向い矢を打ち放つだろう。しかし残像には矢は当たらぬのさ…)

 グレンは思考を続ける。


(最後の矢を外した奴には焦りが生じる。きっと鉄弓を放り投げ、手前に突き刺してある長剣を握り締める事であろう。それであれば簡単にけりが付く。奴が剣を握り締める前に、俺のナイフが奴の喉に突き刺さっているのだ。問題となるのは奴がそのまま鉄弓を振り上げ俺に向かって来る場合だ。奴の腕であれば、あるいは俺のナイフを払い落とすやも知れぬ。だからその時には、俺は老人の娘を奪い盾とさせ、奴等を殺す事にしよう)

 巨大な石板の上から石壁の背に沿い落下したグレンが、大地に降り立つ。


(はて?)

 グレンの耳は自分が大地に降り立つ時に立てた音、そしてもう一つ何かの音を聞いていた。


(はて? 何の音か?)

 石壁がグレンの耳から音を塞いだ。それでも大地に着地したグレンは、予定通りに行動を開始する。


 グレンは大地を素早く蹴る。バッジョの網膜に自らの残像を焼き付ける為に、恐ろしい速さで左右に移動を繰り返した。グレンの瞳には、障壁しょうへきの左右に連続するバッジョの動作が映されて行く。


(バッジョの手は鋼弓を捨てようとしている。それならばよし!)

 神経回路を伝わり、脳の指令を受けたグレンの筋肉は収縮を始める。筋肉の収縮と連動して、両手に握るナイフを目標物に向い投げ出すのだ。


(しかし何故、奴は最後の矢も射らずに鋼弓を捨てるのか?)

 グレンは思考する。


(バッジョの手には残る矢が見当たらない!? あの音? 奴は既に矢を打ち放ったのだ。しかし何処に矢を打ち放ったというのか?)


 グレンは自分の思考に恐怖を感じた。しかしそれ迄であった。稲妻に脳天を撃ち抜かれるような衝撃を感じ、グレンの意識は途絶える。グレンのからだは膝から崩れ落ち、哀れにも、石板の陰からころげげ出された。

 

 仰向けに倒れたグレンの瞳にはバッジョの動作が映り続けている。


 バッジョは鋼弓を投げ去ると同時に、大地に突き刺していた長剣を取り上げ、斜め後ろの上空に向い投げ付けていた。


「とっ、頭目!?」

 深々と脳天を矢で射抜かれ、矢羽を頭天に突き立てた姿で倒れ込むグレンの無惨な姿を見て、トリスが大声を上げる。


 グレンの死により、セラヌリウスからの呪縛じゅばくが解けたトリスの右手は、ナイフを懐より取り出そうと動き出す。トリスの身体は呪縛前に決められた通りの行動を起こしたのである。


 しかし、そこでトリスも絶命する。


 振り向き様にバッジョから投げつけられた長剣が、ナイフを持つ右手もろとも、トリスの心臓を刺し貫いたからである。


(あんな頭目の姿は見た事がねえ…)

 背の高い石板から転げ落ちたトリスが哀れであった。


「騎士殿。素晴しい腕だ!」

 セラヌリウスが、戦いを終えたバッジョに駆け寄る。


 バッジョに歓喜の表情は無い。


「さあ帰ろう。今宵は三人で、儂の住居で食事をしよう!」

 セラヌリウスはバッジョの悲しげな心を知りながら話している。つとめて明るく振舞う事を選んだのだ。


「なあ、騎士殿。嘗ての貴殿は、騎士として主君の敵を打負かす事に誇りを感じていたのであろう。それは当然だ、それが騎士としての本懐ほんかいだからのう。尊敬する王に仕える事で、悩みも迷いも振り払う事が出来た」

 セラヌリウスはバッジョの瞳を見詰めて話し続ける。


「しかし今や、貴殿は主君の居ない騎士だ。戦いは私闘と成り下がった。そう感じているのでは無いか? だが、そうではない。そうではないぞ、バッジョよ。我等の戦いは、聖なる戦い。人類の存亡そんぼうを掛けた大きな戦なのだ。それを解ってほしい…」

 心を込めて話すセラヌリウスであった。


「そしてもう一つ。貴殿は、憎しみを捨て去る者へと変化を始めたのだよ。儂と二人、過去と未来を渡り人間の生涯を旅して、貴殿は大きな成長を始めたのだ。これでいい。これでいいのだよ。迷いや悲しみは越えて行こう」

 セラヌリウスはバッジョの肩を抱いた。


「さあ帰ろう! 後の始末は、儂の配下が入念に執り行ってくれる」

 セラヌリウスは、既に自分の組織を築いているようであった。


「さあ、帰りましょう。今夜は十分にご馳走致します」

 サラサラの優しい声が、草原に漂っていた暗い空気を変化させて行く。


 三人はセラヌリウスの家に向い青草の草原を並んで歩き始めた。月はまだ高く、ヒベルニアの草原を優しく照らしていた。


「三人で楽しい時間を過ごしてみたい」

 今夜の為に、料理の下拵したごしらえも総て済まして来ていたサラサラであった。


 しかし、サラサラの願いも長くは続かない。大地を蹴り来る馬蹄ばていのリズムが、月夜の草原に響き渡って来たのである。

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