この世の沙汰は運次第
緋水晶
プロローグ
「な、なんだと…!?」
そう呟き、目の前の俺を放って一心不乱に手元の書類に目を走らせているのは、現世で閻魔大王と呼ばれる赤ら顔で強面の大男だ。
元々赤い顔をさらに赤くしてくわりと目を見開き食い入るように書面を凝視しているが、何度見てもそこに書かれた文字が変わることはないはずなので、いい加減俺の相手をしてほしい。
とはいえ彼が見ている書類には俺の現世での行いやらなんやらが記されているらしいので、相手をしていないわけではない。
ただ、かれこれ10分は放置されているだけで。
「ううむ…」
ガリガリと頭を掻き毟り、眉間に深い皺を刻む。
強面のせいでそういう表情をされると何も悪いことをしていないはずなのに不思議と居心地悪く感じて、今すぐに逃げ出したい気持ちになってしまうが、もちろんそんなことができるはずもない。
生きている時は不幸に見舞われることが多かったが、何も死んでからもこんな目に遭わなくてもと項垂れた。
哀しいかな俺にはこの状況をどうすることもできず、ただただ状況の進展を待つのみだ。
「……倶生神よ」
さらに5分ほど唸った後、閻魔大王は何かに呼び掛けるような言葉を発したが、それが何か俺にはわからなかった。
「「はっ」」
しかしここに来てからずっと俺の横にいる二人の妖精のような生き物が声を揃えて返事をしたので、それが彼らに向けられたものだと知る。
後で聞いたら、倶生神というのは二神一組で担当になった人間の一生の善行悪行を記録する神であるらしい。
そして閻魔大王が先ほどから凝視している書類こそ、この倶生神が提出したものだそうだ。
ということはもしかして、この状況は両隣の見た目は妖精なのに実際は神様だという生き物のせいなのだろうか。
ちなみに本来、神とは一柱、二柱と『柱』で数えるが、めんどくさいので『人』と数えることにする。
「彼の者について、ここに記されている内容に相違はないか?」
その二人に閻魔大王は念を押すように問い掛ける。
事情はわからないが、何故か彼からは否定してほしいというオーラが出ているような気がした。
「「相違ございません」」
けれど俺がそう感じたところで、そしてそれが正しかったところで、倶生神には関係がない。
彼らはちゃんと仕事を全うしたのだと誇るように力強く肯定を返した。
「そうか…」
それを聞いた閻魔大王は目元に手を当て、天を仰ぐように上を向く。
そうして深く息を吸い込むと、
「この、馬鹿者共がー!!」
吸い込んだ息と元々肺にあった空気とを一気に吐き出すような大音声で二人の小さな神を叱り飛ばした。
ビリビリとした空気の振動が建物を揺らすなんて漫画の世界でしか見ないようなことが今俺の目の前で起こっている。
「やべぇ、面白れぇ」と笑いたいのに、あまりの迫力にむしろ顔が引き攣った。
「確かにお前たちの仕事は人の善行悪行の記録だ。しかし、明らかにこれはおかしいと気がついただろう。何故放置した!?」
そしてそれほどまでの怒りを示してなお収まらぬ様子の閻魔大王に、倶生神は気の毒なほど身を縮めながら必死に向き合う。
「「ま、まさか天上神の間違いがあろうなどとは思わず」」
「この世に絶対などと言うものはないといつも言っているだろう!」
「「しかし、これは」」
「言い訳をするでないわ!!」
だが何とか言い募ろうとしても閻魔大王の怒りに阻まれ彼らの声は届かない。
むしろ口を開けば開くほど烏帽子の下の髪の毛は怒気によって蛇の如くうねり、赤い顔は湯気を出しそうなほどになるので、黙っていた方が互いのためになりそうだ。
「貴様らのせいでこの者は、この者は…」
などと考えているが、原因はどう考えても放置されっぱなしの俺。
正直いたたまれない。
手を差し伸べるわけではないが、ここは空気を変えた方がいいのではないだろうか。
「あ、あのー…」
物凄い勇気が必要だったが、いい加減30分近くも放置されている状況にも耐え難くなってきたこともあり、俺は怒り心頭の閻魔大王に声を掛けるべく手を挙げた。
「そろそろ、その、事情とか、聞きたいん…ですけど…?」
けれどぎょろりとした大きな目で一瞥されただけでそんなちっぽけな勇気は消し飛んでしまった。
何とか言葉を言い終えられたものの、今すぐ心臓発作で死にそうだ。
あ、もう死んでるか。
「そうだな、いい加減お前にも説明せねばならん…」
内心でお約束のネタをやっていると、額に青筋を浮かべている閻魔大王がため息と共に俺に向き直る。
青筋を作ったのは俺ではないが、それによる威圧感の増大は凄まじく、無意識のうちに倶生神のように身を竦めていた。
「まずは、そうだな。状況から説明するとしよう」
しかし閻魔大王がそう言った瞬間、圧し潰されそうな威圧感が嘘のように消えた。
今はどちらかというと他部署がやらかした失敗で自部署に悪影響が出たことを説明する部長の姿とダブっている気がする。
俺会社とか行ったことないから、テレビとかで見たイメージでしかないけど。
「お前は生きている間、他の人間と異なることがあると感じはしなかったか?」
目の前の台に肘をつき、組んだ両手を口元につけながらちろりと俺を見るその目にはすでに怒気はなく、俺の顔色を窺うような眼差しが覗いていた。
その理由はわからないが、俺は「そうですねぇ」と相槌の声を漏らしながら考える。
『他の人間と異なること』、か…。
前世のあれこれを思い浮かべ、俺は正直な気持ちを告げた。
「ありすぎてわかりません」
たはは、と苦笑交じりに笑って誤魔化そうとするが、俺にはそうとしか言えなかった。
何故なら思い浮かべたこと全てが『普通』ではなかったからだ。
それは十人十色、三人三様などの言葉では言い表せない相違点。
それでもまあ、端的に言えば、
「俺、運が悪過ぎるんですよね」
という一言に尽きる。
生まれてすぐに両親が事故で他界し、父が天涯孤独の身だったので母方の親戚に預けられたが、俺が預けられた家には必ず不幸が起きた。
空き巣や火事は当たり前で、銀行強盗が逃げ込んで立てこもったこともあるし、玄関の扉を開けたら今まさに通り魔が人を刺す瞬間で、それを目撃した俺を追って家に侵入してきたことだってある。
そんなことが続けばいくら親戚と言えど俺を預かることを嫌がり、10歳になってからは施設で育った。
その施設でも同様のことが起きたり、援助していた富豪が急死したせいで援助が打ち切られたりと不幸の枚挙には暇がなく、結局いくつかの施設を転々とした後は寮がある高校に進学したことを機に転所の申し出を辞退した。
俺の世話をしてくれていた児童相談所の職員は「高校に入ったばかりなんだし、まだ甘えてくれていてもいいんだよ?」と言ってくれたが、俺が「いえ、大丈夫です」と言った瞬間のほっとした顔を見れば、それが建前以外のなにものでもないことなど容易に察せられる。
そしてとうとう、その寮が老朽化していたことが原因で階段の手すりが外れ、頭から落ちた俺は脳挫傷で17年の人生を閉じた。
さて、この人生のどこに『普通』があるのか。
あるなら言ってみろと言いたいが、怖いので口には出せない。
「そう、それなのだ」
すると閻魔大王は俺の言葉に深いため息と共に肯定を返す。
俺の心の声を読んだわけではないだろうが、少しだけ肩が跳ねた。
「お前は運が悪い、いや、悪過ぎる」
ドキドキしていると閻魔大王がそう言い、肯定していたのは俺が言った「運が悪過ぎる」という部分だったと知れて肩から力が抜ける。
いや、本気で心が読めると思ったわけじゃないけどね?
「その運の悪さは偶然ではない」
心の中で聞こえもしない言い訳をしていると、深刻な顔の閻魔大王はその顔と同じ深刻な声でそう言う。
それはどういう意味だろうかと考えていると、俺の結論が出る前に答えを提示された。
「それは、神の手違いのせいなのだ」
だが答えが提示されたからと言って俺が理解できるか、納得できるかは別問題だろう。
現に俺は理解も納得もできなかった。
「それはどういう意味でしょうか」
だからその答えを求めて俺は問うた。
厳めしい雰囲気が和らいだせいか、もう彼のことを怖いとは思わなくなっていた。
それよりも自分の人生にあった理不尽の方がよっぽど気になっている。
「ふむ。本来、人間の幸と不幸は釣り合うようになっている」
閻魔大王は今度は組んだ手の上に顎を乗せ、眉間に皺を寄せながら瞑目していた。
「それは神が人の中に幸と不幸の壺を入れ、その中に満ちた水が釣り合うように増減することでバランスを取っているから、なのだが…」
彼はぐぐぐっと皺を深めながら説明を続けていく。
よく見れば組んでいる手にも力が入り、血管が浮いていた。
「お前の中にあるその壺は、神の手違いで両方とも不幸の壺だったのだ!」
そして大きく目を見開くと同時にドンと拳で台を叩き、倶生神をギロリと睨んだ。
「現世に生まれ落ちてしまえば神の目は離れる。だからこそ、現世で人間の行いを監視しているこ奴らが気づくべきであったのに、こ奴らときたら…!!」
「「ひ、ひいいぃぃ~…」」
その迫力にまた倶生神は手を取り合いながら身を寄せる。
身体はガタガタ震え目には涙が溜まっていて、今にも気絶しそうだ。
「この報告書を読む限り、お前たちはそのことに気がつかないまでも不幸に比重が偏っていることには気づいていたな?なのに何故報告をしなかった?」
閻魔大王は先ほどは言い訳をするなと断じたが、彼らの言い分を聞く気くらいはあったようで、改めて二人に理由を訊ねる。
二人は怯えの見える顔を見合わせるとぱちりと瞬きをしてゆっくりと頷き合い、
「そんな不幸に見舞われながらも真っ直ぐな性格に育ち、犯罪などに走らなかったことが幸運なのかと…」
「そんな境遇にあっても周りには彼を助ける人間が多いことが不幸の埋め合わせだったのかと思っておりました…」
それぞれ自分の考えを述べてちらりと俺を見た。
彼らの発言は、まあ確かにそう言われればそう思えなくもない、という程度のもの。
だからそんな縋るように俺を見られても、「なるほどそうだったのか!だったら仕方ないね!」などと言う気はないので、今すぐその目を逸らしてほしい。
「愚かな…」
そしてそれは話を聞いた閻魔大王も同じだったようで、彼は頭を振ると倶生神に笏のようなものを突き付ける。
「性格や日頃の行いは彼の性情故であるだろう。また、環境に恵まれていたというが、この報告書を見る限り本当にそうだとは思えんが?」
厳しい眼差しと共に向けられる言葉は彼らの釈明を両断するもので、擁護するものは何一つない。
所詮彼らの言い分は「そう思えなくもない」程度のものであり、そのせいで俺の人生が不幸ばかりになっていたことに対する免罪符にはなりようもないということだ。
よかった、閻魔大王が物事を正しく判断できる厳格な人で。
とはいえ過ぎてしまったことは仕方ない。
両親が死んだことも俺が放り出されたことも、それに俺が深く傷ついていたことも。
もう死んでしまっている以上、彼らがどう取り繕ったところでどうしようもないのだから。
「他人にいい顔をしたくて引き取ったはいいものの、手に負えないとわかるや否や放り出す。こんな人間の行いを『人助け』と記すようでは倶生神として失格だな」
閻魔大王はまたも俺と同じことを考えていたらしく、彼らにそう言うと笏を振って人を呼ぶ。
「そ、そんな…!!」
「我らは…」
「やかましい!貴様らの処分は追って言い渡す!それまで大人しく控えておれ!!」
倶生神は顔を真っ青にして必死に取りすがろうとするが、結局閻魔大王のその一言で彼らはどこからともなく現れた老人に部屋から連れ出された。
しょんぼりとした背中を見ていると可哀想だと思わなくもないが、そんな倶生神をつけられたことも不幸の一環だろうかと疑ってしまえば、すぐにその気持ちもなくなる。
第一、神に手違われることこそあり得ない不幸なのだから、自分の身に起きている全ては不幸だと思うべきだ。
「さて、シャスバンドール零万よ。お前の今後についてだが」
幾度目かもわからないため息を吐きながら閻魔大王が俺の名を呼ぶ。
どこからかやってきた国籍不明天涯孤独の父スミナリス・シャスバンドールと日本人の母来隠玖韻の間に生まれ、聞いたこともないような名字に、父の母国語のレィヴァンを母が無理やり当て字したものだと聞いた、耳馴染みもなければ意味もわからない言葉の名前。
俺にとってはそれすらも不幸だった、大嫌いな名前を。
もちろんそんな俺の思いなど知りもしないだろうし、その名前は正しく自分の名前なのだから呼んだ閻魔大王には何の罪もない。
それでも俺はつい顔を顰めてしまう。
「今生の詫びとして、来世では両方が幸の壺となるよう取り図ろう。そして何か一つ願いを叶えてやろう」
だが、なのか、だからか、なのかはわからないが、俺は彼にそう言われた瞬間、何故かすぐにこう思った。
「なら、俺の名前の意味を教えてください」
そしてそれを意識しないまま口にし、その声を聞いて初めて自分がそう思っていたことに気がついた。
俺はこの名前が大嫌いだったけど、この名前だけが両親が俺に残したたった一つのもので、両親の俺に対する愛情で、願いで。
小さい時にはそれを知らないことが無性に悲しくて、成長と共にいつの間にかそれが怒りに変わっていたのだ。
けれどそんな思いのまま転生したくない。
できることなら、その意味を知って、愛されていたと思いながら消えたいと思った。
「……なるほど?」
俺の言葉を聞いた閻魔大王は「ふむ」と髭を扱き、面白いものを見たという顔で俺を見る。
そして何事かぶつぶつと呟くと「そうだな、それがいい」と何やら結論を出したようで、笏で俺を指した。
「ならばお前の転生先をお前の父がいた世界にするとしよう。そこでその名の意味を調べるがよい」
「…は?」
彼はにたりと笑い「我ながら名案ではないか!」と得意げになっているが、俺は「ちょっと待て」と言いたい。
今とんでもないことを言わなかっただろうか。
『お前の父がいた世界』という言い方をしていたが、それはつまり、『俺がいた世界』と『父がいた世界』は別だと言っているような…?
「お前の父は所謂『異世界人』というやつでな。お前が生まれ育った世界でいう『剣と魔法のファンタジー』が実在する世界の出身だ。彼は18歳の時にお前がいた世界にやって来て来隠玖韻と出会い、数年後にお前が生まれた」
閻魔大王は俺の脳内の疑問に答えるように父について教えてくれる。
俄かには信じられないが、それが事実だとすれば親戚の誰も父のことを知らなかったのも頷ける。
『国籍不明天涯孤独』ではなく『国籍なし身内は異界』が正しかったわけだ。
わかるか、そんなもん!
道理でネットで検索してもシャスバンドールなんていう変な名前が見つからないはずだ。
というか、どうやって結婚したのだろうか?
戸籍もないはずなのに。
「お前が向こうの世界で5歳になったらこの記憶を思い出させよう。幼い時に理性があると生き辛いからな」
俺が衝撃の事実にあれこれと葛藤しながら考えていると、閻魔大王は最早決定事項扱いで話を進める。
そして俺が止める間もなく、
「手筈はこちらで整えておく。なに、心配することはない」
笑いながら彼がすいと笏を振ると、俺の意識は暗転した。
「ではよき来世を。達者でな」
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