#02 - 降誕

 CDショップでDOOMSMOONドゥームズムーンのCDとロック関係の雑誌を買い、さらに彼らの情報を求めて古雑誌でも買おうかと古本屋に向かって駅から少し離れた道を歩いていた。すると古くからあるであろう住居兼喫茶店というような店の外壁にDOOMSMOONドゥームズムーンのポスターが貼ってあるのを見つけた。よく知った通りだが、今までこんなに派手なバンドのポスターが貼ってあったかどうかは覚えてない。

確かにDOOMSMOONドゥームズムーンと書かれたポスターには5人の男性とライブの日付や発売中のアルバムの宣伝が載っていた。

数年前に流行ったV系ヴィジュアルけいのような名残もあって、薄っすらとメイクをしている人もいる。真ん中に写っているのがヴォーカルだろうか、ひときわ容姿が良かった。

「ねぇ、DOOMSドゥームズのファンの子?」

ポスターを見ていたアタシにエプロン姿の女性が話しかけてきた。

「あ、いえ、あ、そうかもです……」

と、答えにならない返事をすると女性は「店に入りなよ」と言って喫茶店の中へと案内してくれた。エプロンの刺繍ししゅうを見ると、女性はこの喫茶店の店員だった。

「その制服、私も同じ高校出身だよ。安心して」

と、彼女はアタシに笑いかけた。


 6席ほどのカウンターに年季の入ったビロードのソファがあるテーブル席が5つ、薄暗いけど居心地がよくノスタルジックな喫茶店。夜はスナックとして営業しているらしい。彼女の両親がこの店を切り盛りしていて、彼女も手伝っているという。

隅のテーブル席を1人の常連客らしいたたずまいの男性が新聞を広げて占領し、別のテーブル席にはサラリーマンと思わしきスーツ姿の男性2人組がタバコを吸って休憩していた。

 アタシはカウンター席に通されて、カウンターの中の彼女と向かい合った。

「何飲む?1回目はご馳走するよ」と言われ、アイスティをお願いすると彼女は手際よくグラスに注ぎコースターと共にアタシの前に置くと、続けざまに

「あ、これ」

と、言って彼女は名刺をアイスティの横に差し出した。

そこには“莉愛マリア -Maria-”という名前だけで、裏面にメールアドレスと電話番号が印刷されてあった。黒く厚い紙に、洒落たフォントの白い文字で珍しい名刺だった。

「私、DOOMSMOONドゥームズムーンの私設ファンクラブ仕切ってんの」

「え、そうなんですね。だからポスターが」

「そう、私彼らと同級生で、昔からツルんでたんだよね」

莉愛マリアDOOMSMOONドゥームズムーンとのつながりを話し出した。

アタシより7歳年上の彼女とDOOMSMOONドゥームズムーンのメンバーはこの辺りの出身で、中学生時代からメンバーが入れ替わりながらもバンドをやっていて、この喫茶店から歩いて数分のライブハウスをホームにしているという。メンバーはこの店へもよくやってくるらしい。

 高校を卒業した頃にはもう地元では人気があって、ファンも多かったことからファンクラブをシステム化し管理する人員が必要になり、莉愛マリアがこの店を本部にして仕切りだしたという経緯だ。今は主にメーリングリストに登録しているファンに、定期的にライブや販売物のお知らせをメールしたり、CDやグッズの注文を受け付・発送したりしている。

アイスティーを飲みながらひとしきり彼女の話を聞いていると

「そういえば、名前聞いてなかったね」

と、彼女は笑いながらアタシの名前を聞いた。

「鈴木です」と、返すと「バンギャならもっとかわいい名前つけなくちゃ」と、笑った。バンドを追いかける女の子のファン──バンギャルではまだないアタシは“莉愛マリア”なんてかわいい名前を持っていなかった。

 今度はアタシの番になった。どうしてこの店の前を通りかかりポスターに見入っていたのかを話した。

「ライブは全然違うから、今度連れてってあげる」

と、半ば強引に莉愛マリアが誘うのでアタシは

「ぜひ……」

と、つぶやいてライブに連れて行ってもらう約束をした。連絡先を交換しアイスティーを飲み干して

「それまでにかわいい名前考えておいて!」

莉愛マリアにそう言われて店を後にした。


 家に帰ったアタシは買ったCDをインポートしてiPodアイポッドに移していつでも聴けるようにした。その作業のかたわらで漢字の辞書をペラペラとめくった。かわいい名前を自分につけるために。

バンドの追っかけをしているバンギャルの子達は好きなメンバーから1字もらったり、バンドにちなんだものを使ったり、普段の自分とは違う自分を演出するためだったりと理由や由来は様々だが、そのコミュニティで使う名前を自分に付けている場合が多いらしい。

もちろん本名のままの人もいるが、莉愛マリアも本名はマリで“愛”という字を足して莉愛マリアと名乗っていると教えてくれた。

 アタシが自分を嫌いな理由のひとつが鈴木と言う苗字だ。どこにでもいる代わり映えのない名前。同じ学年やクラスに他の鈴木がたいていいて、だいたい慣れ慣れしく下の名前で呼ばれるハメになる。鈴木と言う苗字が嫌いだった。

そして母が名付けたという下の名前もアタシはキライだった。その名を呼ばれると母からの血が活性化し欲望に取りつかれるような卑猥ひわいな響きに聞こえることさえあった。かつてラブホテル経営者の娘だというだけでからかってきた奴らの声が正論だったかのように脳が錯覚する。


しばらく考えた後、アタシは自分に嘉音かのんと付けた。

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