第17話 セラヌリウス兄弟の告白 紀元前52年

 ガリア・オーヴェルニュ地方 ジェルゴヴィア


 その日は、三日も雨の降り続く陰鬱いんうつな夜であった。


 城市アレシアへと向かったガリア救援部隊は、騎兵八千、歩兵二十五万にも達する大部隊となった。兄ヴェルカツシベラヌスも、四人の最高指揮官の一人に選出され。今、アレシアでは城市を挟んで、内外からローマ軍を攻めている最中さいちゅうだと言う知らせが、ジェルゴヴィアに居る私達の耳にも届いていた。


 叔母や使用人も含めた私達家族総てが、ガリア軍の勝利を信じ、吉報きっぽうを待ち続けた。


(ヴェルカツシベラヌス兄さんがヴェルキンゲトリクスを連れて、今にもここに現れるのではないかと)

 私はそんな事ばかりを繰り返し考えるようにしていた。


(嬉しい事を考えよう、楽しくなる事ばかりを想像しよう)

 自分に言い聞かせていた。


(最悪の事態など考えてはいけない。この戦いに敗れるような事があれば、ガリアは終わりなのだから)


 外では雨が降り続いていた。


 家の中は重苦しい空気で満たされている。誰もが重く口を閉ざしていた。


(この暗い雰囲気を少しでも明るくしたい)

 私はそう考え、皆に何か別の話を提供しようと思い始めた。


(そうだ、セラヌリウスの事を話題にしてみよう)

 私はそのひらめききを即座に言葉にする事にした。


「ねえ、セラヌリウス。貴方達は遠い国の森から来た客人と、以前ヴェルキンゲトリクスが私達に紹介してくれたのだけれど、貴方達はどこで生まれ、どんな家族と暮らして居たの? 嫌でなかったらでいいのよ、無理に知りたいと言う訳ではないの」

 私が口を開いた事で、家の中の空気が少し変化した。


 それまでうつむいていた家族が、一斉に私達に視線を移した。


「パトリシアは、僕達の事を知りたいの? 本当に?」

 二人のセラヌリウスが同時に口を開いた。


「ええ、そうよ。ずーっと不思議だったの、貴方達の立ち振る舞い総てから、私達は森の木々や自然の息吹いぶきを感じるんですもの。そこで、今日こそ貴方達に本当の事を伺いたいわ! 貴方達は森の妖精なの?」


 家族の皆がセラヌリウスを見つめる。


 やはりそうだ。セラヌリウスが何者なのか、皆もそれを知りたがっていたのだ。


 皆の視線を前に、二人のセラヌリウスは同時に口を開いた。

「僕達は勿論、森の妖精ではない。そして神様の使いでもない」


「本当に森の妖精ではない?」

 私は再度尋ねた。


「そう。僕達は確かに森で生まれ森で育って来たのだけれど、森の妖精ではない。只、僕達には名前がなかった。セラヌリウスと言う名前は、村人が僕達に後から付けた呼び名なのだ。その名で呼ばれる前には、僕達には名前などなかった」


「子供の時に名前がなかった。そう言う事!?」

 私は聞き返した。


「そうだ。僕達は幼い時から二人で森の中のたくさんの植物、動物、川や湖の魚たちと共に暮らしていた。森の中で食べ、眠り、僕達にはそれがとても幸せな暮らしであったのだ。それがある日、森に入って来た人間の大人に見つかり、僕達は人間が暮らす村へと連れて行かれた」


「村の大人達は、幼い子供であった僕達が、二人きりで生き続けていた事をとても不思議に思い、それは二人が森の神様に守られていたからだと勝手に考えた。そして僕達にセラヌリウスと言う呼び名を付けてくれた」


「姿形がまるで同じである僕達に、村人達は、僕達の一人を兄セラヌリウスと、そしてもう一人を弟セラヌリウスと呼び区別をした。しかし僕達にはまるで異なった所がなかったので、本当は誰にも二人を区別する事は出来なかった」


「勿論、僕達の間にも、お互いを区別して考える習慣はなかった。しかし今、一人が片腕を失った事で、僕達二人の間にも区別が生まれた」

 何時も二人同時に言葉を発していたセラヌリウスであった。それが突然、一人のセラヌリウスが話を止め、口を閉じてしまう。


「片腕をなくした僕と腕のあるセラヌリウスが、互いを別の存在と認識し始めたのだ…」

 話し続けたのは、片腕となった兄セラヌリウスの方であった。


 今度は弟セラヌリウスだけが口を開く。


「私は、二人の心が離れて行く事に強い不安を感じている。とても不安で、既に心は寂しい気持ちに支配をされている」

 そう言って、両方の瞳から涙を溢れさせた。


 セラヌリウスの告白に驚いた私達は、皆それぞれの言葉でセラヌリウス兄弟を慰める。二人がこんなにも悩み、苦しんでいたなどと想像もしていなかった私は、二人にこのような話をさせてしまった事を後悔し、涙を流しながら謝罪をした。


「いいえ。いいえ。パトリシアが謝る事などないのだ」

 片腕の兄セラヌリウスはそう言い、反対に私をなぐさめてくれる。


「そうなのだパトリシア。貴方が悪いのではない。貴方は私達の大切な友人、昔から、ずーっと、昔から…」

 両腕のある弟セラヌリウスも、そう言って私を慰めてくれた。


(昔からずーっと、昔から?)

 セラヌリウスは何を言っているのだろう。


 しかし泣き続ける私が、それを尋ねる事はなかった。


(外の雨は何時止むのであろうか?)

 しかしそれは、人間が昔から聞き続けて来た心地よい水音でもあった。

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